馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

『阿波徳島』その22 最終回。 徳島城本丸弓櫓~下山

2019-05-19 15:46:33 | 阿波国の史跡

2019年3月31日(日)
二日目、
今は何もない広大な本丸広場から西へ

西端の『弓櫓跡』

標高61m
ここが山頂の一番高い場所。
本来、天守はここに建てられた、と推定されてます

弓櫓の石垣、四角い巨石が多い。

弓櫓から西へ降りる


見慣れた細長い石に四角い石が混じってる。

『西二の丸跡』

西端の少し高い位置に
「帳櫓跡」

帳櫓下の石垣には
よく目立つ鏡石が複数ある。

鏡石は藩主の威厳をあらわすものとして、正面に据えられます。

つまり、この城は西側を意識してる、と言われる。

こちらは巨石のほうが多い


『西三の丸』

枡形になっていて、防御が厚い

この下は西の丸かな?

と思ったが、たぶん西三の丸の番所や平櫓があった場所のようです。

水道の排水場になっていて、入れません。

枡形を下る。

振り返って見上げる。

夕方にになり薄暗くなってきたのでピントが合わない…

麓に降りた。

SLが展示されてる。


『蜂須賀家政公銅像』

戦前は蜂須賀小六正勝の像だったが、戦時中に供出されてしまった。
戦後は初代藩主の家政公に変更された。
というか、慌ててたので危うく見逃すところでした

『舌石(したいし)』

防御を強化した屏風塀という折れ曲がりの塀があり、塀を支える柱を受けた石。
全国的にも珍しいとか?
橋の網目からズームして撮影してるのでわかりにくいかな?

見逃した場所がたくさんあるが、
時間がないので、これにて退散。

急いで駅へ向かいました。

NHK徳島放送局

アナウンサーかな?
綺麗な女性が入っていった。
時間があれば、我が輩も同じく中に…

いやダメですな、
それはストーカーや、


徳島駅に到着。

コンビニで酎ハイと弁当を買う。

滝の餅を食べる。

18時発のバスが来ました。
阿波徳島ともこれでお別れ。

バスに乗り込もうとして、
バッグが無いことに気づいた。

そうでした!
コインロッカーに入れたままや。

全速力で、
徳島駅の地下一階に直行。

ロッカーからバッグを取り出し、
また全力でバスに戻り、
無事に、バスに乗れました。

危なかったわ

よく気がついたものです。

車内で食事をし、
来る時と同じルートで帰る

車内から見た大観覧車、

いいですね。

舞子駅から電車で帰りました。

徳島、一泊二日旅。
あたふたしたが、充実した城巡りだったと思います。

以上、おしまい。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今日は祖母の五十回忌法要でした。
祖母の子供、つまり父の兄弟は男女合わせて11人。
そのうちまだ6人が生きてます。
6人の子供に五十回忌をしてもらえるなんで、親子ともにめでたいのでは?
残念ながら、長男の父は7年前に無くなってるので、五十回忌には立ち会えなかった。

なお、
我が輩が父や母の五十回忌をすることは絶対にありえない。

自分が百歳以上も長生きすることは無理です…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント (2)
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『阿波徳島』その21 徳島城、数寄屋橋~本丸

2019-05-17 21:57:28 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

徳島城内を巡る。
鷲の門から入って数寄屋橋の手前まで来た
土塁の上を歩く
※危ないので良い子は土塁の上に登らないようにしましょうね。
『旗櫓跡』

徳島城の東、鬼門の位置になる

その下に
『数寄屋橋』

城内の凶事の時にしか開けられなかったので「不明門」と呼ばれた。

こちらも本来は太鼓橋でした。

内堀の東側はここまで。

西へ向かう。
山の岩盤が現れる。

『城山貝塚』

約4000~2300年前、縄文時代後期~晩期の洞窟遺跡。
城内に貝塚、縄文遺跡が残ってるなんて、珍しいですね。

こちらは岩盤の下に石垣

徳島城は、吉野川河口の三角州の渭山(いのやま、猪山)・渭津(いのつ)と呼ばれた島に築かれた。
蜂須賀公が、築城した時に徳島と改名した。
縄文時代、渭津は海岸線ですぐ横が海だったということですな。

この岩盤が天然の防御となった。

『弁天池(蓮池)』

弁財天がまつられてたので弁天池、

蓮が植えられてたので蓮池、

桜満開。

なんども言いますが、3月末ですよ。

池の横の坂を登りました。

縦向きの巨岩がある。

『東二の丸』

曲輪の中に
「天守跡」

明治維新で取り壊されるまで、御三階櫓が存在しました。

でも、不思議ですよね。
普通、天守と言えば一番高い場所の本丸内にあり、さらに本丸内に盛り土して天守台を築きその上に天守を建てるものです。
こちらは一段低い二の丸の平地に建てられた。
天守台も無い。
どうみても天守は単なるお飾りだったとしか思えない

ビル群のために眺望はイマイチ

昔は眼前に海が広がっていたに違いない。

さらに石段を登る

『本丸北東の石垣』

徳島城で最も古い時期の石垣とされる。

自然石を雑に積んだだけに見えますね。

この石垣は後で積み足したのか?

そして、

『本丸』

現在は単なる広場。
桜満開!

ここには「御座敷」があった。

藩主、普段は麓の御殿で生活してたが、たまに登ったのでしょう。
御座敷の北側に『北門跡』

こちらは非常用の登城口で逃走路として使う虎口だった


西の端の弓櫓跡へ向かう


その22最終回に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

某まぐまぐの記事、

"ビンボーって、執着するところから始まるんですよ。執着の反対語は、「手放す」です。これが出来ない人がビンボーであり、ビンボーになる人なんです。

ここでいう手放すとは、物理的にも精神的にもということですよ。

分かりやすいのは物理面でして、ビンボーな人ほどモノを捨てられない、取っておきたがる、溜め込むんですね。


我が輩も捨てられない…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

週末になると、毎回恐ろしいほどの
ダイレクトメールが入る。

本日も30以上のメールが一気にスマホに届いた。
ほとんどが、ネットのショッピングサイト!

最近、なんとかペイじゃないけど、
カードでネットショッピングしてるからだろうね。
デジカメもネットで買ったし…。

いやそれより、

引き落としの時が恐い




馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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『阿波徳島』その20 徳島城 鷲の門~数寄屋橋

2019-05-16 16:38:45 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

庭園を出たのが16時45分。
バスの出発まで、あと一時間、
駆け足で徳島城跡を巡ることになりました。

『国史跡徳島城跡』

蜂須賀正勝が四国攻めの功で阿波一国を秀吉から拝領。
子の家政に与えて、一宮城に入った。
しかし、秀吉の命で急遽新城を築くことになり、渭津の山城と山麓の寺島城を合わせて、渭山城(いのやまじょう)を築城、徳島城と改名した。
築城の手伝いとして小早川隆景、比叡山の僧、長曽我部元親などが動員された。
元親、悔しかったのでは?

『鷲の門』

徳島城の建物は明治維新ですべて壊されたが、唯一残されたのが、鷲の門。
しかし、徳島大空襲で焼失。
現在の門は復元。

門を入った所が
『三木曲輪』

城の南側に位置して、堀と川に囲まれてるので馬出のような役割があったようですな。

『下乗橋』

この橋で、藩主以外はみんな馬を下りた。

現在は花崗岩の水平橋だが、その前は太鼓橋、さらにその前は木造の太鼓橋でした。

橋を渡ると

大手の枡形。

右の石垣は、割石と自然石の組み合わせ、


矢穴をわざと見せてます。↓

一方、
左の石垣は、整然として綺麗すぎる。

好き嫌いはともかくとして、ここだけ石垣が積まれた時期が違うのかも?

