馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話【海部郡】

2024-12-30 00:17:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【海部郡】愛知県
あまぐん。
これは難読地名ですよね。
もう亡くなられたが、名古屋市出身の海部俊樹首相を「あまとしき」と読む人いますか?
「かいふ」と読みますよね。

NHK朝ドラで大ヒット作となった「あまちゃん」のおかげで「海女」をかいじょ
とかかいにょ、とか読む人は皆無になったのでは?
あまぐんは、海女郡と書かない。
海部郡です。

位置は、愛知県の南西部、岐阜県と三重県に接する地方です。
現在、大治町、蟹江町、飛島村が海部郡に属す。
平成の合併で海部郡の3つの町が「あま市」として誕生したが、このあま市を漢字で書けば「海部市」となる。
でも、誰も読めないのであえてひらがなの「あま市」と命名されたのです。

この海部郡、古代では木曽川や長良川の西側まで広がってました。
現在、岐阜県側に海津市があるが、本来は海部郡でした。
「海部」は、木曽川などの河川と伊勢湾との海岸が交わる部分という意味なのではないか?と思います。

この考えは、甘し?

▲「海部郡」
実は古代の豊後国にも存在した。
現在の大分県の佐伯市や臼杵市など県の南東部の海岸地域で、
読みは「あまべ」でした。
あま+べ。
この部は人々、集団という意味。
海辺に住む人々、海の辺が海部になったのではないでしょうか?

この考えも、甘し?
いや、海の水は辛いぞ!

▲「海部郡」
もう一つ、阿波国、現在の徳島県にも存在した。
徳島県の南端の海岸地域の海陽町、牟岐町、美波町などの町です。
ただし、読み方は「あまぐん」じゃなくて
「かいふぐん」。
なぜ、こちらは「あま」と読まないのか、理由は不明だが、
海部川、海部山地も「かいふ」と呼ばれる。
険しい山々があり、海運も盛んだったそうなので
「あま」などと甘いことを言ってられる環境じゃなかったから、
と、思えてくる

この考えは、「甘っちょろい」ですか?

阿波国だけに、

泡を食う…


次回は元日の夜に
あわいましょう


Φ(*^ひ^*)Φ
街道歩きをすると、犬も歩けばじゃなくて、難読地名に当たることが多い
例えば、佐屋街道。
桑名市から熱田神宮まで歩いた
「鯏浦」

「神守」

↓「烏森」

↓「五女子」

「尾頭橋」


いずれも難読!

でも、これも街道歩きの楽しみの一つです。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
NHKの朝ドラ、
現在は「おむすび」が放送されてる。
おむすびと言えば、我が輩どこかに出かけるときは必ずおにぎりをつくる。
街道歩きにしろ、山城登りにしろ、どこで昼を食べられるかわからない。
現地調達が無理な場合もある。
だから、おにぎりは必須なのである。
我が家には梅の木があるので、生前母がたくさんの梅干しをつくってた。
それを今、おにぎりの具として食べてます。
なお、ドラマのほうはあんまり面白くない。
橋本環奈さん頑張ってるだけにちょっと残念だなぁ…
というか、ドラマのタイトルは
おむすび、じゃなくて
おにぎり、のほうが親近感あるのですが…

朝ドラの再放送も見てます。
☆「カムカムエブリバディ」
3年ぶりですが、何回見ても素晴らしい。
基本的に再放送は見る気しないが、これは別。
毎回涙なしでは見られない。
主題歌のアルデバランが泣かせるメロディーなのですよね。

☆「カーネーション」
こちらはNHKBSで再放送されてる。
初見なので新鮮。
面白い。毎回面白い。
尾野真千子さん、いい演技してますね。
数年前、岸和田城に行った時に岸和田駅前の商店街にコシノヒロコさんの店がありました。
この店はもう閉店したと、風の便りに聞いた。
当時、このドラマ見てなかったのが残念でならない。
見てたらドラマ関連の場所を巡ったのに。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
いろいろあった2024年。
今年も終わりです。
まさか予想だにしなかった年末となりました。
今は複雑な境地です。


地名夜話、今回で今年の配信は終わります。
1年間おつきあいありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。

どちら様も良い年を迎えられますように
お祈り申し上げます


ちなみに、青春18切符を買いました。
年末年始は電車に揺られて西へ東へ旅するつもりです。
なので、年末大掃除も正月気分も無し。

独り身となったので、これでいいでしょう。

次回は元日の夜、さてどこから配信してるだろうか?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【矢巾町】

