馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

京丹波町【須知城】その②

2019-07-14 07:12:06 | 丹波国の史跡
2019年6月23日(日)

三日月型の堀切を越えると

↓高石垣が見えてきた

前方に突然、まさに突如として
高石垣出現!

主郭の高石垣。
突然現れると圧倒されますな。

それまでの疲れも吹っ飛びます。

石垣の右手、

北側へ回り込む

斜面になっていて危険なのでロープがあります。


なんとか、滑り落ちないように用心して主郭に入りました

『主郭』です

琴滝への案内板
外側は高石垣だったが、

内側は土塁です

土塁の上から石垣を見下ろす

主郭は広いが、別に何もなし。

中央に城跡看板があるだけ。


明石というのは西側の集落のことです。
須知城は、地元の豪族須知氏が築城したのが始まり。
某サイトによると、須知氏は近江国周智郡から移った、と記載してあったが、近江国に周智郡という郡はない。愛知郡ならあるけどね。
遠江国周智郡の間違いだと思う。

須知氏は南北朝時代は南朝に属し、その後、細川氏に従う。
信長の丹波攻めでは明智光秀に味方したが、その後離反したため、結局明智光秀に攻められて落城しました。
光秀が支配する拠点の城として存続したそうなので、現在の遺構は須知氏時代か、それとも光秀時代か?
我が輩にはわかりません。


眼下に京都縦貫道の丹波インターが見える。
山陰街道はインター付近を通ってるので、この後歩きました。


主郭の西の端に来ると石がゴロゴロ。

ここが西の虎口。

看板は「明石」と書いてあるが、
「主郭西虎口」と、書き換えてやろうか、と思いましたよ!

枡形のように折れ曲がって入るようになってると思うが、イマイチ不明瞭。
要するにわかりません

主郭の西隣の郭から主郭を見る


隣の郭は、
『西郭2』と名付けた

こちらも同じく西の端に石積虎口がある。


西郭3を見る

西郭3から西郭2の石積を見る


さらに西へ進む


その③に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日は、雨のため早めに退散した。

新しいデジカメ買ったので、壊れやしないかと心配で、雨は困るんですよね。

今日は雨大丈夫だと思うので頑張って街道歩きする予定ですが、

はてさて…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京丹波町【須知城】その①

2019-07-13 07:02:51 | 丹波国の史跡
"2019年6月23日(日)
13時49分、
琴滝の左手に

『須知城』への登山口あり。
「すち」と読みたいけど、「しゅうち」と読むそうです。
本来は、「志内」、「志宇知」、「志宇智」と表記されてたので、
「しうち」と読んでたのでは?
その後、しうち→しゅうちに変化したと考えられる。
合併で須知村→須知町→丹波町、そして現在は船井郡京丹波町。

登りました。
登山道は真っ直ぐ登るのですが、

へそ曲がりな我が輩は右手へ向かった。
というか、シダのために登山道を見失ったのです。

すると、竪堀?堀切?出現!

わずか10分で早くも城跡。
大喜びで、堀切を上から見おろす。
いいですね。
石標あり。

読むと

「右 直営…、左 部分…」
と書いてある。
意味不明。

この後、尾根上を東へ向かう。

むごい状態!
琴滝の上の方に来たようです

城跡の遺構は見当たらない。
登る時に東寄りに向かったのが失敗だったようです。

なので、西へ向かった。

琴滝登山口からの分岐に来ました!

ここから城内、ホッした。
いつものことながら、導入までに時間がかかる。


いくつか曲輪を進む

7分ほど歩いたら、
一段高い盛り上がりあり!

登ると内部は、土塁に囲まれた郭。

「土塁郭」と名づけた。

次の郭は、倍ぐらいの大きさがある。


郭の中に岩、土塁があるので

「岩土塁郭」と名づけた

次の郭との間には、左へ落ち込む竪堀あり。

進むと、
右側に土塁の高まりあり。
左側は低い削平地

「右土塁郭」と名づけた。
しかし、逆方向から見ると
左土塁郭になる…
右側は、北東なので北東土塁郭と名付けるべきか?

この郭の北西に
曲線を描く堀切が現れた

「三日月堀切」と名づけた
左側は竪堀として急斜面を落ちる。
反対側から見返す↓

東曲輪群はここまで

そして、いよいよ主郭へ突入です

その②に続く~



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【琴滝】京丹波町

2019-07-12 06:52:03 | 丹波国の史跡
"2019年6月23日(日)
山陰街道歩き、園部駅からひたすら歩き、
京丹波町に入った。

国道9号線、京丹波水戸の交差点を過ぎて旧道を行く

「琴滝」への看板

右方向は、車両通行不可
本来ならこのまま北上し丹波ICから行くのが本筋なんですが、よこしまな我が輩、なるべくならショートカットしたい。

車はダメでも歩きなら行けるのでは?
でも、不安なので、
近くで農作業されてる若者に聞いた。
「歩いてなら、琴滝へ行けますか?」
若者『…………、』
なんか、言うのをためらってる
不審人物と思われたのか?
最近、刃物や拳銃などを持った犯人がよく山のなかを逃げ回るニュースが多い。
この蒸し暑いのに、長袖防寒服ズボン姿の我が輩は充分怪しい。
普通なら半袖、Tシャツ、半ズボンの季節ですわ。
しかし、意を決したのか、
若者『歩いてなら行けます。
そこを進んで、左手の道に入り、少し進むと鹿避けの柵がある。
扉を開けてください。
入ったら必ず閉めてくださいね。』
閉めてくれ、と何度も念を押された。
どうやら、過去に鹿に畑を荒らされたことがあるのかもしれない。
だから、どこの馬の骨かわからないオヤジに教えるのをためらったようです。

若者『しばらく山道を行くと山と山の間に出ます。さらに下ると鋪装された道に出るので、あとは鋪装道を行けば琴滝へ行けます。
10分ほどです
玉雲寺は、ちょうどこの山の反対側なんですよ。』
いやぁ、これは嬉しかった。
インター経由で行けば30分以上かかる。
この山越えなら10分ほどで行けるそうだ。
お礼を言って、教えられた通りに進みました。

すぐに左へ入る道あり。

少し進むと、右手に墓。

事前の下調べでは、墓の裏山に城跡(水戸殿谷城)の遺構があるそうです。
大した遺構ではなさそうなので今回はパス。

帰りに時間があれば立ち寄ることにして墓の横を進んだ。

獣柵が現れました。

扉は上と下を針金で留めてあるだけ。
上ははずしにくかったので下の針金を外して身体を隙間に潜り込ませて中に入りました。
勿論、ちゃんと針金を留めましたよ。
我が輩は真面目なのです。
て、自分で言うやつは怪しい?

しばらく進むと山と山の間、

いわゆる切通みたいな場所が見えてきた。

これより下り坂になり、
すぐに舗装道に出ました。

振り返って見る

あの若者の言うように10分ほどでした。
感謝感謝ですわ。
舗装道を行くと
右手に玉雲寺。

本来は滝つぼのわきにあったが、
天正7年(1579年)、明智光秀の市森城攻撃によって寺の建物や宝物はほとんど焼失。
現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の道徳を尊崇し、天正8年に再興したもの。
市森城は、須知城の別名。


紅葉の頃に来るといいかも?

そして、駐車場に到着。

琴滝案内図

有名なようで、次々にハイキングで来てる人に会いました

高さ43m、これより徒歩2分。
映画のロケーションによく利用される、と書いてある。

まむし注意

トイレあり

紅葉の時期は最高だろうね

そして、琴滝に到着。



滝つぼ

やっぱり、夏は滝がいいですね。

滝の左手に祠あり。


で、さらに左手に
『須知城』への登山口

これが本来の目的!

登ります。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京丹波町【須知城】その③

2019-07-11 18:07:55 | 丹波国の史跡

2019年6月23日(日)
西曲輪群を西へ


長い通路のような郭、
『細長郭』と名付けた

細長郭から西郭4へは木の階段がある


しばらく進むと

ちょこっと盛り上がる

『西郭5』、郭と言えるかどうか…

そして、西の端に来た

『西6郭』

南側に帯曲輪がある



この先はロープがあり、急な坂を下ることになる。

おそらく、西の明石登山口に出ると思うが、今回は琴滝へ引き返すことにしました。

そして、琴滝への分岐に戻りました

今度は正規の登山道を下ります

下のほうはシダの道になって登山道がわかりにくい。


適当に降りました

そして、琴滝登山口に戻りました

帰りに須知城を見る

遠くに看板見える

ズームすると、

明石側の登山口の看板です。
次回また来ることがあれば、こちらから登りたい。

ショートカット道に来たので


再び、ここから同じ道を街道へ戻る
疲れてたからか、この山の中で二回も転んだ。

農作業をしてた若者が声をかけてくれたので、ありがとうございました、とお礼を言いました。
ホントに感謝です。



以上おしまい



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【丹波上木崎城】南丹市

2019-06-04 21:53:08 | 丹波国の史跡

2019年5月26日(日)
山陰街道歩きした。

街道沿いに登山口がある。
黒田城と同じ丘陵にあるので、東側の支城と言ってもよい。

黒田城とともに山陰街道を睨む重要な位置にある。



橋を渡って真っ直ぐ行ったら、民家があるだけ。
なので、引き返して登山口はどこにあるのか、探したら川沿いに見つけた。
こちらは、看板も何もない。



登ってみると草が多くて、これはダメかな?と思ったが、
祠を発見!


草をかき分けてさらに登ると
↑『物見台』と呼ばれる曲輪?に出た。


この付近から尾根道で、草が無くなり、歩きやすくなった。

土橋、右に竪堀


さらに進むと尾根道の中央に土塁らしきものがある。
自然地形に見えなくもない


少し広い場所に出たので、
ここが『東郭』だと思う。↓




登山口から約15分で
『主郭』に到着。


左手(南側)に帯郭あり。



突き当たりまで行くと
眼下に『大堀切』
これは圧巻ですな。
北側にはあまり明瞭ではないが、土塁あり。北側が堀切で、南側に大空堀、そして竪堀として麓に落ちるのかな?
空堀には降りてないので想像です。

空堀の反対側

黒田城へ向かう
10分ほど歩いたが、だんだんややこしくなってきて、このままだと迷いそうになったので、あきらめて引き返した。

w竪堀?



再び、主郭に。
「土塁」あり。
大土塁と言われてるそうだが、そんなに大きくはない。

そして、登山口まで戻りました。

往復約一時間ほどでした。


黒田城と違ってこちらは看板がなにもないので
ほぼ無整備。

城跡遺構は、あくまでも自分の想像。
間違ってる部分もあるかと思う。

信用しないように!

ともかく、単純な縄張りで
我が輩のような未熟者にはもってこい?


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

"この先、山陰街道は周知へ向かう。

福知山まで、いくつも城跡が街道沿いに待ち構えてますよ。
目をつむってやりすごすか、
城跡に寄り道するか、
悩みそう。

その時の体調と、帰りのバスの時間を考えて判断したい…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【丹波黒田城】後編

2019-06-03 17:23:59 | 丹波国の史跡

2019年5月26日(日)

丹波黒田城

北郭から主郭を見る

主郭に戻った。
東郭へ向かう

左側(北側)には土塁がある。

長い曲輪です

東郭の突き当たりまで来た
土塁で囲まれてる
この先の尾根を東へ向かうと、上木崎城跡へ行けると思うが、
登る時に、おばあさんが、
『迷うから何とも言えない』と忠告してくれたので、今回はあきらめて、
引き返した

東郭の南側は土塁無し


南側の斜面を通って主郭の下へ


主郭下

再び分岐に戻った

『南出郭』

こちらの先にも段々曲輪がありそうです
藪がひどくなったのでやめました



無事下山しました。
民家に頭を下げて立ち去りました

おばあさんありがとう。

次は上木崎城へ目指します



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

ふと思ったのだが、
充電式乾電池で冷やせる小さいボックス型の冷蔵庫作ってくれないかな?

ペットボトルとチョコレートを冷やすのが目的なのです。

クーラーボックス買え?

バカな考えは、やめとけ?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【丹波黒田城】前編

2019-06-01 22:09:16 | 丹波国の史跡

2019年5月26日(日)
山陰街道歩きした。
園部駅から徒歩で役場に向かい、
小麦山に登った。
この後、少しだけ街道歩きしたが、
再び寄り道。



園部川の橋を2つ越えて、
黒田地区に移動。
黒田城、登山口に到着。
看板をなんとかしてね!


"黒田城は、天暦元年に森宗政によって築かれた。
近江佐々木氏の一族の森氏だと言われる。
東近江市の鯰江城主で、後に豊後佐伯城主毛利氏となる森氏と同族のようですが、ホントかな?
明智光秀が丹波侵攻すると、波多野氏などとともに反抗するが、攻められて落城した。

川の手前に獣対策のロープが張られてる。
触ったら感電するかも?
でも、ここを越えないと橋の向こうの獣フェンスの扉に行けない。


"猛暑日だし今回はあきらめることにした。
冬なら直登りする場所を探すのだが…

引き返して帰ろうとしたら、おばあさんが近付いてきた。
どうやら入口の民家の人だ。
『城に登るんかね?』
「登りたいけど、感電死するのは嫌だからダメですわ」

『うんにゃー!これは壊れていて電気は通ってない。』
と言って、ロープを外してくれた。
獣というよりも人間の子供が川に落ちないためのロープなのかも?

『どちらから来なさったのかね?』
「滋賀県からです」

『あらまあ、遠い所からわざわざ。どうやって?』
「園部駅から歩いて来ました」

『うわぁ!そりゃ大変でしたね。』
「いやいや、歩くのが仕事なので、なんのこれしき」
というか、山陰街道を20キロ歩くと言ったら、腰抜かしそうなので言わなかった。

『 真っ直ぐ登って山頂に出たら左に
向かえば城跡があるよ。
気をつけてね』

ここまで言われたら今さら帰るわけにいかない。
おばあさんに背中を押されるように意を決して登ることにしました。
『杖持ってますか?』

「はい、大丈夫です」
持ってなかったら、貸してくれそうな勢いです。
おばあさんに感謝感謝、ですわ。

扉を開けて登りかけたら、
おばあさんが
『マムシに気をつけてや!』

げっ!
それ余計や!
ビビるわ…"

登山道はイマイチわかりにくいが、道なりに登ったら、
おばあさんの言う通りに山頂の分岐に到着。
約10分でした。
右へ行くと南出郭。

まずは、左へ向かった。

しばらく、尾根道を行き、
『南郭』
虎口を入る
入口に帯郭のようなものがあり、
中央は盛り上がってる

主郭を目指す

↓堀切、土橋。
右手は竪堀として落ちてる。


↓東斜面に畝状竪堀群がある。
もう少し下 まで降りると分かりやすいと思うが、危ないのでやめた。


尾根曲輪を進むと
主郭が見えてきた

左から回り込むように入る。

『主郭』
南郭より広い
中央に地蔵さんがいます。

北郭へ向かうと、
大堀切があります。↓

右側に、堀切へ降りる道があった↑

土橋になってる。↓


この向こうが
『北郭』↓


『北郭』


北側に段々曲輪がありそうだが、


無理せず、ここで引き返して
東郭へ向かいました


後編に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

チバラキ、

これは知らなかった。

今夜、わかった。

チバラキは、

地図の聖地だ!


日本の聖地だ!

佐原にまた行きたいな。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

園部陣屋・園部城

2019-05-15 16:44:42 | 丹波国の史跡
日曜日は、丹波山陰街道歩きの続きをした。
前日と同じく京都駅で乗り換え。
時間が遅いせいか、珍しく電車が空いてました。
11時半、八木駅到着。


八木は宿場町として栄え、今もいい雰囲気が残ってます。
八木から北上すると堤防沿いの道ばかり。
史跡も無くて、ただ暑いだけ。
今日も30度近くまで気温が上昇しそうです。
ふと、竹藪を見ると手書きの絵看板発見。


看板にしたがって竹藪を掻き分けると川岸に出た。
この付近は、園部川と桂川が合流し保津川へ向かう場所で、江戸時代水運として栄えたそうです。


その痕跡を探そうかと思ったが、藪蚊につきまとわれて、とてもじゃないがそれどころではない。
早々に退散しました。
この後、
しばらく宿場らしい街並みが続いてた。

宿場の出口で、ここが鳥羽宿だったとわかった。
これはミスった。

わかってたら、もっとじっくりと街並みを見て歩いたのに、残念無念。

吉富駅でしばし休憩する。

これからは、暑さが厳しくなるので街道歩きは休憩必須。

そして15時、園部町に入りました。

園部駅は街道に近いが、園部城下町は山の反対側で遠い。
鉄道は火を吹くという意識があり、駅が町から遠ざけられたらしい。
同様の例は他にもあり、同じ丹波の篠山城、我が近江八幡もそうです。
後々、これが良かったのか悪かったのか…


園部駅は地図の右下付近です↑

街道を北上し、園部本町で街道歩きはストップ。
これより南下し城下町を探索しました。




1619年、園部藩主小出義親は小麦山周辺に築造を開始した。
陣屋は完成したが、櫓は幕府の許可が得られず断念。
結局江戸時代通じて園部陣屋としての城下町でした。
しかし、築城の願望は強く、幕末に再び幕府に申請し、
そして、明治新政府の時にようやく許可された。
表向きは京都守護の名目でした。
小麦山山頂の他に本丸周辺に櫓門や櫓など10個の建物が造られた。
ようやく念願の堀に囲まれたお城が完成したのもつかのま、2年後に廃藩置県が断行された。
このため、園部城は
日本で最後に建てられた城郭建築
と呼ばれます。

裁判所正門に石垣。




城郭風のような建物は、園部町公民館。

近寄ってみると、現在は廃墟のような感じ…



国際交流館の建物も城郭風です。


園部城には天守が無かったのでこれはあり得ない。

すぐ隣に南丹市立文化博物館。
15時で閉館と思ってが、近寄ったら開館していて、館員が入ってもいいというので、300円払って入りました。
ここで、城下町マップget!

この後、マップを頼りに城下町探索しました。
しかし、小麦山は時間的に無理なので今回はパス。
肝心の本丸は、現在園部高校の敷地になってる。
高校の回りを一周する。

フェンスの向こうは、蓮池跡。

そして、正門に。


巽櫓、番所、櫓門が現存してます。
右に太鼓櫓があったが、その後八木町の寺に移された。
太鼓櫓も現存するので、次回八木町に立ち寄って確認するつもりです。
というか、今回は八木駅から出発してるのだから、先に立ち寄るべきでした。
下調べが不十分でしたわ。

正門は閉まってます。


なので、テニスコート横の南側の通用門から入って
裏側を撮影しました。


巽櫓と櫓門の間に番所。
この番所で、現在は高校への入門を監視してるのかな?

誰もいないので勝手に撮影した。

高校なので敷地に入るのは基本的に事前に許可が必要。
良い子は真似しないように!



最後に『生身天満宮』
なまみ、

じゃなくて、「いきみ」と読む

全国にたくさんの天満宮があるが、
日本で最古の天満宮
と言われてます。

菅原家の知行地が園部にあり、小麦山に邸宅があった。
道真公が大宰府に左遷されることになり代官が道真の子を預り養育し、道真の祠を建てた。
なので、道真公存命中の祠として
「いきみ」と名づけられたようです。

そして、道真公無くなった後、正式に神社になりました。

お城は日本最後、
神社は日本最古、

園部という町、いいですね。

実は、学生時代の先輩が園部出身で、自分のことを
丹波守と呼んでました。
園部町史の編纂に携わっておられたので、現在も歴史に関わることをされてると思うのだが…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
関西テレビ、カンテレの深夜に

『トゥルーマン・ショー』
という映画が放送されてたので見た。

アメリカの製作で、大ヒットしたらしい。

最初、わけわからなかったが、
そのうちのめりこんでしまった。

びっくりポンの企画!

いやぁ、凄い映画でした。

いろいろ突っ込みどころもあるけど、
奇想天外な内容はアメリカ映画らしいですな。

主人公の俳優さんのあの明るさが
この映画のすべて、と言ってもいい。

大いに満足したけど、
その後の主人公の人生はどうなったのか?
気になります…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする