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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

菩薩の日常生活での心の持ち方

2019-08-21 | 諸経
大方廣佛華嚴經卷第六東晋天竺三藏佛馱跋陀羅譯 
淨行品第七

爾時、智首菩薩は文殊師利に問うて言く、「佛子よ。云何が菩薩の不染身口意業・不害身口意業・不癡身
口意業・不退轉身口意業・不動身口意業・應に讃歎すべき身口意業・清淨身口意業・離煩惱身口意業・隨智慧身口意業なるや。云何が菩薩の生處成就・姓成就・家成就・色相成就・念成就・智慧成就・趣成就・無畏成就・覺悟成就なるや。云何が菩薩の第一智慧・最上智慧・勝智慧・最勝智慧・不可量智慧・不可數智慧・不可思議智慧・不可稱智慧・不可説智慧なるや。云何が菩薩の因力具足・意力具足・方便力具足・縁力具足・境界力具足・根力具足・止觀力具足・定力具足なるや。云何が菩薩の善知陰界入・善知縁起法・善知欲色無色界・善知過去未來現在なるや。云何が菩薩の修七覺意・修空無相無作なるや。云何が菩薩の滿足すべき檀波羅蜜・尸波羅蜜・羼提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禪波羅蜜般若波羅蜜・慈悲喜捨なるや。云何が菩薩は是處非處智力・過去未來現在業報智力・種種諸根智力・種種性智力・種種欲智力・一切至處道智力・禪定解脱三昧垢淨智力・宿命無礙智力・天眼無礙智力・斷一切煩惱習氣智力を得るや。云何が菩薩は常に諸天王のために、守護恭敬供養せられ龍王・鬼神王・乾闥婆王・阿脩羅王・迦樓羅王・緊那羅王・摩睺羅伽王・人王梵天王等に守護恭敬供養せらるるや。云何が菩薩は衆生の舍となり、救となり、歸となり、趣となり、炬となり、明となり、燈となり、導となり、無上導となるや。云
何が菩薩は一切衆生において第一となり、大爲勝となり、上となり、無上となり、無等となり、無等等となるや」。
爾時、文殊師利は智首菩薩に答えて曰く、「善哉善哉。佛子。饒益するところ多く、安隱するところ多く、哀愍世間、惠利一切、安樂天人とて如是義を問へり。佛子よ。菩薩は身口意業を成就せば能く一切勝妙功徳を得る。佛の正法において心無罣礙なり。去來今の佛の所轉法輪を能く隨順して轉じ、不捨衆生にして明達實相、斷一切惡、具足衆善、色像第一たらん。悉く普賢大菩薩等の如くにして如來一切種智を成就し、一切法において悉く自在を得て衆生の第二尊導とならん。佛子よ、何等の身口意業か能く一切勝妙功徳を得るや。
菩薩在家ならば 當に願うべし衆生 捨離家難、入空法中。
父母に孝事せば 當に願うべし衆生、 一切を護養して 永く大安を得んと。
妻子集會せば 當に願うべし衆生、 愛獄を出でしめて 戀慕心無からんと。
若し五欲を得れば 當に願うべし衆生、 捨離貪惑 功徳具足と。
若し妓樂に在れば 當に願うべし衆生、悉く法樂を得て 法の如幻を見んと。
若し房室にあれば 當に願うべし衆生、賢聖地に入りて 永離欲穢と。
寶瓔珞をつけなば 當に願うべし衆生、 捨離重擔 有無の岸を渡らんと。
若し樓閣に上らば 當に願うべし衆生、佛の法堂に昇りて微妙法を得んと。
所珍を布施せば當に願うべし衆生、 悉捨一切 心無貪著と。
若し聚會に在らば 當に願うべし衆生、 究竟解脱して如來處に至んと。
