馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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【白鳥越え】その3、夢見ヶ丘から一本杉西城

2021-03-27 23:29:00 | 街道歩き
2021年2月28日

11時35分、夢見ヶ丘展望所でトイレ休憩後、再び東海自然歩道に戻りました。


この夢見ヶ丘にはいくつか砦跡があるのですが、ここを探索してると日没までに京都へ下山するのが難しくなるので、今回は断念しました。


山の北斜面に整備されたジグザグの登山道があり、下ると川沿いの分岐に出ます。



この川沿いの道が本来の白鳥越え道で、この道を取り巻く山々に砦が築かれたのだと思います。
川沿いの道を西へ向かう。

小橋を渡り、ここから再び急斜面を登る。


この階段がキツかったです。

12時12分、山頂の分岐に到着。

京都府と滋賀県の境です。
ここで昼ご飯にしました。
急な階段を登って汗だくになったが、座ってると汗が冷たくて寒くなってきたので、休憩もそこそこに再び歩くことにしました。

すると、京都側から歩いてきたハイカーに出会ったのでこの先のルートをちょこっと教えてもらいました。
壺笠山からここまで誰も歩く人いないが、京都側に入るとさすがにハイカーいます。
京都一周トレイルに比叡山周辺ルートが入っていて登山道も整備されてるので人気のようです。

少し進むと比叡山ドライブウェイのゲート、


「延暦寺」碑。



ホテル横の道を進むと、

ドライブウェイ展望駐車場。

ここの眺望は素晴らしい。



府県境に位置するため、京都市内と大津市内を眺めることができます。

ここでハイカーグループが昼休憩してました。
13時00分、「一本杉」


この先に潰れた寮のような建物があり、立入禁止の鎖があった。
他の道を探したが見当たらない
ルート図ではこの建物の横を通ることになってる。
なので、建物横の道を入りました。
廃墟の建物を抜けると「比叡山テレビ送信所」。




この横を抜けると尾根筋を下る一本道の坂あり、滑りやすいので慎重に進んだ。
というか、この付近に城跡があるはずなのに見当たらなくて心配になった。
すると突然、城跡の遺構らしき景観が現れました。

13時18分、「一本杉西城」
主郭の北側を登山道が通ってます。
何も看板ないので、興味のない人は城跡だと気づかないと思います。
残念ですね。

概略図を書いてみました。
おおざっぱで申し訳ない。

主郭は2~3段になってます。



帯曲輪があり、その下の東南から西の斜面にかけて無数の段曲輪群があります。


中央に竪堀のような広い落ち込みが…



普通なら段曲輪群を降りるのだが、ここはパスしました。

主郭の西側の南に枡形虎口があります。

西下側から大手道があったのかな?

枡形虎口の西側に堀切があり、その向こうは数段の曲輪があり、西尾根との間の谷部を登山道が降りていきます。

西尾根は細長く、四角い段曲輪群が連なってる。
ただし、削平地がぐちゃぐちゃ。
綺麗な段曲輪が風雨による経年劣化で荒れてしまったのか?猪などの獣が荒らしたのか?
それとも単なる自然地形だったのか?
ホントに段曲輪群なのか?
初心者マークの我が輩には判別できません😥
ハイカーが登山道を降りて行くなか、我が輩は土塁上の歩きにくい段々曲輪群を南下しました。

あのオッサン登山道を行かずに何してるの?
と、思われてただろうな…


今回のルート図

なお、一本杉西城へは車なら一本杉展望駐車場から徒歩約10分ほどです。


その4に続く



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【白鳥越え】その2、白鳥山砦~夢見ヶ丘

2021-03-20 10:56:00 | 街道歩き
2021年2月28日

10時22分、壺笠山城から西へ白鳥越えを進む。


その途中で寄り道。
【白鳥砦】
壺笠山城の西の出城と考えられてる。

尾根続きを西へ向かうと大岩あり。

一騎駆けの道、いわゆる馬の背道を進む。

この付近に竪堀?自然地形?があります。


主郭を含めて3段曲輪。


↑概略図。
土塁、堀切は見当たらなかった😥

で、先人は南の尾根筋を降りて白鳥道を進まれたようだが、
我が輩は恐くて降りられなかった。

なので、壺笠山方面へ引き返し途中の分岐で斜面沿いを横移動。
道が無いので極めて危険、こっちのほうがもっと恐かった。
しばらく慎重に移動しつつ下ると
傾斜面の樹林地帯に出た。

やむなく再び適当な所から斜面を登ると、ようやく犬走りのような道を見つけて、これが白鳥道だと確信しホッとしました。

こんなとこで迷子になり滑落してたら笑い話にもならない😥
YAMAPアプリ様様です。


尾根と尾根の間の馬の背のような道、両側は崖


読めないけど、……結界跡と書いてある。
比叡山の修行場に入ったのかな?


