【Q】福岡の市の賑わいを描いた絵伝の僧侶は?
イ)一遍
ロ)親鸞
ハ)法然
答えは一番下↓
≪吉備・讃岐へgo岡山≫
2014年4月30日(木)
『備前福岡』
吉 ∥
井 ∥ │ 〒
川F→∥┼→→→┼──
∬↑ ∥│ │
∬ゴ ∥│ ↓
∬ル堤∥│ 東↓
∬フ防∥│ 小↓仲井
∬場道∥│ 路↓邸
∬↑路∥D上 ↓
∬↑ ∥│小 ↓七つ
∬↑∥ │路 ↓井戸
∬↑∥ │ 会館↓
∬∥←←←←←←┤妙興
∬∥E市場小路 │寺
妙興寺境内の奥へ向かう
黒田家礎の地、と書かれてる
妙興寺大イチョウ
この奥に
『宇喜多興家公の墓』
大河ドラマで陣内さんが演じてた宇喜多直家の父が興家。
宇喜多家が毛利から織田家に鞍替えしたのが、秀吉にとっては大きな毛利攻めの大きな収穫でした
15時59分
『黒田家墓所』
大河ドラマで官兵衛の祖父を演じてたのが、竜雷太さんでした
「これが青春だ」の先生役で好きになりました
「太陽にほえろ」のゴリさん役、こちらは有名ですな!
そんな雷太さんも老け役が似合うようになった…
官兵衛の祖父黒田重隆の墓です
重隆が播州姫路に移るまで過ごした地が備前福岡。
後に官兵衛の子黒田長政が九州博多の西に城を築いた時、祖先の地備前福岡にちなんで福岡城と名付けた
現在の福岡市・福岡県の地名由来となってますな
墓地の角にわざと?植えられた
「メグスリノキ」
カエデの仲間です。
樹皮の汁が目薬として効果あったとか?
黒田重隆は黒田家秘伝の目薬を販売して儲けた、と言われてる
備前刀を造るとき火花が散り目薬が必須だったのかも?
誰もいない墓地をうろうろするのは薄気味悪いので手だけ合わせて妙興寺を出ました
市場小路の右手に
「福岡一文字造剣之地碑」
刀の銘に「一」の字を刻んだのが多いので一文字派と呼ばれるようになった
上小路に曲がって北へ向かうと
D,「備前福岡郷土館」
入場無料だが、日曜日のみ開館。
ありゃま!
もとに戻って
市場小路から西小路へ
E,『福岡の市跡』
鎌倉時代、福岡庄で開催された定期市。
現在でも、一日市・八日市の地名が残ってる
ここまで来て、
突然、左膝に鋭い痛みが走った!
以前は右膝だったが今回は左膝、
旅の初日に早くも膝が痛むなんて
ヤバいぞ!
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『一遍』
社会の教科書によく登場する一遍上人絵伝は京都の歓喜光寺に国宝として保存されてる。
山陽道と吉井川が交わる交通の要衝として繁栄した備前福岡。
農村の中に登場する大都会福岡、
当時の市の様子を描いたものとして貴重。
店では女性が商売している。主役は岡山の女性。
貨幣は宋銭。
男は頭に烏帽子、女は笠。
荷物を頭の上に乗せて運ぶ姿は日本にもあった
草履は前半分しか履かない足半というものを履いてる
などなど、庶民の風俗を知ることができる。
※現在の備前福岡の町が当時の名残の一部なのか?
宇喜多氏による岡山城下町後につくられたのか?
確かなことはわからないそうです
写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
親戚から
大きな大きなカボチャもらった
我が頭の倍はある!
カボチャは大好物。
あまりにも大きすぎて母の力では割れないので我が輩が包丁で切り裂く
中央は空洞
上げ底カボチャかい?
でも、母と二人ではとても食べきれない
いやそれより
ばかでかいものに美味しいものはない
と言われてる
試しに少し食べてみた
マズイ!
美味しくない!
とても食べられない
母曰く
『豚のエサや』
というわけで
もったいないけど
全部捨てた!
ぜぇー
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン
イ)一遍
ロ)親鸞
ハ)法然
答えは一番下↓
≪吉備・讃岐へgo岡山≫
2014年4月30日(木)
『備前福岡』
吉 ∥
井 ∥ │ 〒
川F→∥┼→→→┼──
∬↑ ∥│ │
∬ゴ ∥│ ↓
∬ル堤∥│ 東↓
∬フ防∥│ 小↓仲井
∬場道∥│ 路↓邸
∬↑路∥D上 ↓
∬↑ ∥│小 ↓七つ
∬↑∥ │路 ↓井戸
∬↑∥ │ 会館↓
∬∥←←←←←←┤妙興
∬∥E市場小路 │寺
妙興寺境内の奥へ向かう
黒田家礎の地、と書かれてる
妙興寺大イチョウ
この奥に
『宇喜多興家公の墓』
大河ドラマで陣内さんが演じてた宇喜多直家の父が興家。
宇喜多家が毛利から織田家に鞍替えしたのが、秀吉にとっては大きな毛利攻めの大きな収穫でした
15時59分
『黒田家墓所』
大河ドラマで官兵衛の祖父を演じてたのが、竜雷太さんでした
「これが青春だ」の先生役で好きになりました
「太陽にほえろ」のゴリさん役、こちらは有名ですな!
そんな雷太さんも老け役が似合うようになった…
官兵衛の祖父黒田重隆の墓です
重隆が播州姫路に移るまで過ごした地が備前福岡。
後に官兵衛の子黒田長政が九州博多の西に城を築いた時、祖先の地備前福岡にちなんで福岡城と名付けた
現在の福岡市・福岡県の地名由来となってますな
墓地の角にわざと?植えられた
「メグスリノキ」
カエデの仲間です。
樹皮の汁が目薬として効果あったとか?
黒田重隆は黒田家秘伝の目薬を販売して儲けた、と言われてる
備前刀を造るとき火花が散り目薬が必須だったのかも?
誰もいない墓地をうろうろするのは薄気味悪いので手だけ合わせて妙興寺を出ました
市場小路の右手に
「福岡一文字造剣之地碑」
刀の銘に「一」の字を刻んだのが多いので一文字派と呼ばれるようになった
上小路に曲がって北へ向かうと
D,「備前福岡郷土館」
入場無料だが、日曜日のみ開館。
ありゃま!
もとに戻って
市場小路から西小路へ
E,『福岡の市跡』
鎌倉時代、福岡庄で開催された定期市。
現在でも、一日市・八日市の地名が残ってる
ここまで来て、
突然、左膝に鋭い痛みが走った!
以前は右膝だったが今回は左膝、
旅の初日に早くも膝が痛むなんて
ヤバいぞ!
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『一遍』
社会の教科書によく登場する一遍上人絵伝は京都の歓喜光寺に国宝として保存されてる。
山陽道と吉井川が交わる交通の要衝として繁栄した備前福岡。
農村の中に登場する大都会福岡、
当時の市の様子を描いたものとして貴重。
店では女性が商売している。主役は岡山の女性。
貨幣は宋銭。
男は頭に烏帽子、女は笠。
荷物を頭の上に乗せて運ぶ姿は日本にもあった
草履は前半分しか履かない足半というものを履いてる
などなど、庶民の風俗を知ることができる。
※現在の備前福岡の町が当時の名残の一部なのか?
宇喜多氏による岡山城下町後につくられたのか?
確かなことはわからないそうです
写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
親戚から
大きな大きなカボチャもらった
我が頭の倍はある!
カボチャは大好物。
あまりにも大きすぎて母の力では割れないので我が輩が包丁で切り裂く
中央は空洞
上げ底カボチャかい?
でも、母と二人ではとても食べきれない
いやそれより
ばかでかいものに美味しいものはない
と言われてる
試しに少し食べてみた
マズイ!
美味しくない!
とても食べられない
母曰く
『豚のエサや』
というわけで
もったいないけど
全部捨てた!
ぜぇー
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン