SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

マイルスは天空へ飛翔した。

2006-10-18 | バンド・音楽

いつかこのブログで何百回も聴きつづけたLPやCDの話を書いた。
生まれて初めて自分のお金で買ったLPがそこに入っている。
Wings/ Band on the Runだ。
これはよく覚えている。何と言っても自分の小遣いを貯めて買ったものだ。
中学1年生か2年生だったかと思う。嬉しかった。だから数百回聴いた。
当時はLPは2500円だった。大変高価だ。中一の小遣いは月に500円とか700円ぐらいだったから。
我慢しきれないでシングル盤を買ってしまったりしてなかなか貯まらない。
そのシングル盤でさえ500円だ。ディープ・パープルやグランド・ファンク・レイルロードを買った。
月の小遣いで買ったシングル盤だ。曲は長ければ長いほうが良かった。その方が得だと思ったからだ。
レッド・ツェッペリンが5分以上でパープルより得だなあと思ったが、ある時に買ったグランド・ファンクが10分以上もあって、天にも上る喜びだった。
そんな時代だから2500円のLPを買うのは勇気と忍耐が必要だった。
行きたい写真撮影は何十キロでも自転車で行った。無人駅から列車に乗り、無人駅で降りたこともあった。
大阪駅から入場券で入り、名古屋や山陰や紀勢線の突端まで列車で行き、戻ってくるのもしょっちゅうだった。
そうやって小遣いを浮かせた。親は知らなかったろう。
勿論、誕生日とクリスマスもLPを所望したので、LPは他にもあったが、年に2回の行事まで待てるわけが無い。
そしてお決まりの友人との貸しっこだ。これで飛躍的にレパートリーが増えるのだが、当時はLPを録音する手段が我が家には無かった。
仕方が無いので、ナショナル・マックというカセットテレコをスピーカーの前に置いてそれを録音したりもやっていた。映画音楽もTVの前にテレコを置いて家族と犬には大人しくしてもらって録音した。
カセットデッキやコンポを買ったのは高校3年になってからの話だ。

さてそんな中学生のある日、父親がアメリカに長期の出張に行くことになった。
「お土産は何が良い?」と聴かれれば即座にLPと答えた。どうやらアメリカで買えば安いようでもある。
待ち遠しかった。2枚ぐらい買ってくれるかな、3枚ぐらいなら嬉しいな。と2週間ほど待った。
リクエストは一応しておいた。確か1枚だけ「リターン・トュー・フォーエバー」だ。
帰国した親父を見て驚いた。ダンボール箱を抱えていたからだ。中を開けて腰を抜かすかと思った。
LPが20枚近く入っていた。それは大変な重量だ。アトランタで買ったという。安くしてくれたとも。
正月とクリスマスと誕生日が数年分一気にやってきた感じだった。
その他にちゃんとジョニ赤やらタバコも持っていたし、お袋へも何か買っていたから、さぞかし大変だったろうと思う。
まあアメリカ出張自体がたいそうな事だったから。

さて、その中身だ。
今となっては全部を覚えてるわけではないが、

チック・コリア/リターン・トュー・フォーエバー(リクエストしたものだ。カモメですな。)
チック・コリア/ARC
キース・ジャレット/宝島
マイルス・デイビス/カインド・オブ・ブルー
マイルス・デイビス/ビッチェズ・ブリュー
ソニー・ロリンズ/サキソフォン・コロッサス
シェリーマン/マイ・フェア・レディ
ジェファーソン・エアプレーン/2枚組
オールマン・ブラザーズ・バンド/フィルモア・イースト
デュアン・オールマン/アンソロジー

後は記憶が定かではない。映画音楽やボサノバもあった。
内容はバラバラだ。
どうやって選んだのかを聞いたら、
日頃私が聴いているジャンルを店員に言ったのと、
店員のお勧めを買ったとのことだった。アトランタのレコード店の店員選だ。
サザンロックとジェファーソンは何となくわかる。
シェリーマンは完全に親父の選択だ。
しかしビッチェズ・ブリューは誰の選択だろう?
その頃までに生意気にもジャズはたくさん聴いていた。FMでのエアチェックだ。
油井正一の言う事は何でも鵜呑みにしていた。評論家の神様だ。
ジャズを聴きながらブリティッシュロックにのめり込み、発展してアメリカンロックに行く途中だった。(ロックの渋谷陽一には反発していたが。)
土産の中で私にとって最も刺激的だったのはビッチェズ・ブリューだった。
最初は何だ?これは。ごちゃごちゃだな。楽器のバランスも最悪だ。起承転結も不明だ。最大の駄作?愚挙?
ジミヘンのギターの方がカッコいいし、サックスは音色が合ってない。
しかしせっかく手に入れた大作だ。聴かねば損だ。と思い、聴きまくった。
ジャズとハードロックばかり聴いていたので、そのうちに慣れてきた。
慣れるとなかなか良い。その心地悪さが何とも刺激的だ。背中がムズムズするしトイレに行きたくもなった。
結局、参加しているミュージシャンにも興味がわき、時代がクロスオーバーに向っていくのもあって、今で言えばフュージョンの世界にはまっていった。(このフュージョンは後に打算的になってバブルが弾けるように消えていく。)



西新宿の高層ビル群の真ん中広場で行われたマイルスのコンサートは今も忘れられない。
広場の真中から空中高くマイルスの叫びが突き抜けた。
それが天空にむかう光線のように見えたのだ。
それが私にとってのジャズの終焉となった。その先のジャズは何を聞いても焼き直しにしか聴こえなかった。
いくらウィントン・マルサリスが完璧な演奏を繰り返しても、もはや魂は揺さぶられなかった。

2000年になる少し前だった。
「The Complete Bitches Brew Sessions」が出た。
オリジナルと同時代のセッションを加えたものである。
CDが4枚、148頁に及ぶ冊子が付属した素敵なアルミパッケージのものだ。
全部聴きとおすほど、もはや若くも時間もないが、
亡くなった親父からの突然のプレゼントのようであった。

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1 コメント

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Unknown (ベーシスト)
2006-10-19 23:41:21
懐かしいな。殆ど同じような体験してますね。

僕も父親に海外出張のおみやげを頼みました。買ってきてくれたのはELOとかKISSのLP。あんな割れやすいものもってくるのさぞかし大変だったろうな。今考えると。

 長い曲ならプログレ。ジェネシスのフォックストロットなんてよかったなあ。
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