険しい岩場を進む。
危ないです

次の山の尾根、

この付近、土塁付き削平地あり。
とりあえず、「御輿山砦」跡ではないか?だと思いました。
そもそも、白鳥山砦と御輿山砦は別物なのか?よくわかってない
単なる自然地形だと見えなくもない。
場所も若干違ってるかも?


東海自然歩道の標識。
ようやく整備された道に来ました


木の柵があるので安心安心
いつか東海自然歩道を東京から大阪まで歩いてみたいと思ってるのだが…


平地に出ました


東京自然歩道から少し寄り道

「夢見ヶ丘展望台」
比叡山ドライブウェイの展望台です。

大津市市街地を見てます。
この日は、びわこ毎日マラソンが開催されてました。
今年が最後の大会です。
凄い記録が出たそうで、生で見たかったな。

唐橋駅を9時に出発し
11時35分、展望台到着。
ここまで2時間35分かかりました




その3に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先日、三木城へ行くために
青春18きっぷでJR元町駅下車。
地下の神戸高速鉄道に乗り換えるのだが、表示が見当たらない。
うろうろしてると
阪神電車への案内板を見つけた。
で、そちらへ行ってみると神戸高速鉄道の改札口があった。
ややこしいではないか!
田舎者でもわかるように阪神電車と神戸高速鉄道の両方の案内板をJRの駅に設置してほしいものです。
この後、新開地駅で乗り換えて恵比須駅まで行きました

今思うに、三ノ宮駅から恵比須行きのバスに乗ったほうが簡単だったかもね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が市内の繁華街で感染者が増えたために飲食店の組合が自主的に地域全店の休業宣言を出しました。
これを受けて、市は毎日2万円支給することに決めた。

飲食店としては、風評被害で壊滅的な打撃を受けるのを防ぐために早めの対策を決断したようです。
ま、開店していても人は来てくれないのでやむを得ず、
ということでしょう。
そして、暗に「なんとかしろ!」と市に訴えたに違いない。

なにもしないことで有名な現市長にみんなほとほと困ってるから実力行使に及んだのかもね。




馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【白鳥越え】その1、壺笠山城へ

2021-03-12 22:58:00 | 山城国の史跡
2021年2月28日
近江国、滋賀県は山に囲まれてる。
県外へは必ず峠越え必須。
昔の人は、武将も天皇も近江商人もみんな歩いて険しい峠を越えたのです。
近江から京へはいくつかルートがある。
山中越えや途中越えは車で抜けたことあります。
旧東海道の逢坂越え、小関越え(大津→山科)はすでに歩きました。
今回は念願の白鳥越えに挑戦しました。
その経過をちょこっと紹介します。

白鳥越えは大津市の穴太と京都市の北白川を結ぶルートで、元亀争乱(織田VS浅井朝倉)の舞台となり、たくさんの砦や城が築かれた。
明智光秀は、坂本城と丹波を往復するのに白鳥越えを頻繁に通ったのではないか?と我が輩は考えてます。

9時00分、JR唐崎駅スタート。



住宅地→踏切を越えて

9時12分登山口。
奥へ進むと土塁下の堀底のような道があり、いきなりテンション上がりました。


ちなみに前回、壺笠山に向かった時は京阪電車穴太駅から川沿いの車道を進みました。
今回のルートのほうが古道の雰囲気あるけど、当時の道かどうか?わかりません。



途中から堀底道消滅。
鉄塔までは獣道もなくほぼ直登となりました。
YAMAPのアプリが無ければ、おそらく長時間の彷徨を余儀なくされたと思う。
この時、四ッ谷川沿いの林道を進むべきだったと後悔しましたよ。

