馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

西国街道歩き、【安威城】

2020-12-19 10:14:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
西国街道歩き、
太田茶臼山古墳を一周したため、雲見坂はパス。
振り返って坂を見た。


実は太田神社には立ち寄れなかった…



↓ここ、数年前に来た時は東芝町という名前の交差点だったはず。

前回触れた追手門学院大学は東芝工場の敷地に建てられたのです



安威川の橋を渡る

名神高速道路を越えて
耳原交差点へ。
ここでまたまた寄り道。
耳原は「みのはら」と読む。
中川清秀、和田惟政が戦ったゆかりの地です。




交差点を右折して北上すると
向こうに丘が見えます


この丘がまるごと
【安威城】
安威は「あい」と読む
地名由来については諸説あります。
この地域、「藍野」と呼ばれてるので藍=安威?
あいわかりません…



我が輩は「あいーん城」と呼びながら周囲を二周しました。

この付近は内郭だったかな?
側溝は堀跡

こちらは外堀
藪のなかに土塁が残されてるようだが…



酒屋さんの所に城跡の説明看板が、あい~んス



学校横の通路、内郭と外郭の境目

この土手というか藪の中に入りたかったな…


内郭と外郭を確認するために二周したのです
マップの丸印付近に大手門があった


大手から左手の外堀水路だったかな?


↑大手門付近


藪土塁…?

ここから北へ進むと「安威砦」という山城があり、良い遺構があるそうです。
地元の豪族安威氏の詰城かもね。
行くつもりだったが、
この時点ですでに夕方の5時。

なによりも、安威砦は立入禁止という情報を得たので、悔しいが断念。


今回の街道歩き、ここでストップしました。

この先、吹田→西宮へはいつ行けるやら?

以上、西国街道歩き、
これにて一旦おしまい。
今回のルート図

高槻駅~島上郡衙



今城塚古墳


太田茶臼山古墳~安威城跡



ルートの詳細は
YAMAPのアプリ
西国街道、高槻駅から茨木まで歩いた-2020-10-25 https://yamap.com/users/1260342 #ヤマップ
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我がひこにゃん市も雪国となりました。
この冬は雪多いのかな?
馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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西国街道歩き、島上郡衙~今城塚古墳

2020-12-05 22:58:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
西国街道、寄り道してます。
島上郡衙の反対側に
素盞嗚尊神社

ここに芥川廃寺という郡寺があったそうです。



鳥居の額には「神郡社」と書いてある。
郡全体が神域だった神社ということか?

「手水鉢」

寺の塔の心礎でした。




マップを見てわかるようにこの近辺は郡の中心地として役場や寺社、そして大きな古墳があります。

やっぱり摂津国の国府もこの付近にあったと考えていいのでは?

そして、

「今城塚古墳」

巨大の堀と土塁は城を彷彿させますが、実際に
城砦として戦国時代に使われたので今城塚と命名されてます。
足利義栄や織田信長の陣所となったので、古墳が改変されたに違いない。

模型

この日は太鼓の演奏イベントが開催されてました

今城塚古墳は、継体天皇陵と推定されてます。
天皇家の跡継ぎがとだえそうになったので越前・近江出身のおおど王が迎えられて即位。
継体天皇は、
現在の天皇家のルーツとも言える天皇なのに、
スマホで「けいたい」と入力しても「携帯、形態」しか変換されない。
なんでやねん!
今やこの古墳は公園化されて厳粛さは全くない。
古墳でどんちゃん騒ぎするのは不敬ではないかい?
宮内庁としては、木簡とか文献史料が出てこない限り天皇陵として認定しないとか?
いやはや…。


ま、そのおかげで天皇陵を発掘調査できたのだが。
継体天皇、河内国樟葉で即位したものの淀川、木津川沿いを遍歴し、
大和の都に入れたのは、なんと即位19年後でした。
系譜に問題ありとか、抵抗勢力が阻止したとか、摂津近辺での基盤固めに時間がかかった、などの諸説あります。

いずれにせよ歴代の天皇陵で、摂津に陵墓があるのは継体天皇だけ、です。
即位に際して越前・近江だけでなく摂津・河内・山城などの勢力の後押しがあり、三島地区は天皇の地盤となったのではないだろうか?


