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おれはここで生きている

■味乃家 魚野川■新潟県魚沼市下島70-1 定休日 水曜日
死ぬまで生きる のらりくらりのなんでもありのガクさん

激震ラーメン

2009-10-24 06:46:25 | Weblog
五年前今日明るくなるのを待って湧き水の状態を見に行った。
井戸の坂といわれるところで金沓さんの所有の清水だ。
堆積物が溜まり昔の面影が無いほど荒れていたが、水は変わらず湧いていた。
ごみを出し、水を替えたたら昔のように岩盤に掘られた水のみ場になった。
夜中に店に帰り持ち帰ったジャガイモやカボチャ、炊いたご飯、肉、調味料で豚汁を作り、ご飯も炊いた。
燃料は桶屋さんの物置の角材。
道路に二本並べて端に火をつけ柱がかまどと燃料の役割をさせ、豚汁を作った。
ご飯と豚汁近所の冷蔵庫にあった鮭などで朝食を取った。
いらないと言う人にも食べないと力が出ない、食べて生き延びようと声を掛けた。
お昼は豚汁に残ったご飯を入れ雑炊を作った。
夕方やっと町から救援物資が届いた。
85人の民に真っ暗で読めない缶入り調理用食品が少し。
水が一軒に二リッターぐらい。
夜、つり吉のマスター差し入れのチャーシューを焚き火で焼き、おじやを食べながらラーメンを食べたいねと言う隣の若夫婦の言葉にこんなときでもラーメンかと心を曇らした。
ラーメンを食べる人の食べ物に対するマナーが嫌だった。
まるで鶏が餌を食べてるような光景に調理室から見ると見えた。
板長にはラーメンは美味くするなと言いつけ、食べれれば良いといった。
店が壊れて、新たな投資をするからには好き嫌いを言ってる場合じゃないと覚悟を決め、その後炊き出しの礼を言われた。
藤四郎のお母さんには貴方のおかげで生きていますといわれ、もう一人の方には美味しかったよ豚汁は、一生忘れないよと言われた。
目から涙が噴出した。
店を再建してるとき松岡先生の本を頂いた。
震度7と言う本。
自分も出ていたが何より地震を題材にした本には驚いた。
自分は調理人だったら。
今から五年前の今日に食べた豚汁とチャーシューいろいろな思い出を食べ物にしょうと考え、地震のメニューを作ろうと激震ラーメンを作った。
続く


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コメント (2)
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