いわゆる「ライ麦畑でつかまえて」である。
青春小説の傑作中の傑作とされるJ.D.サリンジャーの小説だ。
最初に読んだのは高校生だったか。
課題図書か。いや高校に課題図書なんて無かったよな。
有名だから読んだだけか。
野崎孝訳の有名な本だった。
白水社の本。
今回のは村上春樹による訳で同じく白水社の本。
読んだはずなのに、今回読んでもあまり覚えてなかった。
「ライ麦畑でつかまえて」なんてかわいらしいタイトルだが、内容はかわいくもなんともない。
いや、17歳のあれこれ考えや理屈や屁理屈がたくさん頭から出てくる時期の口語調の
止まることのない発言の本。
確かに高校生の時の自分も同じだった。
頭は働くし、理屈や知識も一人前だけど、すねかじりではあって、自分では生活力は無い。
そんなちぐはぐな時期の頭の中で、布団の中で考えまくり、世間に意見だけでの反発の数々があって、
社会や政治や大人への不満や欺瞞が渦巻いていた若者の吐き出す思いが最初から最後まで続く。
野崎孝訳の方が格調が高かったような気はする。
村上春樹訳は格調よりも流れるようなセリフで一気に読ませる感じ。
しかし、さすがに61歳になると憤懣やるかたない17歳の魂の発現を懐かしく思うような感じ。
名著だとは思えない感じはした。
ずっと続く思考と自分への語りだけで長い小説になるんだから、ちょっと嫌になるはずなんだが、
そこは村上春樹だから、一気に読みたくなるし、次が気になるのだ。
とてもアメリカ的な小説でもある。
でもこれに似てるという日本の小説もあったりするから、それを次に読んでいる。
これも高校以来の再読。
庄司薫である。
しばらくしたら、野崎孝訳の方を読んでもいいかもしれないが、それは内容の比較ではなく、
翻訳の比較だけど。
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