福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・18

2018-10-18 | 四国八十八所の霊験
22番平等寺から23番薬王寺までは約20キロです。海沿いと山沿いの2つの遍路道がありますがいつも海沿いの道をいきます。この道はドドーンという地響きのような海鳴りが絶え間なく聞こえます。遍路道の途中には風化した古い道標が青い海を背に立っています。 19年春は23番薬王寺までの途中でシャツからはみだすくらいの全身刺青の20才の若者と一緒になりました。此の青年は21番薬王寺でタクシーから降りてきた倶利伽羅紋々の青年です。色黒で屈強な体格、目はギラリとしていて負けず嫌いの性格を伺わせましたが澄んでいました。薬王寺への 路に迷って間違った山道を登りそうになった時、上から此の青年が降りてきて「ここは違いますよ」とおしえてくれたのです。そのあと此の青年と一緒に歩き始めました。「若くてお遍路にくる人はご先祖がそう仕向けていることが多いんですよ」と言うとぽつりと「この5月1日が母の命日なんで・・・」と返事しました。母親っ子だったのだろうなと思いました。途中でひっきりなしに若者の携帯が鳴ります。やり取りの模様はよくわかりませんがひょっとしたら親分からの帰京を促す電話だったのかもしれません。その後山越えの道で足が痛むらしく座り込みました。遠慮して「昨日無茶苦茶に歩いて足にマメができたので先に行ってください」といいます。色々話したかったのですが先に行きました。後で薬王寺で他のお遍路さん達から「お坊さんとやくざが一緒に歩いていると皆に評判でしたよ。」と言われ苦笑しました。なんとかこの東京から来たという刺青の若者が亡き母親を安心させる人生を歩けますようにと願わざるを得ませんでした。

17年の時は、薬王寺の門前に着くと鉄鉢を持って立っているお遍路さんがいたので喜捨して話しかけました。すると、お金がなくなり托鉢しながら歩いていること、野宿は体を壊すこと、最近托鉢のお遍路さんが傷害事件の逃亡犯だったという事件がありそれ以来喜捨が十分の一に減ったこと、霊場会も門前の托鉢を禁止しているので追い出されること、早く先達になるには札所のご住職に認めていただくことなど次々話してくれました。いろいろな人と話すとなにか得した気になります。

 23番薬王寺は弘仁六年、大師四十二歳のとき、自他の厄除を誓願してご本尊の薬師如来を刻み、大師の奏聞により、平城・嵯峨・淳和の各帝は厄除の勅使を下して官寺としたとされます。澄禅「四国遍路日記」(1653)には「本尊薬師如来、本堂南向、先年炎上の後、再興する人なくして今に小屋掛け也、二王も焼けて二王は本堂の小屋の中に在り、寺も南向、これは再興あって結構也」とあります。

今は入口に立派な仁王門があり、ここから33段の女厄坂、そのあと本堂までが42段の男厄坂となっています。各段にお賽銭の十円玉や一円玉が何枚もおいてあります。
一番上に瑜袛塔があります。瑜祇塔は金剛智三蔵訳の「金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経」に基づいています。瑜祇経は密教の根本である「金剛界と胎蔵の二部は本来同一のものである」という精神を説いたもので、多宝塔の原型ともされているのが瑜祇塔です。「金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経」は真言宗で最も尊重される教典で、総本山金剛峯寺の寺名の由来ともなっています。高野山龍光院にも瑜祇塔があり「 あびらうんけん ばざらだとばん(両部大日)」と拝みます。私も何回かの遍路の後、関連の最高の秘儀を受けることが出来、その後さらにこの灌頂でご縁を頂いた仏様のさらにありがたい秘儀に26年6月にあずかることとなり打続く深秘不可思議の仏縁に感涙にむせんでおります。以来この最高の秘法を毎朝修法しています。

 ここの本堂の左側にはひっそりと肺大師堂が建てられています。胸の病で苦しんでいる方がおまいりするとお蔭があるといいます。

 17年にはまだ開いていた薬王寺宿坊に泊まりましたが、廊下には奈良信貴山管長の「寳在心(寶は心に在り)」の色紙がかけてありはっとしました。信貴山といえば大阪商人をはじめ一攫千金を願う人々の御参りがひきもきらないところ。そこの管長さんが宝はお金でなく心ですよといっておられる。心の中から宝が生じるのですよと諭してもいるのです。いい言葉です。我々の心には宝どころか仏様がいらっしゃるのですから。
たしかに福徳を掌る毘沙門天の功徳経には「願ふ所は五種あるべし。 一は 父母孝養の為、 二は 功徳善根の為、三は 国土豊饒の為、四は 一切衆生の為、五は 無上菩提の為に願ふべし。若し人ありて此の五種の心を除いてねがうとも福を得るべからず」とありました。

 この額を見た平成17年には全く信貴山とは 関係なかったのですが21年に求聞持用の榧の実、油を頂き、22年には福聚講として参拝に行く御縁を頂きました。思えば此の時が信貴山とのご縁のはじめだったのです。 
高野山普門院にも師僧の「人格の向上は黄金以上の価値あり」という色紙があったことを思い出しました。まことに心にすべてがあるのです、しかし我々はこの心でなくお金にすべてがあると思い過っています。お金も、幸福もすべてその元は心に在るということを生活の中で思い起こすべきと自戒しました。お金や幸福を究極の目的にしてはお金や幸福に逃げられるということです。心を磨けばお金や幸運はついてくるものでしょう。こういう基本は分ってはいるのですが切羽詰まると目の前のこと・自分の事だけを願います。切羽詰まる前が大切だったのです。日々自戒すべきと思いました。

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