枡形を抜けて城内に入りました。

ここに黒門があった。

寺島川側(徳島駅側)に
『太鼓櫓』



太鼓櫓から博物館方向を見る
表御殿がこの広場にあり、藩の政務がおこなわれた。

今は市民の憩いの広場。

3月末なのに早くも花見されてました。

下乗橋と内堀


寺島川と徳島駅


博物館の東側へ。

左側は低い石垣、
右側は、石垣の上に土塁

土塁の上に登った。
良い子は真似しないように!
『屏風櫓跡』

土塁の上に塀と櫓があった

数寄屋橋が見える



その21へ続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

大津事件と言えば、

明治時代、大津市を訪れたロシア皇太子に巡査が斬りつけた事件。
日本の司法権の確立、三権分立を意識させることになった。

7年前、大津市内の中学生が自殺した。
いわゆる『大津いじめ事件』
いまだにいじめ事件があると必ず引き合いに出される。

そして、先日の
『大津園児死亡事故』
車が歩道に突っ込み歩行者を跳ねて死亡される事件は他にもいくつかある。
たが、園児が巻き添えをくらったということで、全国的に注目を浴びた。

おそらくこれから先も何か交通事故が起これば、大津事故が引き合いにだされるだろう。

というわけで、

大津三大事件

と、呼びたい!

て、こんなことで知名度が上がるなんて…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その19 寺町~徳島城

2019-05-12 21:45:26 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

16時00分。
寺町地区をあとにして急いで徳島駅に向かいました。

実はこの近くに,
泊まったホテルがありました。
阿波おどり会館に立ち寄れなかったのが残念。

「新町橋」

徳島城と眉山を結ぶ道の橋

一旦、徳島駅に立ち寄り
バスセンターで帰りの高速バスチケットを買った。
18時発のバスです。

そして、

16時26分。
『徳島城博物館』

入場は16時半までなので滑り込みセーフ。
なんとか、百名城スタンプ押せました。

続百名城はいくつか押してるが、百名城スタンプは今年初めてです。
これが、今年最初で最後になったりして…

館内の見学はあきらめました。

隣の
『旧徳島城表御殿庭園』国名勝
に入った。
茶人上田宗箇(うえそうこ)の築庭の回遊式。
有名な岡山後楽園や高松の栗林公園に比べるとかなり小さいですが、桃山様式を残す名園。
観覧料金は、50円也。

思わず、窓口のおばちゃんに
『安すぎじゃないの?』と言ってしまった。
我が近江県では絶対にあり得ない金額ですわ。


まずは、隣の博物館の横に置いてある品々。

「徳島城の鯱瓦」

明治元年に解体された時に民間に払い下げられて、博物館に寄贈された。

「井筒」

4枚の青石で組まれてる。
八百屋町の豪商松浦家に伝来し、寄贈された。

「石製天水桶」

石製は珍しいそうです。

では、庭園へ。

「枯池の自然石の橋」

初代藩主蜂須賀至鎮公が地団駄し、踏んで割れたという伝説の石。
緑泥片岩という青石。

確かに割れてます

「切石橋」

同じく枯池に長さ6mの花崗岩の橋。
桃山様式の庭園は橋を多用するそうですわ。


次に名前の無い橋を渡ると

「陰陽石」

築山の上にある。
子孫の繁栄を祈る。
髑髏にも見えるので、地獄を連想させるとか?
陰石の左側には、矢穴が残されてますな。

さらに奥へ

築山の頂上にあるのが
「観音堂跡」

藩主が暮らした御殿の鬼門(北東)の位置にあるため、観音堂を建てたそうです。



御殿方向を見おろす

また橋を渡る

ちょっと恐い橋


心字池


枯池

見学時間、約10分でした。


次はいよいよ今回最後の探訪の徳島城です


その20へ続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

朝ドラ、なつぞら。
前回のまんぷくが面白かっただけに

なんか、見劣りする。

草刈さんの演技は素晴らしい、
北海道の自然もいい、

それだけ…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

"
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『阿波徳島』その18 寺町地区

2019-05-11 06:18:39 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

徳島城下町、眉山の麓の寺町地区を歩いてます。

凄い数の寺が固まってますわ

敬台寺からさらに南下

15時28分
『安住寺』

左折する

四国のみち

細い路地をゆく

『滝薬師』

桜満開

滝薬師と言えば、
徳島名物
和田の屋「滝のやき餅」

徳島藩主御愛用の錦竜水の使用を許されて、藩主の御用菓子となった。
白、抹茶、ごま、
三種類それぞれを一個づつ注文した。
3つで275円也。

生物で、余計な添加物が入ってないので一日しかもたない。
なので、土産じゃなくて自分で食べるために買った。

ただし、手焼きのため、焼くのが追いつかなくてみなさん、出来上がるのを待ってます。
待つのが嫌な我が輩は、その間に滝薬師堂へ参拝することにした。

「白糸の滝」

店の中から撮影

「十士招魂之墓」

明治維新の時に徳島藩の洲本城代家老稲田家が独立しょうとした事件。
以前行った洲本城の資料館に詳しい展示がありました。
この騒動が無ければ、淡路島は兵庫県じゃなくて徳島県の管轄になってたはずです。
ちなみに、稲田家の家臣は北海道新ひだか町の静内に移住しました。
いつか訪ねてみたいですな。

石段を登る

『聖観音堂』

芭蕉句碑があります。

「しばらくは滝にこもるや夏のはじめ」
松尾芭蕉、四国はもとより九州など西国に行ってない。
なので、この句はここじゃなくて
栃木県の日光の滝で詠んだそうです。

15時42分、
和田の屋に戻り、桜を見てたら、

ようやく餅ができました。

先に徳島ラーメン食べたばかりだし、なによりも時間が無いので、
餅は帰りのバスで食べることにした。

「善福寺」★

「春日神社」

「願成寺」★

曲がり角に
『錦竜水』

眉山の湧き水。

滝の焼き餅にも使用されてます。
水を汲みに来てる人がいました。

ただし、滅菌してないので煮沸して飲め!と書いてある。

うーん…

「本行寺」★

明治2年から6年にかけて、明治政府によって配流された浦上キリシタンが最初に収容された寺院。
長崎からこんな遠い所に移されたのですね。
墓地に
「夕霧塚」

京都島原の遊女夕霧がここに埋葬されたようです。

徳島城が造られた時に、本行寺をはじめとして勝瑞城下町にあった20以上の寺がこちらに移されて寺町を構成された。

★印の寺が勝瑞城から移された。
前回紹介した敬台寺も★です


「東宗院」★

「東光寺」★

気がついたら
時刻は16時00分。

まだまだ行きたい寺社や史跡がたくさんあるが、ついに時間切れ。

急いで徳島駅に向かいました。


その19へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日、毎月恒例のひこにゃん城博物館に行った帰りに、
本屋で本を買った。

支払いして店を出たら、
店員が追っかけてきた。

本を受け取るのを忘れたから、
です。

またしてもやってしまった


最近、忘れっぽくなってきた、

認知症、

いよいよ、危ないぞ…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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『阿波徳島』その17 佐古駅~敬台寺

2019-05-09 14:17:43 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

勝瑞駅、13時40分発に乗り

13時50分、
『佐古駅』到着。

徳島城へ行く予定なので、徳島駅で降りるべきなのですが、
1つ手前の佐古駅で降りました。
少し城下町を散策したいと、思ったからです。
駅前に阿波おどりのモニュメントがあります。

南へ向かう。
『佐古川』の石橋を渡る
14時06分、
『諏訪神社』

桜満開です。

高い石段。

横に
「まよひご石」

迷い子石。
昔、佐古の祭りで迷子が多く出たので、その対策としてつくられたそうです

石段登りました。

午前中、かなり歩いてるのでこの石段キツかった

本殿。

桜を見ながら下る

いい花見ですわ。


14時19分、
天正寺の前。

この付近、お遍路道で、お遍路さん見かけました


眉山の麓を南へ向かう


佐古川

「臨江寺」

「佐古新橋」

阿波おどりが描かれてます
おどりの由来はブラタモリで初めて知った。

佐古川と棕梠

14時47分、
「三島神社」

こちらも桜満開、
ですが、
左手に、「中華そばいのたに」がある。

いのたに、と言えば徳島ラーメンとして有名な店。
店の構えはいたってシンプルだが、
中に入ると人がいっぱい。
さすがに人気のラーメン屋さんです。
まずは食券を買わねばならない。
が、機械オンチの我が輩、見てもよくわからない。
見るに見かねて店員さんが、
これは肉多め、これは玉子、
と説明してくれたが、
それでも理解できなくて、
結局、「中盛(550円)」というボタンを押した。
待たされるかな?と思ったが
ほどなくして、ラーメンが運ばれてきた。
噂に違わず、美味しい!



これなら肉増量や生玉子入りを注文すべきだった、と後悔する。

大いに気に入ったぞ!

もしまた来る機会があればまた食べてみたいです。

お腹膨れて元気が戻ったので、
町歩きラストスパート、
頑張る

15時10分
三島神社の狛犬

解説を読んでみると、河野通久が冨田庄(徳島)の地頭に任じられた時に、
伊予の大三島神社から神霊を迎えて三島神社を建立した。
その時の狛犬で、砂岩製。

なんか歴史の重みを感じます。

三島神社本殿。

来福寺

これより寺町地区です。

『敬台寺』

墓地を参拝する

「寺の名前となった敬台院殿の墓」

初代徳島藩主蜂須賀至鎮公夫人です。

墓を上がった所に
「灯篭」1662年。

毎月4日の命日に灯をともされる。
徳島城からこの灯りが見えるので、合掌したそうです。

「題目塔」

敬台院殿が建立。
徳島城下町を見守るためにつくられたようです




その18へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日、大津市でむごい交通事故があり、
園児が亡くなった。

どうやら右折車が無理して曲がり、直進車に当たったようです。
目測を誤ったのかもしれない。

そのとばっちりをくらった園児が可哀想ですね。

我が輩、毎週末街道歩きしてる。
歩道の無い場所がたくさんあり、危険な思いしてる。
歩道があると安心するが、
この事故をはじめとして最近の事故を見てると
決して安全では無いとわかった。

歩道も安全ではないなんて、困ったもんですな。

熊や虫に怯えながら歩く山城のほうが安全だったりして…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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『阿波勝瑞』その16 【 勝瑞城跡】

2019-04-25 16:52:34 | 阿波国の史跡
2019年3月31日(日)
二日目

"吉野川は、江戸時代に改修されるまで、旧吉野川が本流でした。
その支流として、中富川があった。

一向一揆の反撃のために惨敗した三好元長の死から約50年後、
1582年、十河存保(三好実休の子)が城主の勝瑞城に長曽我部軍が侵攻、
中富川をはさんで対峙した。
十河軍5000に対して長曽我部軍は25000。
善戦するも退却を余儀なくされて
勝瑞城に籠った。

吉野川が天然の堀で、しかも周辺は低湿地ということで、長曽我部軍なかなか攻められない。
長期戦となったが、秀吉の援軍を得られないので、ついに存保は城を捨てて逃げ、落城しました。

その後、勝利した長曽我部元親は四国を席巻したが、ご存知のように秀吉の四国遠征で、降伏することになります

館跡遺跡から



城跡へ向かう

十河存保が
防御に耐えられる城に改造した曲輪の跡ではないか、と推定されてる城跡が
『見性寺』に残されている。



門柱の文字がちょこちょこ消えかけてるが、
「西国守護三好長治公一族菩提所」と書いてある。

周囲に大きな堀があります。


水堀に囲まれた寺です。

境内に入る


これは、土塁に見えます。




回りこんで見ると
矢竹に囲まれてる。

矢竹の解説文




その外側にも水堀

勝瑞城の解説文


室町時代に阿波守護の細川氏が守護をここに置いたのが始まり。

1507年、管領細川政元が暗殺された。
1553年、三好義賢(実休)が謀反を起こし、阿波の実権を握る。
そして、
1582年、長曽我部元親が侵攻し、廃城となった。

中世は、山城が多いなか、
平地の城跡として貴重だという理由で、
2001年、国史跡に指定されました。

背後の低い土塁。

発掘調査では、
土塁の高さが約2.5m
幅は、上部で約14m

現状は低い土塁に見えるが、堀底からの高さは大きかったようです。


実はこの見性寺の城跡は、
長曽我部軍が迫ってきたので、城主の十河存保が防衛上あらたに築いた曲輪跡ではないか、と推測されてます。


『三好家霊廟』


合掌。

"『勝瑞義家碑』


解説文によると徳島藩の儒官、那波魯堂の筆蹟として貴重だ、と書いてある。
というか、勝瑞義家て誰や?
初耳なので、ネットで調べたが、さっぱりわからない。
三好義家のことかな?
と、思ったが、これまた不明。
三好氏系図にも出てこない。

で、よ~く見ると
義家じゃなくて、「義冢」

そうなんです!
しょうずいよしいえ、と読んではいけない!

【勝瑞義冢碑】
これが正解。
「義冢」、ぎちょう、と読む。
冢は、塚のことで、
無縁塚という意味。
つまり、勝瑞城に関わった人の無縁塚の石碑、なのです。

いやぁ、また一つ勉強になりました"



外から堀を見る"


"少し離れた所にあるshellの武田石油でスタンプ押しました。



徳島ラーメン屋さんの自販機

食べたいが、列車の時間せまってるのであきらめて、
近くのコンビニでパン買った


13時29分、
勝瑞駅に戻った。

それにしても、百名城の探訪で
わずか40分弱の時間で済むとは!

これまでの最短時間となった。

なんで、ここが百名城や!
徳島県には他にもっといい城跡ないのかい?

と、言われそうですが、

細川・三好氏の本拠の城という歴史的価値で、百名城に指定された、
と、理解しましょう…




その17に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

デジカメが壊れてからは、ずっとスマホで撮影してるが、

やっぱりデジカメが欲しくなってきた。

調べてると、目移りしてなかなか決まらない。

それにしても、デジカメはピンからキリまで、色々ありすぎ。

なによりも高い!

一眼レフならまだしも

普通のデジカメは、スマホの画像とあまり変わらないのに、 10万円ぐらいするものもある。

それを考えると、スマホは高い買い物ではないと思えてくる…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

先頃、ドコモが新料金を発表しました。

本体代金と分離したので毎月の料金が安くなると言ってますが、

ホンマかいな?

新料金になるごとに毎月の支払い金額が増えてるんですが…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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『阿波遠征』その15 勝瑞館跡

2019-04-24 16:34:04 | 阿波国の史跡
2019年3月31日(日) 二日目、

午後は再び阿波国の探訪。


12時29分
『勝瑞駅』到着。


ここは、板野郡藍住町。
旧吉野川と新吉野川に囲まれたデルタ地帯にあり、
山がない平地の町。
前日探訪した府中町は吉野川を挟んで南側に位置する。
現在は、徳島市郊外の住宅地として発展してるが、
昔は細川氏、三好氏の本拠となった土地で、『勝瑞城』がありました。


『史跡勝瑞城館跡』


解説文

三好氏の居館跡で、16世紀中頃から拡張され、最終的に幅10mを超す大規模な濠で区画された複数の曲輪からなる城館となった。
また、池泉庭園と枯山水庭園の2つの庭園があり、三好氏の優雅な生活を想像される。



現在も発掘調査中です

「濠・礎石建物跡」


主とく丸、古松丸という名前の硯が出土している。
曲輪の名前か?それとも人名か?


橋がいらないほど低い濠です


三好一族の物語が、漫画で描かれてます。

この漫画、なかなか面白い。
三好元長(三好長慶の父)を通じて戦国時代の歴史を学ぶにはもってこいです。







一向一揆の反撃で惨敗し、元長は亡くなりました。

復元された礎石建物



解説によると、会所の跡だとか?
枯山水庭園

現在は、とにかく大きな広場。

将来、発掘調査と整備が進めば、
遺跡公園として人気が出て、たくさんの人が訪れるのでは?"

その16に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
某Twitterで紹介されてたが、
京都市内は、
地下鉄の環状線があれば、
観光に大いに役立つと思う。
路線バス路線が充実してるけど
道路渋滞するし、バス便を増発しても観光客をさばききれない。
地下鉄環状線、つくってほしいですな。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪




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【ラジ耳】グラマー

2019-04-19 14:28:43 | 阿波国の史跡


"『NHK総合ラジオ』

若い男の子が、
「オレ、グラマー!」
と、言ってる。

グラマー?

太鼓を叩いてるヤツ

いや、それは、

ドラマーや!

広辞苑へ。
【グラマーgrammar】
1、文法
2、文法書。文典
Φ(*^ひ^*)Φ
そういや、英語の教科書にグラマーがあった。
懐かしいッスね。
現在進行形、過去進行形、ややこしかったな。

この男の子は歩く文法かい!


再び広辞苑へ。

【グラマーglamor】
女性が肉感的なからだつきで、魅力があること。
Φ(*^ひ^*)Φ
そうそう、我が輩も最初はこれだと思った。
ボインボインですわ💓

ボインの男の子って?


違うよね。



実は、このグラマーとは、

インストグラマー

ことで、

略して

グラマー



ビックラマーや!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

早速、我が輩もインストグラムに投稿してみた。



讃岐国、引田城から引田港を見た動画


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

これで、我が輩もグラマーや!


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その9 阿波国分尼寺~観音寺、1日目終わり

2019-04-12 16:39:37 | 阿波国の史跡

"2019年3月30日(土)

16時46分、


考古資料館から矢野城跡を見る

資料館の枝垂桜
時間が遅いので、資料館見学はパス。

北上すると分岐あり。


右へ行けば16番観音寺ですが、ちょこっと寄り道

左方向へ。

石井小学校尼寺分校

向い側に、
『阿波国分尼寺跡』国史跡


全体看板



石碑

史跡整備をされてます。

講堂跡




南の金堂方向を見る

国分尼寺跡はなかなか残ってないだけに貴重。
建物の復元も何もないけど、我が輩はこの風景好きです。
立ち寄って良かった。

そして、

17時21分、
『四国霊場第16番札所観音寺』


入母屋の楼門が威厳ありますね。

本堂

境内に


阿波国総社八幡総社

以前述べたが、
阿波国府跡の場所は不明だが、
先程の尼寺からこの観音寺付近にかけて、では?
と推測されてます。

わずかですが、13番~16番まで四国巡礼しました。
少しはご利益あるかな?

『大御和神社』


「府中の宮」と呼ばれてた。
阿波国の中心の神社だったのだろうね。

17時42分、


府中バス停。

17時49分、
府中駅


これにて1日目の探訪終わり。

現在、徳島県の中心地は徳島市ですが、古代から戦国時代までは
この府中付近が阿波国の中心地だったわけで、四国霊場が集中してるのもその証かな?

これで、古代阿波国を制覇した!
と、言えるのでは?

この後、徳島駅に戻り、
駅の飲み屋で晩御飯食べた。
正確には、ビールとツマミだけだが…

駅前の郵便ポストの上に阿波踊り像。

雨が真剣に降りだした。
ホテルは眉山の麓にある。
傘さして歩くのはイヤなので、
ホテルからこのポストまで迎えに来てもらった。

今までいろんなビジネスホテル利用したが、送迎OKのホテルは今回初めて。

嬉しかったのでホテルの会員になりました。

本日、30444歩、約20キロでした。


二日目に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

失言で辞任する大臣が続出ですね。

実は耳が痛い。

我が輩も今まで失言のためにどれだけ失敗したことか!

十数年続けてメルマガも廃刊することになってしまった。

私生活でもいろいろあった。

そんな我が輩が言うのもなんですが、


日本人は、あら探し、しすぎ!

島国根性や!

また、叱られるかな?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"

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