馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

美濃黒野城、城下町&外堀跡巡り

2024-07-28 11:11:04 | 美濃国の史跡
近世城郭、平地の城は城下町と外堀が要。
特に外堀は生命線と言ってもよい。
外堀のない本丸は丸裸、大阪城がその恒例。

まずは、城の北西の中堀と外堀の間に

中江徳左衛門屋敷がありました。
日本陽明学の祖、近江聖人と称させる
中江藤樹(滋賀県高島市)
のお祖父さんの屋敷。
中江家は藩主加藤光泰が高島の大溝城の時に仕官、藩主に従って黒野城に移りここに屋敷を得た。
後に藩主とともに伊予大洲藩に移りました。
大洲にも中江藤樹ゆかりの史跡がありますよ。

現在こちらは解説板のみ。

中江家跡から南へ向かうと
明治新政府で活躍した郷家の屋敷

郷ひろみとは関係ありません。

その隣に


さらに南の外堀近くに
黒野別院は浄土真宗本願寺派の黒野御坊


城下町繁栄のために黒野別院を建てたということですが、
この付近に寺を集中させて城の南西を防備させたのではないでしょうか?

南西の外堀の外側に接して

町人地区が配置された。
門前町として賑わったようです


ちなみに彦根城、大阪城、小田原城、江戸城などのような惣構えの城下町は町人地区も外堀の内側に取り込んでました。
これが最大の防御機能を果たすのです。

では、外堀跡巡り
反時計回りに進みます

時系列を無視してますが、
本丸の南側から南東の隅の水堀跡

さらに東へ

本丸の堀からの排水路

平野総合病院の東側付近から外堀は真っすぐ北上します

東側の外堀跡は水路として残ってるが、沿って歩くのは無理なので
近くを迂回しながら北上する。

そして、外堀は
超勝寺墓地に突き当たる


長くなるので
続きは次回に

馬《●▲●》助ヒヒーン♪













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美濃黒野城を攻める、の巻

2024-07-22 16:37:25 | 美濃国の史跡
近江国坂田郡磯野村出身の武将で、後に美濃黒野城主となったのが、
加藤貞泰

4万石の領地を得て城下町を築きました。
加藤家と言えば熊本藩主の加藤清正や水口藩主の加藤明友(嘉明の孫)などの系統があるが、直接は繋がってない。

黒野城主だったのは秀吉時代から江戸時代にかけてのわずか16年間で、後に伊予大洲城主として明治維新まで存続しました。

わずか16年とはいえ、城跡及び城下町の遺構の痕跡が少なからず今も現存しています。

電車で岐阜駅に。

黄金の信長公がお出迎え。
いやそれにしても暑い。
この蒸し暑いのにピカピカのマントは暑苦しい

駅前からバスに揺られて約30分。

黒野城前バス停下車(460円)
案内板が充実していて地元愛を感じる
すぐに水堀跡へ。
向こうに橋が見えるが、これは本来無かった。
昭和時代に公園として整備された時に付けられたそう。

本丸の入口は、西側に一箇所のみ。

こちらが、本来の入口

車で来ても良かったな、と後悔する。

石碑の所に城門があったか。
奥にトイレ。この付近が枡形状虎口、
虎口の南側に顕彰碑

この顕彰碑近くに階段があり、
土塁の上へ

櫓台は張り出していて横矢掛けを兼ねる
櫓は南東と北西の2箇所のみ。
四万石の城なので名古屋城と比較してはいけません。

反時計回りに北上する
土塁の上にベンチが適宜設置されてるが、直射日光が当たり座る気にならない

土塁ウォーク、西へ向かう


そして、南下する
土塁が直角に折れて盛り上がる
枡形状虎口をうまく撮影できてないのが情けない

本丸内部は特に何もない

発掘調査されて石垣と菊紋瓦が見つかった。
パンフレットの画像





本丸跡は以上です。



この後、暑いなか城下町跡、外堀跡痕跡を約3時間探索します

続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪































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2回目の面会は、‥‥😭、の巻

2024-07-14 23:15:00 | 日記
母、入院して2ヶ月経ちました。
面会は1ヶ月に1回、15分のみ。

事前に予約して2回目の面会をした。
今回は弟も一緒。

病室、前回はナースステーションのすぐ近くだったが、今回は同じ階の一番奥の方に移されてた。
ナースステーションから遠い病室は症状が安定して危険度が少ない、という。

点滴だけで、常に寝たきりだから看護の手間がかからないので、遠くに飛ばされたのでは?
と邪推する我が輩‥

で、病室に入ると、
前回は爆睡中だったが、今回は目を開けてました。

誰か、わかるか?
と、問いかけると、返事あり。
意識はまだ大丈夫のようです。

しかし、その返答は
我が従兄弟の名前が3つ。

母にしてみれば自分の姉妹の子の名前ばかり。

強制的にマスクさせられてるので顔の判別がしにくいけど、
我が子の顔がわからないなんて‥

いや、息子と認識してるが、名前がたまたま出てこないだけ、
と、思いたいのだが‥

弟がひ孫の写真を見せると
孫の名前を答えた。
こちらはまだマシかな。

このやりとりだけで
あっという間に面会終了。

身体は肌ツヤもよく元気そうで
これならまだまだ長生きできそうだが、
意識は徐々に低下していくだろう。

食事の楽しみもなく寝たきりで、両手には拘束のグローブ(点滴の管の引き抜き防止)を架せられてる。

おそらくもう筋力低下で車椅子に座ることも無理だと思う。

これは生き地獄ではないか?

なんか、可哀想になってきて、
帰りの車のなかで涙がとめどなく流れてきて家まで涙運転をした‥😭

入院させたのは間違いではなかったか、と反省しきり
我が輩は親不孝か‥

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
帰宅後、母は長期入院の様相なので、
ケアマネさんと相談し
訪問リハビリ、訪問歯科、デイサービス、介護用品など、
すべての介護関連は一旦解約しました。

退院したらまたお願いします
と、愛想よく挨拶したが、

また、はあるだろうか?(泣)

馬《●▲●》助ヒヒーン♪







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名古屋城外堀を周回したがや、の巻

2024-07-10 16:12:00 | 尾張国の史跡
美濃路歩き、佐屋街道歩きにとって名古屋城は避けて通れない。
なので、猛暑のなか名古屋城に行ったがや。
思い起こせば昔名古屋城に登ったのは7月で大相撲名古屋場所の真っ最中でした。
地下鉄は着物姿の力士が乗っていて一緒に市役所前駅の階段を登った。
強烈な蝉しぐれに圧倒されたものです。

あれから?年、市役所前駅は「名古屋城駅」と改名されてた。

蒸し暑いがセミはまだ鳴いてなかった。
電車が遅れて大垣駅の乗り換えに間に合わず、到着したのは11時過ぎ。
遅い!
門を入って体育館前には大相撲の櫓が建てられてました。

準備に余念がないようです。



東門の受付で百名城スタンプを押しました。
思い起こせば、一番最初にスタンプを押したのが松阪城で2009年でした。
あれから15年、未だに半分も押せてないのが情けない

本丸御殿へ

前回来たときはまだ建築が始まったばかりでした。
リュックをロッカーに預けろ、とか色々とうるさい制約がありましたわ。

上洛殿
将軍家光の上洛御成御殿として造られたので豪華絢爛です

見事な復元に感服したでゴザル

本丸御殿を出ると昼を回ってたので
修復のため入れない天守を見上げながら

白玉ぜんざいを食べる
暑いので冷たいぜんざいです。

それにしても

この外付けエレベーターはなんとも無粋ですな。
そういえば大阪城も外付けだった。
ま、身障者や歩けない人にとっては大事な設備ですが。

本丸天守の北側の不明門付近の石垣は
刻印がいっぱい
だんご三兄弟や卍やメガネ形などなど

刻印は他にもあるが、ここが一番集中してる


名古屋城と言えば、2つの大型角馬出が最大の見所。

本丸南側に巨大な大手馬出があるが、

堀が潰されて、土塁には登れず
痕跡がよくわからない。
残念無念

仕方ないので搦め手へ
先程の不明門から東へ向かうと
「鵜の首」
堀切土橋のような空間。
敵を誘い込んで側面から攻撃するそうな。
そして、搦手馬出へ

なんと工事中で見に行けない

この角馬出見たかったのに
石垣を修復するためなのです

またまた残念無念。

この後、外堀巡りをすることにした。

外堀の外からから馬出の工事現場を遠く眺める



天守に入れず、馬出は見られず。
名古屋城、どすこい!




以上おしまい

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


































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猛暑に七夕のお願いした、の巻

2024-07-06 10:19:06 | 日記
昨日、月一のボランティアとして彦根城へ出頭した。
いやぁ、暑い!
ムッとしたこの暑さは半端ない

それもそのはず、
最高気温がなんと、
36.9度
というとんでもない記録でした。
我が地方では夏に一度あるかないかの猛暑日、
しかも、まだ7月初旬ですよ。

梅雨明けしたらもっと凄いことになるのか?
先が思いやられる‥

で、表門の券売所には恒例の
七夕飾り

我が輩も一筆したためる

願文は今やこれしかない。

母、入院して2ヶ月経過。
点滴だけの生存はだいたい3か月と決まってるとか?

となると、来月のお盆は‥

いや、母は生命力強いからまだまだ、


と思いたい

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ちなみに、
我が輩は今年の夏も扇風機だけで
乗り切る予定です!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪




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