馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

『阿波讃岐』その14 引田城本丸から下山

2019-04-23 16:47:39 | 讃岐国の史跡
2019年3月31日(日)
二日目、
"眼下の町並みを見る

下山する前に北上し、
『南二の丸』

を確認した。
夏なら藪になってるかも?

北二の丸、東二の丸への分岐
すぐに引き返し、

再び、西の郭に戻った。

これより下山する。

10時40分、
港側登山口に降りました。

約2時間40分、山のなかを歩き回った。

そして、
10時54分

讃州井筒屋敷で、
続百名城スタンプget!

次の汽車まで約一時間待ちなので、
屋敷を見学することにした。
入場料は300円也。

ボランティアガイドのおじさんが屋敷内を案内してくれました。

この屋敷は、
江戸時代より醤油と酒造りを行っていた商家。
建物は江戸後期から明治期に建築されたもの。
当主はその後、高松だったかな?
移られたので、現在は観光施設になりました。

話を聞いてたら、写真撮るのを忘れて、全く画像がありません。
屋敷のパンフレットももらい忘れたのか、手元にないので、
ここでは再現できません。

庭にいくつもある灯籠が、それぞれ違う形で、傘灯籠というの変わったものもあった。
欄間の飾りも凝ってました。
↑香川県のネット画像を拝借。
蔵には鼠返しとして取り付ける斜め板をはめる仕掛けがあった。
屋根裏部屋は杜氏が住み込む部屋で、寒さ対策として階段部分を板で閉められる仕組みになってた。
お風呂は五右衛門風呂ではなくて、
桶風呂でした。
小さい頃、五右衛門風呂だった我が輩としては羨ましい限りであった。
このほか、色々聞いたが忘れた。

約40分、丁寧な解説でした。

そして、
11時42分、引田駅。

結局、午前中四時間、
引田で過ごしました…

午後は阿波国へ戻ります



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

弟夫婦が、長い連休をとって
本日、フランスの隣の国へ出かけました。

娘夫婦と孫に会うためです。

羨ましいですな。

我が輩も例年なら、今の時期は遠征の準備をしてるのですが、
今年は出かけない。

大型連休に、楽しみが無い。


トホホや…

馬《●▲●》助ヒヒーン"

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『阿波讃岐』その13 【引田城】北二の丸~本丸

2019-04-22 16:52:01 | 讃岐国の史跡

2019年3月31日(日)
二日目、
北二の丸から東へ向かう

"09時44分、
東の丸への分岐

東の丸は曲がった尾根の上に伸びた先端部にある。



09時54分
東の丸の東端に来た。


2つの島が見える


拡大する


通念島と毛無島かな?

下へ降りると、

『引田鼻灯台』


昭和29年3月に初点灯された、
と書いてある。
午年生まれじゃないですか!
びっくりポンや!



向こうに見えるのは淡路島だと思う。


本丸へ向かう。
その途中に、
10時06分
『化粧池』


お城のお姫様や女中が使った人工の貯水池。
山城にとって水源は必須です。
東の丸と本丸の間の中間地点にあるのは、意図的なものなのか?

シダが生い茂る道をゆく


10時10分
岩盤の山?


石垣が崩れたようですが、


ここが
『本丸(南の丸)櫓跡』

物見の場所だったのだろうな

眼下に、港と町

前日と違って今日は上天気で良かったわ。

四国統一を狙う長曽我部元親を阻止するため、秀吉は十河氏の応援として仙石秀久を派遣した。
この港から上陸したのか?

しかし、長曽我部軍は二万の大軍で讃岐に侵攻!
元親は家臣の香川、大西氏に5000の兵を付けて引田城を攻めた。
ちょうどこの日、近江では賤ヶ岳の合戦が繰り広げられてました。
最初は仙石軍優勢だったが、長曽我部本隊が到着し形勢逆転。
仙石秀久は籠城したが、賤ヶ岳合戦中の秀吉が救援軍を出せるわけもなく、仕方なく秀久は、淡路島に逃れた、という。

阿波、讃岐を平定した長曽我部元親を伊予に進出し、四国統一するが、
結局は、秀吉の四国攻めで降参。
土佐一国だけとなってまった、のである。

少し北上すると、

城山82m三角点。

ベンチの上にノートあり。

風が強かった、と書いた

数日前に岡崎市から72歳、69歳の夫婦が来られてます。

我が輩は、この年齢まで山に登れるだろうか?

高台に祠があります。


ここが、天守台跡らしい。
瓦が出土してるので、建物があったようだが、天守かどうか、不明。

ちょっと危険だが、斜面に降りて

石垣を見た。



10時20分
『本丸の西端部、西の郭』

ちなみに、この展望台付近は昭和天皇皇后様が来られるということで改修された。
なので、どこまで本来のものか、不明。

ここで、子供連れた家族と遭遇。
港側登山道から登ってきたようです。
ピクニック日和で良かったですね…




本丸石垣


その14に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

🎵わたし、待つわいつまでも待つわ…

の、

岡本孝子さん、

急性白血病で、長期治療だとか?

最近、著名人の病気のニュースが相次いでますね。

自分より年下の人が重い病気を患うと可哀想になる。

のほほん、

と生きてるのに

この歳まで生きられてることに

感謝しなくてはならない、ですな。

再来月には、また誕生日を迎える。
いよいよ、高齢者のレベルが
1段階上がる↑
て、ロールプレイングゲームかい?
て、無事に迎えられるのかな?
今年は、ちゃんと健康診断受けなくてはなるまい。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波~讃岐』その12 引田城登山口~北二の丸

2019-04-18 16:35:00 | 讃岐国の史跡

"2019年3月31日(日)
二日目、

08時41分、
引田城の港側登山口を通過し
田の浦方面へ向かう。


この山の上に城跡がある。

城山の西側だけが、陸続きだが、
低湿地だった。
それ以外の三方が海に囲まれた岬の上という要害の場所です。


田の浦海岸。
上天気で良かった。

キャンプ場があり、何組か利用されてた。

ここがキャンプ場側登山口。駐車場もある


667年、引田氏が築城した。
天智天皇6年なので、高松の屋島城とともに瀬戸内海の防衛上の役割があったようです。

その後、戦国時代に
四宮右近が城主となって城を大改修し、城下町も整備した。
三好氏・十河氏と対立。

1571年、三好長治に攻められ、
家臣の矢野氏が入った。
この矢野氏は、前日訪ねた阿波府中の矢野城の矢野氏です。

その後、十河氏、仙石氏、長曽我部氏が争い、
再び入った仙石秀久が、城の大改修をした。
現在の城の遺構は仙石氏時代のものかも?
1587年、秀吉の四国統一で、
讃岐国城主となった生駒親正が入城

生駒親正は讃岐聖通寺城を本拠とし、
引田城を讃岐・阿波国境を守備する城として維持した。

江戸時代、廃城。

09時00分、


いざ、登山開始!

09時04分
『北曲輪』


細長い曲輪で、丹後丸と呼ばれる

突き当たりの分岐


左へ行くと麓の田の浦キャンプ場へ行ける階段があるが、

現在通行止め。
崩落があったのかな?


右へ向かう。



尾根道を行くと前方にシートあり!

09時10分
『北二の丸』


石垣に囲まれた曲輪で、城内では一番重要な場所。
御殿があった。

石垣は上下段に分かれる。
石垣構築技術が未熟なので二段に分けたのか?
それとも防御の構造のためなのか?

下段石垣(約5m)を見る

自然石を積んだだけの野面積み。

地元産出の和泉砂岩、礫岩が使われてる。

上段石垣はシートで覆われてる。


災害で崩れたのかな?


石垣の写真の説明によると隙間に間詰石を用いて、算木積みのようです。
石垣の高さは低い(約3m)が大きな石が使われた。
シートの隙間からはみ出した石垣を見る


上段石垣は、新しい時期に造られたのか?
時期的には、天正期後半~文禄期の特徴があり香川県内では最古の石垣だと言われる。
となると、仙石氏か生駒氏どちらかの築造ですな。


北二の丸と南二の丸を分離する堀切?

広い曲輪です


斜面には崩れた石垣が残されてる。

これにより、曲輪全体が石垣で囲まれてた、とわかる。


↑ここに大手門があったとか?

↓下の道が大手道?



30分ほど二の丸を見て回った"

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

天皇・皇后両陛下が平成最後の伊勢神宮参拝をされた。

テレビを見てると、

天皇と皇后、別々に参拝されてる。

なんで、一緒じゃないの?

と、思ったら、


母が、


お伊勢さんは、夫婦やカップルで参拝してはいけない!


と、言う。


えー~!

これは知らなかったぞ!


一緒に参拝すると、別れることになるとか?


いやぁ、びっくりポンや!


ま、独り者の我が輩には関係ないけどね。


馬《●▲●》助ヒヒーン

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『阿波讃岐』その11 引田城下町を歩く

2019-04-17 16:36:13 | 讃岐国の史跡

2019年3月31日(日)
二日目、
城下町散策の続き。
明治時代に建てられた醤油屋の煙突
レンガ積みはレトロ感あっていいけど、意外に災害に弱くて倒れるそうです

"「日下家住宅」


長屋門。


江戸時代、引田村の庄屋、大内郡の大庄屋でした。

日下家由来。

讃岐高松藩の浦番所や米蔵があり、当時の藩の貴重な史料が残されてる


日下家の石垣と塀。



「旧引田郵便局」


本来は、日下家住宅でした。

風の港館と書いてある。
現在は、カフェ。
まだ開店してなかった。

08時20分、

『讃州井筒屋敷』


ここでも続百名城スタンプ押せるが10時開館なので、


先に引田城に登ることにした。

井筒屋敷の裏門?


ちょっと変わってますね。

赤い建物が登場


『かめびし屋』


醤油さんで、現在も営業されてます。

由来。
生駒家の家臣だった西山丹後の子孫が江戸時代、引田に移り岡田姓に改名、1753年に醤油製造をおこなうようになった。


こんなに国登録有形文化財の建物が残ってるなら、国重伝建地区に指定すべきなのでは?




御幸橋を渡る

08時27分、
『誉田八幡宮』

左こんぴら道の道標。

無事に登山下山できますように、
お祈りしました



誉田八幡宮、本来は引田神社と呼ばれてました。

八幡宮御伝書紀に、「又御宮地を改め則ち誉田の田を称え美しみて号を引田と改む」の記述あり。
これが、引田地名の由来だとか?

ただし、引田地名由来に関しては諸説あり、

干潟の「汐が引いた後地」のことで、引田に。
阿倍氏・阿部氏関連の引田部族が地名に。
などなど…


引田湊(風の港)


08時41分、
引田城の港側登山口。

ここから登ってもいいけど、
ここを下山口にすることにした。

なので、田の浦キャンプ場方面へ向かう。

その12に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

ひこにゃん市役所、

一向に改修が進まなくて、

いまだに

駅前の鳩のマークのスーパーの建物に間借りしてます。

1ヶ月の家賃は、約800万円。

年間にすると、

約1億円!

税金が消えていく😭



ところで、パリのノートルダム大聖堂の復旧寄付金が900億円ほど集まったらしい


ちょこっと、その一部だけでも


我が市に寄付してくれませんか?


バーカ、いってんじゃねぇよ!

と、チコちゃんに叱られるよね😲


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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『阿波→讃岐』その10 二日目 引田城下町

2019-04-15 16:55:02 | 讃岐国の史跡

"2019年3月31日(日)

二日目、
6時半からホテルで無料の朝食があるが、それでは遅いので、食べずに6時過ぎにホテルをチェックアウトした。
毎度のことながら、せわしいない旅です。

眉山を見上げる。
20数年前に登ってます。
風が強かったという記憶しかない

徳島駅、


青春18きっぷ、最後5回目のスタンプ。
06時37分発の高松行きに乗りました

四国三郎と呼ばれる吉野川通過。


川幅が広い。



まだ3月末なのにすでに水田になってる。

07時49分、
『引田駅』到着。


「ひけた」と読む。
香川県東かがわ市の駅。
香川・徳島県境越えは列車の本数が少ないので、早起きしたのです。

続百名城の引田城に向かうが、その前に城下町を見て歩く。

東かがわ市引田支所、


百名城スタンプはここで押せるが、9時に開館なので、まだダメ。
パスする。

『萬世寺』


笠置シズ子さんゆかりの寺らしい。

『善覚寺』


この門は、引田城の門の移築だとか?


『積善坊』


西行法師の歌碑


あら鷹の下も引田の浦なれば 沖へに懸る白鳥の松

桜と仁王門

仁王像は、四国第一の像だと言われる


詳しくは、由来を読むべし。


石垣と塀



どこの城下町でもそうですが、寺を集中させて城の防御の役割を担ってます。

歴史的町並み

ここが町のメインストリート?

これより国登録有形文化財の建物群が出現

手前から旧松村医院→泉堂→松村家が並ぶ。

「旧松村医院」


昭和初期の建物。
裏の蔵で清酒の製造をしていた。


「泉屋住宅主屋」


江戸時代末期の建物。
海産物の販売が本業だった

「松村家住宅」


江戸時代末期の建物。
由来、


多嶋屋の屋号で、魚の卸し商を営んだ。
"

城下町散策は楽しい

その11へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

徳島県から帰ってきて、

「一宮城に登った」

と、弟に言ったら、

『愛知県の?』

と、返された。


確かに一宮と言えば、愛知県の一宮市が有名だが、



一宮は、全国にあるぞ!


弟は歴史、地理が全くわかってない

一宮、二宮、三宮、四宮など、国ごとにある。

ちなみに愛知県は、尾張一宮と三河一宮がある。

兵庫県は、但馬一宮、播磨一宮、淡路一宮がある。

播磨三宮は、神戸市だが、弟は全国で三番目の神社だと思ってたりして…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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