【Q】近代日本資本主義経済の父と呼ばれる渋沢栄一は深谷市のどこで生まれた?
イ)首洗島
ロ)血洗島
ハ)手洗島
答えは一番下↓
≪富岡へgo≫
2日目。快晴
2015年4月30日(木)
女性ガイドさん、
最後に説明してくれたのが
『横田(和田)英』さん、
この人が綴った「富岡日記」によって工女の実態を知ることができた。
日記によると、
たまに牛肉が食べられ、お風呂には毎日入れた。
当時としては贅沢な暮らしだったようです。
休日には4キロ離れた貫前神社へ遊びに行った。
待遇良かったんですね。
我が輩も貫前神社に行きたかったな……。
工女さん、給料いいので高価な着物を買ったりして贅沢な暮らしに染まりいつのまにか借金地獄にはまる。
帰りたくても帰れなくなる。
英さんは堅実家だったので無事、地元の信州に帰ることができた。
我が彦根藩出身の工女の大半は帰れなくて富岡で骨を埋めたとか?
後に英さんは、再び富岡に行き信州出身の後輩工女を引き取ることになる。
借金まみれの工女さんをもらい受けるために全額肩代わりして支払った。
ホントは来たついでにみんなで東京見物する予定だったが、借金払って懐がさみしくなり近くの高崎見物で済ませ信州に連れ帰ったそうです。
ありゃまぁ!
14時20分、ガイドツァー終了。
これより一人で行動します。
西繭倉庫は入れません。
いろいろと制限が多い。全部見られるようにしてほしいものです。
東繭倉庫内の「ガイダンス展示場」へ向かう。
『フランス式繰糸器実演中』
毎週木曜日のみ。
これ見たくて木曜日に来たのです。
しかし、人垣でよく見えない
糸取り女性、動かないので人形だと思ってた
なんとか掻き分けてのぞきこんだら人間でした。
姿勢がよく、手先だけ動かしてる
すごい!
実は小学4年のとき教室でカイコを育てて繭を取りました
数年前、賤ヶ岳の麓の余呉の大音地区で繭から糸をとる作業を見たことがある。
だから、作業に関してはあまり驚かなかったです。
お湯だから熱いし、素手だと火傷すると思うし、普通なら質問するところだが、気力無かったのでやめた。
絹糸の展示
工場の模型、
煉瓦の見本と解説、
などを見て
この後、売店で買い物。
怪我したので予定変更して明日帰るかもしれないしたくさん買った。
母のために買った絹の膝サポーターは5000円、
こんな高い土産を買ったのは後にも先にも無い!
14時40分、
富岡製糸場を出ました
約一時間20分の見学でした。
詳しい情報を聞きながら一人でただで回る場合は
スマホの解説がいいと思う
富岡製糸場建設に尽力された渋沢栄一氏関連の施設が深谷市にある
こちらにもいつか行きたいが…
14時48分、
沿道の土産物屋で
「からっ風カリン」100円
かりんとう味の饅頭、
これ一個が本日の昼食となりました……
というか、3時前に昼食だなんて。
駅へ戻ります
観光案内所に電動自転車が置いてある。
サドル低そうだし、先にここにくるべきだったか?
15時04分、
再び上州富岡駅。
高崎方面へ向かう。
まだ帰りませんよ
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『血洗島』ちあらいじま
アイヌ語の「ケセン(下のはずれの島)」の当て字
という説の他に
利根川の氾濫のために地が荒れたとか地を洗うように流れた、
などの由来も。
深谷市ホムペから引用しました
渋沢栄一、最初は尊皇攘夷派で討幕計画した
その後、一転して徳川慶喜の家臣となりヨーロッパへ行き、帰国後明治新政府のもとで活躍。
富岡製糸場建設に尽力しました
ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
以前勤めてた職場の女性に
「富岡精子場に行ったよ」
とメールしたら
以後、返信が来ない。
真面目な人だったから
軽蔑されたかな?
我が輩は冗談半分、話のタネとして書いたのだが…
Φ(*^馬^*)φ
咳がとまらない
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン