地名ちょこっと紹介
【尾鷲市】三重県
おわせし。
台風シーズンになるとニュースでよく登場するので、地名の全国的な知名度は高い。
位置は紀伊半島の東側。
熊野古道の伊勢路が通る町でもある。
尾鷲、本来は「おわし」と読んだが「おわせ」に変化した。
実は尾鷲市の母体となった旧「尾鷲町」は「おわし」と呼ばれてました。
尾鷲市の古道沿いに「馬越峠」がある。
「まごせ」と読むが、こちらも本来は「まごし」だったかも?
馬で越せる峠かな?と思ったが、
江戸時代には「間越峠」と書かれたとも言われるので、馬は関係ないかな…
この地方では、「し」を「せ」と読むことが多いのかな?
伊勢の由来は以前述べたことあるが、「磯」いそ→いせに変化したと言われる。
もしかしたら、「石」いし→いせに変化したかも?
ちなみにこの地方は「きせい」と呼ばれる
紀伊国と伊勢国が接する地域なので「紀勢」きせい。
紀伊国は本来、現在の和歌山市から南端の新宮付近までで、尾鷲市付近から鳥羽市までは志摩国だった。
ところが、戦国時代に城主の領地争いの結果、紀伊に編入されてしまった。
だから、志摩国は鳥羽市付近の小さな地域になってしまい、さらに江戸時代紀州徳川家は伊勢松阪も領地とした。
ゆえに松阪以南は紀勢という呼称がふさわしくなった。
明治維新後は、尾鷲市を含む本来の志摩国が三重県に属し元にもどったようなややこしくなったような次第となったわけで、おわしま(尾鷲+志摩)す。
ところで、鷲と鷹の違いわかりますか?
難しいですよね。
簡単な見分け方は尻尾の違い。
鷹は尾っぽが扇状、鷲は真っ直ぐだそうな。
地図を見ればわかるが、尾鷲市街地は扇状地に広がる
つまり、鷹の尾っぽのほうがお似合い。
尾鷹市に改名してもいいんじゃない?
地形的には湾内にあるため、
大輪内、大湾→おわしに変化した。
あるいは、山の尾根の端に位置するから尾端→おわしに変化した
というような説もあります。
なお、天候的には「尾鷲の雨」という言葉がある。
尾鷲は、雨粒が大きく雨は上からも下からも降るので、尾鷲の雨は特別だと表現されるのだ。
実際にはそんなことないのだが、とにかく雨が多いというイメージでこのような言葉は産み出されたようです。
『おっ?雨』
おあめ→おわめ→おわせ
に変化したのではないか?
『お?鷲』
この地域に鷲が多かったから尾鷲、
『お?ワシ(私)か』
と、住民がよく言うので、おわしに
などと、色々と考えてみたのだが、
ちょっと湾曲、
いや歪曲しすぎかな?
全然関係ないけど、
東から尾鷲に向かうと尾鷲市の少し手前の紀北町に「種まき権兵衛の里」がある。
いまは立派な観光地になってるが、昔は標識がポツンとあるだけだった。
たまたま通りかかったので、車から降りて辺りを見回した。
単なる草地だった。
これが良かったのか、突然妻が尿意をもよおし、草むらに隠れて放尿した。
「お、種に肥料をまいたか?」
と、我が輩は言いたかったが、
ぐっとこらえま志摩お鷲た
明後日に続く
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本日8月12日は日航機墜落事故の日。
あれから36年経ちました。
坂本九さんが亡くなられたのがホントに残念です。
唯一助かった女性は、後に我が妻となる人と同姓同名でした。
て、その話はもう聞きあきた?
墜落した村は群馬県上野村。
旧国名の上野国が由来かな?と思えるが定かではないそうなん…
御巣鷹山の由来ははっきりしてる。
江戸時代、幕府の鷹狩り場だったからだ、そうなん。
合掌!
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小さい頃、父が
『琵琶湖で泳ぐのはお盆まで。
お盆を過ぎると波が荒くなるので危険』
とよく言ってました。
琵琶湖岸の道路は「さざなみ街道」と呼ばれて、琵琶湖一周する自転車や車のために整備されてます。
南の高気圧が張り出してる頃は確かに波が穏やか。
でも、これからの時期は荒波が発生し泳ぐのは恐いです。
注意しましょう。
とはいえ、毎年この時期になると水難事故が増える。
琵琶湖をなめたらイカンぜよ!
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今年のお盆は梅雨になるという予報なので、
天気のよい昨日、墓参りしました。
ちょっと早いので墓参りする人が少なくて密じゃなかった。
お盆の長雨は、出かける人が減るだろうし、天からのコロナ対策雨のように思います
馬《●▲●》助ヒヒーン♪