高輪ゲートウェイと泉岳寺の間の整備を行っていたら、日本で最初に鉄道が走った時の遺構が出てきたのだった。
まずはその産業遺構を忠実に発掘して、恐らく、石膏で型を取って、それを保存してから再開発を行うんだろう。
東京駅の北東側から江戸北町奉行所が出た時はそうやって3年ほどの時間をかけていた。
その正式な見学会は1月10日~12日に行われるのだが、抽選を知らなかったので参加できず。
そもそも抽選に当たるのは至難の技だったことだろう。
ネットでは昨日から見学会での様子がアップされている。
私はとりあえず現地に行って、高い塀の隙間を探して、遺構を見ようと思った。
また高輪橋架道橋下区道を合わせて見に行った。
ここは既に車の通行はできなくなっている。
とりあえず、背の高いフェンスの隙間から撮った。
遺構である石垣が見えている。
ここは海の上に築堤を築いて鉄道を敷いた跡だ。
左側も海岸の低くなったところだ。
当時、海際は江戸時代から続く各藩の屋敷が連なっていたので、線路を敷けなかった。
では陸側に敷けたかというと、蒸気機関車の火の粉からの火災を恐れて、海の方になったのだ。
当時からの地方都市も、鉄道は町はずれにあって、駅も中心地には無い。
火災が起こったので、町はずれになってしまったのだ。
今でも、地方都市の駅は中心地ではない。
ほんの少し開いた場所から撮ったので、レンズの両端はネットなどにかかっているので、
ソフトフォーカスになっている。
これは正式な見学会の集まりだ。
あそこに居れば、遺構をしっかりと撮れたんだけどね。
国道をずっと田町側に歩いて行く。
かなり歩くと、高輪橋架道橋下区道に行ける。
過去に数回は歩いている。
今回は車が無いので、人が真ん中を歩いていた。
意外にも見学者が10名ほどは居た。
タクシーの行燈が当たりそうと言われたガード下。
180cmの背だと天井にぶつかる。
ここは運河から海への水路を道にしたものだ。
当初は半分で、海だったが、埋め立てが進んで、もう半分も通路にした。
よって、半分からは様子が変わる。
もう頭がギリギリ。
ワゴン車などは無理。
セダンタイプのタクシーで限界だった。
子連れで見学。
何人もガードマンが立って居て安全確保を行っている。
トンネルを出たら、品川駅を案内してくれる。
しかし、品川駅までは遠い。
途中に高輪ゲートウェイ駅があっても、海側には出口は無いのだ。
初めて歩いた道。
かなりの散歩になった。
SONY α7c、Minolta AF50mm / f1.4
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