馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
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【草津市志津地区探訪③】岡本町~山寺町~小槻大社

2019-07-31 07:57:36 | 近江の史跡
2017年06月03日(土)、
JRハイキングに参加した。
草津市東部の『志津』地域を巡った。


志津小学校から東へ向かい
名神高速道路を越える。
こちらは岡本町。


『岡本の道標』

隣に石仏もある。
「右 おかもと」
「左 田上ふどう」
画像には見えないが裏側に
「山元又兵衛」
「大正13年三月」
と、書いてある。


解説によると、
山元又兵衛(酒屋又兵衛)は岡本の造り酒屋で、地域の社会貢献のために道標を建立した。
昭和14年に廃業した。
ふどうは、不動尊。

交差点の角に
『若宮神社』


創建不詳。
岡本町の鎮守だが、江戸時代の記録によると小槻神社の御旅所だった、とされる

草津川

水が流れてない…


堤防下に


『岡本北の道標』

「右 田上道」「左 金勝道」
解説によると、大正時代に建立された、と推定されている。

志津道(横町道標~桐生)、
青地道(東海道立木神社~岡本)、
荒張道(山寺~美園)、
中郡街道(金勝道・坊袋~金勝)

草津駅から東海道を通ってここまで来てさらに田上不動尊(桐生)までが志津道で、今回歩いた道のほとんど。

草津宿の南の立木神社からほぼ真っ直ぐに岡本まで進む道が青地道。

岡本から北に向かう道が荒張道と中郡街道で、現在の栗東市東部地域を通る。

志津道を振り返って見る。

本来はもっと曲がりくねった田んぼ道だったようで、これは大正時代以降に整備された新道。

以前にも述べたが、
「金勝」、きんかつ、きんしょう、こんかつ、
じゃなくて、
「こんぜ」と読む。
ただし、
こんぜ道の目的地である「金勝寺」は「こんしょうじ」と読む。
ややこしいですな。

岡本町から北へ向かうと山寺町、


草津川と美濃郷川の合流する所に
『山寺の道標』


「左 古んせ(こんぜ)ミち」
撮影したのはこれのみ↑


他は、解説によると
「川下具さつ」
「山寺村」
「右 田上ふどう道」
と、書いてある。
江戸時代建立、道標。

田上不動尊は山の中にあり、
最寄りのバス停からハイキングで二時間ぐらいかかる。
なかなか行けないですわ


大平橋を渡り東に向かうと
『山寺城跡』


解説によると、
北側は土取りで低くなり、
西側の土塁は消滅。
方形の館城で、東南隅に櫓台あり。
隣にあった楽音寺と一体だった。

竹やぶになってる。
土塁のような高まりがあるが、中に入るわけにはいかないので、あきらめる。

『十二将神社』


祭神も創建も不詳。
織田信長の焼き討ちで、由緒書が消滅したのかな?
1687年に村民が薬師堂を再建し、同時に神社も再建された。
金勝寺関連の楽音寺跡地と言われ、発掘調査をしたそうです

なぜか、神社の境内に入ってない…

『祥光寺』


創建1450年
佐々木六角久頼の菩提寺として建てられた。
法名が寺の名前になった。


キョーラク会社の敷地に佐々木高頼の塚跡があったが、久頼は高頼のお父さんです。
だから、祥光寺を建てたのは高頼かもね。
伽藍は天正年間の兵火で焼失したが、本尊だけは村人が救出したそうです。

「薬師堂」


中に入りました。


本尊の薬師如来坐像(南北朝時代)は楽音寺の本尊だったそうです。


城跡の北側に
『北谷古墳群』


名神高速道路建設工事で発見された。


1号墳と11号墳が古墳時代前期、
それ以外は後期古墳。
11号墳は前方後円墳の可能性あり。

こちらも自分的には城跡に利用されたのでは?と思う…

志津地区から離れて北上すると
『小槻大社』


ややこしいですが、先に訪れたのが小槻神社。
こちらは小槻大社。
栗東市下戸山。
創建は不詳。
栗太郡の豪族小槻山君が祖神を祀ったのが始まりだとか?



境内に入ると
『小槻大社古墳群』


北谷古墳群などとともに小槻山君関連の古墳と考えられる

この石は古墳の石室の一部かも?

『本殿』国重文


解説によると
小槻山公は、大化改新後栗太郡司となり、平安時代には平安京の実務官僚の頂点であった官務家として栄えた。
中世には青地荘の領主青地氏が1519年が建立した。
つまり、戦国時代の建物なのだ。
内陣の宮殿は1281年というから鎌倉時代ですね。
宮司の宇野茂樹氏が文章を書かれてる。
旧東海道歩きで岡村城跡に立ち寄った時に述べたが、城主の宇野氏の子孫かな?

ここにも石室の一部

古墳の上に「龍王社」が建てられてる。


この石組も石室関連か?

以上です。




祥光寺の前の「山寺会館前」バス停から草津駅に帰りました。

志津地区の人は、定期的に講座をおこなったりして、地域の史跡・歴史に関心が高いようです。

草津市域は、都会化が急激に進んでるだけに志津地域の人が自分の土地の歴史を大切にする気持ちは非常に貴重だと思います

羨ましいです
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
"

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はにわと古墳が日野川で見つかりました!

2019-07-30 06:57:41 | 滋賀県情報
滋賀県からのお知らせ

"先日、「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録され、古墳への注目が集まっている中、滋賀県で新たな埴輪(はにわ)と古墳が発見されました!

これを記念して、『ぶん活かわら版』第7号で、滋賀県の古墳を特集しました。滋賀県にはなんと、4,600か所以上も遺跡があります!皆さんの身近なところやお住まいの下にも、古代のロマンが眠っている可能性がありますよ。

URL:http://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/bunakasports/bunkageizyutsu/303883.html


【滋賀県文化スポーツ部文化芸術振興課


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

野鳥観察してる人がたまたま見つけたそうです。

発掘しなくても見つかるとは
びっくりポンですわ。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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ポイントはウハウハ、の巻

2019-07-29 07:46:32 | 日記
"デジカメの予備バッテリーを楽天サイトで購入した。
クーポン券やポイント使って値引きしたら、5000円の支払いとなった。
バッテリー高すぎや!
たまたま楽天のセールだったので、購入ポイントが330も付いた。
さらにクレジットカードで支払いしたから、こちらのポイントが50。
両方合わせて380ポイント。
これは美味しい!

今や100万円を一年間銀行に預けても100円ほどの利息。

預金するよりポイントをためるほうがお得ですよね。
年間にすれば、ポイントが5000以上になるかも?
ウハウハですわ。

でも、先日、請求書を見て
びっくりポン!
ポイントに眼を奪われて
買い物し過ぎ。

少し自制しないと家計がもたない。

クレジットカードは恐いですよ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【草津市志津探訪②】青地城跡

2019-07-28 08:04:22 | 近江の史跡

2017年06月03日(土)、
JRハイキングに参加した。
栗太郡の土豪小槻氏、青地氏関連の史跡巡りです
小槻山君は第11代垂仁天皇の皇子が祖だと言われてます。
青地氏は小槻氏の一族か家臣の家柄で、後に佐々木氏から養子を迎えてるので
源氏と称してます

小槻神社から

"志津小学校へ移動する


空堀ではないか?
と思った。

土塁かな?と思って見てる

現在の志津小学校校舎の付近が青地城の本丸とされる。

青地城本丸跡に、
『青地城主之碑』
五輪塔ですね。城主の墓。

「解説板」

鎌倉~室町時代、青地氏の居城。
鎌倉時代中頃、近江守護佐々木定綱の孫基綱が青地氏の養子となりその子忠綱が築城した。
城跡の規模は方二町、丘陵に3つの平坦面がある。
周囲に堀、土塁を巡らし、草津市内では唯一の本格的な中世城郭跡。
支城の役割として周囲に小槻神社、無量寿寺、祥光寺などが配置され、家臣の館が取り巻いてた。
永正4年(1507)6月24日、細川澄元と三好之長が青地城に立ち寄った記録がある。
織田信長の近江侵攻では、青地氏が六角氏についたため廃城になった。

家紋が四つ目角なので、佐々木氏系だとわかりますね。

「青地城山碑」

読めません。


石碑の背後は、

間違いなく土塁遺構。

ぐるっと巡ってます。


小学校の敷地を下に見る



「静里先生の碑」


「解説」


業績の詳細は読んでください…

小学校の正面通路。

城跡としてみるなら大手の土橋といった雰囲気。

通路の左は池、


右下に駐車場。


本来は駐車場も含めて通路の左右は水堀だった。
この通路がもともと土橋だったかどうかはわからない…


通路をふりかえって見る

小学校が小山にあるということがわかりますね


平地の城だが、周りの湿地や河川が
自然の防御となり、近くの寺社は支城の役割を果たした


市民センターで講義を受けた時に
縄張り想定図を撮影した

この図から察するに
空堀かな?と思って眺めたのは切り通し。
城跡石碑は土塁に囲まれた2郭。

土橋のような正面通路は学校のために造られたようですな。

その③に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
鳥人間コンテスト、昨日はひどい風雨のため途中で中止となった。
撤収作業中の男性2人が低体温症で搬送されたそうです。
本日は、無事開催されると思います"

