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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

我が大腸のチョウしは大チョウブか?、の巻

2025-04-13 12:29:40 | 日記

前回、人間ドックで便潜血陽性となったため、
今回はより精密に見るため大腸の内視鏡検査を受けた。

病院の桜

もう見納めかな?と思って撮影。

受付を済ませると、腸を綺麗にする薬剤と水を渡された。
半日かけてゆっくりと2リットル目標に飲め、という。

当然ながら、飲む度に下痢をする
という次第。
一つの部屋に2人、
もう一人は妙齢の女性、この女性と代わる代わるトイレに駆け込むという流れ、
今思えば、変な状況ですわ…

この女性は1リットルほど飲んで終了。
我が輩は2リットル全部飲んでOKをもらった。
お尻がヒリヒリして痛かった😥

そして、午後に
全身麻酔して内視鏡検査。
目が覚めたらまだカメラが腸のなか、抜く途中で、痛かった、です😭

その結果は、
ポリープが見つかったので、後日入院手術ということに。

普通の人はポリープがあれば、内視鏡カメラで削除、それでも取れない場合は入院して翌日に手術というのが流れ。

されど、我が輩の場合は
大きなポリープが2つ別々の場所に。

なので、後日改めて電気メスで手術ということになった。

医師の説明では、半年以内に切除しないとダメ、
と言われた(人生の最後通告か?)ので、来月入院の予約を入れました。

ポリープが良性か悪性かは、取ってみないとわからないけど、
常識的に大きなポリープはガンの可能性が大。
無事に切除できても傷が深い、別の場所に転移ということも考えられる。

そうなると、手術後はいよいよ療養生活となるかも?

というわけで、自由にお出かけできるのも手術までのあと一ヶ月かな?

充分生きたのでもう悔いはないけど、
来月また2リットルも飲まなければならないと思うと憂うつですわ😱


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の梨の花、



今年も綺麗に咲きました。
毎年、実はなるが全部落下して食べられない。
今年はかりに実がなって熟しても
我が身がその頃まで普通に生きてるかどうか…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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初めての人間ドックは、…?、の巻

2025-04-08 00:16:00 | 日記
古稀となり後期高齢者へ邁進する今日この頃、身体のガタを確かめるために
生まれて初めて人間ドックを受けた。

ちなみに病院に予約したのは1年前。
検査の日程は常にタイトのようです。

で、検査内容は通常の健診プラス癌検査。
肺はエックス線。
腹部はエコー検査。
以前に胆嚢摘出手術をしてるので胆嚢は無い。
どちらも特に異常は無かったようです。

胃は今回初めての胃カメラ。
バリウムは飲みたくないので胃カメラのほうが嬉しい。
喉の局部麻酔をして口から管を入れる。
痛くはないが、気持ち悪い。
全身麻酔にすべきだったと後悔する。

食堂にちょこっと問題あり。
でも、様子見ということです。
逆流性食道炎かな?よく胸が痛むことがあるもので…

胃は、『綺麗』『ピロリ菌無し』
ということで、問題なしと太鼓判を押された。
父が胃を摘出してるので心配したが、大丈夫でした。母の遺伝を受け継いでるのかもね。

ここまでは良かったのだが、
問題は下腹部。

尿に血。
便にも血。
予想通りの結果でした。

以前から血尿と血便があったし、腹痛も時々ある。

というわけで、
近日、再検査。
次回はいよいよお尻からカメラを入れることに。

ポリープが見つかれば即切除。

癌ならステージはいくつだろうか?

当日は入院前提で来てください、と言われた。

いよいよ年貢の納め時かも、ね。

ま、ここまで生きられたのだから
悔いはないです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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鑁阿寺に参拝した、の巻

2025-02-20 19:24:00 | 日記
この冬、2回目の積雪、
前回は、

30センチ積もり

松の木の枝が折れた


今回は25センチ。
雪かきは何回目?

我が家の梅は、
まだまだ蕾です

今年は梅と桜が同時に開花するかも?


一方、先週の野州遠征で訪問した
足利学校



梅かな?咲き始めてます
関東は雪も雨も長く降ってないそうで、
暴風のために砂や土が舞い上がってました。
これはこれで大変ですな。

隣に「鑁阿寺」
読めますか?
難読ですよね。


水堀が取り巻いてます



由緒ある門

現在はお寺ですが、本来は足利氏の館でした。
百名城スタンプ押した
よく見ると前回の箕輪城、鉢形城探索から10年経ってました。

10年ぶりの関東攻めでした。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
米価高騰で家計も苦しい、

そこで、一大決心!

米食を減らした。
お米は朝のみ。
昼はパン食

夜は晩酌のみ
ビールや日本酒がお米代わり

というわけで
アル中化、進行中です


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今週は雪で出かけられないため、
断舎離を頑張る。
腐った缶詰や油、醤油などが出てきて台所は悪臭が立ち込める

いやはや、

一方、タンスは
捨てるのがもったいないようなバッグや財布がたくさん

女性は、アクセサリーや小物が多い
まぁ、仕方ないけどね。

母が大事にしてたものを捨てるのは

なんか親不孝のようで複雑です

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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未支払年金生活者支援給付金?

2025-02-11 09:09:00 | 日記
年金機構からハガキが来た。
母の年金に関して
また請求書かと思いきや

ご請求のありました未支払い…

いや、何も請求してないけど。

生活者支援給付金を支払ない理由は、

年金をすべて支払い済みだから。

ということは、年金未払いだったら
支援給付金をくれたのかな?

無知なな我が輩にはよくわからないお知らせ、でした。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
冬は、
峠越え、山登り、山城探索のシーズン。
期間が短いので参加を惜しんで出かけるが、

この冬一番の寒波襲来!

久しぶりに積もった



雪が積もると山へ行っても遺構を確認するのは難しい。
道路渋滞、列車運休などアクセスも大変。
そんなわけで、この時期の雪は最悪ですわ。
雪の少ない若狭や伊賀も行きにくい

いやはや…

おとなしく家の断舎離に専念しますか?



と言いつつ、

実は今夜から
雪のない地方へ遠征することにした

さてどうなりますやら…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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100日経った、の巻

2025-02-01 00:27:55 | 日記
先日、百ヶ日法要をしました。


鉢植えの寒菊が咲いたので、切り花にして仏花に添えました

平日ということもあり、
お坊さんと弟家族だけの少人数。


葬儀の時にいただいた胡喋蘭、
3ヶ月も咲いてくれました。
こんなに長く咲く花は珍しいですよね。
たが、もうそろそろ終わり。

鉢に植え替えたらまた来年も咲いてくれるかな?

次は骨納め。
まだ日取りは決めてない

毎日お線香をあげて母のことを忘れないようにしてるが、さていつまで続けられるだろうかな?


断舎離を初めて半年になるが、まだまだはかどらない。
一周忌までにはメドをつけたいのだが

史跡巡り、お城巡りに忙してくて後回しになってしまう。

一人になっても、相変わらず毎日が忙しくて自転車操業のような有り様

時間に追われる日々は死ぬまでか?

なんて思ってしまう今日このごろ
であります。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

雪が舞う中、3ヶ月ぶりに登城。

さすがに人が少なかったニャー


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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2025/01/18

2025-01-18 11:04:00 | 日記
たぶん、あの時の…
頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

【NHK】彦根市立病院で、2度にわたって救急受診した女性に医師が適切な対応を取らなかったために意識障害が残ったなどとして、大津地方裁判所は、17日、…

NHK NEWS WEB

↑の記事を見て、あの時のお婆さんだと思います。
以前、メルマガで述べたことがあるので、
その記事を転記します。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦記事♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
母の病室は4人部屋。
入院1ヶ月過ぎて、部屋の中では古参となったが、実は最古参のおばあさんが窓際のベッドにいます。
入院日は5月1日。
大型連休の真っ只中ですな。
現在、ちょうど入院6ヶ月目となる。
この病室どころか病院全体での最古参かもしれない。
約二週間で転院・退院させるのが大原則の救急病院としては異例の長期入院となってる。
どんな病気なのだろうか?気になってたら、
毎日付き添ってる旦那さんが話しかけてきた。
事情を聞くとびっくりポンでした。
おばあさんは身体が丈夫で、80歳にもかかわらず毎日近くの山に登山するという健脚の持ち主。
我が母とはえらい違いですわ。
そんなおばあさんですが、大型連休直前に家のなかで何かの拍子に頭を打ったらしい。
心配になった旦那さんは、救急外来におばあさんを運んだ。
診察の結果、異常無し。
それから三日間、自宅で介護したがおばあさんの容態が変になってきたので、救急車で運んでもらった。
診察の結果、今度も異常なし。
再び自宅に戻ったが、どうみてもおばあさんの様子がおかしい。
そこで翌日もう一度救急外来に運んだ。
連休中だが、たまたまこの日に脳外科の医師がいて、頭のレントゲンをとった。
すると、頭のなかが血だらけ。
緊急手術となり、頭の両側に穴を空けて血を抜いた。
なんとか意識を取り戻したが、すでに手遅れ。
両腕及び下半身麻痺。
いわゆる半身不随。
目はかすかに見える、
喋りは、ウーウーと唸るのが精一杯。
耳だけが唯一正常で、話を聞き取れる。
こんな状態になってしまったのは、最初の診断ミスにある。
なので、最初の担当医師が誤りに来たが、
誤って済む話ではない。
旦那さんの気持ちとしては、訴訟したい。
しかし、医療ミスと違って診断ミスの場合は、訴訟しても勝つ見込みは薄いそうです。
一番最初に脳のレントゲンを撮ってすぐに手術していたら、ここまでひどい状態にはならなかっただろう。
連休中でたまたま未熟な内科医しかいなかったのが不幸だった。
まさに泣き寝入りです。
もうこれ以上手のほどこしようがないので、普通なら早めに転院させるが、病院としては診断ミスの負い目があり、転院先が見つかるまで預かるという形になり、半年もの長期入院になってしまったようです。
今思うに我が母も入院が数日遅れていたら、同じような状態になったかもしれない。
さらに、このおばあさんの前例があるために念のために救急医師が脳のレントゲンを撮ってくれたのかもしれない。
そういう意味ではホントに不幸中の幸いだったと言わねばならない。
半年間寝たきりの可哀想なおばあさん、
ついにようやく転院先が見つかり、本日転院されました。
行き先はリハビリ専門の病院です。
強靭な体力の持ち主のおばあさんなので、リハビリ頑張れば、
もしかしたら、もしかしたら、
奇跡的に両手両足動かせる身体に戻るかもしれない。
そう願うしかありません…
これでこの部屋の最古参は、
母となりました。
いつまでここにいられるか?
まだわかりません
記事終わり~~~~~~~~~~~~~~

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
その後、母も同じリハビリ病院に転院した。
その時に、旦那さんを何度か見かけたが、
暗い表情で、声をかけることができなかった。

ニュース記事によると、
結局のところ訴訟されたようですね。

あのお婆さん、もう亡くなられた…

勝訴しても
嬉しくはないでしょう。

お悔やみ申しあげます。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
実は母も血液をサラサラにする薬を服用してました。
狭心症の手術した後からずっと、でした。

硬膜下血腫の原因の一つだそうな。

このニュース記事で初めて知った

いろいろと後悔ばっかり、です。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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今年の漢字は、「重い」かな?、の巻

2024-12-14 00:15:00 | 日記

京都清水寺の管長さんが、重厚な筆の運びで認められた漢字は、
【金】
ですが、金と読めた人がどれだけいるだろうか?
今の若い人は、ほとんど読めないのでは?

くずし字は難しい。
我が輩、毎月一回ボランティアでくずし字の勉強のために登城して約10年になるが、いまだに読めない漢字が多い。
腹立つので、最近は金目鯛を買って食べてるわ。
て、金目鯛はくずし字とどんな関係があるねん?
実は、スーパーで安売りしてるのでたまたま買ってるだけですが…

それもこれも物価高と重税のために金欠病となり、金目鯛やアジの開きを食べるしかない、という始末なのです。

そのために
管長さんの漢字が
「重」と読めてしまう。

毎晩の晩酌のつまみは四分の一カットされた生キャベツなのですが、
ついこの間まで50円で買えた。
それが100円になり、今や130円まで値上がりした。
キャベツの葉っぱの重ね重ねを一つ一つ細かく引きちぎって時間かけて食べることにした。
年金生活では、節約の積み重ねをしてやりくりするしかないのですわ。

高値安定のお米、玉子、なすび、
もう満足には食べられない。

こんな世の中に誰がした?

いやはや…😭

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家のピンクのバラは
この寒いのに
狂い咲き?


イチジク、梨に次いで柿の木もバッサリと切り落とした。
もう果樹は食べられません…


キンモクセイ、ギンモクセイもかなり剪定した。

とりあえず、この冬の剪定は完了。

伊吹山に3回目の雪が降り、
いよいよ平野部にも雪が舞うようですよ。

あ~寒〜
剪定された木々とともに
我が輩も

独り身に
寒さが重く
のしかかる


馬《●▲●》助ヒヒーン♪









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いよいよ謹慎解除。ひこにゃんに年賀状を!、の巻

2024-12-09 09:05:00 | 日記
母が亡くなって四十九日となりました。
謹慎中といえども、時おり弔問者あり相続手続きあり断捨離もあり、相変わらずバタバタ過ごすうちに
少しづつ介護の日々のことが薄らいでいく。
一方で、独り身の寂しさは強弱は一定せず、時に任せるのみ、であります。

相続手続きと言えば、
土地建物は父が亡くなった時に我が輩が相続し名義変更し、所帯主になりました。これは母の指示でした。
今後の自身の介護のことを見据えてのことでした。

金融財産などは父から母へ全額移したので、今回はそれを弟と分割することになった。
ただし、土地建物を我が輩が先に相続してるので金融財産に関しては2分割じゃなくて、弟が優先的に相続するということで協議しました。
基本的に全額弟が受け取るべきだが、
親の介護をした我が輩にもその対価として少しお恵みを頂きました。

で、円満解決。
ま、最終的には我が財産はみな弟や弟の子供たちに受け継がれるので、弟家族にとっては文句無しですわ。

ところで、
その手続きで簡易書留を送ることになった。
郵便ポストに投函するつもりだったが、
書留に関しては直接郵便局の窓口で手続きすべき、だと言われた。
この歳になって初めて知ったとは、我ながら情けない。
親の庇護のもと世間知らずでぬくぬくと育った我が輩ですわ。

Φ(*^ひ^*)Φ
以前にも述べたが、父の兄弟は11人。
その半数以上が亡くなってる。
そんななか、一番下の叔父さんが亡くなったことが、先日判明した。
この叔父さんは隣町に住んでいて元気で仕事もしてました。
奥さんは癌で早く亡くなっていて一人住まいでした。
母の葬儀に参列してもらうために連絡をとったが、音信不通。
直接、家に行ったが不在。
結局、葬儀には参列してもらえなかった。
ずっと心配してたら、
癌で9月に入院したと寺の住職さんから聞いた。末期的症状だという。
そして、11月に亡くなったと静岡県の親族から知らされた。
叔父さんとはいえ、我が輩と年齢的にも近く家も近所なので頼りにしてた人だけに残念でならない。
というか、近くに住んでいても消息が全くつかめなかったのが、悔しい。
さらに叔父さんの子供、つまり従兄弟が全く連絡くれなかったのが解せない。
そのために弔問に行くこともできない。

近くに住んでるのに遠くの親族から死を知らされるとは…
なんか、いろいろと親族や人間関係について考えさせられた。
死んでわかる親族関係の強弱ですわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ひこにゃん宛に年賀状出しましょう。
彦根城入場券付き返信ハガキが届きます。
彦根城の入城料高くなったので、お得ですよ。


彦根インターチェンジから国道までの渋滞が緩和されます。
佐和山城手前のトンネルです。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪








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スールー諸島にて戦死す、の巻

2024-12-01 23:56:00 | 日記
相続手続きのために役場で母の戸籍謄本を取得した。
母の兄弟は長男と5人姉妹。
この長男は戦死しました。
我が輩の叔父になので、毎年墓参りしてます。

で、戸籍を見ると
叔父は昭和20年4月9日に比島スールー群島近海で戦死したと記載してある。

どこかわかりますか?
Wikipediaで調べたら、
フィリピンのミンダナオ島からボルネオ島にかけての南よりにスールー諸島があるとわかった。
さらに、「スールー諸島の戦い」があり日本軍が全滅した、とある。

経過は、3月16日に米軍がバシラン島(群島の一番北よりの島)に上陸。
4月6日までにはほとんどの日本軍が壊滅、4月26日までに全島が占領された。

叔父はこのバシラン島方面で4月9日に亡くなったそうなので、
船で移動中に撃沈されたのか、
島から逃げる途中に水没したのか?
近くの島で戦死したのか?
と想像されます。

終戦まであと4ヶ月でした。
生きておれば110歳か…

この叔父には2人の娘がいました。
亡くなった時、娘が恋しかっただろうね。

その娘の1人(いとこ)は岐阜市に嫁いだが、乳がんで10数年前に亡くなった。
老後になって自由の時間ができてあちこち遊びに行くわ、と楽しみにしてた矢先の病死でした。
クリスマスの日でした。

今年もクリスマスには墓のある美濃国分寺へ墓参りしなければなるまい。

このいとこは岐阜で苦労をしたせいか、気丈で頼もしい人でした。
なので、母は常々『老後はあんたに世話になるわ』と話してました。
それだけに早すぎる死に落胆、とても残念がってた。

結局、頼りにならない息子の我が輩が母の老後の世話をするはめになったわけです😥

世の中そんなに都合よくいかないものですね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

松の木の剪定をした。

スカスカにした


我が家のバラ

その隣のイチジクの木を
バッサリと伐った
どうせカラスと猿の餌になるだけだからもういいわ、
ですわ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪






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1ヶ月経ち気は休まったのか?、の巻

2024-11-25 08:40:00 | 日記
ご無沙汰してます。
本日からまたブログを再開します。

母が亡くなり、1ヶ月間自宅謹慎引きこもりしてました、
思い起こせば、母が緊急入院したのが5月中旬。
面会は1ヶ月に一回15分のみだったが、点滴だけなので次第に衰弱し
10月になると、病院から頻繁に面会要請が来るようになり面会時間も30分に延長してくれるようになった。
そして、5月20日には容態が悪化、病室で寝泊まりする覚悟で面会に行くが、それはダメと断られる。

5月22日朝、面会は1時間に延長してくれた。母は荒い息をしてました。
帰宅してしばらくするとまた病院から連絡あり、すぐに来いという。
慌てて駆けつけたが、残念ながらもう息は無かった。
それなら朝からずっと病室に居させてくれればいいのに、と怨めしく思った。
その後、弟が来るまでに40分ほどあり、
ずっと母の手を握って声をあげて泣きました。
病室は大部屋、人前で恥ずかしげもなくあんなに泣いたのはあとにも先にもこの時だけだと思う。

最後は衰弱というわけで、苦しむこともなく穏やかに息を引き取った。
92歳天寿全うしたのがせめてもの救いかな。

葬儀は内々で身近な親族だけ招いておこないました。
新聞にも公表してないので、自宅の弔問客も少なく、父の時のような慌ただしさをなく、静かに過ごしました。
それでも毎週法事があるので、気が張り、瞬く間に1ヶ月となりました。

昨日、親族集い5回目の法要=三十五日法要をおこないました。
我が宗派では三十五日法要が忌明け。

法事も一区切りつき、今日から普通の生活を送れます。
とはいえ、世間的には四十九日が忌明けと言われてます。
なので、あまり大っぴらに出かけるのも気が引けるので、あと2週間自宅謹慎閉門蟄居を続けることにします。
そして、この2週間で身辺整理、相続手続きなどの処理を済ませるつもりです。

で、12月10日を過ぎたら再び城跡、史跡巡りを再開しようと思ってます。

両親が亡くなり、完全な1人所帯になりました。
介護から完全に解放されたのが良いのか悪いのか?今は判断できない。
今後は頼れる親も無く精神的な不安定さを徐々に克服しつつ歩むしかないでしょう。
やはり、親の存在はあまりにも大きかったと実感します。
親離れできてないだけや、と言われそう。

忌明けしても1周忌までは喪中。
さらに1周忌に合わせて身辺整理に伴って計画してることがあります。
その準備もあり
まだまだ、気は休まらないかも…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ


我が家のモミジが色づいてきました
今年は紅葉を見に行くのは無理なので、
自宅での紅葉狩りです。

一句作った

忌あけたが
モミジ見ても
気はあけぬ

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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