馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

東本願寺の渉成園を見学

2023-12-02 15:24:13 | 山城国の史跡
東寺から北上しJR東海道線を越えると

リーガロイヤルホテル京都の入口近くに
ひっそりと

新選組不動堂村屯所跡の石碑が。

この付近から西本願寺、壬生にかけては新選組の拠点で史跡も少なからず残されてる。

ここから京都駅を過ぎて
東本願寺へ。

南の塀からイチョウの木が見える
東側の正門へまわると

阿弥陀堂門と御影堂門が。
東本願寺には12年前に亡き父の納骨に来て以来。
父の骨は地下に納められてます
来年は13回忌。
月日は早く過ぎる…

正門から東へまっすぐ進むと

「名勝渉成園」
東本願寺の別邸のお庭です
別名「枳殻邸(きこくてい)」

門を入ってすぐ右手に受付があり500円支払う。



立派な冊子のパンフレットをいただいた

このパンフを片手に園内を散策。

すぐ正面に
見事な高石垣!
礎石、石臼、山石などを組み合わせて
芸術的な絶妙さに感動!
もうこれだけで満足


簡素な門を入ると

臨池亭と滴翠軒

南へ向かう途中に

近くを歩いてた御婦人が「クチナシ」と教えてくれました。

カリンの実が少しあり。

そして、中央に
「傍花閣(ぼうかかく)」

横から見ると確かに楼門造りの山門ですが、

横の入口から見ると

どこかの天守閣のようにも見える
数寄屋手法の変わった建築だそう。



いやもう凄いの一言

東へ向かう

紅葉、紅葉

「回棹廊」
挙式の前の撮影か、挙式後の撮影か、
少し待たされたが脇をすり抜ける
おめでとうございます
ありがとうございます
の挨拶

「縮遠亭」
小島の上の茶室です

池の中に

【源融(みなもとのとおる)ゆかりの塔】
源融は嵯峨天皇の皇子で源の姓を賜った。
ゆえに源氏物語の光源氏のモデルと言われてる。
渉成園が建築される前からここに九重の塔があったそうです。


印字池に架かる「侵雪橋」
雪が積もったら風情がありそう。

池の南に


「漱枕居」

時間が迫ってきたので急いで帰ります


今回は足早に見学したが、
桜の時期もいいとか?

季節折々に訪ねてみたい庭園です。

京都駅に近くて
紅葉の時期でも比較的空いてる穴場スポット

皆さんお越し野洲

馬《●▲●》助ヒヒーン♪






































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鳥羽街道歩き、鳥羽離宮から城南宮へ

2023-11-21 17:18:00 | 山城国の史跡
鳥羽街道は羅城門跡から淀城跡まで旧千本通を結ぶ街道。
ちなみに淀城から大坂城までは旧東海道の延長としての京街道が伸びてました。

幕末から明治維新にかけての戦乱の地となり新政府軍と幕府軍が駆け抜けた道です



前回淀駅から赤池まで旧千本通を北上したので今回は赤池からスタート!
北上してすぐに
広い公園があり
ここが鳥羽離宮跡




紅葉見頃に

さらに北上すると小枝橋
ここに道標があり
街道を外れて少し寄り道
右折すると

学生時代以来なので50年ぶりの再訪。
広い境内の西から北にかけての神苑には四季の庭が配置されてる。
有料800円
来年の大河ドラマにちなんで源氏物語ゆかりの草木が。
まずは紫式部。

藤袴
花には疎いので知らない花ばかりだがパンフと説明板でなんとかわかります

城南宮といえば優雅な曲水の宴が有名ですよね。

木の根道といえば、鞍馬寺から貴船神社を思い浮かぶ

大好きな藤棚は時期外れ

与謝野晶子さんの歌碑
実はこの人の現代語訳の源氏物語を今読んでます











紅葉見頃の立派な庭園でした

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家のモミジも今が盛りです




馬《●▲●》助ヒヒーン♪























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宇治平等院の藤棚

2023-04-18 14:31:32 | 山城国の史跡
宇治平等院の藤が見頃だというニュースを知って、急ぎ向かいました。

宇治駅前の茶壺

駅近くの銀行前に
宇治代官所跡の石碑


京都代官小堀氏と信楽代官多羅尾氏が兼務したと書いてある。
どちらも近江ゆかりの家柄ですね。

宇治橋

来年の大河ドラマにちなんで
宇治を訪れる人が増えるだろうね

道標を見ると避けて通れない
病気です

そして、平等院へ。


平日だが受付前に行列が。

この藤棚は受付入口にあり無料


こちらは園内なので有料の藤棚

ツツジも見事!

鳳凰堂

最近10円玉が足りなくて困ってる

境内には源三位頼政公のお墓も。

合掌!

橋寺放生院

境内に

日本最古と言われる「宇治橋断碑」
残念ながら内部を見学させてもらえなかった。
いつかリベンジします

最後は

抹茶ソフトクリーム

お疲れサン

というか、京都の観光地は外人さんばっかり!
着実にころな前に戻ってきた

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

















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【白鳥越え】その5、北白川城出丸~ゴール

2021-06-03 13:56:43 | 山城国の史跡

白鳥越え、ラストです。

というか、

アップするのをすっかり忘れてました😅

2021年2月28日


16時02分
瓜生山へ向かう


f:id:umahide:20210527222022j:image

トレイルNo.59-4


f:id:umahide:20210527222051j:image
これより北白川城の本丸、瓜生山城に入ります

山頂部が主郭で東西に段曲輪が広がる
北尾根は曲輪が無さそうです。


f:id:umahide:20210527222203j:image

南尾根は東西二本の尾根に段曲輪が並ぶが単純ではない。

特に西尾根の先端部には堀切があり手前にはミニ畝堀があるとか?

f:id:umahide:20210527222315j:image
↑西尾段曲輪群を見る。
尾根を降りたいが時間がないので今回はあきらめた



f:id:umahide:20210527222902j:image
山頂主郭



f:id:umahide:20210527222925j:image
祠がある。

「元将軍地蔵」
なので、将軍山城とも呼ばれる


f:id:umahide:20210527223000j:image
解説板、

トレイルNo.59-1

膝が痛くなりもうこれ以上の探索は無理でした。

いつかリベンジします。



f:id:umahide:20210527225609j:image
清沢口石切場

f:id:umahide:20210527225724j:image


足を引きずって下る

f:id:umahide:20210527225755j:image
下りは膝の負担が大きい


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トレイルNo.58-1


f:id:umahide:20210527225838j:image
夜船閑話発祥の地


f:id:umahide:20210527225943j:image
ようやく麓に来ました

16時51分

f:id:umahide:20210527230027j:image
病院の塀

そして、
16時55分

f:id:umahide:20210527230106j:image
ゴール!

9時に出発したので、約8時間の行程でした。


f:id:umahide:20210527230133j:image

もう体がボロボロだったが、
ともかく白鳥越え、制覇しました。


以上、おしまい。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

先頃、中山道歩き難関の御嵩宿から大湫宿まで約20km、制覇しました。

ようやく、ですわ。

途中に駅もバス停もコンビニも店も自販機もない、ほとんど山歩き。

幕末、数宮様が通った道です。


f:id:umahide:20210528105323j:image

街道は20kmだが、最寄りの釜戸駅までは大湫宿から約5km、1時間ある。

つまり、合計25km、4万歩越えました。

おかげで、現在体調が悪い…😭


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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【白鳥越え】その4、一本杉西城西南砦~北白川城北出丸

2021-04-15 00:02:00 | 山城国の史跡
2021年2月28日

13時33分、一本杉西城の西尾根曲輪群の一番下まで降りて、

登山道に合流し、南下します。


その先にちょこっとした543mの小山あり。
ここで探索心が沸き起こり登ってみました。

すると、南側に薄い土塁のような盛り上がりあり、
さらにその下には2段の曲輪らしき削平地あり。
どうやらこれは砦に違いない。
なので、【一本杉西城の西南砦】と名付けました。
メモした紙が見当たらないので

↑記憶を頼りに概略図を書きました。
あやふやなので、信用しないようにお願いします。
気になる方は現地で確認してね。
というか、これは単なる自然地形や!
と、言われそうな…😥

さらに登山道を南下します

また小山あり。

ここは険しいだけ。

鉄塔あり。
たいがい鉄塔は削平地に建てられる。
つまり、城跡の遺構の可能性あるんだけどね…

尾根筋の登山道をひたすら降りる。

14時48分、川に出ました。
川を渡るのだが、ここでかなり迷いました。

どこで対岸へ渡るのか?
悩んでたら、倒れた看板見つけました!

これでようやくルートがわかり




15時01分
京都一周トレイルNo【東山63】

もうここから先は正式なルートなので迷うことはない。
と同時にすれ違うハイカーが一気に増えました

京都市街地を見る



15時12分
京都一周トレイルNo【63】から先が
「北城出丸址(白鳥山)」
ルートの南側のこんもりとした山に城跡の遺構が残ってます
白鳥山から瓜生山にかけ時代差のある曲輪群があり、全部ひっくるめると広大な山城になる。
一般に「将軍山城」「北白川城」「瓜生山城」と呼ばれる。

この白鳥山は将軍山城の北城出丸と呼ばれて、主郭から派生する北尾根南尾根などに段曲輪群が連なる

出丸という単純な曲輪ではない。
ここだけでも規模が大きい

東山トレイルNo.63~62にかけてが「A群」で、段郭が連なる。
が、我が輩は認識できなかった。
まだまだ修行が足りない



No.62~61が「主郭群」。
登山道は郭の北側下を通る。
登山道をはずれて登ると土塁に囲まれた堀底道を進み
↑堀底道↓


東南付近から主郭に入るようになってる。

土塁の間を入る

主郭

は北側の一部を除いて土塁に囲まれ、下に帯郭を配置する。

帯から主郭を見上げる


南の帯郭は段曲輪として尾根上の「B群」に連なる。





時間が厳しくなってきたので、ちらっと見ただけで尾根曲輪群を探索してません。



No.61~60が「C群」





こちらは全く見ることなく通過し
登山道を進みました。

出丸だけでも一時間探索したが、全部見られてない。
今回の主目的は白鳥越え制覇なので城跡群はオマケとはいえ、
事前の下調べ不足もあり不満足な探索となった。
後日、いつになるかわからないがリベンジします。

自己嫌悪に陥りながら、瓜生山(将軍山城本丸)へ向かいました。




その5に続く




馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【白鳥越え】その1、壺笠山城へ

2021-03-12 22:58:00 | 山城国の史跡
2021年2月28日
近江国、滋賀県は山に囲まれてる。
県外へは必ず峠越え必須。
昔の人は、武将も天皇も近江商人もみんな歩いて険しい峠を越えたのです。
近江から京へはいくつかルートがある。
山中越えや途中越えは車で抜けたことあります。
旧東海道の逢坂越え、小関越え(大津→山科)はすでに歩きました。
今回は念願の白鳥越えに挑戦しました。
その経過をちょこっと紹介します。

白鳥越えは大津市の穴太と京都市の北白川を結ぶルートで、元亀争乱(織田VS浅井朝倉)の舞台となり、たくさんの砦や城が築かれた。
明智光秀は、坂本城と丹波を往復するのに白鳥越えを頻繁に通ったのではないか?と我が輩は考えてます。

9時00分、JR唐崎駅スタート。



住宅地→踏切を越えて

9時12分登山口。
奥へ進むと土塁下の堀底のような道があり、いきなりテンション上がりました。


ちなみに前回、壺笠山に向かった時は京阪電車穴太駅から川沿いの車道を進みました。
今回のルートのほうが古道の雰囲気あるけど、当時の道かどうか?わかりません。



途中から堀底道消滅。
鉄塔までは獣道もなくほぼ直登となりました。
YAMAPのアプリが無ければ、おそらく長時間の彷徨を余儀なくされたと思う。
この時、四ッ谷川沿いの林道を進むべきだったと後悔しましたよ。

鉄塔から先は緩やかな尾根道になります。


そして、
9時45分、壺笠山城登山口に到着。

相変わらず、案内版も何もありません。

目印のリボンの付いた木は倒れていて、交差する林道も荒れてるようでした。

ここも直登しました

10時10分、主郭。

なんと!解説と縄張り図がありました。



前回は壺笠山の看板だけしか無かったはず。

元亀争乱では、信長の宇佐山城に対して、浅井朝倉軍が壺笠山に砦を築き陣を敷いて睨みあった、と言われる。

前回、内部は藪だったが今回は比較的見やすくなってるが、この城跡の魅力は帯曲輪です。



折れ曲がりの虎口・石垣など、古墳を利用した造りがナイス。
帯曲輪の下にも随所に段曲輪と石垣の痕跡が残ってます。

とはいえ、今回は京都市まで山越えの長距離移動なので、時間に余裕がない。
城跡遺構は適当に観察して、西側の白鳥越えの道へ向かいました。


その2に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の椿。
暖かくなって一気に咲きました






馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【山城開田(かいでん)城跡】長岡京市

2019-06-25 06:07:05 | 山城国の史跡
"2019年6月16日、

物集女城跡から桂川駅へ向かい
桂川駅から電車で向日町駅へ。

向日町駅から西国街道を長岡京市まで歩いた。

街道歩きの途中で寄り道、

『長岡京市役所』を通り

阪急長岡天神駅の線路を越える

駅前に観光案所あり。

少し西へ進むと
バス停の隣に公園あり。

背後に土塁があります。
ここが、
【開田(かいでん)城跡】

こちらは、西岡被官衆の一人の中小路氏の居城だった。
解説によると、

発掘調査で、
一辺70mの方形居館、
幅6.5m、高さ2mの土塁、
幅8m.深さ1mの堀
が見つかった。
南西部に張り出しがあり、虎口か。
城内には、掘立柱建物、井戸などの遺構があった。

公園付近は北西部に位置する

土塁北西側。

この石垣は当時のものか?
それとも復元か?

東側土塁


城内は、よく見えない。

隣のマンションから見おろすのが一番いいのだが、部外者は入ってはいけません。
マンションは、工事中だったが、

一階のエントランスには自由に入れる。

カウンターの前に

復元模型や資料が展示されてます。

発掘調査はマンション建設に伴うものだったのだろうね。
遺構が消滅するお詫びとして資料を残したのかな?

パンフレットをいただきました。

上の階に上がることも可能だが、
工事中の足場で見えないし、不法侵入と言われかねないので、
退散しました。

前の道路は北堀の跡?


約20分ほど北上して
やってきたのが、
【今里城跡】

長岡今里郵便局の西隣のマンションの前に解説板

土豪の居館跡。

九条家の荘園の台帳の記述から能勢氏の居館だったと判明した。
解説板には書いてないが、この能勢氏も西岡被官衆の一人なのかな?
小字「城山」地名があり、発掘調査の結果、木橋、井戸、堀、木簡、磁器などが見つかり、16世紀中頃まで機能してたようだとわかった。

1568年、信長は三好三人衆の勝龍寺城を攻めてます。
その頃に消滅したのか?

現在、遺構は無し。
この看板のみです。

城跡看板の前の道は長法寺道と呼ばれる。
西に行くと長法寺があります。

これにて、城跡巡りはおしまい。

西国街道へ戻る途中に
『明星水跡』

開田と今里の境界線に位置し、
推古天皇がこの水を飲んで元気になったそうです。

こちらも看板だけで、遺構は無し


この付近『弓場街道』

「ゆんば」と読むそうですが、意味がわからない

そして、西国街道へ戻りました。


寄り道、長すぎ…

乙訓、西岡地域の城跡
印付けた城跡が、攻略済み。

残りの城跡はまたいつか、ですわ。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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【物集女(もずめ)城跡】向日市

2019-06-23 09:19:01 | 山城国の史跡

2019年6月16日(日)

物集女街道を北上します

『淳和天皇火葬塚』
民家の間の狭い通路を入る

向日市のホムペの解説によると、
「淳和天皇は、長岡京を築いた桓武天皇の第3皇子で、母は藤原百川の娘旅子です。 兄の嵯峨天皇の後を継いで皇位を継承し、嵯峨天皇の第1皇子の仁明天皇に皇位を譲りました。
在位中は、政治改革を行うとともに「日本後紀」の編纂、「令義解」の作成を行いました。 承和7年(840)に55歳で死去し、遺言により火葬にして京都市大原野の西山に散骨されました。
ここは、天皇を火葬した場所とされています。」

宮内庁管轄なので中には入れません

すきまからうかがう

昔は天皇家も火葬が多かったそうです。
火葬といえば、現在の上皇様が武蔵野陵の近くで火葬する、とおっしゃられてます。
あらたに陵墓造ると敷地や費用がかかるから、という思いなのかも?
隣の駐車場から見る

さらに北上する


小さな何もない公園にあるのが、
『中海道遺跡の豪族居館と祭殿』


古墳時代初期の祭殿跡が発掘調査で発見された。
たぶんこの敷地の下に遺跡が保存されてるのだろうね。

「中海道」、耳慣れない言葉ですね。
物集女街道の別名のような気もするが、海道は「垣内」が転じた、とも言われる。
垣内とは、館城や屋敷を意味するので、古代の豪族の居館跡があったと推定されますね。

いや、古代どころか中世にも居館があった。

それが、
『物集女(もずめ)城跡』

解説によると、


地元の土豪、物集女氏の居城。
西岡被官衆の一人。

現地は私有地のため立ち入り禁止。
自転車があり向こうで畑仕事されてる人がいたので、入ってもいいかお願いしようと思ったが、仕事の邪魔になりそうなので、やめた。
左手に土塁のようなマウンドあり。

ここが主郭の櫓跡か?

マウンドの奥は堀のようにも見えるけど…



↑右側が副郭で家臣屋敷だったのか?


現場はあきらめて
近くの物集女公民館に立ち寄った。

事前の情報では館内に模型とパンフレットがあるらしい。

しかし、
日・祝日休館!

入れません。

ガックリでした…

土曜日に来るべきだった。
事前の調査が甘かった。
いつもどこか抜けてる…


物集女街道は、西国街道と山陰街道を連絡する道。
街道沿いに史跡多いので、この道もいつか制覇しなければならない。

ところで、
物集女の由来は、
ネットで調べたら、

物を集める女と書いて「もずめ」と発音する。
地名の由来は、河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるとされている。
「 物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で、9世紀ごろの記録には「物」と「集」の2文字だけで「もず」と発音していた事例も見られる。

百舌鳥といえば、世界遺産に指定される予定の堺市の古墳群。
向日市と繋がりがあるなんて、
びっくりポン!

でも、この説は眉唾のように思える。
単に語呂が似てるだけじゃないの?

物集女は、
古代の遊部、そして葬儀の泣き女・泣女・哭女との関連、という見解もある。
古墳群には泣き女が必須ですよね。

由来はともかく、
この地域は古代より農業経済の発達した地域で、水利交通においても重要な地域。

織田信長が、ここに勝龍寺城を築き細川幽斎に桂川西側の地域統治させた理由は、西岡被官衆を抱き込み、西への押さえ、都の押さえとしたのではないでしょうか?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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【山城寺戸城跡】向日市

2019-06-22 07:11:24 | 山城国の史跡
"2019年6月16日(日)

12時54分、
善峯寺から帰りのバス、向日町駅じゃなくて、寺戸バス停で降りました。
ちっちゃな公園があります。
『例慶公園』です。



目の前にコンビニがあるので、ジュースとパンを買って公園のベンチで昼食した。

道の向こうに見えるのは、向日神社のお旅所。

神輿を迎えることを列見と呼び、
この当て字として例慶になったとか?


