先日孫と茗荷谷駅を歩いていると蝉が歩道のタイルの上で死んでいました。歩いている人に踏みつけられた跡もあります。可哀そうで羽を持って拾い上げました。孫は「可哀そう」「可哀そう」といって運んでいます。その後、孫と二人で近くの植え込みに埋めて光明真言を唱えてやりました。確かに折角生まれてきて数週間でこのように雑踏の中で踏みつけられて死んでいる蝉は哀れです。蝉にも魂があるならどこへいっているのでしょうか。古今集に「うつせみの からは 木ごとに とどむれど 魂のゆくへを 見ぬぞかなしき」というのがありますが「うつせみの かばねは つちに かへれども 魂のゆくへを 見ぬぞかなしき」というところでしょうか。家に帰るとNHK[100分で名著]の般若心経の録画が見つかり、その中で「空」とはすべての存在の究極の奥にあるもの、すべてはそこに繋がっている、路傍の石でも意味がある・・という趣旨のことを説いており、先の蝉も究極の存在に繋がっていれば光明真言を喜んでくれているであろうと少しほっとしました。
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