大方廣佛華嚴經卷第六東晋天竺三藏佛馱跋陀羅譯
淨行品第七
爾時、智首菩薩は文殊師利に問うて言く、「佛子よ。云何が菩薩の不染身口意業・不害身口意業・不癡身
口意業・不退轉身口意業・不動身口意業・應に讃歎すべき身口意業・清淨身口意業・離煩惱身口意業・隨智慧身口意業なるや。云何が菩薩の生處成就・姓成就・家成就・色相成就・念成就・智慧成就・趣成就・無畏成就・覺悟成就なるや。云何が菩薩の第一智慧・最 . . . 本文を読む
「「閑居友」の慶政上人が隠遁者の遁世行を語ったのはそれを語ることによって遁世者に結縁し、結縁によって救済を願ったものである。「かかるまには、ただかやうのひとのあとを思い出でてしたひかなしみて、心をやすめ侍ればせめてのむつましさに記しいれ侍ぬるべし」・・遁世者を切なく慕うことによってある安らぎを得ようとするのである。(日本人の心、相良亨)」・・・という記事がありました。これを敷衍すれば、我々が神仏や . . . 本文を読む
Q、いじめがひどくて悩んでいます。何とか抜け出せる方法は?
A,結論です。「念彼観音力、還著於本人(ねんぴかんおんりき げんじゃくおほんにん)」。「観音様を念ずれば、この害はかえって加害者に返っていく」との意味です。これを常にいじめを受けている最中も唱えれば必ず相手に害が返っていき、救われます。また観音様の御真言は「おんあろりきゃそわか」です。この御真言もあわせてお唱えするといいでしょう。
観音 . . . 本文を読む
試練にあって苦しんでいる人をどう見るか
1、キリスト教では神の御業がその人に現れたとする見方もあるようです。
「ヨハネ9章1-7節。
イエスが道を通られているとき生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねた。『先生この人が生まれつき盲人なのは誰かが罪をおかしたためですか、本人ですか、それともその両親ですか』イエスは答えられた。『本人が罪を犯したのでもなく、またその両親が犯したのでもな . . . 本文を読む
第八 千の部
一〇〇 無益の句より成る一千言よりも、聞きて安穩を得る一の益ある句を勝れたりとす。
一〇一 無益の句より成る一千偈よりも、聞きて安穩を得る一の偈文を優れたりとす。
一〇二 無益の句より成る百偈を誦むも、聞きて安穩を得る一法句を(誦むに)如かず。
一〇三 戰場に於て千々の敵に克つよりも、一の己に克つ人こそ實に戰士中の最上と云ふべけれ。
一〇四 己に克つを勝れた . . . 本文を読む
今年も終戦の日が近つ゛いてきました。私も此の時節になると太平洋戦争の悲惨さ(注1)とその犠牲者を偲び「なんとかしなければ」という思いに駆られます。しかし近年この戦争犠牲者を思い出し感謝するという気風が風化しつつあるような気がしてなりません。「忘恩は禽獣に劣る」という法語もあります(注2)。
拝金主義・市場原理主義者の跋扈で日本も長らく亡国の淵に佇んでいるような気がするのは私だけでしょうか。結論です . . . 本文を読む
今日は午前中に靖国神社へお参りにいってきました。当方の伯父が潜水艦で南洋で戦死しています。
15日は騒然として静かにお参りができない可能性があるので今日にしたのです。
最初の大鳥居のあたりはまだ人は三々五々という感じでした。いつもよりは少しお参りが多いという位の感じです。朝は雨が降っていたのですが昼前から晴れて大鳥居の上も青空です。当時もこういう青空の中を特攻機が飛んで行ったのでしょう。それにして . . . 本文を読む
先日孫と茗荷谷駅を歩いていると蝉が歩道のタイルの上で死んでいました。歩いている人に踏みつけられた跡もあります。可哀そうで羽を持って拾い上げました。孫は「可哀そう」「可哀そう」といって運んでいます。その後、孫と二人で近くの植え込みに埋めて光明真言を唱えてやりました。確かに折角生まれてきて数週間でこのように雑踏の中で踏みつけられて死んでいる蝉は哀れです。蝉にも魂があるならどこへいっているのでしょうか。 . . . 本文を読む