・「人の人たる道は。この十善に在るじゃ。人たる道を全くして。賢聖の地位にも到るべく。高く佛果をも期すべきと云ことじゃ。(慈雲尊者「十善法語」)」
・「善事とは己が為になすことを止めて、他人のためによろしきようにするを善事というなり。五常のなかの仁これなり(真言教誨義、周海)」
・「無限的行為は善なり。有限的行為は悪なり。利他的は善なり。仏心は大慈悲これなり。利己的は悪なり。しかれども利他的に正邪あ . . . 本文を読む
25番津照寺は24番最御崎寺から海岸沿いを六㌔ほどいった町中の小高い山の山上です。何回目の時か忘れましたが人っ子一人見当たらないさみしい漁師町をファッション雑誌から抜け出てきたような婦人が歩いていて一瞬東京にいるのかと錯覚したことがありました。
ここは参道右に大師堂と納経所があり、本堂へはなおも百八の急な石段を登ります。ご本尊は大同二年、弘法大師が巡錫されたときに刻まれた延命地蔵菩薩。秘仏で拝観 . . . 本文を読む
安岡正篤「運命を創る」にあるものと、信貴山上でいただいたパンフレットをあわせて作ってみました。
風邪(咳)・・大根の輪切りに飴を懸けて一晩置いて出た甘い液体を飲む。また蓮根をすりおろして盃一二杯飲 。鰻もよい。小指の先端及び親指の下の膨らみがツボ、ここをもむ。
心臓・・ 卵黄油(卵を10個位土鍋に入れて炒る。焦げても炒ると油が出る)をスプーンに半分ほ ど飲む。 . . . 本文を読む
神仏霊場会のホームページで、
「神仏合同国家安泰世界平和祈願祭」が、平成26年6月27日(金) 午前10時30分、大阪天満宮 御本殿 (大阪府大阪市北区天神橋2丁目1番8号)において、斎主・寺井種伯(大阪天満宮宮司)、導師・北河原公敬(東大寺長老)の下、霊場会加盟社寺の神職・僧侶の参列のもと行われるとの記事がありました。こちらにあります。
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日和佐から室戸までは約75kmあります。ここは大体歩かないで土佐くろしお鉄道とバスを乗り継ぎ「室戸岬」で下車しています。
バス停から歩いていくと24番最御崎寺手前にみくろ堂があります。
みくろ堂はお大師様が18歳の時、21番太龍寺で求聞持を行じられたあと、ここで成就されたとされるところです。四国遍路必拝の場所です。しかしここにはお大師様の像もなく、ただ注連縄が張ってあるだけです。 神社の管理とな . . . 本文を読む
「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ちかえる阿字のふるさと」・・・我々は阿字から出て阿字に帰るのですが、これを体得するのが阿字観です。
阿字観に通じる霊験談もあります「宇治拾遺物語」です。
「貧しき俗、仏性を観じて富めること」に、「今は昔、唐の辺州に一人の男あり。家貧しくして宝なし。妻子を養ふに力無し。もとむれども得ることなし。・・ある僧にあひて宝を得べき事を問う。知恵ある僧にて . . . 本文を読む
別格4番鯖大師には午後4時前に着きましたがさきの老人のいうように追い出されはしませんでした。
「空性法親王四国霊場御巡行記」では「八坂坂中鯖一箇、行基に呉れて駒ぞ腹痛、と詠ぜし茲は所なり」とあります。この歌は鯖大師の縁起を詠ったものです。「四国遍路(平幡良雄)」によると椿堂は行基菩薩の開基で、大師がここの行基菩薩御手植えの松の根で一夜を過ごされ翌朝通りがかった馬子に塩鯖を所望されたのに対し、馬子は . . . 本文を読む
以前松田さんから頂いたお便りです。「・・・『何年もいのり続けて何が変わったのか』と聞かれると『私自身が変わった』といいます・・私なりに体験した三つのお蔭の出るポイントです。
1、祈り続ける。
2、問題(苦しいこと)を恨まない。
3、自分自身が変わる。
この3つが大切と思います。・・・」 . . . 本文を読む
遍路道が途絶え仕方なく崖を降りて海辺に出ましたが、岩ばかりで標識などあるわけがありません。岩の間を這うようにして前にすすみます。しかし行けども行けども海と岩ばかり。暗い灰色の海からはドドーンと絶えず大波が打ち寄せます。そうしているうち突然原因不明の呼吸困難に陥り、岩の間にかがみこまざるをえなくなりました。 なぜかまったく息ができなくなりました。必死に息を吸い込もうとしますが吸えません。肺が詰まって . . . 本文を読む
お大師様が吉野から高野山へ歩かれた道が特定されたというニュースがありました。こちらです、「弘法大師の道」。
高野山開創1200年に向けて大師の道を探ろうと村上保壽・前高野山真言宗教学部長らが中心となり4年前に発足させた「弘法大師 吉野・高野の道プロジェクト」実行委員会がこの度、お大師様の歩かれた道を確定し、5月27日に奈良市内で発表したということです。
大師は「紀伊国伊都郡高野の峰において入 . . . 本文を読む
小鳥の声
2014-06-02 | 法話
今朝目覚めると種々の鳥の声が聞こえました。チチッ、チーッツ、チュチュ、ピピ、などいろいろです。ネットで調べようとしたのですがわかりませんでした。鳥の声はいつ聞いてもいいものです。お遍路でも朝まだきに札所の境内でよく鳥の声を聞きました、四国49番浄土寺の薄明の中で見た目の覚めるようなきれいな尾の鳥の名前などなんとか調べようとしているのですがわかりません。
鳥は古来人間にとっても大切なパートナーでした . . . 本文を読む
「興福寺南円堂銅灯台の銘」(大師、拾遺雑集「銅灯台の銘並びに序」)
「弘仁七年載歳丙申ひのえさるに次るとし、伊予の権守正四位下藤原朝臣公人等,先考の遺教に追遵して(亡父の遺言の教えを守り)、敬って銅灯台一所を造らむと志ふ。心、乖ひ麗れず、器、つえを期す。慧景伝えて極まらず、慈光燭して外なし。『遺教経』にいわく、燈に明あり、明は命なり。燈は命を延ぶと。『譬喩経』にいわく、仏の為に燈を燃さば,後世に . . . 本文を読む