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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お城入門セミナー「はじめての近江の城」

2019-07-27 06:33:39 | 滋賀県情報
滋賀県からのお知らせ



お城の見方や特徴を、わかりやすく紹介するセミナーを実施します。
日時 令和元年9月28日(土) 10:30~16:30 ※10:00開場
会場 ピアザホール 滋賀県大津市におの浜一丁目1番20号 ピアザ淡海2階
第一部 「入門セミナー はじめての近江の城」
 ①講演「お城の見方」 講師:畑中英二氏(京都市立芸術大学教授)
 ②講演「安土城入門」 講師:仲川靖(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課副主幹)
 ③講演「みんなで守られる 城の姿」 講師:坂本城を考える会・小谷城址保勝会・
番場の歴史を知り明日を考える会・水口岡山城の会
第二部 パネルディスカッション:「近江の城の魅力」
定員 400名(参加無料・事前申込制先着順)
参加申込方法(メール・電話・FAX)
(1)住所(市町まで)・氏名(ふりがな)・連絡先(携帯電話推奨)を記入
(2)申込締切 令和元年9月26日(木)午後5時
参加申込・問い合わせ
 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課安土城・城郭調査係
  TEL:077-528-4678 FAX:077-528-4956 E-mail:ma16@pref.shiga.lg.jp
城郭調査事務所 TEL:0748-46-6144
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/hodo/event/304455.html"

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

お城好きの皆さん

是非とも参加してください

勉強になりますよ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【草津市志津探訪①】無量寿寺~西方寺~小槻神社

2019-07-26 06:17:54 | 近江の史跡
"2017年06月03日(土)、
JRハイキングに参加した。

草津市東部の『志津』地域を巡った。
『志津まちづくりセンター』青地町

この地域の中心的な施設。
昼食休憩し、講座を受けた

ちなみに、草津市志津という地名はない。
志津小学校があり、志津学区になってる。
本来は栗太郡志津村で、合併で草津市の一部になった。
現住所では草津市追分、青地、山寺、岡本、馬場などの町がその範囲のようです。
この地域の総称ですな。

午後の探訪、
「無量寿寺」

創建は舒明天皇12年(640)5月。
天文年間1532年頃に再建された。

青地城の西側を固める重要な位置をしめたと思われる
境内に
「宝篋印塔」

正安四年(1302)の銘が刻まれてるので鎌倉時代後期とわかる貴重な塔。
花崗岩製。

詳細は解説文を読むべし。


この付近は丘陵になっていて
「無量寿寺古墳群」。

墓地の造成工事中に6世紀中頃の横穴式正室のある古墳が見つかった

墓地に「北川静里」の墓
青地町出身の学者で、幕末から明治にかけて博物学、儒学、医学、歴史学を究め、県内各地の小学校解説に尽力。
第2の近江聖人と呼ばれた。

ちなみに、近江聖人と言えば高島市のあの人です。
誰なのか?わからない人は調べるべし!

南隣の西方寺の墓地に移動

「楚活禅人(水野忠隆)の墓碑」

水野主膳忠隆は、伊勢国菰野(こもの)藩の藩主土方雄豊の実母の兄・伯父。
実母は、前田利家の子。
菰野藩は、三重県と滋賀県の県境にあり、12000石。
近江の青地に飛地があり代官所が設けられ、地元の青地氏が代官を務めた。
水野忠隆は余生をここで過ごし没しました。

五輪塔に元禄11年4月2日と刻まれてる

「西方寺」

延喜12年(912)創建。
本来は志津小学校前にあった。
1653年に現在の地に移された。

「西方寺鐘楼」

慶長9年(1604)、建仁寺塔頭常光院に建立され、明治18年京都市左京区の壇王法林寺に移築。
そして、昭和37年に西方寺に再移築された。

そして、東に
『小槻神社』おつきじんじゃ

石の鳥居は、大津市大鳥居町から石材を切り出し大戸川を下り瀬田川→琵琶湖→伯母川を遡ってここに運ばれた。

石段を登る

石垣は青地城の石垣か?
と思いたいが、実はここは部田(へた)古墳群で、古墳の石室に使われていた石材を利用した。

「本殿」

創建年代は不明。
貞観2年(860)に正一位の宣旨を賜ったという記録がある。
日本の数学のルーツとされる小槻山公ゆかりの神社。
なお、小槻山公今雄を祭神とする雄琴神社(大津市、栃木県)に廟がある。
大津市の雄琴神社は「おごと」
栃木県壬生町の雄琴神社は「おこと」と読むそうです。
いずれも栗太郡の在地豪族「小槻山君」ゆかりの神社で、青地氏や壬生氏は小槻氏の系譜に繋がる。

ちょっとややこしいが、前回岡村城跡で触れた小槻大社と小槻神社は別の神社です。
どちらも小槻山君関連の神社ですが…



その②に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

よりによって、週末に台風が来るとは!

梅雨明け10日はどないやねん?

鳥人間コンテストは、明日と明後日開催予定ですが…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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消費生活センターを名乗る不審電話に注意!

2019-07-24 13:20:35 | 滋賀県情報
滋賀県からのお知らせ

「滋賀県消費生活センター」を名乗る不審電話があったとの情報提供がありました。

 滋賀県消費生活センターの職員を名乗り、「あなたは複数の商品購入契約の登録がある」「放置しておくと大変なことになる」などと言って電話がかかってきたとのことです。

 滋賀県消費生活センターから、相談したことのない人に電話をかけることはありません。また、どんな名目であっても金銭を要求することはありません。

 県や市役所など公的機関をかたり、お金をだまし取る特殊詐欺が後を絶ちません。少しでも怪しいと感じたら、すぐに電話を切ってください。日頃から留守番電話にしておくことをお勧めします。

 万が一、同様の不審電話があった場合、情報提供をお願いします。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

滋賀県から毎日毎日、詐欺に注意!
のお知らせメールが来る。
イチイチ紹介するのが面倒なほど多岐多様に渡っていて、まさにいたちごっこの様相ですわ。

パターンとしては、
警察、市役所、裁判所など公共機関の名前を使う手口。

日本人は、お上根性が抜けきれなくて行政機関に弱い。

上からの通達には、
ははー!と頭を下げる癖がある。

いい悪いは、関係ない。
ともかくひれ伏したら事済む

それですべて丸くおさまるのだ。

詐欺はこの習性の弱点をついてくるんですよね。

諸外国の事情はよくわからないが、
日本人のようなお人好しは極めて少ないのでは?

そんなわけで、ともかくなんでもかんでも一人で判断するのはやめましょう。

我が輩のように
石橋を叩いても渡らない

これが一番!

ただし、
石橋を叩きすぎて壊してしまって
渡るチャンスを逃し人生の落伍者になることもあるけどね…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪









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『りそにゃ』ゆるキャラ

2019-07-23 07:18:34 | ゆるキャラ
"2018ご当地キャラ博IN彦根。
10月20日
『りそにゃ』
住所不定…

はっきりいって、得たいの知れない変なキャラ!

と言ったら、叱られるかな?

名前で想像されるように
りそなグループの猫キャラです。

なんで、変に見えるかというと、
ヒゲが無いからです。
目付きも恐い
猫らしくないですよね。

りそにゃが銀行のカウンターにいたら、銀行強盗も不気味で退散してしまうかも?

ま、りそな銀行と取引ないのでどうでもいいや…

ちなみに
前身は、大和銀行とあさひ銀行。

大和銀行、だいわと読むが
どうしても
やまとぎんこう、と読んでしまう

りそにゃの好物は、たい焼き。
もしかして、
だいわぎんのだじゃれで、たい焼きだったりして…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

たい焼きは、当たり外れがある。

なかなか美味しいたい焼きに巡り会えない…

まずいのは、スーパーや屋台の安物ばっかり食べてるから?

お口直しは
どら焼き虎てつ

実はこのお店、
中堀と外堀が接する狭い折れ曲がり虎口にあるのです

↑現在の地図

↓江戸時代の絵図




外堀の詳細はまたいつかアップします

馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
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【旧東海道歩き49】『岡村城跡』栗東市岡

2019-07-22 06:35:12 | 近江の史跡
"2018年9月8日(土)、

旧東海道歩き、ちょこっと寄り道

11時20分
岡交差点で右折

金勝川を越える
左前方の田んぼの中に小山が現れる

さて、城跡か古墳か?

