今日7月26日は大師が真済等を伴い日光に向かわれた日とされています。之を記念して7月26日は日光の日とされています。
「日光山滝尾建立草創日記」によると、820年(弘仁11年)7月26日、弘法大師が二荒(ふたら)山に来山し、風穴・羅刹窟を結界記念して「二荒」を「日光」と改名した、とされます。瀧尾神社・瀧尾稲荷神社も大師の創建とされます。 . . . 本文を読む
「国防は最大の福祉」
1,ウクライナの様に国が滅ぼされようとしているときは、福祉もなくなる。
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・養老五年721七月庚午(25日)「庚午、(元正天皇)詔して曰く。凡そ霊図に膺(あた)り、宇内に君臨す。仁、動植に及び、恩、羽毛に蒙れり。故に周孔の風は尤も仁愛を先にし、李釈の教は深く殺生を禁ず。宜しく其の鷹司の鷹・狗、大膳職の鸕鷀(ろじ・鵜)、諸国の鶏・猪を悉く本処に放ち其の性を遂げしむべし。従今而後。如有応須。先奏其状待勅。其放鷹司官人。并職長上等且停之。」 江戸時代まで折々の天皇陛下や幕府は . . . 本文を読む
今日は加賀尾秀忍がフィリピン・モンテンルパ刑務所の戦犯として捕らえられていた日本軍人153名及び処刑された14骨とともに帰国した日です。加賀尾秀忍は真言宗僧侶、自分と同じ岡山県の出身で大変親近感を覚えます。父親からよく名前を聞かされていました。加賀尾は昭和24年フィリピン国際戦争裁判教誨師となってモンテンルパ刑務所に赴任、その後日本政府から委託された期限を過ぎても残り、刑務所内の一室を観音堂としそ . . . 本文を読む
何十年も前社会人だったころ、数回地方へ左遷されたことがありました。そのとき知り合いの老人から「人爵よりも天爵」といわれた事があります。左遷先でも道路のごみ掃除や雪掻き、喜捨・巡礼などをして自分なりに陰徳を積んできたつもりでしたが、その後紆余曲折を経て中央に戻りポストにも恵まれ望んだ成果を奇跡的にすべてあげて職業生活を終えることができました。しかし今から思うとその老人は当時、以下にある伊藤仁斎「語孟 . . . 本文を読む
「行き詰まったら環境を変える」「作品を改良しようとしてもそれが大変な困難を伴いほぼ不可能なことがある。そういう場合は、作品を置く場所、環境をかえてみるとその欠点がむしろいい味を出すことがある。」(チームラボ 猪子代表)
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史料綜覧巻七 / 天授二年永和二年(1376)七月十九日条「十九日 幕府 三宝院僧正光済ヲシテ 五壇法ヲ修セシメ 安倍有世ヲシテ 泰山府君祭を修セシメテ 彗星ヲ祈禳ス」・南朝方が長慶天皇、北朝方が後円融天皇。室町幕府は足利義満。・光済は南北朝時代の真言宗醍醐派の第36代醍醐寺座主・第22代三宝院門跡。・五壇法は五つの壇で五大明王をそれぞれご本尊として行う修法。兵乱鎮定・現世利益などを祈願する。天皇 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永元年(1264)七月十九日条「十九日 尊勝寺御八講 是日 五大虚空蔵法等ヲ禁中ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」御八講とは『法華経』一部八巻を、一日に朝夕各一座(一巻)の二座行い、四日間で全八巻を講説する法会。法華八講ともいう。彗星出現については、師守記等にも「文永元年七月五日、寅時彗星見東方・・」とあり、日蓮は「・・去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日・戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲 . . . 本文を読む
1、結論華厳経では人生を大海に喩えています。深く無限で底には宝が眠っているというのです。以下華厳経入法界品の当該部分を抜き書きしておきます。これは人生の描写であると思った時、戦慄が走りました。2、華厳経入法界品では善財童子が53人の善知識を尋ねますがその第三番目に南方海門国の海雲比丘を訪ねます。善財童子は海雲比丘を尋ねると、海雲比丘はひたすら海を見続けています。そして海雲比丘は以下のように善財に語 . . . 本文を読む
「一人の人間の過去世に積み上げた遺骨は毘富羅山より多い・・」という趣旨の句が長阿含経、涅槃経にあります。涅槃経の句を簡単に言うと、我々はは色・香・味・觸に惑い、過去世より無数の生死を繰り返して苦悩を受けてきている。その骨は王舎城側の毘富羅山のようであり、飲んだ乳は四海の水より多く、長した血も四海の水より多い。父母兄弟妻子の死に際して流した涙も四海の水よりおおく、持った父母は大地の草を短く切った数よ . . . 本文を読む
7月16日は閻魔賽日です。地獄の獄卒も仕事を休み、地獄の釜の蓋もゆるむ日で、地獄に落ちた亡者たちも責苦を逃れて骨休みになるとされました。深川法乗院では 16日 には「ゑんま天大護摩供」がおこなわれるようです。そのほか閻魔堂のあるところでは閻魔詣が行われます。閻魔様は経典により役目がちがいます。1、地獄の主として、:長阿含經卷十九地獄品、大樓炭經卷二、瑜珈師地論卷二、正法念誦経等 では「在閻浮提之南 . . . 本文を読む
吾妻鑑・正治二年1200七月已巳(十五日)「金剛寿福寺において新図十六羅漢開眼供養遂げらる。導師當寺長老葉上房律師栄西也。尼御台所御聴聞の為、参堂有云々。」(金剛寿福寺は政子が頼朝供養のため栄西を開基として建立した寺。現在もあり。吾妻鑑・建仁三年1203十二月己酉(十五日)の条には政子が狩猟禁止令を出してもいます。なかなか信心深かったようです。 吾妻鑑・建仁三年1203十二月己酉(十五日)「尼御台 . . . 本文を読む