2024-12-27 23:46:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【矢巾町】岩手県紫波郡
やはばちょう。
位置は県庁所在地の盛岡市のすぐ南に接する。
さらにその南に隣接して紫波町がある。 
この矢巾町と紫波町の2つの町が紫波郡に属す。
盛岡市の一部も紫波郡でした。
「紫波」は「しば」と読みたいが、「しわ」が正解!
本来は「斯波郡」と表記された。
斯波と言えば、足利氏の一門で管領の家柄の斯波氏。
尾張の織田信長の織田氏は、守護大名斯波氏の家臣でした。
斯波氏は織田氏よりも遥かに上の家柄、
その斯波氏の本貫の地がここなのです。

で、斯波氏は「しば」と読むので、紫波も「しば」と読んでしまうのです。
この斯波氏が、北上川を遊覧した時に、川の波が紫に輝いた。
そこで、紫の波→紫波郡と改名したとか?

ちなみに県名の由来となる岩手郡も本来は紫波郡でした。
つまり、古来より盛岡市周辺の紫波郡が陸奥国北部の中心地だったわけです。

矢巾町の由来は
岩手県の地名辞典によると
1、前九年の役で、源頼義が安倍貞任を討つため矢をつくる矢羽根(ヤバネ)を集めさせたことから
2、「谷端場」「谷端間」の意味で、段差のある湿地の法面のこと

どちらの由来も正しそうですな。
平安時代、北方の守りの拠点として坂上田村麻呂が現在の盛岡市に城柵として志波城(斯波城)を築いた。
しかし、水害に悩まされて維持が難しくなり、後に現在の矢巾町に徳丹城に移された。
徳丹城は水害対策として微高地に築かれたのである。
このことを考えると、矢巾町の由来は谷端場のほうが有力のように思える。
いや、思いたい!
でも、あまり偉そうに言うと、

しばし、待たれよ

お前ごときが、矢巾町の由来に
口幅ったいことを言うな!

と、叱られそう…


明後日に続く~


□■□■□■□■□■□■□■□■

₵(*^ひ^*)∂ラジ耳
年末も押しつまり、大掃除に追われてる人も多いのではないでしょうか?
先日窓拭きをした。
しかし、セスキ洗剤をたくさん付けすぎたためか、洗剤の汚れが残ってしまい、逆に窓ガラスが汚くなってしまった。
まさに本末転倒、ガックリです。
そんな折りに
KBS京都ラジオ、日曜日朝の番組を聴いたら窓拭きの裏ワザが紹介されてました。
諸物価高騰で洗剤を買うのも惜しいという人にオススメのワザですよ。

用意するのは水と新聞紙。

ちぎって丸めた新聞紙を水に浸けて窓ガラスをふく。

たったこれだけ。

新聞紙のインクが頑固な汚れを落とす。
水なので拭き取れば跡が残らなくて綺麗になる
という仕組みなのです。

で、試しにやってみた。
確かに綺麗になります。
もっと早く教えてほしかったわ。

ただし、一つだけ難点がある。
それは、ゴシゴシ擦ると濡れた紙がボロボロと下に落ちる。
落ちた紙屑がゴミになってしまう。
なので、擦り具合加減が難しいです。

なお、拭き掃除の基本は、
タテタテ、ヨコヨコ!
これが、綺麗にふくコツです。
丸くふくのはダメ。

親の介護をしてた時は、
下の世話で新聞紙は必須。
毎日大量に使ってた。

今はもう新聞紙の用がなくなり廃品回収に出すしかなくなってただけに、これは朗報です。
ご多分に漏れず、新聞の購読料も値上げされた。
購読をやめる家庭も増えてるらしい。
ネットやテレビニュースで間に合うからね。
それだけに
新聞紙は読むだけでは勿体ない。
あらたな活用方法を考えるべきですよね。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
JR東海の電車に乗ると車掌のアナウンスは、
駅名案内を最初は日本語で、
次に英語で話してくれる。
おそらく英語は堪能でないから、教えられた文句を読んでるのだと思う

先日、車掌さんが英語で話してる途中で、読み間違えた。
で、『失礼しました』
と言ってもう一度いい直した。

いや、外人向けにアナウンスしてるのだから
『失礼しました』
も英語で言わないと外人に通じないぞ!(笑)

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【小山市】

2024-12-26 00:25:50 | 歴史地理
地名パズル、前回の答え
   守
  海口
◯◯◯◯←ホタルイカ県
山巾郡駅
市町  
↑↑↑↑
栃岩愛大
木手知阪
県県県府
正解は、『小矢部市』
詳細は後日
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地名ちょこっと紹介
【小山市】栃木県
おやまし。
栃木県の南東部に位置し東隣は茨城県結城市と接する。
昔々その昔、まだ我が輩が元気だった頃、我が家からマイカーで関東まで走った。
高速道路を降りて本庄→熊谷から国道50号線をひたすら東へ東へ向かい、佐野市あるいは小山市付近でガソリンを補給。
1日目は結城駅前のホテルで宿泊した。
そして、翌日に目的の水戸城を見学した。
思えば、500キロ以上もよく走ったものですわ。
今なら、疲れきって水戸へ行かずに小山でUターンして帰ったかも?
あやまぁ!
小山と言えば、歴史的には「小山評定」ですよね。
上杉討伐に向かってた家康軍が、小山対陣中に石田三成挙兵の知らせを受けて軍議を開き、西へ引き返した。
まさに天下分け目の評定でした。
この時、真田親子は敵味方に分かれて、お家存続をはかった。
一方、水戸城の佐竹氏は、家康寄りのポーズを取りつつも中立を保った。
このどっちつかずが禍となり、戦後お家取り潰しはまぬがれたものの秋田へ飛ばされてしまった。
もし佐竹氏が上杉氏とともに家康の背後を突いてたら、その後の歴史は?
おやまぁ?
となってたかも…
この小山評定の場所は小山市の祇園城の南付近だと言われる。
祇園城は地元の豪族小山氏の居城でした。
実は我が輩、栃木県南部の城跡巡り遠征を計画してます。
遠からず祇園城を探訪する予定なり。
ところで、小山市の由来は、
小山市のホムペによると
「地名の由来については、諸説がありますが、思川西部の低地から見ると東部の台地が小さな山の形をしていることからその名がついたというのが有力です。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、下野国の守護や鎌倉幕府の評定衆として活躍した小山氏の本拠地となったところです。」
と書いてある。
地図で確認すると、思川が小山市の中央を南北に流れて東西を分ける形になってる。
この思川の東の小山に祇園城があるのです。
思川の由来はタキリヒメ(田心媛)の
田+心=思から名づけられたとか?
おやまぁ、
♪ホホイのホイでもう一杯
て、このCM知ってる人
昭和世代ですよね。
では皆さん、唱和しましょう
♪ワタ◯ベのジュースのもとです
もう一杯…
こりゃまぁ
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
前回は猛暑だったが、季節は進み極寒の時期に。
そして、今夜は寒さでメリー苦しみマス
と、いきなりの
ド定番のギャグであいすみません、でござる。
いや、物価高で
メリー栗きんとん、とんと食えぬ
正月用品や食品はホントに高い。
もう手が出ない。
かまぼこは、迎春の文字を入れるだけで普段の数倍もの値段にしてるんじゃないですか?
ま、来年は正月気分では無いので、
おせち料理も不要なんですが…
そんなこんな言いながら、今年のクリスマスも普通の夜を過ごしました、とさ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
庭の掃除をしたのですが、
落ち葉の風情がいいのでこのままにした。

と、体裁のいいことを言ってるが、
落ち葉をかき集めるの大変なのです



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
美濃国分寺に行きました。
いとこの墓参りです。
クリスマスに亡くなり、本日は17回忌になる。





墓地の紅葉も終わりですな。

母は常々、このいとこに老後の世話を頼んでました。
岐阜市に嫁ぎ苦労しただけにしっかりとした優秀の人だったので、母は懇意にしてたのです。
結果的には乳がんのために母よりも早く65歳で亡くなったので
母の老後の介護は、我が輩の担当となってしまったのです。
墓前で、いとこに母の大往生を報告しました。
合掌!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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復帰第一弾は山中越えを歩いた、の巻

2024-12-22 23:59:00 | 街道歩き
母が亡くなる前後から忌明けまで約2ヶ月間、買い物と用事以外はずっと引きこもってました。
で、ようやく一段落したので、
どこへでも自由に何の気兼ねもなく出かけられるようになった。
日本全国一周できるぞ!

とはいえ、いざ自由になってみると
なんか気が抜けてポッカリ穴が空いた状態。
親ロス、介護ロスかな?