鉄塔から先は緩やかな尾根道になります。


そして、
9時45分、壺笠山城登山口に到着。

相変わらず、案内版も何もありません。

目印のリボンの付いた木は倒れていて、交差する林道も荒れてるようでした。

ここも直登しました

10時10分、主郭。

なんと!解説と縄張り図がありました。



前回は壺笠山の看板だけしか無かったはず。

元亀争乱では、信長の宇佐山城に対して、浅井朝倉軍が壺笠山に砦を築き陣を敷いて睨みあった、と言われる。

前回、内部は藪だったが今回は比較的見やすくなってるが、この城跡の魅力は帯曲輪です。



折れ曲がりの虎口・石垣など、古墳を利用した造りがナイス。
帯曲輪の下にも随所に段曲輪と石垣の痕跡が残ってます。

とはいえ、今回は京都市まで山越えの長距離移動なので、時間に余裕がない。
城跡遺構は適当に観察して、西側の白鳥越えの道へ向かいました。


その2に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の椿。
暖かくなって一気に咲きました






馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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伊賀【川東の館城群】春日山城、丸山城

2021-03-01 23:30:00 | 伊賀国の城跡、史跡
2021年2月21日
大和街道歩き。

新堂駅から約3キロ南の川東地区には、たくさんの館城の遺構があり、
土塁に囲まれた民家が散在する。

春日神社の駐車場に車を置き、見学した。

館城は、
現在も居住されてるので、民家の土塁の外側をチラッと見て歩いた。

いやぁ、これは国の景観地区として指定すべきじゃないの?
と思った。

↑図の大深氏館と田中氏館は逆かな?
と、管理してるオジさんがおっしゃってた。

この館城群を見て回るだけで1日潰れるかも?
でも、不審者と間違われそうなので、オススメはしません。


川東地区の城跡としては、
春日山城、壬生野城、丸山城がある。



【春日山城】

神社の背後の山頂。
社殿改築中のためこの横から登れない
なので、東側の裾野付近から適当に尾根伝いに登った。

しばらくすると、土橋が現れて、右側のみ大堀切。

いわゆる片側土橋。

土橋を渡ると帯郭→主郭に。

主郭の北側には藪になってるけど横堀がありました。
この堀底藪を端から端まで移動すると
先ほどの大堀切の手前に行きついた
もしかすると、大堀切に繋がってたかも?
南西側はちょこっと段郭群あり。

で、西側へ下山しました。


伊賀の特徴ともいうべき土塁囲みの曲輪ではなかった。


【壬生野城】
川東公園の裏側にある。

有名なので、詳細は省略。

綺麗に整備されていて、見学者もちらほらいました。

導入部の堀に枝草が積まれてる。

地元のオジさんが、土塁斜面を整備されてる。

「この高い土塁を見てもらうために刈ってる」とおっしゃった。
いやぁ、感謝感激。
丁寧にお礼を言いました。

↑主郭の畝土塁群は他では見られない貴重な遺構だから、誇ってください、
と、持ち上げておいた。
オジさんが言うには、
この城は本来、清水城、清水砦と呼ばれていて清水氏が築いたのです。
後に偉いさんが地名の壬生野城と名付けた。
と、教えてくれた。
伊賀甲賀の城跡は◯◯氏城という名称が多い。
この城も清水氏城と呼ぶべきなのでは?
さらに、オジさんが言うには昔、堀を整備したら、砲弾が出てきたそうです。
信長が伊賀を攻めた時にはまだ大砲は無かったはず。
だから、もっと後の時代に戦乱があったのかな?
という見解でした。
うーん…




【丸山城】
こちらは登る予定してなかったので何も事前の下調べ無し。
館城群を巡ってるうちに衝動的に登ることにした。

農作業されてる人に聞いてみると、昔は石垣もあったが、今はひどい竹藪になってる。
でも、せっかく来られたのだから、見てもいいよ。
と、おっしゃったので、
お言葉に甘えて入らせてもらった。

電気柵があるが、低くなった部分を跨ぐ。


祠を過ぎると、確かにひどい竹藪。

普通の人なら退散するはず。

我が輩は、土塁の上に登ったり曲輪の中を探索してみた。

怪我しそうな藪で厳しかった。
探索の結果、
ちょこっと概略図を書いてみた。

極めておおざっぱですが、
西側以外は土塁に囲まれてる。
祠から繋がる南側が虎口と思われる。
虎口から内部へ堀底のような窪んだ道が浅く残ってる。

土塁の外側を調べるべきだが、とても無理。
あきらめて退散しました。





Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家の紅梅、
ほぼ満開となりました



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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