![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e9/b92afa73d2043228a0aa809c004cdf03.jpg?1737933662)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c8/cc205c8e3e601c6fa6bb32f45ab9b6e7.jpg?1737933766)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/6a/910121925b7d015e6b3214cf79f49504.jpg?1737933926)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/f64e879a9a189148d646f5412e2844d5.jpg?1737934075)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/8c/b5889cc25f5d7d80ce4897ac270372e2.jpg?1737934114)
これ見たさに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/41/856f1eed80785843e9d63018442cb81c.jpg?1737934179)
一旦下山して百名城スタンプget
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/6d/faee93794b052b92e5f8dc53d8debdc5.jpg?1737934295)
2009年に松坂城をスタートして15年
現在、200名城となったので全部押すのはほぼ無理…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ab/e083734a037e1dad746ff1d9392b3b73.jpg?1737934499)
三の丸から二の丸との間土塁交差点から西の丸へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/75/172fdaa78fd559169483f90c97c1b4ae.jpg?1737934588)
西の丸は障子堀に囲まれてる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/20/c1d3a6474cca226974e0cb6b8f2a89b9.jpg?1737934733)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c8/fe4e4005e76cdf1e261cea19fde5e29f.jpg?1737934744)
日没が迫ってるので、そろそろ退却しなければならぬ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/bd/bf3affa1ef2ec342d6b2cc277edc3e11.jpg?1737935122)
土塁囲みの見張台。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/64/1a34a2757db9e368168c732da0263d03.jpg?1737935265)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/86/1feeaee9b64dc2b96c8d84bed88dfa6a.jpg?1737935291)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a7/cc523b6fefc2abc1625c80f9c81b8789.jpg?1737935303)
今回時間切れで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/cc/6a63f4f6ec9f97bfd8895996415a1fb7.jpg?1737936821)
いずれ、旧東海道歩きで箱根越えをするので、その時までの楽しみとして残しておきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/1b/33f69fcaad7f39de27957a838af2c5f8.jpg?1737937043)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/57/13cc27c663342abeb3ce1a81ae7b3a0f.jpg?1737937345)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/67/631aa1934a56aeeb8ad8245823728215.jpg?1737937345)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/4e/91f49bd47d9fc7d8f99a4636dbb04bb8.jpg?1737937345)
お城に関しては、純粋に城攻めだけ、と
街道歩きの寄り道、の二通り。
さらに、史跡巡り関連の山登りというのもあった。
【日本百名城・続百名城】
2月に愛媛県遠征をした。
2020年唯一の長距離遠征でした。
◆一日目、晴れ
宇和島駅
「河後森城」
伊予と土佐の県境。宇和島駅からバスで行きました。
途中に祖父の故郷がある。つまり、稀少な我が姓のルーツの地。ようやく来ることができた。そういう意味で感慨深いものがあった。
城跡はよく整備されていて見ごたえあった。
松丸駅前の足湯
再び宇和島駅に戻り、
沿岸防備の幕末砲台後
寄り道したために遅くなり、
「宇和島城」
夕方になったため必死で天守まで駆け上がった。
途中の高石垣をじっくり見なかったのが残念無念。
閉館間際の天守に入れてもらってスタンプ押した。
この後、一旦城の外に出て博物館など史跡見学して再び戻ったら城が閉鎖されていて、ロッカーに入れておいたバッグを取り出すことができなかった。
↑入口の門内のロッカー
翌朝、取り出すことできたが、もし宇和島のホテルに泊まってなければ悲惨な事態になってたと思う。
ホテルでは胆石症が再発してのたうち回った。
結局、宇和島城は苦い思い出となった。
祖父の故郷に来たのに墓参りせずに通過した罰だったのかも…
◆二日目、雨降り。
「大洲城」
ロッカーは駅じゃなくて、駅横の観光案内所にあります。
城下町巡りしてるうちにようやく胆石の苦痛から解放された。
城下町と川沿いの景色がナイス。
近江聖人と言われる中江藤樹ゆかりの場所もいい。
「湯築城」
午後は松山市へ移動。
道後温泉の湯築城へ。
実は昔、ここに来てる。
その時は城跡とは知らず、公園のトイレを借りただけだった…
道後温泉前の一六タルト店で、天ぷらタルトうどんを食べた。
これがこの日、唯一の食事でした…
道後温泉本館は凄い行列で、断念。
コロナ禍の今はガラガラだとか?
◆三日目、晴れ
「松山城」
昔来た時はローブウエイを利用したが、今回は東側から歩いて登城。
↑竪石垣を見るために二の丸まで下山して、再び登り、天守を見てまたまた竪石垣を見て下山した。
天守は開館前から行列できてた。
「今治城」
午後は今治へ移動。
天守だけでは物足りないので、少しだけ城下町探索した。
能島城へも行きたかったが時間切れ。
今治駅から路線バスで福山駅へ行き新幹線で帰宅した。
愛媛県の百名城スタンプは残り1つです。
この他に西国街道歩きの時に芥川山城のスタンプを押したので、
2020年の百名城スタンプは、合計7つだけでした。
コロナが早く終息してくれないと、これ以上スタンプが増えない…
その2に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2019年3月17日(日)
本丸の解説看板
「1346年、橋本正高が城の整備した」
橋本正高は、楠木正成の一族。
南朝方の城となったようですな。
「城域は出ノ丸として隣接する泉佐野市の城ノ山にまでおよび、紀州と泉州を結ぶ粉河街道を押さえる山城として戦略上重要な城」
城ノ山は、土丸城のこと。
2つの城は1対ですな。
紀州の根来衆は、この街道を越えて九条家の日根野荘園を侵略しにきた
のだろうね。
主郭の西の下の曲輪
再び関空方面を見ると雲行きが怪しくなってきた。
時刻は15時32分、
そろそろ下山しなければ!