今城塚古墳には、何度も来てるので今回はぐるっと一周するだけにしました。

街道をさらに西へ向かうと
茨木市太田地区に入る。
「太田茶臼山古墳」
こちらは宮内庁管轄で、継体天皇三嶋藍野陵と命名されてる。

マップには、継体天皇陵と記載されてますね。
宮内庁管轄なので中に入れないので、こちらもぐるっと一周して街道に戻りました。
今城塚古墳が、戦国時代以後砦・陣跡に改変されて、天皇陵という認識が消滅し、こちらの茶臼山古墳が
江戸時代に継体天皇陵と推定されてしまったようです。

古墳から少し南へ向かうと
「太田城跡」

多田源氏の太田氏が築いた、とされる。
源義経と戦って敗れたそうです。




余談ですが、追手門学院大学の「追手門」は、大坂城の大手門の敷地に学校が造られたのにちなんでます。

大坂城大手門の場所は茨木市太田ではないでよ、念のため。

続く…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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西国街道歩き、芥川宿から島上郡衙跡

2020-11-27 19:50:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
芥川宿で寄り道してます。
教宗寺から西北へ住宅地の中を右に行ったり左に行ったり進む。
Googleマップのおかげで迷わず行けるのが助かる。

芥川小学校跡地


明治6年から昭和8年までここに校舎があったようです。

さらに進むと名家のような建物が。



植込みの隙間に石碑が見える


【芥川城跡】
有名な芥川山城とは場所も城主も規模も全く違う。
地元芥川氏の館城があったようで、芥川宿付近の土豪だったのでは?
芥川山城と区別するために摂津芥川城と呼ばれる。



当時の石垣ではないが、ついつい石垣目線で見てしまう。
はい、病気です😅
由緒あるお家のようですが…


昼になったので先程の小学校跡地横のポケットパークのベンチでパンを食べました

城跡へのルート図


街道をしばらく西へ進んだ後、
またまた寄り道。

【嶋上郡郡衙跡附寺跡】

郡衙は郡の役場があった施設。

発掘調査された跡、埋め戻されて保存されてる。

近畿地方で初めて確認された郡衙で、国史跡に指定された。


学生時代、我が輩は野洲郡衙跡の発掘調査したことある。
結局、確定できるような遺構は検出されなかった…


基壇跡か?と思われるような上の道を奥へ進むと、

こちらは郡衙跡の西側で、
遺構の縮小版が復元されてる。

保存された遺跡は地下にあるので見学できない。
そこで、隣の敷地に推定復元されていて見学者に当時の施設を実感してもらおうという試み。

建物があればもっとわかりやすいが
予算の関係もあるだろう。
贅沢を言ってはいけませんな。

「後門」


「厨」


古来、三島郡があったが、後に三島上郡と三島下郡に分割され、島上郡と島下郡と改称された。
現在は、三島郡は島本町のみ。
この他に高槻市や茨木市、摂津市、吹田市なども三島郡でした。



三島は、「水島」の転化だと思われる。
古代は河川や湿地に囲まれた島状の土地に集落があったのでは?

郡衙跡が明瞭に残ってる地域は全国的にも少ない
それだけに三島郡衙は貴重だと言っていい。





摂津国衙に関しては今のところ不明。
難波宮付近が有力だが、三島郡も捨てがたい。
摂津国は本来、津国。
難波津など大和朝廷の外港として重要な港(津)が、淀川水系や大阪湾に点在した。
この津をおさめる政府機関として「摂津職」が設置された。
後に「摂津国」として国名となる。
全国の国名で、地名じゃなくて役職名が国名になった稀有な例が摂津国なのです。

さらに西へ向かい、寄り道します。

続く…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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