天正十八年(一五九〇)八月二十二日頃、奥州仕置き軍の浅野長政、石田三成たちが葛西氏の旧城、登米の寺池城に集結して、そこから平泉に進軍して九月十三日頃に攻略している。その進軍に二十日ほどかかったということは、葛西兵の抵抗が相当あったのかもしれない。また、葛西と大崎の旧領約三十万石を秀吉から与えられた木村吉清は、小身から急に大身になり、間に合わせで、ならず者をかき集めて領地経営をしたため、苦しめられた領民たちが一揆を起こし、登米の隣町佐沼城に葛西氏と大崎氏の残党が籠城したが、天正十九年七月三日に子女までも撫で切りにされ、多くのものが打ち首になって木村吉清は領地を没収された。さらに、伊達政宗の募兵に応じて桃生郡須江に集まった旧葛西氏の将兵が深谷で誅殺されたという。