千畳敷の横の道を下る
町石がある。
登山者にとってこれは励みになります。
『竪堀&土橋』
北からの侵入を防ぐ
その先に鳥居
二町
馬場跡の先端に休憩所
一気に下る
15時53分、
麓の池。
無事に下山できました。
実はこの途中で、
若いカップルとすれ違った。
女の子は普通の靴で、どうみても登山姿ではない。
しんどいようで、男の子が引っ張ってる
。
というか、もう夕方なのに登るとは!
大丈夫かいな?
しかも、雨がポツポツと降り始めてるのに。
国史跡土丸・雨山城跡の看板。
下山した登山道は楽チン。
熊取側から登るのが安全で楽です。
雨山を振り返って、見た
成合口バス停から南海バス(一時間に一本)に乗り熊取駅へ帰りました。
ちなみに、途中に野球で有名な
浪商高等学校がありました。
大阪体育大学の一貫校のようです。
ドカベンの香川選手、若くして亡くなりましたね。
Φ(*^ひ^*)Φ
九条公の現地屋敷があった大木地区へは時間的に無理だったので、
またいつか日根野に来たいと思います
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
泉佐野市といえば、豪華なふるさと納税が有名。
しかし、政府に睨まれて、
今回の特別交付税が大幅にカットされた。
ペナルティーではない!
と、国は言ってますが、
どうみても、
泉佐野市への当て付けですな。
国の言うことを素直に聞け!
というわけですわ。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2019年3月17日(日)
13時53分
大きな看板が見えた。
ここは雨山城主郭の下の郭だ。
土丸城との分岐の表示は地面付近に小さな矢印板があるのみ。
左へちょこっと寄り道、
倒木の後ろに見えるのが、竪土塁かな?
イマイチよくわからない
再び看板の所に戻り右方向の斜面道へ。
上に
『井戸跡』
竹の覆いをずらすと、水があった。
さらに斜面を右手へ向かう
『月見亭』
向こうに見えるのは和歌山県方向かな?
すぐ下は崖だが、景色はいい。
月見亭の背後に細い空堀がある。
茂みでわかりにくい。
上に登った
『千畳敷』
ハイキングコースになってるので土丸城、雨山城の至るところにベンチが置いてある。
これは嬉しい。
「住民の森 熊取町」
土丸城は泉佐野市だが、雨山城は熊取町管轄。
左へ向かうと、
本丸休憩所。
ノートに記帳した。
本日、3組目ですな。
みなさん、グループで登ってる。
ひとりぼっちで登るのは我輩だけ…
こちらにも神社がある。
石製の祠。
ここが、雨山城の主郭です。
後編に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
九条政基公、慈眼院付近に宿泊した。
肥沃な日根野荘園を見て大いに満足するが、この付近は開けすぎてる。
何よりも和泉国守護細川氏の拠点の佐野地区に近い。
いつ寝込みを襲われるかもしれぬ。
屋敷の防衛上ちょっと心もとないため、
九条公は翌日さらに奥の大木地区へ移動し、居館を定めて本拠としました。
その大木地区へ向かう手前にあるのが、
土丸城、雨山城。
城跡も国史跡の日根野荘園遺跡に追加指定されました。
天気悪いので、躊躇したが
思いきって登ることにした。
2019年3月17日(日)
13時53分
阪和道の高架下。
すぐ横に左へ向かう道がある
しばらく進むと
14時03分、
土丸城への登山口
登山道が整備されてるが急斜面の連続で大変。
九条政基公が本拠とした大木地区を眺める
谷あいに、いい景観が残されてるらしいが、
残念ながら城に登ったために結局、
行くことはできなかった。
残念無念…
大阪湾方向を見る
溜め池群、
向こうに関空、
さらにその向かうは淡路島かな?
急に天気が晴れてきたのは良かったが、暑いのなんの!
大汗かいた。
平な場所に出ました。
いよいよ城内のようです。
14時29分、
神社がある。
『土丸城跡』です。
看板の説明書によると、
「天平元年(729)年、地元の豪族日根野氏によって築かれた。
同三年高師泰が…」
あれ?おかしいぞ!
高師泰は、南北朝時代の武将。
時代が合わない。
ネットで調べると、
正平二年(1347年)、北朝方の日根野盛治が築いて籠もったが、南朝方の雨山城と対峙した。
とある。
でたらめな看板や!
なお、日根野氏は守護側だったために九条政基公と対立した。
日根野氏は土丸城で大木地区を監視し、土丸地区には盛んに横領を繰り返したとか?
しかし、九条公は村人との強い連帯で、守護勢力や根来寺を排除し四年間、現地で荘園経営を守ったのでした。
主郭の背後に空堀と土塁があるが、
倒木が邪魔してます。
次に雨山城へ向かう
この先端から尾根道を降りる
一旦下りになるが、
また上りになる。
向こうに山が見える
登山道整備されてるが、険しい所もあるので注意必要。
そして、
14時47分、
看板あり。
雨山城への入口だ。
続く…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪"