芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

江上波夫「学問と夢と騎馬民族」を読む

2016年08月23日 | Weblog
江上波夫の騎馬民族征服王朝説は有名だが、掲題の本を読むのは初めてだ。著者には編集者時代にお目にかかったことがある。この本は晩年に「日経新聞」に連載の「私の履歴書」と書きおかれた「学問は探検である」の二部構成である。この本を読もうという気になったのは、天孫族の天照大神と須佐之男命が新羅から来たというのと騎馬民族との関係を知りたかったからだ。
それは第二部に非常に論理的に整理されていて、弥生時代後期に連なる高塚墳墓に代表される古墳時代前期(三世紀末か四世紀初~四世紀後半)と巨大な前方後円墳の応神、仁徳陵に代表される古墳時代後期(四世紀後半~七世紀後半)の出土品による考古学的推定。そして「魏志倭人伝」「魏略」「駕洛国記」「魏略逸文」「後漢書東夷夫余伝」記紀などの解読により、古墳時代後期が騎馬民族文化に当たるという。具体的な文章が載せられていたが、当時の語意を理解する読解力が養われていなければならないというのがわかった。
例えば韓国(カラクニ)のカラは朝鮮半島南部で馬韓(百済)、弁韓(任那、伽耶、加羅)、辰韓(新羅)であり、倭人がそれを支配していて始めに筑紫を崇神天皇が、続いて大和に応神天皇が来て日本を支配下においたと言うのだ。カラがxalaだとか、記紀の久士布流(くしふる)のフルが村を意味し、百済の都を所夫利(そふる)、新羅の都を蘇伐(そぶる)現在のソウルというように王都を意味することがわかり、昔、金達寿の本で伊勢のセはソウルのソと同じだと書かれていたのを思い出した。確かに綴りはSeoul だ。