民宿の遍路ノートの続きです。
「2014・4、夫を亡くしてからは一人で車を遠くまで走らせることが多くなった。札所を一人、車で回っています。苦しむことなく旅立った夫へのお礼の旅です。」
「2014・4・19、痛風で歩けなかったが、三角寺から雲辺寺までの長い道のりを歩いても痛くなかった。不思議です。結願まで一歩一歩あるき続けます。『百薬にまさる遍路に出でにける』と地蔵時の石碑に彫ってありました。六五歳」
「2015・1・31、近しい人の奥様が突然死んだ。人生においては出会いは別れを運命つ゛けるものだ。わたしもいつの日か自分自身に別れを告げる日が来る。その日がいつになるかはわからないが、今を精一杯生きることだ。2016年の逆打は大変ご利益のある年と聞く。大師や死者にも会えるという。私は母に会いたい。来年は逆打で来る予定です。」
「2015・4・18、東日本大震災では全国の皆さんから多大のご支援を頂いた。感謝を込めて、物故者諸精霊供養のため回っている。自治会では三分の二にあたる70戸の家屋が流出、16名が死亡した。気仙沼市」
こうしてみると、高齢所の遍路が多い事、東日本の被災者が意外と回っておられること、新婚旅行遍路に来ているという人もいる事など10年前に焼山寺の遍路宿で見た遍路ノートと比べると時間の変化を感じます。10年前は若者がもっと多かった気がしますがその分高齢者にとって代わられているのでしょうか。メモの深刻さも10年前より少ない気がしました。10年前には「自殺を思いとどまった」「孤独だ」「これからの進路に悩む」等の深刻なものが多かったのですが今回見た中には東日本被災者以外にはあまり深刻なメモはありませんでした。時代の雰囲気でしょうか。
夕食は5人の遍路が一緒でした。ひとりは70歳くらいの高松から来たという男性。この人は毎年数回遍路しているといいます。東京から来たという婦人警官もいました。あとは老夫婦。旦那さんは78歳、奥さんは10歳は若いとお見受けしましたがこの夫婦も年数回東京から夜行バスで来て歩きで区切り打ちをしているということです。78歳の男性は肺癌で肺を大部分切除して小学生並みの肺活量といいます。それでもあの遍路ころがしと言われる雲辺寺の道なき道を登って降りてきたのです。奥さんは「このひととならどこで死んでもいいのです」といいます。・・・