18,19と筆舌に尽くしがたい有難い体験をしてきました。この内容はいえませんがその折、その地方で枢要な山、寺社がすべて春分線、東西線等の上に一直線に並んでいることが地図上で判りました。
方位学では小川光三が発見した「太陽の道」が有名です。これは北緯34度32分の東西線上に、700キロにわたって神社や史跡が一直線に並んでいるというもので例えば「三輪山」、「長谷寺」「室生寺」「太郎生」「伊勢神宮の . . . 本文を読む
五台山から降りて下田川を渡り5キロ位いくと、目前に百㍍あまりの小高い山があります。ここが32番禅師峰寺で、寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、後にお大師様が八葉の蓮台に似ていることからここで虚空蔵求聞持法を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、現在の寺名「八葉山 求聞持院 禅師峰寺」を定めたといわれます。お大師様の作と伝えられる「船魂観音」 . . . 本文を読む
30番から31番竹林寺までは7キロ弱です。30番からどんどん南下して高知市街地にはいります。竹林寺のある五台山への登り口はいつも迷います。逆打ちのときは特にわかりません。五台山の下の学校の周りを何度もまわったこともあります。
2回目の時です。細い登り道をやっと見つけて登ろうとすると近くの枇杷の木の何十匹もの蝉が驚いて飛び立ち一匹が眼鏡の中まではいりこみあばれます。びっくりしました。
あわてて蝉を . . . 本文を読む
29番国分寺から約11km で30番善樂寺です。手ごろな距離ですがなぜか意外と疲れます。善樂寺への途中には「へんろ小屋第5号蒲原」と云うまだ新しい遍路小屋がありました。道路の拡張部分に作られていました。近所の会社が維持管理をしてくれているようでした。土地も地元の地主の好意で建てられているようでした。なかには記帳ノートがあり「一度死のうと思った人生。死ぬ気で回って見せる。足のいたみ何か逆に気持ち良く . . . 本文を読む
神峰から野市を経て大日寺までおよそ四十㌔あります。17年の遍路では神峰寺の麓で泊まった遍路宿の女将さんがあとから車でおいかけて来て途中の野市まで乗せてくれました。おかげで1日分助かりました。予約していた遍路宿を過ぎてしまったので断りの電話を入れました。歩き遍路なのにこういう時ほっとするのはどうも修行が足りません。
28番大日寺は小高い山の中腹にあります。17年には工事中であった本堂がその後新築さ . . . 本文を読む
「国家の品格」で数学者藤原正彦氏は宗教心の厚い、品格のある国が栄えると喝破しました。
ドラッカーは「経営者は、学習して身につけることはむつかしいがどうしても持っていなければならないものがある、それは品格である」といいました。「実業読本」で武藤三治は「品性・・・私は会社の従業員にはスマイル博士の「品性論」を与え、品性を磨くよう奨励している。品性は人生において最も大切なものであって,・・富の力よりも . . . 本文を読む
先日国立駅に降り立ち帰宅する途中、駅前で黙々とゴミ拾いをしている婦人を見かけました。此の人は駅周辺をいつも掃除している人なので思い切って「ご苦労様です、いつもありがとうございます」と声をかけました。しかし何度声をかけても無視してゴミ拾いをしています。すぐ近くまでいって再度「ご苦労様です」と声を掛けました。するとその人は振り向いて、ゼスチャーで、耳が聞こえないという仕草をしました。ハッとしました。自 . . . 本文を読む
ここ神峯寺はいついっても有難い霊場です。二〇年のときは六時ころ遍路宿をでると満月の下、一面の水田の蛙がいっせいにケロケロと大合唱して不思議な気持ちになりました。
澄禅「四国遍路日記」には「神峯寺、本堂三間四面、本尊十一面観音なり。とう峯より下、二寺は麓にあり、無礼の僧なり。」とあります。江戸時代は神峯神社の本殿を観音寺といい、養心庵という寺も麓にあったと云いますからこれらを二寺と云ったと思われま . . . 本文を読む
27番神峰寺の霊験と成功者の信仰
26番から27番神峰寺は34kmあります。歩くと9時間はかかるといわれています。大体途中バスに乗ってします。麓の遍路宿に泊まり朝早く27番神峰寺にのぼります。朝はご住職みずから納経してくださると遍路宿でききましたがそのとおりで、朝早く行くとご住職がおられ、自ら納経していただきました。
ここは神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願して、天照大神を祀った社として創建され、 . . . 本文を読む
2回目の遍路のときは、御住職坂井智宏師の知己をえることができました。そして特別にお大師様の旅壇具を拝観させてくださいました。実際にお大師様がこれに手をふれられ旅先で行をされたと思うと感無量でした。
坂井御住職から頂いた金剛頂寺略縁起を紹介します。
「龍頭山金剛頂寺は俗に土佐西寺ともよばれ・・・大師青年のころ修禅降魔された遺跡であり、大同二年(806)勅願寺また密教道場として七堂伽藍が建立され . . . 本文を読む