福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

丙申逆打ミニ遍路報告・・4

2016-05-18 | 開催報告/巡礼記録
・67番大興寺

琴弾八幡宮の雨にぬれて滑りやすくなっている落ち葉をよけつつ石段を降りて、つぎの67番大興寺に向かいます。67番という数字は自分にとっては深い深い因縁のある数字です。具体的には書けませんが、「遠くにありて歌うもの・・」という室生犀星「抒情小曲集 小景異情」の気持ちを痛いほどよくわからせる数字です。
観音寺の街中でいつものように何十回も道を聞きました。町の皆さんはだれ一人嫌な顔をせず親切に教えてくださいます。なかには「観音寺の町は分かりつ゛らいでしょう。お遍路さんによくきかれます」と言ってくださる人もいました。

約9キロくらいしかないのですが、久々に歩くので緊張しながら歩きます。逆打なので多くのお遍路さんに会います。みなさんどちらからともなく挨拶します。今回は特に外人が目立ちます。外人も日本語で「こんにちわ」といいます。一人の人、数人のグループなどさまざまです。途中豊田小学校でも教員室の窓越しに道を聞きました。先生が親切に教えてくれます。あと2キロくらいのところまで来ているのですが小学校の先生は「まだ相当ありますよ」と心配そうにいいます。それだけこちらの事を心配してくれているのでしょう。

道辺の古い道標には「小松尾寺」として矢印が表示されています。遍路地図には大興寺へ入る道が2本書かれているので迷いますが、近くにきてまた地元の青年に聞くと「仁王様の正面の門から入った方がいいでしょうから、こちらの道を・・」と教えてくれました。あとでわかったのですが、裏からの道の方が近かったのです。8年前にも逆打でまわっているのですがすっかり忘れています。正門に着くとやっと昔のことを思い出します。当時は鄙びた小さいお寺の印象しかなかったのですが、なかなかどうして立派な仁王門があり、大師御手植えと伝わる楠とヒノキの大木があります。石段も堂々たるものでどうして小さい寺という印象が残っているのかわかりません。

縁起によれば、弘仁十三年(八二二)嵯峨天皇の勅命で弘法大師がの霊場として開創、ご本尊の薬師如来を彫刻して安置されたそうです。後に真言、天台の二宗によって管理され、真言が二十四坊、天台は十二坊あってとされます。本堂の左右に真言、天台の大師堂がつくられ、いまもあります。 

 仁王門は八百屋お七の父か恋人の吉三のいずれかが、お七の菩提を弔うために遍路となり、その途中に寄進したとも伝えられるものです。

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