1年前の8月10日の記事「遠藤周作「深い河」のチャームンダーの話は無事終了」に感想をと、gooブログから要請があったので、記す。最近、あまり体調が良くないので、その記事を丸々ここに複写する。
「先日の遠藤周作「深い河」のチャームンダーの話は無事終わったつもりである。チャームンダー女神は遠藤作品の中では、慈愛の女神として描かれているが、元は、アシュラのチャンダとムンダを殺したことでその2体の神からチャームンダーという名前になったという説明をした。それに対して、受講者の武田初恵さんから女神の二律背反の属性が理解しにくいと言われた。
チャームンダーは元は、ドゥルガー女神というシヴァ神の神妃でシヴァ神の破壊の属性を併せ持っている。ペルシアでは悪魔であるデーヴァ神の一族のシヴァ神たちがインドでは神々となってインドでは、次々と敵の悪魔たちを倒してインドを征服し、そのドクロを首輪にして首にかけている。これは、あたかもユダヤ教徒が世界を支配している現代のようである。薩長によった明治以後の政府はそれを知らずに、戊辰戦争から第二次世界大戦まで戦争をさせられてきている。極め付きは牟田口たちによる謀略で日中戦争を始められ、60万の日本兵は中国大陸に足止めさせられ、同様に牟田口によるインパール作戦を、英国のスパイ・チャンドラ・ボースと結託して7万の日本兵とインド国民軍の大半は死に追いやっている。これにより、太平洋戦争は、初めから勝ち目のない謀略にかけられている。関東軍もスパイの巣となっていたということだ。インドの古典には、スパイに気をつけるように何度も言っている。三千年前の世界戦争と現代は全く同じである。以上の話の大半は電子書籍版の小著「怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと」に控えめに記していることである。」
ここで言わんとしていることは、要するに日中戦争は牟田口らの柳条湖事件の謀略によって起こされ、あまつさえ、武器も食料も補給をしないインパール作戦を立てて前線からの補給要請を無視して牟田口らは戦地から後方に引き揚げたのである。大東亜戦争の戦死のかなりは飢え死にとマラリアなどの病死である。英国スパイにいいようにされた。子供の頃の同級生に戦死した父親の子供が多かった。戦地からお骨が届いた箱を開けると中には石しか入っていなかったなどと聞いている。バカにされきっている。私の叔父も戦死し、その奥方は一生再婚をしなかった。田舎の友人、照ちゃん兄弟は結婚しないで未亡人の母親の面倒を見続け、その晩年はシモの世話もしていた。
ところで、体調を考えて9月に帰国しようと思っている。
「先日の遠藤周作「深い河」のチャームンダーの話は無事終わったつもりである。チャームンダー女神は遠藤作品の中では、慈愛の女神として描かれているが、元は、アシュラのチャンダとムンダを殺したことでその2体の神からチャームンダーという名前になったという説明をした。それに対して、受講者の武田初恵さんから女神の二律背反の属性が理解しにくいと言われた。
チャームンダーは元は、ドゥルガー女神というシヴァ神の神妃でシヴァ神の破壊の属性を併せ持っている。ペルシアでは悪魔であるデーヴァ神の一族のシヴァ神たちがインドでは神々となってインドでは、次々と敵の悪魔たちを倒してインドを征服し、そのドクロを首輪にして首にかけている。これは、あたかもユダヤ教徒が世界を支配している現代のようである。薩長によった明治以後の政府はそれを知らずに、戊辰戦争から第二次世界大戦まで戦争をさせられてきている。極め付きは牟田口たちによる謀略で日中戦争を始められ、60万の日本兵は中国大陸に足止めさせられ、同様に牟田口によるインパール作戦を、英国のスパイ・チャンドラ・ボースと結託して7万の日本兵とインド国民軍の大半は死に追いやっている。これにより、太平洋戦争は、初めから勝ち目のない謀略にかけられている。関東軍もスパイの巣となっていたということだ。インドの古典には、スパイに気をつけるように何度も言っている。三千年前の世界戦争と現代は全く同じである。以上の話の大半は電子書籍版の小著「怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと」に控えめに記していることである。」
ここで言わんとしていることは、要するに日中戦争は牟田口らの柳条湖事件の謀略によって起こされ、あまつさえ、武器も食料も補給をしないインパール作戦を立てて前線からの補給要請を無視して牟田口らは戦地から後方に引き揚げたのである。大東亜戦争の戦死のかなりは飢え死にとマラリアなどの病死である。英国スパイにいいようにされた。子供の頃の同級生に戦死した父親の子供が多かった。戦地からお骨が届いた箱を開けると中には石しか入っていなかったなどと聞いている。バカにされきっている。私の叔父も戦死し、その奥方は一生再婚をしなかった。田舎の友人、照ちゃん兄弟は結婚しないで未亡人の母親の面倒を見続け、その晩年はシモの世話もしていた。
ところで、体調を考えて9月に帰国しようと思っている。