・11月6日「禅を聞く」講演会が11月6日火曜日17時半からよみうりホールであります。「禅海一瀾講和をめぐってー今北洪川と釈宗演」小川隆駒澤大学教授。「ご縁に導かれて」横田南嶺・円覚寺派管長です。特に横田管長は現代には稀有な清僧で是非お話をお聞きしたいと思っていますが当方は都合で聞けないかもしれません、残念です。
・11月13日火曜日には神仏霊場会発足10周年 記念フォーラム 「神と仏は同坐する . . . 本文を読む
27番神峰寺の霊験と成功者の信仰
26番から27番神峰寺は34kmあります。歩くと9時間はかかるといわれています。大体途中バスに乗ってします。麓の遍路宿に泊まり朝早く27番神峰寺にのぼります。朝はご住職みずから納経してくださると遍路宿でききましたがそのとおりで、朝早く行くとご住職がおられ、自ら納経していただきました。
ここは神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願して、天照大神を祀った社として創建され、 . . . 本文を読む
25番津照寺は24番最御崎寺から海岸沿いを六㌔ほどいった町中の小高い山の山上です。何回目の時か忘れましたが人っ子一人見当たらないさみしい漁師町をファッション雑誌から抜け出てきたような婦人が歩いていて一瞬東京にいるのかと錯覚したことがありました。遍路道では時々不思議なことがあります。
ここは参道右に大師堂と納経所があり、本堂へはなおも百八の急な石段を登ります。ご本尊は大同二年、弘法大師が巡錫された . . . 本文を読む
別格4番鯖大師には午後4時前に着きましたが、以前どこかで老人が、鯖大師ははやく着くとおいだされますよ。と教えてくれていましたが今回は追い出されはしませんでした。
「空性法親王四国霊場御巡行記」では「八坂坂中鯖一箇、行基に呉れて駒ぞ腹痛、と詠ぜし茲は所なり」とあります。この歌は鯖大師の縁起を詠ったものです。「四国遍路(平幡良雄)」によると椿堂は行基菩薩の開基で、大師がここの行基菩薩御手植えの松の根 . . . 本文を読む
いよいよ土佐の国にはいります。
24番最御崎寺までは90キロ近くあります。17年の時は番外札所鯖大師に泊まる事にして歩きはじめました。途中牟岐町というところではテントを張った接待所がありました。
女性が三人出てきて私のポンチョ合羽をまっすぐになおしてくれました。以前どこかの札所で土地の古老が「鯖大師は早く着きすぎるともっと先まで歩けと追い出されますよ」等と親切に教えてくれていたのを思い出したの . . . 本文を読む
22番平等寺から23番薬王寺までは約20キロです。海沿いと山沿いの2つの遍路道がありますがいつも海沿いの道をいきます。この道はドドーンという地響きのような海鳴りが絶え間なく聞こえます。遍路道の途中には風化した古い道標が青い海を背に立っています。 19年春は23番薬王寺までの途中でシャツからはみだすくらいの全身刺青の20才の若者と一緒になりました。此の青年は21番薬王寺でタクシーから降りてきた倶利伽 . . . 本文を読む
20番鶴林寺から21番太龍寺は11キロくらいです。歩いて 3時間位だったと思います。太龍寺山も「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれるように阿波三大難所の一つとされます。 お大師様の「三教指帰」に「阿波太龍嶽にのぼりよじ土佐室戸崎に勤念す谷響きを惜しまず明星来影す。」とあります。これは求聞持法という密教最高の行をお大師様がここに行じられたことを記してあるわけで、真言行者の聖地ともいうべき . . . 本文を読む
今日17日は全国の主要寺社で例大祭が執り行われます。
高尾山秋祭り、靖国神社秋季例大祭(勅使が御幣物を献じ、御祭文が奏上)、伊勢神宮神嘗祭(陛下御自らが皇居内の水田でお作りになられた初穂が勅使に依り奉納)、香取神宮新飯神事(神嘗奉祝祭にあたり 赤飯をお供えする)、東京大神宮崇敬者大祭(伊勢神宮遥拝)、前川神社祭、群馬伊勢崎神社例大祭(伊勢崎神社で一番大きなお祀り、 年に一度の本殿開扉)日光東照宮秋 . . . 本文を読む
19番立江寺から10数キロ歩いて第20番鶴林寺につきます。第20番は正式には霊鷲山宝珠院鶴林寺といいます。ご詠歌が「しげりつる鶴の林をしるべにて大師ぞいます地蔵大釈」というようにご本尊は地蔵菩薩(おん かかかび さんまえい そわか)です。八十八ヶ所で二番目に難所と言われるだけに、急勺配坂が続いたあと鬱蒼とした木立ちの中にあらわれる仁王門は、実に堂々としています。境内には樹齢千年の老杉がそびえて . . . 本文を読む
18番恩山寺は眉山を右手に見ながら勝浦川を渡って小松島市へ入り中田駅から四㌔ほどの小高い山の中腹にあります。参道を登りつめると大師堂があり、本堂へはさらに石段を登ることになります。
17年の遍路ではここはすばらしい秋晴れでした。縁起によると、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が厄除けのために薬師如来を刻み、本尊として開基、大日山密厳寺と号し、女人禁制としていましたが、創建後百年を経て、弘法大師がこの寺 . . . 本文を読む
18番恩山寺はすばらしい秋晴れでした。石段を本堂に向かって登る時に蘇鉄の葉に頭をなぜられ、自分で勝手に小躍りしてしまいました。
それは法華経嘱累品にいう「摩頂」に似ていると思ってしまったからです。
梁塵秘抄には法華経嘱累品を引用して「一乗付属の儀式こそあはれに尊きものなれ、釈迦牟尼仏は座より下り菩薩の頂なぜたまふ」といい、江戸時代の真言宗の高僧慈雲尊者は「罪障消滅のしるし」といわれました。まこと . . . 本文を読む
14番常楽寺は「弘仁6年弘法大師四国巡錫の砌り、当地で弥勒菩薩の御来迎を拝し随喜の余り、直に感得の慈尊二尺六寸の尊像を彫り九間四面の中堂に安置し、四国霊場第十四番の本尊とし給うた」とあります。四国霊場中弥勒菩薩を本尊に安置するは唯一です。また流水岩の庭園も四国唯一とされます。
大体ここでお昼をいただくことが多いのです。
14番常楽寺から15番国分寺までは、道をまちがったので常楽園という孤児院 . . . 本文を読む
・13番大日寺
13番大日寺は焼山寺から遥か下に鮎喰川と散在する村落を見ながらおりていきます。だんだんに下って行って、県道21号線に合流し、鮎喰川と県道の間に建つ大日寺に着きます。12番からは20キロ以上あると思います。だいたいいつもここに着くときにはくたびれ果て足は棒のようになっています。
13番大日寺は、弘仁六年(八一五)弘法大師がこの地に巡錫され、護摩修法されているとき、大日如来が示現され . . . 本文を読む
・8番熊谷寺は7番十楽寺から4kmくらい歩きます。1回目は9月末とはいえ暑くて喉もからからでした。道端の果物屋に入ったところ女将さんらしき人が「うちはお遍路さんにお接待して納札を集めています」といい、ぶどうを5房もビニール袋に入れてくださいました。壁をみると何百枚何千枚もの納札が所狭しと張ってあります。なかには金や赤の納札もあります。(普通の納札は白色ですが、巡拝の回を重ねると色のついた納札を使い . . . 本文を読む