ま、いつでも行けるから焦ることはないのですが…

【格言】
いつでもいけるは、
いつまでも行けない

ですよね。
いつまで生きられるかわからない歳になったし、
有名人で自分より年下の人が次々に亡くなっていく昨今、明日は我が身。

だから、のんびりロスタイムしてる場合ではないのです。

そんなわけで、
復帰第一弾は、足慣らしのつもりで軽く
【山中越え】を歩くことにした。

大津市と京都市を結ぶルートは、
①旧東海道の「逢坂山越え」、
②抜け道の「小関越え」、
③近江穴太から比叡山を越える「白鳥越え」
があり、これらのルートすべて制覇済。

残るは、「山中越え」のみ。
2024年12月11日、トライしました。
京阪電車の光る君へラッピング電車に乗って

降りたのが滋賀里駅。
いざ、行かん!
なのですが、
久しぶりということで、手袋・時計・ペットボトルの水など、歩きの必須アイテム忘れる。
さらにデジカメの調子が悪くて使えない。
仕方ないので、今回はスマホで撮影した。
そのスマホも不具合で、動画の音声が無音になってた(泣)

そんなこんなで、前途多難なスタートとなった。
約30分で



志賀大仏は山中越えする人の心の拠り所でした。
我が輩も無事に歩けるように道中の安全祈願した。


志賀峠まで1キロ。
かなりキツかった


ここが峠です

峠を越えれば下るのみ。


山中集落に入った


ここまでが大津市です。
京都市の北白川へは、この山中越え道路をひたすら歩くのみ。 
ゴールが近いのだが、ここで引き返すことにした。
というのは、この道路は歩道が無くて車が恐ろしいスピードで走ってる。
皆さん、抜け道としてバンバン走ってますわ。
道幅はそれほど広くないし、歩くのは危険。
それに右膝が痛みだした。
ここは潔く断念してバスで帰ることにしました。
とりあえず、峠を越えられたのでひとまず満足。
次回は京都北白川から山中町へ向けて少しだけ歩いてみたいと思います

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先日、戸棚の奥からぶどうパンが出てきた。
2週間前に買ったやつです。
寒い季節なので、カビが生えてないし見たところ異常はないようだが、さすがに食べるのはやめて、捨てました😥

ぶどうパンには悔しい思い出がある。

父は持病として胃が悪かった。
晩年には胃を摘出した。

自分がまだ子供の頃ですが、
ある日、胃の痛みで寝込んでた父が、
『ぶどうパン買ってきてくれ、アンパンはいい』
と言うので、パンのお使いをした。

我が輩、聞き違いをして
アンパンを買ってきた。

父はアンパンは胃に悪いのでいらない、胃に触りのないぶどうパンが欲しい、と言ったのだ。

そのことに気づかなかったバカさ加減に今も悔いが残る。

父は買ってきたアンパンを見て
『お前が食べよ…』

以後、菓子パンを買うときは必ずぶどうパンを買います

いやはや…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



















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今年の漢字は、「重い」かな?、の巻

2024-12-14 00:15:00 | 日記

京都清水寺の管長さんが、重厚な筆の運びで認められた漢字は、
【金】
ですが、金と読めた人がどれだけいるだろうか?
今の若い人は、ほとんど読めないのでは?

くずし字は難しい。
我が輩、毎月一回ボランティアでくずし字の勉強のために登城して約10年になるが、いまだに読めない漢字が多い。
腹立つので、最近は金目鯛を買って食べてるわ。
て、金目鯛はくずし字とどんな関係があるねん?
実は、スーパーで安売りしてるのでたまたま買ってるだけですが…

それもこれも物価高と重税のために金欠病となり、金目鯛やアジの開きを食べるしかない、という始末なのです。

そのために
管長さんの漢字が
「重」と読めてしまう。

毎晩の晩酌のつまみは四分の一カットされた生キャベツなのですが、
ついこの間まで50円で買えた。
それが100円になり、今や130円まで値上がりした。
キャベツの葉っぱの重ね重ねを一つ一つ細かく引きちぎって時間かけて食べることにした。
年金生活では、節約の積み重ねをしてやりくりするしかないのですわ。

高値安定のお米、玉子、なすび、
もう満足には食べられない。

こんな世の中に誰がした?

いやはや…😭

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家のピンクのバラは
この寒いのに
狂い咲き?


イチジク、梨に次いで柿の木もバッサリと切り落とした。
もう果樹は食べられません…


キンモクセイ、ギンモクセイもかなり剪定した。

とりあえず、この冬の剪定は完了。

伊吹山に3回目の雪が降り、
いよいよ平野部にも雪が舞うようですよ。

あ~寒〜
剪定された木々とともに
我が輩も

独り身に
寒さが重く
のしかかる


馬《●▲●》助ヒヒーン♪









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いよいよ謹慎解除。ひこにゃんに年賀状を!、の巻

2024-12-09 09:05:00 | 日記
母が亡くなって四十九日となりました。
謹慎中といえども、時おり弔問者あり相続手続きあり断捨離もあり、相変わらずバタバタ過ごすうちに
少しづつ介護の日々のことが薄らいでいく。
一方で、独り身の寂しさは強弱は一定せず、時に任せるのみ、であります。

相続手続きと言えば、
土地建物は父が亡くなった時に我が輩が相続し名義変更し、所帯主になりました。これは母の指示でした。
今後の自身の介護のことを見据えてのことでした。

金融財産などは父から母へ全額移したので、今回はそれを弟と分割することになった。
ただし、土地建物を我が輩が先に相続してるので金融財産に関しては2分割じゃなくて、弟が優先的に相続するということで協議しました。
基本的に全額弟が受け取るべきだが、
親の介護をした我が輩にもその対価として少しお恵みを頂きました。

で、円満解決。
ま、最終的には我が財産はみな弟や弟の子供たちに受け継がれるので、弟家族にとっては文句無しですわ。

ところで、
その手続きで簡易書留を送ることになった。
郵便ポストに投函するつもりだったが、
書留に関しては直接郵便局の窓口で手続きすべき、だと言われた。
この歳になって初めて知ったとは、我ながら情けない。
親の庇護のもと世間知らずでぬくぬくと育った我が輩ですわ。

Φ(*^ひ^*)Φ
以前にも述べたが、父の兄弟は11人。
その半数以上が亡くなってる。
そんななか、一番下の叔父さんが亡くなったことが、先日判明した。
この叔父さんは隣町に住んでいて元気で仕事もしてました。
奥さんは癌で早く亡くなっていて一人住まいでした。
母の葬儀に参列してもらうために連絡をとったが、音信不通。
直接、家に行ったが不在。
結局、葬儀には参列してもらえなかった。
ずっと心配してたら、
癌で9月に入院したと寺の住職さんから聞いた。末期的症状だという。
そして、11月に亡くなったと静岡県の親族から知らされた。
叔父さんとはいえ、我が輩と年齢的にも近く家も近所なので頼りにしてた人だけに残念でならない。
というか、近くに住んでいても消息が全くつかめなかったのが、悔しい。
さらに叔父さんの子供、つまり従兄弟が全く連絡くれなかったのが解せない。
そのために弔問に行くこともできない。

近くに住んでるのに遠くの親族から死を知らされるとは…
なんか、いろいろと親族や人間関係について考えさせられた。
死んでわかる親族関係の強弱ですわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ひこにゃん宛に年賀状出しましょう。
彦根城入場券付き返信ハガキが届きます。
彦根城の入城料高くなったので、お得ですよ。


彦根インターチェンジから国道までの渋滞が緩和されます。
佐和山城手前のトンネルです。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪








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スールー諸島にて戦死す、の巻

2024-12-01 23:56:00 | 日記
相続手続きのために役場で母の戸籍謄本を取得した。
母の兄弟は長男と5人姉妹。
この長男は戦死しました。
我が輩の叔父になので、毎年墓参りしてます。

で、戸籍を見ると
叔父は昭和20年4月9日に比島スールー群島近海で戦死したと記載してある。

どこかわかりますか?
Wikipediaで調べたら、
フィリピンのミンダナオ島からボルネオ島にかけての南よりにスールー諸島があるとわかった。
さらに、「スールー諸島の戦い」があり日本軍が全滅した、とある。

経過は、3月16日に米軍がバシラン島(群島の一番北よりの島)に上陸。
4月6日までにはほとんどの日本軍が壊滅、4月26日までに全島が占領された。

叔父はこのバシラン島方面で4月9日に亡くなったそうなので、
船で移動中に撃沈されたのか、
島から逃げる途中に水没したのか?
近くの島で戦死したのか?
と想像されます。

終戦まであと4ヶ月でした。
生きておれば110歳か…

この叔父には2人の娘がいました。
亡くなった時、娘が恋しかっただろうね。

その娘の1人(いとこ)は岐阜市に嫁いだが、乳がんで10数年前に亡くなった。
老後になって自由の時間ができてあちこち遊びに行くわ、と楽しみにしてた矢先の病死でした。
クリスマスの日でした。

今年もクリスマスには墓のある美濃国分寺へ墓参りしなければなるまい。

このいとこは岐阜で苦労をしたせいか、気丈で頼もしい人でした。
なので、母は常々『老後はあんたに世話になるわ』と話してました。
それだけに早すぎる死に落胆、とても残念がってた。

結局、頼りにならない息子の我が輩が母の老後の世話をするはめになったわけです😥

世の中そんなに都合よくいかないものですね。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

松の木の剪定をした。

スカスカにした


我が家のバラ

その隣のイチジクの木を
バッサリと伐った
どうせカラスと猿の餌になるだけだからもういいわ、
ですわ。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪






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