『寺戸城跡』看板があります。

「古城や南垣内という地名から、室町時代にこの地域で活躍した竹田氏の城館があったものと考えられます」
と、書いてある。

この竹田氏は西岡被官衆の竹田氏。
西岡は桂川の西側の乙訓郡地域で、農業経済が発達していて小領主が多く、地域ごとに館城を構え大きな勢力だったようです。
室町幕府の被官として軍事力を支えてたようですが、次第に向日神社を拠り所にして一揆をおこしたりします。
この西岡被官衆を支えにして伊勢氏(後の北条早雲)、斎藤道三、松永久秀などの武将がのしあがっていった、
とも言われる。
ホンマかいな?

ま、それはともかくとして
少し高台になってるので、城跡らしいですが、遺構らしきものはこの公園のみ。

周囲には向日市役所、
五塚原古墳があるので、この付近全体が城跡だったのかも?
地名も向日市寺戸町古城です。

寺戸城跡看板の反対側を撮影するのを忘れたが、
「願徳寺宝菩提院跡」と、記載されてます。
願徳寺、本来はここに創建されたが、後に荒廃し、現在は西山の方に再建されてます。
「寺戸」という地名は、この願徳寺が由来だそうです。


コンビニの右手にバス停があります。

真っ直ぐ行くと向日町駅、西国街道へ行けます。

この後、実は道を間違えて、

大原野道を歩いてました。


軌道修正をしてやってきたのが、
『物集女車塚古墳』

"古墳時代後期、6世紀中頃の前方後円墳です。
実は数年前に向日市主催の古墳巡りに参加したことがあり、この古墳の石室内が特別に公開されていて入りました。
この詳細はまたいつかアップします。

なので、今回は横を通っただけです"



物集女街道を北上します

続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が地方、まだ梅雨入り宣言でてないが、
どうみても梅雨末期のような天気になってる

今日も突然の豪雨にみまわれるのか?

傘必須ですな


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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西山三山【善峯寺】後編

2019-06-19 07:45:50 | 山城国の史跡

2019年6月16日(日)

北門から折返し、奥の院を目指す

"『釈迦堂』明治18年

合掌姿の釈迦如来が安置されてます。

珍しいお姿らしい。

サツキも圧巻です!

奥の院へ。

再び京都市内を見る


『薬師堂』江戸時代

本尊釈迦如来が安置される。

桂昌院の出生の由緒にちなんで、出世薬師と呼ばれる

池がある

鯉?

『御陵』参道

この上に青蓮院親王御陵の墓があり、宮内庁管轄。

帰りのバスの時間が迫ってるのでパスしました。

『青蓮の滝』

カップルに邪魔される

坂を降る

宮内庁じゃなくて宮内省管轄の石碑

経堂の場所まで戻った


経堂を下に見る



『桂昌院廟』1705年建立

一番肝心な場所なんだけど、日本一の松やアジサイ、多宝塔に見とれて見逃してました。
というか、ここに立ち寄る人誰もいない。
桂昌院さんが寄進しなければ、この寺はかなり荒てた状態だったはず。

『宝篋印塔』鎌倉時代

『文殊寺宝館』

寺宝展が開催されていて、観覧は無料だったが、
時間が無いのであきらめた。

楼門へ戻りました。

バスの時間まで7分ほどなので
走ってバス停まで行きました。

満員だったが、無理やり乗りました

一時間で境内を一周できるが、ちょっとせわしない。
なお、境内の内外に売店や食堂などの施設はありません

飲料の自販機はあったような…

マイカーで行かれる方は、狭い箇所があるのでご注意あれ!

おしまい

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

3年ほど前に
村上市、鶴岡市、酒田など日本海側を旅した。
それだけに、今回の地震が気になります



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

"
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