福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

丙申逆打ミニ遍路報告・・17

2016-05-31 | 開催報告/巡礼記録


いよいよ翌日に予定していた計画を変更して横峰寺へ上ることにしました。当初は64番前神寺から61番香園寺と高鴨神社で今日は打ち止めにする予定でしたがそれでは今日は午前中にお参りが終わりそうになるので、前神寺の役僧さんが、横峯へ登ってもまだ時間的に大丈夫、と言っていたのを参考にして、登ってみることにしたのです。

当初、高鴨神社横から登る予定でしたが、吉祥寺を打ったあとですから吉祥寺の横の県道142号を登っていくことにしました。横峯へ行くには時間が遅いこともあって、行きの遍路には全く会いません。10年前、未明の雨の中、香園寺から横峯へ登る道に迷ってこの道まで引き返して登ったことは忘れられません。63番吉祥寺から60番横峰寺までは13キロです。途中黒瀬湖の雄大な景色を眺めつつ、有料道路料金所を通ってのぼります。ここが行程の半分です。

雲辺寺ほどではありませんがこののぼりもかなり応えます。途中何度も休んでさきの石鎚神社でペットボトルに入れてもってきた湧き水の神水を飲んでは元気を出しました。以前この道を登った時、心臓がドキドキして大変だったことがあります。知人のN師に「横峯の参道では心臓マヒで死んだ先達さんがいる」と聞いていたので無理をしないよう注意しながら登りました。何年か前に雨上がりの日にこの道をお参りしたとき、無数の大ミミズが道に出てきていて車に轢かれていたことがあります。轢かれてないミミズはできるだけ両側の叢に戻してやりましたが多すぎて何日かかっても戻しきれないほどでした。一部しか戻してやれなかったのが悔やまれます。それにしてもお参りに来てまで車でミミズを轢かなければならないとは、われわれの業は恐るべき深さです。今回は小さな虫が数匹這い出しているくらいでしたから叢に戻すのに造作はありませんでした。

横峰寺につくと前神寺でいわれたように石楠花がまっ盛りでした。霊場会のホームページによると、「白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、山頂付近に蔵王権現が現れそのお姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建」とされているのでこうして石楠花を植えているのでしょう。 横峰寺は蔵王権現を祀る別当寺だったが廃寺になり、1909年(明治42年)再興しています。したがっていまも本尊、大日如来、向って右脇佛は石仙菩薩(しゃくぜんぼさつ、横峯寺の開基)、同左脇佛は蔵王権現をお祀りしています。境内にも蔵王権現の祠があります。

澄禅「四国辺路日記」には「承応二年十月三日、横峰寺、先麓の小松より坂のかゝり一里大坂を上る、 夫より小坂を上下する事三つ、又大坂を上りて少平地なる所に、二王門在り、爰に仏光山と云額在り、銅にて文字を入たり、 本堂南向、本尊大日、又権現の社在り、 寺には加賀の国の僧住持す、 社壇の後薗を通りて未申の方の峯に上る事五町、 爰に鉄の鳥居在り、爰にて石槌山を拝して札を納て読経念誦す、 石槌山には大雪降積て白妙なり、 一昨日、里方は時雨したりしか、山々は皆雪也と、 夫より元の如く坂を下て保寿寺(いまの宝寿寺)に還たり、其夜は此寺に宿す・・」とあります。

ふらふらしながら本堂に上がって理趣経を読みご本尊の大日如来様を拝します。座れるので足の疲れが取れほっとします。以前家族で来たときもこうして本堂に三人であがりお参りできたことを思い出します。本堂に上げていただけるのは本当にありがたいことです。はるばる厳しい山道を登ってきたかいがあるというものです。納経所でも、私が横峰寺のページを開いて渡そうとしちると、寺の人が「こちらで開きますからいいですよ、開くのは大変ですから。」と親切に言ってくださいました。疲れてフラフラになっていた遍路には本当にありがたいお言葉でした。

大師堂・聖天様もおまいりして下山します。現在2時です。下山に4時間かかるとしても6時くらいには宝寿寺近くの宿に着けそうです。こんなに遅い時間に横峯に登ったことはないので少し心配です。車道からこんどは香園寺への歩き遍路の道標に従って山道に入ります。

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