・はじめに
ことしは丙申年で衛門三郎がお大師様に遇えたとされる60年に一度の年です。
私も平成26年の 四国八十八ヶ所霊場開創 1200 年のときに続き、何度目かの遍路をしてきました。5月11日から14日までのミニミニ逆打遍路ではありますが・・。目的は、来るべき首都直下型・南海トラフ大地震に際して少しでも犠牲が少なくなりますようにとお願いすることでした、しかし結論を先に言うと、遍路道中ではそういう具体的なお願いはできませんでした。また歩き遍路が爆発的に増えており、うれしい限りでしたがこれには不気味な前兆を感じました。あとで報告します。
・1日目。昔の札所琴弾八幡宮(ご本尊は阿弥陀様と応神天皇・神功皇后・玉依姫命)
1日目、午前中に観音寺駅に着きました。目的の琴弾八幡宮に向かいます。今回は初めて明治以前の札所廻りをできるだけ再現したいと思ったのです。すなわちむかしの道中記に記してあるように神仏一体でお参りしようと思って計画しました。68,69番は何度もお参りしているので今回は最初のお参りを琴弾八幡宮に絞ったのです。いままでは68番に向かうときに八幡宮の下の鳥居の前で簡単に拝んで通り過ぎるだけでしたが今回は初めて石段を登ります。
そもそも68番札所神恵院(本尊、阿弥陀如来)69番 観音寺(本尊正観音)は昔は琴弾八幡宮(祭神、応神天皇・神功皇后・玉依姫命)が札所だったのです。真念「四国徧禮道指南」(二十余度の遍路の後、大師入定八百五十年の貞享四年1687年刊行)には「六十八番琴弾八幡宮・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」には「承応二年(1653)十月九日観音寺、本堂南向、本尊正観音、 大師の開基、桓武天皇の御願、大同年中の造営也、 寺は神恵寺六坊在り、 二町北の坂を上て琴引宮に至る、瑟引八幡宮、南向、本地阿弥陀如来、 大宝三年(癸卯)、豊前国宇佐ノ宮より此国に来臨し玉ふ、 海上にて瑟を弾し玉ふ、其音妙にして国の人々耳をすませり、 此所に権者と呼し人、此山に宮を作て安し奉しと也、 其後大師観音寺と云也 」とあります。(続)
ことしは丙申年で衛門三郎がお大師様に遇えたとされる60年に一度の年です。
私も平成26年の 四国八十八ヶ所霊場開創 1200 年のときに続き、何度目かの遍路をしてきました。5月11日から14日までのミニミニ逆打遍路ではありますが・・。目的は、来るべき首都直下型・南海トラフ大地震に際して少しでも犠牲が少なくなりますようにとお願いすることでした、しかし結論を先に言うと、遍路道中ではそういう具体的なお願いはできませんでした。また歩き遍路が爆発的に増えており、うれしい限りでしたがこれには不気味な前兆を感じました。あとで報告します。
・1日目。昔の札所琴弾八幡宮(ご本尊は阿弥陀様と応神天皇・神功皇后・玉依姫命)
1日目、午前中に観音寺駅に着きました。目的の琴弾八幡宮に向かいます。今回は初めて明治以前の札所廻りをできるだけ再現したいと思ったのです。すなわちむかしの道中記に記してあるように神仏一体でお参りしようと思って計画しました。68,69番は何度もお参りしているので今回は最初のお参りを琴弾八幡宮に絞ったのです。いままでは68番に向かうときに八幡宮の下の鳥居の前で簡単に拝んで通り過ぎるだけでしたが今回は初めて石段を登ります。
そもそも68番札所神恵院(本尊、阿弥陀如来)69番 観音寺(本尊正観音)は昔は琴弾八幡宮(祭神、応神天皇・神功皇后・玉依姫命)が札所だったのです。真念「四国徧禮道指南」(二十余度の遍路の後、大師入定八百五十年の貞享四年1687年刊行)には「六十八番琴弾八幡宮・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」には「承応二年(1653)十月九日観音寺、本堂南向、本尊正観音、 大師の開基、桓武天皇の御願、大同年中の造営也、 寺は神恵寺六坊在り、 二町北の坂を上て琴引宮に至る、瑟引八幡宮、南向、本地阿弥陀如来、 大宝三年(癸卯)、豊前国宇佐ノ宮より此国に来臨し玉ふ、 海上にて瑟を弾し玉ふ、其音妙にして国の人々耳をすませり、 此所に権者と呼し人、此山に宮を作て安し奉しと也、 其後大師観音寺と云也 」とあります。(続)