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17年の時は、薬王寺の門前に着くと鉄鉢を持って立っているお遍路さんがいたので喜捨して話しかけました。すると、お金がなくなり托鉢しながら歩いていること、野宿は体を壊すこと、最近托鉢のお遍路さんが傷害事件の逃亡犯だったという事件がありそれ以来喜捨が十分の一に減ったこと、霊場会も門前の托鉢を禁止しているので追い出されること、早く先達になるには札所のご住職に認めていただくことなど次々話してくれました。いろいろな人と話すとなにか得した気になります。
23番薬王寺は弘仁六年、大師四十二歳のとき、自他の厄除を誓願してご本尊の薬師如来を刻み、大師の奏聞により、平城・嵯峨・淳和の各帝は厄除の勅使を下して官寺としたとされます。澄禅「四国遍路日記」(1653)には「本尊薬師如来、本堂南向、先年炎上の後、再興する人なくして今に小屋掛け也、二王も焼けて二王は本堂の小屋の中に在り、寺も南向、これは再興あって結構也」とあります。
今は入口に立派な仁王門があり、ここから33段の女厄坂、そのあと本堂までが42段の男厄坂となっています。各段にお賽銭の十円玉や一円玉が何枚もおいてあります。
一番上に瑜袛塔があります。 高野山龍光院にも瑜祇塔があり「 あびらうんけん ばざらだとばん(両部大日)」と拝みます。私も何回かの遍路の後、最高の秘儀とされる瑜祇灌頂を受けることが出来、その後さらにこの瑜祇灌頂でご縁んを頂いた仏様のさらにありがたい秘儀に26年6月にあずかることとなり打続く深秘不可思議の仏縁に感涙にむせんでおります。
ここの本堂の左側にはひっそりと肺大師堂が建てられています。胸の病で苦しんでいる方がおまいりするとお蔭があるといいます。
17年にはまだ開いていた薬王寺宿坊に泊まりましたが、廊下には奈良信貴山管長の「寳在心」の色紙がかけてありはっとしました。信貴山といえば大阪商人をはじめ一攫千金を願う人々の御参りがひきもきらないところ。そこの管長さんが宝はお金でなく心ですよといっておられる。心の中から宝が生じるのですよと諭してもいるのです。いい言葉です。我々の心には宝どころか仏様がいらっしゃるのですから。 この額を見た平成17年には全く信貴山とは 関係なかったのですが21年に求聞持用の榧の実、油を頂き、22年には福聚講として参拝に行く御縁を頂きました。思えば此の時が信貴山とのご縁のはじめだったのです。
高野山普門院にも師僧の前官近藤本昇師の「人格の向上は黄金以上の価値あり」という色紙があったことを思い出しました。まことに心にすべてがあるのです、しかし我々はこの心でなくお金にすべてがあると思い過っています。お金も、幸福もすべて心に在るということを生活の中で時々でも思い起こすべきです。
23番薬王寺は弘仁六年、大師四十二歳のとき、自他の厄除を誓願してご本尊の薬師如来を刻み、大師の奏聞により、平城・嵯峨・淳和の各帝は厄除の勅使を下して官寺としたとされます。澄禅「四国遍路日記」(1653)には「本尊薬師如来、本堂南向、先年炎上の後、再興する人なくして今に小屋掛け也、二王も焼けて二王は本堂の小屋の中に在り、寺も南向、これは再興あって結構也」とあります。
今は入口に立派な仁王門があり、ここから33段の女厄坂、そのあと本堂までが42段の男厄坂となっています。各段にお賽銭の十円玉や一円玉が何枚もおいてあります。
一番上に瑜袛塔があります。 高野山龍光院にも瑜祇塔があり「 あびらうんけん ばざらだとばん(両部大日)」と拝みます。私も何回かの遍路の後、最高の秘儀とされる瑜祇灌頂を受けることが出来、その後さらにこの瑜祇灌頂でご縁んを頂いた仏様のさらにありがたい秘儀に26年6月にあずかることとなり打続く深秘不可思議の仏縁に感涙にむせんでおります。
ここの本堂の左側にはひっそりと肺大師堂が建てられています。胸の病で苦しんでいる方がおまいりするとお蔭があるといいます。
17年にはまだ開いていた薬王寺宿坊に泊まりましたが、廊下には奈良信貴山管長の「寳在心」の色紙がかけてありはっとしました。信貴山といえば大阪商人をはじめ一攫千金を願う人々の御参りがひきもきらないところ。そこの管長さんが宝はお金でなく心ですよといっておられる。心の中から宝が生じるのですよと諭してもいるのです。いい言葉です。我々の心には宝どころか仏様がいらっしゃるのですから。 この額を見た平成17年には全く信貴山とは 関係なかったのですが21年に求聞持用の榧の実、油を頂き、22年には福聚講として参拝に行く御縁を頂きました。思えば此の時が信貴山とのご縁のはじめだったのです。
高野山普門院にも師僧の前官近藤本昇師の「人格の向上は黄金以上の価値あり」という色紙があったことを思い出しました。まことに心にすべてがあるのです、しかし我々はこの心でなくお金にすべてがあると思い過っています。お金も、幸福もすべて心に在るということを生活の中で時々でも思い起こすべきです。