2021年1月10日(日)
旧大和街道歩きで、途中に城跡があると立ち寄ってみたくなる。
そこに山があるから登る、
という登山家と同じ心理です。
旧東海道関宿から分かれて国道25号線を西の柘植宿へ向かってひたすら進む。
次の市場宿(加太駅付近)との中間付近に「金場(かねば)」地区があり、小さな宿場だったようです。
「鐘鋳場(かねいば)」という鐘を造る鋳物場があったとか?
現在の住所は亀山市関町金場。
旧道は国道から分かれて集落の中を進む。
金場公民館前で昼食を済ませて午後一番に平ノ沢城跡を探索することにした。
加太川に越川大橋があり橋を渡って川沿いに山の麓まで行けそうに思ったが、私有地や田畑の畔を進むのは難しそうなのであきらめた。
↑無理です。
集落を抜けて国道を進む。
城跡は加太川の対岸の山の麓なので、川を渡らねばならない。
渡る場所を探していて、しばらく進むと国道から川原へ降りられる通路を見つけた。
地蔵堂付近から川沿いへ
川原へ下る
対岸へ渡れる場所を探した。
意外に水嵩があり恐かったが、飛び石の要領でおもいきってなんとか渡った。
渡って
堤の上にでると土塁→石積あり。
山の麓の平場で、川が大きく蛇行してる場所なので洪水があるだろうし、その対策の土留石だと思われる。
山に向かって段々畑や屋敷などを構えた痕跡かもしれない。
さらに進むと明瞭な土塁、石垣があり、これは城跡だと確信した。
↑土塁、石積などうろ覚えで記入したので不確か。
位置は不正確です
そして、削平地が広がり
獣捕獲用の檻の近くに
先端部に
「平乃澤城址」関町教育委員会
の標柱が建てられてました。
この標柱の下にも石垣がありその下は曲輪か屋敷だったのではないか?
↑下段曲輪から上段を見上げた
すぐ近くに井戸跡のような物も。
南北朝時代、南朝方だった楠木正盛(正成の祖孫)がここに落ち延びて城を築いた
と、亀山市教育委員会のパンフに記載されてます。
城跡の由来はこれだけ。
後に畑などに開墾された痕跡のようでもあり、どこまでが城跡か判然としないが、ともかくも楠木氏が隠れて住むにはもってこいの場所だと思いました。
陸伝い、山裾伝いでいくルートを探せばあるかもしれないが、
今回は危険な川原を渡って探索しました。
危ないので良い子は絶対に真似しないようにお願いします。
なお、JR関西本線加太駅から東へ徒歩約30分の位置です。
以上おしまい。
この後、ネット検索して
「三重の中世城館」という教育委員会発行の報告書がネットで公開されていて、スマホにダウンロードしました。
そのなかから、平ノ沢城跡の解説と縄張図を見つけた。
参考までに掲載します。
わかりにくい縄張図だが、無いよりマシ!
この縄張り図持っていってもう一度探索してみたいな😅
馬《●▲●》助ヒヒーン♪