第五五課 運命
自分の思うこと、願うことの殆んど大部分が意地悪く逆にばかり行くことがあります。例えば、今度の計画は成功しそうですとか、今度の競争には必ず勝ちますとか、今度の手当で私の病気が全快しますとか、近頃は私はとても丈夫で風邪一つ引いたこともありません、これなら当分私は丈夫でしょうとか、自分でも信じ、他人にも誇らしげに予告したり、時には前祝いまで済した直ぐ後で、皮肉にも計画や予想がすっかり外れてしまって、ひっこみがつかぬ事がよく人生に起るものです。不思議とある人に限ってこの齟齬が度々繰り返されることがありまして、悲運の余りいじけたり、呆然自失してしまう人があります。
これと反対に、外見上、すること為なすことが大抵予想計画どおりにうまく行く人があります。世間では、前者を運に弱いとか薄命とか言うのに対して、後者を運に強いとか、又は人々は羨んで、悪運が強いとさえ悪口を言います。
では一体、何が私たちの運命というものを支配するのでしょうか。
世間には、血統ちすじに因よるいろいろの素質とか、祖先はじめ現在の両親などから与えられているいろいろの境遇というものが、かなり人の一生の運命を決定するように思いきめている人があります。
例えば、遺伝した素質のうちでも、鋭い直覚力などは、物事を遂行する上に随分と役に立つものであって、相当に運命を支配出来るように思えます。直覚力の鈍い人は、どうも失敗しがちのようです。また、遺伝されたいろいろの病気に罹りやすい体質というものも随分人の運命に影響を与え得るものです。そのほか、祖先や両親、親族等から与えられる生活上のいろいろの便宜、例えば資産、権勢、閨閥ひき等もまた、浮世のいわゆる運命をある程度まで支配することがあります。
こういう祖先伝来の便宜というものは、誠に長い間の因果関係によって時間的に縦に組立てられた結果であって、その因縁のなかった人には当然得られない便宜であります。しかし、これらの便宜を持たない人は、何も持たないということが「因」となって、今度は四方から「縁」を吸収して、横に「果」を拡大して行くのです。刻苦勉励によって鈍い直覚力を磨き上げ、なおこれを補うのに、学び得た知識と伎倆を以てするのです。弱い体質もまた、訓練養生によって強壮に向わせることも出来ますし、常に心を配ってその保全を図ればよろしい。いわんや両親から伝染した病気などは医療によって容易に除けましょう。
また、資産、権勢、閨閥なども、空拳からてでよく築き上げられます。時には、親譲りのこれらのものが、運命開拓に却って邪魔になることさえあります。
かく考えますと、時間的に縦に組立てられた因縁の結果であるいろいろの運命への便宜は、どちらかと言うと消極的、惰性的のものであって、ともすれば安易に付き、運命を腐らす危険があります。
これに反して、これらの親譲りの便宜なき者が、強い意志を以て四方へ因縁を植え弘めて行く努力は、よき運命への力強き、確実な行歩あゆみであって、逞しい精神力の持主である日本民族の最も得意とするところであります。
かくして運命は人の造るところとなるのでありますが、それにしても心すべきは、肉体の健全と強い意志の養成が必要であります。そしてその次に鋭き直覚力を掴まねばなりません。これにはいろいろ手段がありますが結局、本当の確信を掴むことです。何か一芸に徹することもよいでしょうが、仏教の信仰と修業とによって智慧を開く方法が最も正確でかつ可能なことの一つであろうと信じます。
(確かに、運命はあると考えざるを得ません。幸田露伴は『運命』という短編で、「世おのずから、数(運命)といふもの有や、有といえば有るが如く、無しと言えば無きにも似たり。」といいます。運命はあると云えば有り、無しと言えばない、と言っているのです。そして川の両岸で豆を作っていた人が片方は洪水に遭い、片方は洪水を免れて豊作だったとすれば、洪水に遭った方は天を恨み不運を恨むであろうが、それでは幸運はやってこないと云います。「すべて古來の偉人傑士の傳記を繙いて見たならば、何人も其の人々が必らず自ら責むるの人であつて、人を責め他を怨むやうな人で無い事を見出すで有らうし、それから又飜つて各種不祥の事を惹起した人の經歴を考へ檢しらべたならば、必らず其の人々が自己を責むるの念に乏しくて、他を責め人を怨む心の強い人である事を見出すで有らう。否運を牽き出す人は常に自己を責めないで他人を責め怨むものである」といい天を含めて他者を恨む人は幸運になれないと云います。
そうはいっても不運が続くと、自分の家系、自分の前世は業が深いのではないかと気になることがあります。密教の字輪観というのがあります。之を紹介しておきます。心に月輪を観じます。此の上に梵字のア(月輪の中心に・・諸法は本不生で知ることはできない、と観ずる)バ(月輪の下に、言葉はもとから不生で知ることはできないと観ずる)ラ(月輪左、塵垢は不生でもとから知ることはできないと観ずる)キャ(月輪右、因業は不生で知ることはできないと観ずる)という瞑想をすることによって自分の過去からの因業に対処することができる気がします)