馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話【秋田城】

2020-12-31 22:14:48 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【秋田城】秋田県秋田市
あきたじょう。
秋田城と聞くと、佐竹氏の秋田城を思い浮かべる人がいるかと思うが、この秋田城は古代の城柵です。
出羽国北部の行政を担う役所で、驚いたことに渤海国との外交もおこなうなど、九州の大宰府並みの機能があったようです。
秋田駅からバスで行きました。
道路の西側に歴史資料館があり、ここでお勉強。
現地の遺構は道路の東側に残されてる。
古代水洗トイレが復元されてます。
と言っても、レバーを押したら水が出て汚物を流す機能があるわけではないが…
高い場所にあるトイレから木桶を通って低い槽に汚物が貯められて、上澄み液だけを沼に流す。
現在の浄化施設の先駆けのような機能があり、感心します。
秋田城は役所とともに軍事施設の機能もあるので、土塀で厳重に防備されてる。
で、続百名城に指定されました。
我が輩が訪ねた時はまだ指定されてなかったので、百名城スタンプを押すためにもう一度再訪しなければならない。
さて、いつ行けるかな?
秋田は、古来
齶田(あぎた)」または「飽田(あいた)」という地名があり、当て字として秋田郡が設置された。
「齶」難しい漢字ですね。
音読みは、「がく」
訓読みは、「はぐき」「あぎ」
意味は、はぐき、あご。
齶田→あごた、あぎた→あぎた→あきた→秋田
と、変化したのかもね。
秋田湾の形が、顎(あご)の形に似てるので、あごた、齶田。
「飽田(あいた)」は、悪田(低湿地)を意味する。
飽田(あいた)→あきた。
秋田城は川の河口近くにあり周りを低湿地で囲まれれた小高い丘の上に設置された。
歴史資料館の学芸員さんが、我が輩を研究者か何かと勘違いしたのか、周辺のマップをくれました。
なので、マップ見ながら城跡近辺を探索した。
起伏が激しいです。
城跡目線で天然の要害に築かれたのがわかります。
ただし、警備兵はあまりいなかったようで、反乱が起きると簡単に攻略された。
行政施設という機能のほうが重要視されたようですな。
秋田城、あきたじょうと読んでますが、古代では「あきたのき」と読んでたようです。
城というより「柵(き)」のほうがふさわしい。
あの学芸員さんと受付嬢、
今度また再訪したら、我が輩を見て
『ア、またキタ』
と、言ってくれるかしら?
覚えてるわけないよね。
出羽、では、次は、久保田城へ参ります
新年に続く!
Φ(*^ひ^*)Φ
志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所。
↑鹿児島県の志布志市の役場。
長い住所として有名ですよね。
しかし、明日の元日から
志布志市志布志町志布志の志布志市役所本庁
と、改名されます。
支所が本庁に移ったから。
少し短くなったが、相変わらず長い名前です。
志布志市(しぶしし)だけに、しぶしぶの移転
という定番ギャグが記事に掲載されてました。
我が輩、志布志城に登りました。
いやぁ、凄い城ですわ。
南九州はシラス台地が広がっていて、削れた山々を城としての機能を持たせた。
攻め手は深い堀底を歩かされる。
迷路のように山城がそびえるので、どこが本丸かわからない。
群集山城と言ってもよい
つまり、何回も山を登り降りさせられる。
ホント、体力を奪われる志布志城でした。
でも、しぶしぶ登ったわけではないので達成感ありましたよ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
大晦日です。
久しぶりの大雪となりました。
大掃除に追われるなか、雪かきの仕事も増えて大変でしたわ。
今年は年末警戒もなく、ひっそりと過ごす年の瀬となりました。
母は紅白を見ないでベッドに入った。
年寄りには面白くない紅白になってきてる。
我が輩もそろそろ寝ますかね。


40センチを超える大雪のため、どこにも出かけられない
この正月は寝正月決定ですな。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【田辺市】

2020-12-30 22:19:01 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【田辺市】和歌山県
たなべし。
南高梅と熊野古道が有名な自治体。
田辺の由来は、稲を納める「田部(たなべ)」と言われる
「田之陪」「田那辺」という地名表記もあったようです。
なお、棚状の地形が由来という説もある。
京都府に京田辺市があります。
全国の田辺地名のルーツは京田辺市の土豪の田辺氏だと言われる。
渡来系の田辺氏もあるようですが…
皮肉なのは、京田辺市は和歌山県の田辺市より後に市に昇格したので、本家本元なのに田辺の前に京を付けなければならなかったこと。
ちなみに田辺市の駅は「紀伊田辺駅」
なぜ、紀伊が頭に付いてるのか?
理由が不明だが、
近鉄の北田辺駅と区別するために紀伊田辺という駅名になったのかも?
あくまでの我が輩の推測ですが、
この考察は奇異、ですか?
以前、マイカーで紀伊半島を一周した時、田辺市から熊野古道中辺路ルートを縦走。
◯◯王子に立ち寄りつつ熊野本宮大社→熊野那智大社、そして熊野速玉大社を参拝した。
この時は車での移動だったので、次に機会があれば、熊野古道を歩いて制覇したい、と思います。
熊野古道だけに、熊が出てきたら、我が輩の鼓動がくまったことになるかも?ね
田辺市には田辺城があり、浅野氏が築き、江戸時代に紀州徳川家の城となりました。
田辺城と言えば、
2ヶ月ほど前に京都府舞鶴市の田辺城跡を探索した。
大河ドラマ「麒麟がくる」関連で注目されてます。
細川幽斎がこの地を統治することになり、城を築き、
地名の田辺をとって田辺城と名づけた。
田辺城の別名が舞鶴城と呼ばれたので、市名は舞鶴市となった。
「まいづるし」と読むが、
実は舞鶴城は「ぶかくじょう」と呼ばれてたようです。
この読み方では不格好なので、「まいづる」と読ませたのかな?
というわけで、田辺にまつわる由来を述べたが、わかっタナベ?
わからなくても、
ま、い~づる…
明後日に続く!
≡≡≡≡≡≡返信感謝≡≡≡≡≡≡
☆ひこひこにゃんにゃん様
Φ(*^ひ^*)Φ
なんと、喫茶店も正月料金になるのですか?
びっくりポンです。
そういや、もう何年も喫茶店利用したことない。
京都のイノダのコーヒー、また飲んでみたいものです。
おそらく凄い人だろうね。
滋賀県知事が、来月11日まで京都や大阪への不要不急のお出かけは中止しろ、という要請を出しました。
京都一周トレイル歩き、しばらくお休みしますわ。
そういや毎年1月末に
京田辺市の一休寺で、ぜんざいが振る舞われる。
毎年参拝してるが、さて来年はどうなりますやら?
一休寺納豆、食べたいな…
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
諏訪之瀬島で噴火せり、
というニュースが入った。
聞いたことのない島なので、早速地図で確認しました。
鹿児島県十島村の島でした。
十島(としま)村といえば、役場が鹿児島市にあり、現地の島にはない。
十島なのに実際には7つの島しかない、という変わった村です。
実はもともと10島あったのだが、戦後のアメリカ占領下において上3島が日本、下7島がアメリカ領として分割されたからです。
その後、鹿児島県に復帰したが、上三島は三島村として存続したので、合体せずに7島のみで十島となったのです。
七島村と変更すべきだろうが、住民の思惑や行政上の都合もあるのかな?
よそ者がとやかく言う問題ではないですね。
ちなみに三島村と十島村は本来大島郡に属していたが、アメリカの占領政策の影響を受けてこの2つの村だけ鹿児島郡に編入された。
鹿児島郡は現在の鹿児島市になった。
2つの村役場が鹿児島市にある理由もこれが影響してますな。
ともかくも、年の瀬の諏訪之瀬島の火山噴火、大きな被害が無いことを願いまスワ。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
明日から年末寒波襲来で天気は大荒れになるそうで、
そういう意味では、本日が年内最後の貴重な晴天。
気温も暖かく、大掃除は窓拭きに専念した。
午後、墓参り。
畑にも立ち寄った。
毎年、柚子をちぎるのだが、
なんと、今年は全くできてない。
葉っぱもない。
寿命かな?
伊予柑、ハッサクも全くできてない。
今年の果樹は、最後の最後まで不作でしたわ。
とりあえず、畑の榊だけ取って神棚に供えました。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【にかほ市】

2020-12-29 23:14:00 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【にかほ市】秋田県
にかほし。
ひらがな自治体なので、読み仮名はいらないよね。
漢字で表記すると「仁賀保市」
由利郡の仁賀保町、金浦町、象潟町が平成の合併で誕生した。
秋田県の海岸部では最南端に位置し、山形県との境になる。
仁賀保の由来に関しては、
仁賀保市のホームページに記載されてます。
2つの説がある。
1、アイヌ語の「にかプ」
楡(にれ)の木の皮″という意味
2、平安時代から中世期にかけて
の行政単位としての「保」(現在の郡)を基調とした「二ケ保」。
中世より江戸時代にかけてこの地を治めていた地方豪族の仁賀保氏が由来とも言われる。
にかほ市と言えば、「鳥海山」が有名。一年を通して登山者が耐えないとか?
この鳥海山の麓に「九十九島」がある。
紀元前466年に山体崩壊が発生!
山から巨大岩塊が日本海に流れ落ちて小山となり、たくさんの島ができた。
江戸時代、松尾芭蕉は奥の細道紀行でこの地を訪れて、
東の松島と西の九十九島の景観を絶賛した。
芭蕉は九十九島のある象潟をゴールとし、日本海岸を南下し故郷へ帰りました。
この九十九島、現在は陸地にある。
1804年の大地震で海底が隆起し島々は陸地の小山と変化。
象潟地域に点在します。
数年前、我が輩は山形県、秋田県の城跡巡りをした。
この時どうしても行きたかったのが象潟。
で、マップを持って陸地に浮かぶ九十九島巡りをしました。
時間的に一部しか見られなかったが、民家の裏や田んぼの真ん中などに点在する小山に登って感激。
芭蕉が見た光景を連想して感慨にひたってました。
ところで、「象潟」
難読地名ですね。
「きさかた」と読みます。
由来は諸説ありまして、
☆「キサ」は「刻(きざみ)」で、刻まれた潟、という地形。
☆象牙(きさのき)が渡来した。
☆蚶貝(きさがい)の取れる地方ということで蚶方と呼ばれ,蚶に縁起のいい象の当て字で「象潟」になった。
単純に解釈すると地形的にこの地域が象の形の潟だった、
と、思いたい。
この由緒ある象潟が平成の合併で「にかほ市」というひらがな自治体のなかに埋もれてしまったのは残念。
きさかたが、かた無しになってしまった…
明後日に続く
Φ(*^ひ^*)Φ
今年最後の山城に挑戦した。
滋賀県日野町にある「鎌掛城」です。

いやぁ、厳しい城跡でした。
それだけに凄い遺構が残ってました。
屏風岩という国名勝に指定されてる険しい崖もある。

石組の井戸は超深い!
落ちたら最後ですわ

ところで、この「鎌掛」
難読地名です。
読み方は「かいがけ」。
由来は諸説あり、
掛神信仰(祭地にカギと呼ばれる二又の木を掛けて山の神を祭る信仰)に由来する。
というのが有力ですが、いろいろ面白い説が地元に伝わってます。
詳細はまたいつか書きカケのついでに書きます…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
鎌掛城から帰りガケに、スーパーマーケットに立ち寄った。
凄い人です。
みなさん年末の買い出しに来てる。
日野町は田舎なんですが、スーパー関しては超密でした。
それにしても値段が高い。
正月用品、縁起物というだけで、べらぼうに高い。
棒ダラ、なんであんなに高いのか?
買えませんわ。
かまぼこ、黒豆、昆布なども普段は安いぞ!
結局、万札が飛んでいく。
というわけで、我が家の家計は崖っぷちになっていく…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話【長久手市】