若し危難にあらば 當に願うべし衆生、隨意自在にして罣礙するところなからんと。
信を以て捨家すれば當に願うべし衆生、 棄捨世業 心無所著と。
若し僧坊に入れば 當に願うべし衆生、 一切和合して心無限礙ならんと。
大小の師に詣でなば 當に願うべし衆生、方便門を開きて 深入法要ならんと。
出家の法を求めなば當に願うべし衆生、不退轉を得て 心無障礙ならんと。
俗服を脱去せば當に願うべし衆生、 解道修徳無復懈怠と。
鬚髮を除鬀せば 當に願うべし衆生、斷除煩惱 究竟寂滅 と。
袈裟を受著せば 當に願うべし衆生、 捨離三毒 心得歡と。喜
出家法を受けなば 當に願うべし衆生、佛の如く出家して一切を開導せんと。
自帰於佛 當願衆生 體解大道 發無上意。
自歸於法 當願衆生 深入經藏 智慧如海。
自歸於僧 當願衆生 統理大衆 一切無礙。
淨戒を受持せば 當に願うべし衆生、具足修習 學一切戒。
道禁(五戒・十重禁戒)を受行せば 當に願うべし衆生、 具足道戒して如實業を修せんと。
始めて和尚を請せば 當に願うべし衆生、 得無生智
到於彼岸と。
具足戒を受けなば 當に願うべし衆生、得勝妙法 成就方便と。
若し房舍に入らば當に願うべし衆生、無上堂に昇りて 不退法を得んと。
若し床座を敷かば 當に願うべし衆生、善法の座を敷きて眞實相を見んと。
正身端坐せば 當に願うべし衆生、佛の道樹に坐して 心無所倚ならんと。
結跏趺坐せば當に願うべし衆生、 善根堅固 得不動地。
三昧正受せば 當に願うべし衆生、三昧門に向かいて
究竟定を得んと。
諸法を觀察せば當に願うべし衆生、法の眞實を見て 罣礙するところなからんと。
跏趺の坐を捨てなば當に願うべし衆生、諸行の性は 悉く散滅に帰することを知んと。
下床安足せば 當に願うべし衆生、 履踐聖迹して不動解脱ならんと。
始めて擧足時には 當に願うべし衆生、越度生死 善法滿足と。
衣裳を被著せば 當に願うべし衆生、 服諸善根 毎知慚愧。
整服結帶 當願衆生 自檢修道 不壞善法 。
次著上衣 當願衆生 得上善根 究竟勝法
著僧伽梨 當願衆生 大慈覆護 得不動法
手執楊枝 當願衆生 心得正法 自然清淨
晨に楊枝を噛まば 當に願うべし衆生、調伏牙を得て諸煩惱を噬かまんと。
左右の便利をなさば當に願うべし衆生、 蠲除汚穢(けいじょおじょう) 無婬怒癡。
已りて水に就けば 當に願うべし衆生、 向無上道
得出世法。
以水滌穢 當願衆生 具足淨忍 畢竟無垢
以水盥掌 當願衆生 得上妙手 受持佛法
澡漱口齒 當願衆生 向淨法門 究竟解脱
手執錫杖 當願衆生 設淨施會 見道如實
持應器 當願衆生 成就法器 受天人供
趾を發っして道に向えば 當に願うべし衆生、 佛菩提に趣て究竟解脱せんと。
若し已に道に在らば當に願うべし衆生、成就佛道 無餘所行と。
路を渉りて行かば當に願うべし衆生、淨法界を履んで 心無障礙ならんと。
高きに趣く路を見れば 當に願うべし衆生、無上道を昇りて三界を超出せんと。
下に趣く路を見れば 當に願うべし衆生、謙下柔軟 入佛深法。
若し險路を見れば當に願うべし衆生、惡道を棄捐し滅除邪見と。
若し直路をみれば 當に願うべし衆生、 中正の意を得て身口に曲よこしま無ん。
道の揚塵を見れば 當に願うべし衆生、永離塵穢 畢竟清淨。
道の無塵を見れば當に願うべし衆生、 大悲所熏 心意柔潤と。
深き阬澗を見れば 當に願うべし衆生、 正法界に向い滅除諸難と。
聽訟堂を見れば 當に願うべし衆生、説甚深法 一切和合と。
若し大樹を見れば當に願うべし衆生、離我諍心 無有忿恨。
若し叢林を見れば 當に願うべし衆生、一切敬禮して 天人師を仰がんと。
若し高山をみれば 當に願うべし衆生、無上善を得て能く頂をみること莫けんと。
若し刺棘を見れば當に願くは衆生、三毒刺を抜きて 賊害心なけん。
樹の茂葉をみれば 當に願うべし衆生、 道を以て自ら蔭し入禪三昧ならんと。
樹の好華を見れば 當に願うべし衆生、開淨如華にして 相好滿具せんと。
樹の豐果を見れば當に願うべし衆生、道樹行を起こして無上果を成ぜんと。
諸流水を見れば 當に願くは衆生、 正法の流を得て
佛智海に入んと。
若し陂水(ヒスイ・堤防)をみれば 當に願くは衆生、
悉く諸佛不壞の正法を得んと。
若し浴池を見れば當に願くは衆生、 佛海に入りて問答無窮ならんと。
人の汲井を見れば 當に願くは衆生、如來の辯を得て
不可窮盡ならんと。
若し泉水を見れば 當に願くは衆生、善根無盡にして 境界無上ならんと。
山の澗水を見れば當に願くは衆生、洗濯塵垢 意解清淨ならんと。
若し橋梁を見れば 當に願くは衆生、法橋を興造し度人不休ならんと。
園圃を修するを見れば 當に願くは衆生、𦓷除穢惡(うんじょえあく) 不生欲根と。
無憂林を見れば 當に願くは衆生、 心に歡喜を得て 永く憂惱を除かんと。
好園池を見れば 當に願くは衆生、 勤修衆善 具足菩提と。
嚴飾人を見れば 當に願くは衆生、三十二相にして自ら莊嚴せんと。
素服の人を見れば當に願くは衆生、 究竟して 頭陀の彼岸にいたることを得んと。
志樂の人をみれば 當に願くは衆生、 清淨法樂
以道自娯と。
愁憂の人を見れば 當に願くは衆生、有爲法に於いて 心に厭離を生ぜんと。
歡樂の人を見れば當に願くは衆生、 無上樂を得て憺怕(たんぱく・淡泊)無患ならんと。
苦惱の人を見れば 當に願くは衆生、衆苦を滅除して
佛智慧を得んと。
強健の人を見れば 當に願くは衆生、金剛身を得て 衰耄あることなけんと。
疾病の人を見れば 當に願くは衆生、 身の空寂を知りて衆苦を解脱せんと。
端正の人を見れば 當に願くは衆生、 歡喜して 諸佛菩薩を恭敬せんと。
醜陋の人を見れば 當に願くは衆生、鄙惡を遠離して善を以て自ら嚴かざらんと。
報恩の人を見れば 當に願くは衆生、諸佛菩薩の恩徳を常念せんと。
背恩の人を見れば 當に願くは衆生、 常に賢聖にまみえて衆惡を作さざらんと。
若し沙門をみれば 當に願くは衆生、寂靜にして調伏し 究竟じて無餘ならんと。
婆羅門を見れば當に願くは衆生、眞の清淨を得て 一切惡を離んと。
若し仙人を見れば 當に願くは衆生、 正眞道に向いて
究竟解脱せんと。
苦行の人を見れば 當に願くは衆生、堅固に精勤し 不退佛道ならんと。
甲冑を著けるを見れば當に願くは衆生、 誓って法鎧を服して 無師の法を得んと。
無鎧仗を見れば 當に願くは衆生、 遠離衆惡
親近善法と。
論議の人を見れば 當に願くは衆生、無上辯を得て 外道を摧伏せんと。
正命の人を見れば當に願くは衆生、清淨の命を得て 威儀不異ならんと。
若し帝王を見れば 當に願くは衆生、法王を逮得し無礙輪を転ぜん。
帝王子を見れば 當に願くは衆生、佛子の行を履みて法中より化生せん。
若し長者を見れば 當に願くは衆生、 永離愛欲 深解佛法と。
若し大臣を見れば 當に願くは衆生、 常に正念を得て
