歩けば楽し

楽しさを歩いて発見

  思い出を歩いて発掘

   健康を歩いて増進

京都で最古級のひらがな墨書土器出土

2012-12-12 | 学問

 先月(11月28日)の発表だ。
 平安時代の貴族の邸宅跡(京都市中京区)から、平安時代前期(9世紀後半)の土器片約20点に平仮名が墨書されているのが見つかった、と京都市埋蔵文化財研究所が発表した。
 出土は、平安時代前期の右大臣で藤原良相(ふじわらのよしみ、813年~867年)の邸宅跡。昨年(平成23年度)の発掘調査で、「三条院釣殿高坏」と書かれた高坏から、良相邸と確定したものである。土器の多くは良相が没した867年前後のものと見られるとの事。
 調査では邸宅跡の池から皿などの土器の破片約90点が出土。うち約20点に平仮名(ひらがな)や草仮名(そうがな)が書かれており、神楽歌の一節「葛城へ」とみられる「かつらきへ」の文字や、「きなくひとにくしとお□はれえす」(□は欠字、来泣く人憎しと思われえす)もあった。京都大の西山良平教授によると、神楽歌「朝倉」には「葛城へ渡る久米路の継橋の心も知らずいざ帰りなむ」とあり、邸宅で神楽が行われて、その際に記された可能性がある、との事。
 仮名は9世紀以降に、万葉仮名→草仮名→平仮名と移行するとされ、平仮名の確立は10世紀と言われる。今回の発見は、確立時期が約半世紀程遡る事となる。
 出土品は京都市考古資料館で11月30日~12月16日に展示される。
 ◆藤原良相
 良相は嵯峨天皇の信任が厚かった藤原冬嗣の子。兄良房は皇族以外で初めて摂政。
 ◆平安時代(794年~1185年/1192年頃)
 延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間。
 平安京(現在の京都市中心部)は、延暦13年に桓武天皇により定められた日本の首都、平安城とも言う。
 鳴くよ(794)鶯平安京、良い国(1192)作る鎌倉幕府・・と覚えた・・昔昔。
 ◆平仮名(ひらがな)
 平仮名のもとになったのは、奈良時代(710年(和銅3年)~794年(延暦13年)を中心に使われていた借字(しゃくじ)である。
 奈良時代末から平安時代に、万葉仮名→草仮名→平仮名と発展し、平仮名が独立した文字体系となった。
 万葉仮名:日本語の音を表すために漢字をあてた(1音に1字)
 草仮名(そうがな):万葉仮名の草書体
 平仮名:草仮名を更に崩し、簡略化したのが平仮名

 

 木葉がスッカリ落ちて赤い実だけが目立つ。青い空に沢山付いた赤い実が良く映えて綺麗なウメモドキ。
 ウメモドキの鑑賞の対象は花より果実と言える。でも雌雄異株なので、実の鑑賞目的の方は雌株を選ばなければ・・実が付けば雌株。 名(ウメモドキ)の由来は、梅の木に葉が似ている・枝ぶりが似ている・花の形が似ている、などからと言う。ウメ(梅)はバラ科でウメモドキ(梅擬)はモチノキ科である・・そんなに似ているかな。

Umemodoki12121  ウメモドキ(梅擬)
モチノキ科モチノキ属
落葉小高木、丈は2m~3m
雌雄異株
花期は5月~7月
花は小さい(径3mm位)、花色は白~淡紫色
葉の付根に雄花は多数、雌花は2~4個
雌株は実を付け、9月頃より赤く熟す
落葉(12月頃)しても実は残っている
熟した実は小鳥に食べられ、遠くに運んでもらって発芽する。ウメモドキの実は果肉に発芽を抑制する物質があり、小鳥に食べられ排泄されないと発芽できない・・果肉を取れば発芽する。
実の色が、白実のシロウメモドキ、黄実のキミノウメモドキ、黒実のクロウメモドキがあると言う


Umemodoki12122 Umemodoki12123