馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

今年の漢字は、「重い」かな?、の巻

2024-12-14 00:15:00 | 日記

京都清水寺の管長さんが、重厚な筆の運びで認められた漢字は、
【金】
ですが、金と読めた人がどれだけいるだろうか?
今の若い人は、ほとんど読めないのでは?

くずし字は難しい。
我が輩、毎月一回ボランティアでくずし字の勉強のために登城して約10年になるが、いまだに読めない漢字が多い。
腹立つので、最近は金目鯛を買って食べてるわ。
て、金目鯛はくずし字とどんな関係があるねん?
実は、スーパーで安売りしてるのでたまたま買ってるだけですが…

それもこれも物価高と重税のために金欠病となり、金目鯛やアジの開きを食べるしかない、という始末なのです。

そのために
管長さんの漢字が
「重」と読めてしまう。

毎晩の晩酌のつまみは四分の一カットされた生キャベツなのですが、
ついこの間まで50円で買えた。
それが100円になり、今や130円まで値上がりした。
キャベツの葉っぱの重ね重ねを一つ一つ細かく引きちぎって時間かけて食べることにした。
年金生活では、節約の積み重ねをしてやりくりするしかないのですわ。

高値安定のお米、玉子、なすび、
もう満足には食べられない。

こんな世の中に誰がした?

いやはや…😭

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家のピンクのバラは
この寒いのに
狂い咲き?


イチジク、梨に次いで柿の木もバッサリと切り落とした。
もう果樹は食べられません…


キンモクセイ、ギンモクセイもかなり剪定した。

とりあえず、この冬の剪定は完了。

伊吹山に3回目の雪が降り、
いよいよ平野部にも雪が舞うようですよ。

あ~寒〜
剪定された木々とともに
我が輩も

独り身に
寒さが重く
のしかかる


馬《●▲●》助ヒヒーン♪









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いよいよ謹慎解除。ひこにゃんに年賀状を!、の巻

2024-12-09 09:05:00 | 日記
母が亡くなって四十九日となりました。
謹慎中といえども、時おり弔問者あり相続手続きあり断捨離もあり、相変わらずバタバタ過ごすうちに
少しづつ介護の日々のことが薄らいでいく。
一方で、独り身の寂しさは強弱は一定せず、時に任せるのみ、であります。

相続手続きと言えば、
土地建物は父が亡くなった時に我が輩が相続し名義変更し、所帯主になりました。これは母の指示でした。
今後の自身の介護のことを見据えてのことでした。

金融財産などは父から母へ全額移したので、今回はそれを弟と分割することになった。
ただし、土地建物を我が輩が先に相続してるので金融財産に関しては2分割じゃなくて、弟が優先的に相続するということで協議しました。
基本的に全額弟が受け取るべきだが、
親の介護をした我が輩にもその対価として少しお恵みを頂きました。

で、円満解決。
ま、最終的には我が財産はみな弟や弟の子供たちに受け継がれるので、弟家族にとっては文句無しですわ。

ところで、
その手続きで簡易書留を送ることになった。
郵便ポストに投函するつもりだったが、
書留に関しては直接郵便局の窓口で手続きすべき、だと言われた。
この歳になって初めて知ったとは、我ながら情けない。
親の庇護のもと世間知らずでぬくぬくと育った我が輩ですわ。

Φ(*^ひ^*)Φ
以前にも述べたが、父の兄弟は11人。
その半数以上が亡くなってる。
そんななか、一番下の叔父さんが亡くなったことが、先日判明した。
この叔父さんは隣町に住んでいて元気で仕事もしてました。
奥さんは癌で早く亡くなっていて一人住まいでした。
母の葬儀に参列してもらうために連絡をとったが、音信不通。
直接、家に行ったが不在。
結局、葬儀には参列してもらえなかった。
ずっと心配してたら、
癌で9月に入院したと寺の住職さんから聞いた。末期的症状だという。
そして、11月に亡くなったと静岡県の親族から知らされた。
叔父さんとはいえ、我が輩と年齢的にも近く家も近所なので頼りにしてた人だけに残念でならない。
というか、近くに住んでいても消息が全くつかめなかったのが、悔しい。
さらに叔父さんの子供、つまり従兄弟が全く連絡くれなかったのが解せない。
そのために弔問に行くこともできない。

近くに住んでるのに遠くの親族から死を知らされるとは…
なんか、いろいろと親族や人間関係について考えさせられた。
死んでわかる親族関係の強弱ですわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ひこにゃん宛に年賀状出しましょう。
彦根城入場券付き返信ハガキが届きます。
彦根城の入城料高くなったので、お得ですよ。


彦根インターチェンジから国道までの渋滞が緩和されます。
佐和山城手前のトンネルです。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪








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スールー諸島にて戦死す、の巻

2024-12-01 23:56:00 | 日記
相続手続きのために役場で母の戸籍謄本を取得した。
母の兄弟は長男と5人姉妹。
この長男は戦死しました。
我が輩の叔父になので、毎年墓参りしてます。

で、戸籍を見ると
叔父は昭和20年4月9日に比島スールー群島近海で戦死したと記載してある。

どこかわかりますか?
Wikipediaで調べたら、
フィリピンのミンダナオ島からボルネオ島にかけての南よりにスールー諸島があるとわかった。
さらに、「スールー諸島の戦い」があり日本軍が全滅した、とある。

経過は、3月16日に米軍がバシラン島(群島の一番北よりの島)に上陸。
4月6日までにはほとんどの日本軍が壊滅、4月26日までに全島が占領された。

叔父はこのバシラン島方面で4月9日に亡くなったそうなので、
船で移動中に撃沈されたのか、
島から逃げる途中に水没したのか?
近くの島で戦死したのか?
と想像されます。

終戦まであと4ヶ月でした。
生きておれば110歳か…

この叔父には2人の娘がいました。
亡くなった時、娘が恋しかっただろうね。

その娘の1人(いとこ)は岐阜市に嫁いだが、乳がんで10数年前に亡くなった。
老後になって自由の時間ができてあちこち遊びに行くわ、と楽しみにしてた矢先の病死でした。
クリスマスの日でした。

今年もクリスマスには墓のある美濃国分寺へ墓参りしなければなるまい。

このいとこは岐阜で苦労をしたせいか、気丈で頼もしい人でした。
なので、母は常々『老後はあんたに世話になるわ』と話してました。
それだけに早すぎる死に落胆、とても残念がってた。

結局、頼りにならない息子の我が輩が母の老後の世話をするはめになったわけです😥

世の中そんなに都合よくいかないものですね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

松の木の剪定をした。

スカスカにした


我が家のバラ

その隣のイチジクの木を
バッサリと伐った
どうせカラスと猿の餌になるだけだからもういいわ、
ですわ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪






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1ヶ月経ち気は休まったのか?、の巻

2024-11-25 08:40:00 | 日記
ご無沙汰してます。
本日からまたブログを再開します。

母が亡くなり、1ヶ月間自宅謹慎引きこもりしてました、
思い起こせば、母が緊急入院したのが5月中旬。
面会は1ヶ月に一回15分のみだったが、点滴だけなので次第に衰弱し
10月になると、病院から頻繁に面会要請が来るようになり面会時間も30分に延長してくれるようになった。
そして、5月20日には容態が悪化、病室で寝泊まりする覚悟で面会に行くが、それはダメと断られる。

5月22日朝、面会は1時間に延長してくれた。母は荒い息をしてました。
帰宅してしばらくするとまた病院から連絡あり、すぐに来いという。
慌てて駆けつけたが、残念ながらもう息は無かった。
それなら朝からずっと病室に居させてくれればいいのに、と怨めしく思った。
その後、弟が来るまでに40分ほどあり、
ずっと母の手を握って声をあげて泣きました。
病室は大部屋、人前で恥ずかしげもなくあんなに泣いたのはあとにも先にもこの時だけだと思う。

最後は衰弱というわけで、苦しむこともなく穏やかに息を引き取った。
92歳天寿全うしたのがせめてもの救いかな。

葬儀は内々で身近な親族だけ招いておこないました。
新聞にも公表してないので、自宅の弔問客も少なく、父の時のような慌ただしさをなく、静かに過ごしました。
それでも毎週法事があるので、気が張り、瞬く間に1ヶ月となりました。

昨日、親族集い5回目の法要=三十五日法要をおこないました。
我が宗派では三十五日法要が忌明け。

法事も一区切りつき、今日から普通の生活を送れます。
とはいえ、世間的には四十九日が忌明けと言われてます。
なので、あまり大っぴらに出かけるのも気が引けるので、あと2週間自宅謹慎閉門蟄居を続けることにします。
そして、この2週間で身辺整理、相続手続きなどの処理を済ませるつもりです。

で、12月10日を過ぎたら再び城跡、史跡巡りを再開しようと思ってます。

両親が亡くなり、完全な1人所帯になりました。
介護から完全に解放されたのが良いのか悪いのか?今は判断できない。
今後は頼れる親も無く精神的な不安定さを徐々に克服しつつ歩むしかないでしょう。
やはり、親の存在はあまりにも大きかったと実感します。
親離れできてないだけや、と言われそう。

忌明けしても1周忌までは喪中。
さらに1周忌に合わせて身辺整理に伴って計画してることがあります。
その準備もあり
まだまだ、気は休まらないかも…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ


我が家のモミジが色づいてきました
今年は紅葉を見に行くのは無理なので、
自宅での紅葉狩りです。

一句作った

忌あけたが
モミジ見ても
気はあけぬ

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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6回目の面会は覚悟した、の巻巻巻

2024-10-22 21:43:00 | 日記
5回目の面会からわずか2週間で6回目の面会となった。
その理由は、病棟の看護師さんから早めに来てほしいという連絡があったから。

今どうこうということは無いが、意識や反応が鈍くなったそうな。

で、慌てて駆けつけました。
母は揺り動かしても起きないほど熟睡(。-ω-)zzz
気持ちよさげ。
ただし、左手は相当なむくみが。
さらに今回初めて胸に心電図の電極のような吸盤が付けられてた。

看護師さん曰く、
呼吸が弱くなってるので。
モニター監視してるようです。

はっきりと言ってくれないが、危険な状態になりつつあるようで。
間に合わなかった場合に備えて、今のうちに最後の顔を見てほしい
という意味で、面会をせかされた
のだと思う。

いよいよ、覚悟せねばならぬ時が来た
と、
気を引き締めました。

次に病院から連絡があった時が最後かもしれない。

そんなわけで、
いつでもすぐに病院に駆けつけられるようにしておこねばならぬ。

実は秋から冬にかけて、泊まりがけで街道歩きや城巡りの遠征を計画してたが、すべて白紙に。
当分の間、県外へのお出かけはダメ。

粛々と覚悟して過ごす今日この頃であります😥


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

キンモクセイに引き続きギンモクセイも咲き始めた


柿は葉が落ち始め、実は熟してないのにわすか数個のみ。

今年は食べられないな😥

一句作った

柿食えぬ
キンギン香りに
酔いしれる

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
追伸、
本日またまた病院から緊急の連絡あり、
急いで駆けつけました。
なんとか症状が落ち着いてたので安堵したが、
しばらく一進一退を繰り返しそうで
気が抜けない状況です

10月21日
夜9時ごろ、連絡あり。
血圧が測れない状態に。
病室がナースステーションの近くに移動された。

10月22日、
9時
酸素量を増やしてなんとか93ぐらいに。
息が荒い。
母、目を動かしてるが、見えてるかどうかわからない
涙が止まらなかった😢

15時
母、やすらかに永眠しました。
老衰です。
92歳

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

当分の間、ブログ
及び活動は休みます

すみません

馬《●▲●》助ヒヒーン♪




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5回目の面会は医師の説明があった、の巻

2024-10-15 15:49:30 | 日記
母入院して5ヶ月経ちました
早いものですね。
初夏から秋へと季節が移る
我が家の栗、
大きくて美味しいのは猿が食べ、
その残り物を人間がおこぼれ頂戴する
という状態が通例になった。
隣近所にお裾分けしたら、
10個だけ手元に残った。
すぐに茹でて食べました

昨年までは母と2人で競って食べたのだが…

病室へ行くと、母は目を開けてた。
子や孫の写真を見せるとうなづくだけ。
わかってるのか、わかってないのか、はっきりと目が見えてるのか、
判然とせぬ。
看護師さんが言うには、「声をかけるといつもうなづくのみ」だとか。
とりあえず、反応があるという状態です。

ほぼ植物人間に近い状態なので、栄養点滴をやめて自然な往生を、というのが本人のためなのだが、

毎月14万円の入院費負担は家計的にも非常に苦しい(親の預貯金.年金を使えないので)のだが、

それでも
自分にとっては親が心の支え、
とりあえず生きていてくれればいい
という、親不孝な考えで、
申し訳ない🙇

医師の説明によると、
CT検査で左肩の瘤が大きくなってる。
より精密な検査をして良性か悪性か調べてもいいが、
仮に悪性としても今の状態と年齢的にもあえて手術する意味がない、
と言う。
確かに!

今回から手にはめたミトンが外された。
チューブを引き抜く心配が無くなったのだろう。
それはつまり、引き抜くほどの腕力も無いということか?

とりあえず、血色も良くて元気そうでした…😅

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
洗濯物を干すといい香りが

キンモクセイです。

今年も秋本番です

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





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ひこにゃん、合羽姿だった、の巻

2024-10-05 11:57:25 | 日記
昨日は、月に一度のボランティア登城日、
急ぎ馳せ参じると、
予定変更で登城罷りならぬ、との仰せ!

ありゃま!
足もと悪いなかを登城したのに、
家を出る前に伝令してくれよ…😥

ひこにゃんは、
雨でも毎日3回のお目見えを欠かさぬ

表御殿脇からのお出まし
一同、頭が高いぞ!
控えおろう!

足を斜めにしてポーズしたニャン

雨合羽姿は初めて見た!
兜の角も覆われてる
あの合羽、作るのは大変だろうな

雨で、城中の曲輪を見回るのも大変なので

ひこにゃんに別れを告げて
帰城したのであった👣


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家の庭の彼岸花
もう10月なのに、
父の月命日に咲いてるなんて、異常ですな。


我が家の柿。
カラスと猿が競い合って食べに来る、

熟す前に無くなってるだろうな😭


馬《●▲●》助ヒヒーン♪













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お彼岸と敬老の日のつぶやき、の巻

2024-09-22 22:55:00 | 日記
世間では三連休。
我が輩は母の介護から解放されて毎日連休の今日此の頃。

母が入院するまでは、
親の介護を必死に務める我が輩を見て隣近所の世間の皆様は、
『偉いねえ、大変だね、』
『男が介護と家事をこなすのは難しいでしょ!頑張ってね』
と応援の言葉をいただいてました。

しかし、介護から解放された途端、
人様の眼差しも変化、
『毎日仕事もしないでぐうたらに』
『あちこち出歩いていい気なもんだわ』
と、非難轟々、見下げられるありさま…

世の中、そんなもんですわ、

我が輩は我が道を行くのみ、
なんてね😅

Φ(*^ひ^*)Φ
敬老の日ということで
町内会様から

お祝いのお弁当をいただいた。
勿論、親に対しての祝儀です。

とはいえ、親は入院中で何も食べられない。
ので、我が輩が親に代わって食べさせていただきました。

5年間、介護を頑張ったご褒美と
思うべな。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
断捨離、親の身の回り品は一旦置いといて、
自分自身の服を捨てることにした。
サイズ73のズボンやサイズМの背広がたくさんある。
スーツを着ることはもうないし、
サイズ73なんて今や絶対に履けない。
この先、もし履けるとした骨皮筋衛門になった時だ。
しかし、20代まではホントに痩せてましたわ。

勿体ないけど、全部捨てた。
タンスが1本、空になりました。

あまり家の中を軽くすると、
台風で飛ばされるぞ!

てか?

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
親のお墓参りした。
彼岸花が咲いてません
彼岸に彼岸花が咲いてないなんて、
草葉の陰でご先祖様は嘆いてるだろうな…

とはいえ、午後から冷たい秋風が吹いてきました
いっきに空気が変わりましたよ

やっぱり暑さ寒さも彼岸まで、かな。

今夜は扇風機は無用なり


馬《●▲●》助ヒヒーン♪





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父の13回忌はやめた、の巻

2024-09-12 15:30:00 | 日記
今から13年前深夜1時過ぎ、
病院から危篤の連絡があった。
弟と母と3人で急いで駆けつけたが、間に合わず、すでに亡くなってました。

以後、9月5日が父の祥月命日。
1周忌、3回忌、7回忌は家族が集まり法要を済ませた。
で、今回は13回忌。
コロナも終息し、法事を行うべきだが、
母が入院中で、いつどうなるかわからない状態。
というわけで、今回は省略しました。

ただし申し訳ないので、読経に来てくれたお坊さんにはそこそこお布施をはずんだ。
母から何も教わってないので祥月命日のやり方もよくわからなくて、お坊さんから色々と指摘を受けました。

次は17回忌ですが、母が生きていれば、
という仮定のことで…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
母の面会、4回目。
母は15分間、ずっと熟睡してました。

看護師さんが、昼食を食べるように促したが、拒否されたそうです。
相変わらず、食事は一切とらない点滴だけの生活が続いてます。
寝たきりなので、栄養点滴でも充分のようで、血色は良かった。

両手のミットが外されてたが、これは面会中だけの措置かも?

酸素吸入の管も外されてた。
呼吸器系は改善されたのかもしれない

というわけで、寝顔を見ただけの面会となりました。


しかし、
昨日、病院から連絡あり。
CT検査の結果が少し悪い。
すぐにどうこう、というわけではないので、
後日、医師が説明する

ということ。

徐々に弱ってるようです😥

覚悟しなければ…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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台風とイチジクと断捨離

2024-08-28 23:33:26 | 日記

ヤキモキさせる大型台風、当初は水曜日頃に我が地方に来る予報だった。
それがどんどん遅くなり、今週末にやってきそうだ。

そんなわけで、今週は予定を全く組めない。
毎日、家で引きこもるしかない。

こんな時にこそやるべきこと。

それは、

断捨離!
両親が捨てきれずに残してある物が山ほどある。
押入れを開けるとこれでもか、というほど色んなモノが詰め込まれてる。

まずは燃えるゴミから始末する。
市指定のゴミ袋を40ほど買った。

紙類と衣類をどんどん放り込む
封の開いてないタオルやハンカチ、バッグなど新品は勿体ないが、心を鬼にして捨てました。
輪島塗の漆器は売れるかも?
と思うが躊躇してると先へ進まない

食器類、家電品など埋め立てゴミなどはとりあえず分類して後日処理するしかない。

グズグズする台風のおかげで、
とりあえず燃えるゴミはかなり捗った。
ま、まだ着物類など手につけてないモノもあるが、ヒマにまかせて進めるしかない。

というか、作業してるとどうしても罪悪感、心の痛みに襲われる

両親が大変な思いで残してくれた、と思うといたたまれない

断捨離は、申し訳ないという気持ちとの戦いと言ってもいい

ウ~ン…😥

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家のイチジク、今年は豊作
でも、母はもう食べられない。
我が輩1人では食べきれぬ。
なので、
隣近所にそのほとんどを分け与えた。

まだまだ熟してない実が木に残ってるが、もういい。

後は、カラスと台風が処理してくれるでしょう。

いっそのこと、
巨大台風が、家を潰してくれれば
断捨離の手間が省けるのだが…

たわけたことを言うな!
罰が当たるぞ

と、叱られそうです…😥

台風10号

もう十分GOだわ

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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