彦根市の聖泉大学の無料公開講座が開催されてます。
メールで申し込めば、
YouTubeのURLが送られてくるのでスマホで見ることができます。
小谷城と虎御前山城の縄張りについて県立大学の中井教授が解説されてます。
聖泉大学は、看護師養成機関だと思ってたので、このような講座があるのは驚きでした。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2019年8月17日(土)
長浜城跡で、秀吉時代の石垣が発見されたという報道があり、
その現地説明会が開催されたので暑いなか、出陣しました。
場所は長浜駅西口『豊公園(ほうこうえん)』
公園に入ると檻があります。
サルが2匹います。
暑さのためか?1匹はダウンしてます。
なんでサルを飼ってるのかよくわからないが、
秀吉のあだ名が猿という逸話にちなんで、という人もいます…
すでにたくさんの人が集まってました。
普通の土日は、ボケモンGoをする人でいっぱいなのですが、今回は蹴散らしたぞ!
というか、あの人この人その人この人あの人、相変わらず見知った顔ぶれが何人もいるので、目を合わさないようにしてました。
て、我が輩は逃亡者か?
今回の発掘調査は、あくまでも豊公園を整備するための試掘調査。
長浜城跡の調査ではないので、極めて限定的です。
昭和44年に第1次調査がされて、
湖岸に向かう石垣群が発見されていて秀吉時代以後の石垣と推定されてます。
この延長線を伸ばして推定したのが
図の青線。
本丸と思われる青線上の9ヵ所を設定して発掘した。
しかし、思わしい結果が出なかった。
そこで、
【調査区1】
図を見ればわかるが、推定線から外れてる。
たまたまここを掘ったら石垣遺構が出てきた、という。
つまり、本丸推定線はどうも怪しいですね。
8個の根石が連なっている。
ひときわ大きい石が1つあるが、これは二段目の石垣。
散らばってる小さな石は石垣を裏込めする栗石。
で、たまたま東端で南に石列が折れ曲がってる場所も確認できた。
うまいこと,
コーナーを引き当てたものですな…
石材が不揃いで、矢穴技法が用いられてないので、城主だった秀吉~山内一豊時代に築造された石垣ではないか、と推測されたわけです。
そんなわけで、本丸はもっと東へ拡大してるかも?
という見解でした。
ただし、この遺構が本丸跡なのかどうかはわからないけど…
博物館前から天守台跡へ移動する
【調査区5】
こちらは、現在秀吉像が建ってる推定天守台跡の南下付近。
巨石なので、天守台石垣の一部かな?
と、思われるが、イマイチ不明…
説明が終わり、大正時代に積まれた石垣を見学したら、
『矢穴』の張紙が設置されてました。
今回の説明会のために急きょ表示したようですな。
この石垣は、その辺に散らばってた石を大正時代に適当に積んだもので、秀吉時代当時の石垣そのままではない。
積み方はデタラメだが、石そのものは長浜城のいろんな時代の石だというのは間違いない。
最後に、太閤井戸。
実は太閤さんとは全く関係ない。
近世以降の農業井戸跡だそうです。
以上おしまい。
暑いので早めに退散しました
馬《●▲●》助ヒヒーン♪