というか、
田んぼの左は刈り取る前、右は刈り取り後。

昔は9月初旬に稲刈りなんて、ありえなかった。

畦道を進む
『地山古墳』ぢやまこふん

帆立貝形の前方後円墳。
墳丘から形象埴輪が出土。
墳丘部は未調査。
築造時期は5世紀前半。

後円部東側
草深いので、登るのはやめた…
北側へ向かった

この後、前方部の隅の痕跡を確認したかったがよくわからない
あきらめました

11時37分、
道の左手に

『岡村城阯』
宇野筑後守屋敷跡

解説によると、

江戸時代以前の東海道に面し通行を監視した。
小槻大社お旅所、若宮神社西側の高台にあった。
初代城主は、田上の関ノ津城宇野源太郎の子で弥三郎家永と言った。
家永は室町幕府初代将軍足利尊氏に属して戦功をあげて岡の地を与えられた
1340年頃に築城されたようです。
子孫は代々小槻大社の榊本衆を務めている

小槻大社は南のほうにあります。
以前、JRハイキングで訪問したことあるので次回アップする予定です。
城跡屋敷跡は遺構なし、現在は田んぼ。

さらに東へ

キョーラクという会社が見えてきました

こんもりとした場所がある

『古代栗太郡衙跡 岡遺跡』

昭和61年の圃場整備にともなう発掘調査で発見された。
溝と大規模な建物群が発見された。

奈良から平安時代の遺跡

この田んぼの下に遺跡が保存されてるのかな?

田んぼのそばにも解説板

三上山方向を見る


隣に神木がある。

小槻大社関連の社跡かな?


反対側のキョーラク会社の敷地に看板あり

『佐々木高頼の塚跡』

高頼は近江守護佐々木氏第22代目当主。
いわゆる六角高頼です。
室町幕府九代将軍義尚と対立し攻められた。
近江守護京極氏との抗争にも耐え、六角氏の全盛期としたため英君と称される
晩年は青地城主として隠居し、この地に埋葬された。
高頼塚は昭和初期の開墾で無くなった。
だから、地元の有志の方がこの塚碑を建てられたようですな。

こうしてみると、岡地区は交通上も歴史上も重要な地域だったことがわかりますね。

帰りにもう一度、古墳を見る

約30分の寄り道、

街道に戻りました

その50へ


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

年寄りが投票に行かないのはやむを得ないが、若い人が政治に無関心なのはいけない。
自分の将来に関わることなのに、日本がどうなってもいいのだろうか?

う~ん…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【旧東海道歩き48】栗東市岡町、田楽茶屋~岡交差点

2019-07-20 22:32:20 | 東海道歩き『近江路』
"2018年9月8日(土)、

栗東市岡町
分岐にあるのが、
『田楽茶屋ほっこり庵』

東海道筋に旅人の休憩場として岡の「目川立場」が置かれた。

そこで、伊勢屋の岡野五左衛門家は、精進料理めかわ田楽を売り出した。
大ヒットし、全国に波及したそうです

左側に足湯があります
横の道が旧東海道です

田楽茶屋の右横の門が
『伝 膳所城大手門』

1663年の安曇川地震で膳所城が大破した後に改築された時の門。

明治の廃藩後、膳所藩領のこちらに移築された。

左手に潜り戸のある高麗門。

三葉葵紋の瓦。

『芭蕉句碑』

「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」
元禄4年9月9日、重陽の節句に詠んだ句。
長陽の節句と言えば、菊ですよね。
先に訪れた大津市の義仲寺で詠んだそうです。
だから、草の戸は義仲寺のことですな。

足湯の横に
「東海道、田楽の里」石碑

足湯を横目に見て先へ進みます

街道の右手、ヤマキ酒店の所に
『旧跡 人吉藩相良候御対面所跡 山本家』石碑

意味はよくわからないが、九州の人吉藩がこの旧東海道を通ったという証拠ですな。
人吉城に行かねば!


街道の左手に
『京いせや跡』

田楽茶屋の屋敷がここにあった。
伊勢屋は、元伊勢屋と京伊勢屋の2つあり、古しま屋と合わせて三軒の茶屋が田楽を扱ったようです。
しま屋が志摩屋ならば、この三軒はいずれも三重県出身かな?


さらに進むと

信号交差点の右手に『乗圓寺』


11時20分
岡交差点

街道は真っ直ぐ進むが、
ここで右折してちょこっと寄り道しました。



その49へ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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