衆善を修行せんと。
若し城郭を見れば 當に願くは衆生、金剛身を得て 心は沮む(はばむ・くじける)べからざらんと。
若し王都を見れば當に願うべし衆生、 明達遠照し 功徳自在ならんと。
若し妙色を見れば 當に願うべし衆生、上妙色を得て
天人の讃歎せられんと。
入里乞食せば 當に願くは衆生、入深法界 心無障礙 と。
人の門戸に到らば當に願くは衆生、 總持門に入りて 諸佛の法を見んと。
人の堂室に入らば 當に願くは衆生、 一佛乘に入りて
三世に明達せんと。
難持の戒に遇はば 當に願くは衆生、衆善を捨てずして 永く彼岸にわたらんと。
捨戒の人を見れば當に願くは衆生、衆難を超出して三惡道を度せんと。
若し空鉢を見れば 當に願くは衆生、 其心清淨 空無煩惱。
若し滿鉢を見れば 當に願くは衆生、一切善法を具足成滿せんと。
若得食時 當願衆生 爲法供養 志在佛道
若し食を得ざらんには 當願衆生 遠離一切 諸不善行。
慚愧の人を見れば 當に願くは衆生、慚愧して正行し 諸根を調伏せんと。
無慚愧を見れば 當に願くは衆生、 無慚愧を離れて大慈を普行せんと。
香美食を得れば 當に願くは衆生、節を知り少欲にして情無所著ならんと。
不美食を得れば 當に願くは衆生、無願三昧(無相なるゆえ願求すべき欲望の対象はないと観ずること)
を具足成滿せんと。
柔軟食を得れば當に願くは衆生、 大悲所熏 心意柔軟ならんと。
麁歰食を得れば 當に願くは衆生、 永に世間愛味  を遠離することを得んと。
若し嚥食の時は 當に願くは衆生、禪悦爲食 法喜充滿。

所食雜味ならば當に願くべし衆生、 佛上味を得て 化して甘露となさんと。
飯食已訖 當願衆生 徳行充盈 成十種力
若説法時 當願衆生 得無盡辯 深達佛法
退坐出堂 當願衆生 深入佛智 永出三界
若入水時 當願衆生 深入佛道 等達三世
澡浴身體 當願衆生 身心無垢 光明無量
盛暑炎熾ならば 當に願うべし衆生、 離煩惱熱 得清涼定。
隆寒氷結せば 當に願うべし衆生、 究竟解脱 無上清涼。
諷誦經典 當願衆生 得總持門 攝一切法。
若し如來を見たてまつらば 當に願うべし衆生、 悉く佛眼を得て 諸最勝を見たてまつらん。
如來を諦觀したてまつらば當に願うべし衆生、 悉く十方を覩て 端正如佛ならんと。
佛の塔廟を見たてまつらば 當に願うべし衆生、
尊重なること塔の如くにして 天人の敬を受けんと。
敬心に觀塔せば當に願うべし衆生、 尊重なること佛の如くにして 天人に宗仰せられんと。
頂禮佛塔せば 當に願うべし衆生、 得道して佛の
能く見頂なきが如くならん。
右遶塔廟せば 當に願うべし衆生、正路を履行して道意を究暢せんと。
遶塔三匝せば當に願うべし衆生、 一向の意を得て 勤て佛道を求めん。
讃詠如來せば 當に願うべし衆生、功徳の岸にいたり
歎ずること窮盡することなけん。
佛の相好を讃ずれば 當に願うべし衆生、光明神徳にして 佛の法身の如くならん。
若し洗足の時は當に願くは衆生、四神足を得て 究竟解脱せんと。
昏夜寢息せば 當に願うべし衆生、諸行を休息し、
心淨無穢ならんと。
晨朝に覺悟せば 當に願うべし衆生、一切智覺し 不捨十方と。
佛子よ、是を菩薩の身口意業となす。能く一切勝妙功
徳を得ば、諸天魔梵沙門婆羅門人及聲聞縁覺の動かすこと能わざる所なり。
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