2020-12-25 22:25:30 | 歴史地理
地名パズル、前回の答え
 仁 △ 
長賀 △
◯◯◯城←△△県
手市辺
市*市
↑↑↑↑
愛△和△
知△歌△
県県山県
  県
正解は、『久保田城』秋田県
◎正解者◎
☆あおはっぴ様
Φ(*^ひ^*)Φ
そちらの県、名古屋市長と県知事はどえりゃー仲が悪い?
というか、コロナ禍のせいか、名古屋城復元のニュースが聞こえてこないぞ!
ちなみに我が県知事が年頭に抱負を述べた安土城復元案は、結局デジタル復元に落ち着きそうです。
お城の復元は難しいですな。
☆SACHI様
Φ(*^ひ^*)Φ
お父様、宇和島へ来られたのですね。
宇和島市長になりかわり感謝いたします。
折り紙で作るお城のチラシ?
いやぁ、羨ましい!
あちこちの城巡りして土産物屋さんにクラフト紙で作る城が売ってるとたいがい買います。
作るといつもYouTubeにアップしてます。
最近はさぼってるけど…
お父様、城巡り旅おやめになりましたか!
自分もどんどん体力と知力が落ちてるから、あと何年続けられるかな?
うーん…
解答ありがとうございました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
地名ちょこっと紹介
【長久手市】愛知県
ながくてし。
名古屋市の東隣に接する市。
名古屋市とともに県名の由来となった愛知郡に属してました。
「あいちぐん」と読むのですが、我が県にも愛知郡があります。
読み方は「えちぐん」。
だから、つい「えちぐん」と読んでしまう。
滋賀県民あるある、です。
現在、愛知郡には愛荘町がある。
愛知川町(えちがわ)+秦荘町(はたしょう)の合併地名。
読み方は「あいしょうちょう」
本来なら「えしょうちょう」と読ませるべきなのですが、
「あいしょう」のほうが、わかりやすいし認知度もいいという理由でこの読み方にしたのだろうね。
長久手といえば、戦国時代の小牧長久手の戦いの古戦場として有名。
近年では、愛・地球博の会場となりました。
愛知+地球=愛地球博。
ダジャレの命名ですわ。
結局、我が輩は見に行かなかった…
長久手市には、「長湫」という地名がある。
この長湫(ながくて)が地名由来なのです。
「湫(くて、くで)」は湿地を意味する。
細長い湿地帯という地形だったのです。
しかし、長湫は読みにくいので、現在の長久手に変更された。
日本百名城に選定された小牧山城は堀・土塁・石垣に囲まれた要塞堅固な城で、織田信長の居城に。
そして、後の合戦では徳川家康の陣地となった。
堅固な小牧山城ですが、北東側はちょっと防備が手薄になってます。
実は北東側は湿地帯だったと言われてる。
城の防備にとって湿地帯は天然の防備となる。
長野県の上田城、埼玉県の忍城など湿地帯が戦闘で有効性を発揮してます
そういう意味でも小牧長久手は…
ちょっと、待った!
おみゃあさん、毎回毎回地名解説がどえりゃぁ長クテ、いかんがね。
特にお城の話になると止まらんわ、
たいがいにしときゃーよ!
と、言われそうなので本日はこの辺にしとくまい
というか、こんなご時世だから名古屋城の再建は見直したほうがええがや、市長さんよぅ!
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
こんばん馬!
季刊紙ともいうべき地名夜話です。
4ヶ月に一回しか配信しないから、次こそは、コロナも沈静化してると祈ってるが、いっこうに消えない。
どころか、ますます増えてる
いやはや、このままだと
来年もずっと続くのでは?
先が見えない、です…
ところで、我が町の自治会、いくつかの班に分かれていて毎年順番に隣組の班長をしなければならない。
今年は裏の家の人が班長でした。
で、よく考えたら
今年はコロナのために役員会や町内の行事、祭りなどすべて中止になった。
年末恒例の夜回り巡回も無し。
今年の役員・班長さん、活動何もしてない。
名前だけの役員、
超ラッキーじゃないですか!
我が家が班長になった時は、コロナおさまって大忙しになったりして…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
なぜか、有名な作詞家・作曲家の訃報が相次いでます。
年齢的にそういう時期になってきてるのかもね。
歌謡曲全盛時代の職業作詞家作曲家さんが去っていくのは寂しいものです。
今年の紅白、
わけのわからないグループがいっぱい登場するが、知らない曲なんか聞きたくない
亡くなられた方々の名曲特集やってくれたほうが楽しいんだけどね…
今年はテレビ東京系の懐メロ番組見ようかな?
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今日はクリスマスです。
毎度のことながら全く関係なし。
スーパーで、シュークリームとちらし寿司買ってきたので食べました
それだけ、です
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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西国街道歩き、【安威城】

2020-12-19 10:14:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
西国街道歩き、
太田茶臼山古墳を一周したため、雲見坂はパス。
振り返って坂を見た。


実は太田神社には立ち寄れなかった…



↓ここ、数年前に来た時は東芝町という名前の交差点だったはず。

前回触れた追手門学院大学は東芝工場の敷地に建てられたのです



安威川の橋を渡る

名神高速道路を越えて
耳原交差点へ。
ここでまたまた寄り道。
耳原は「みのはら」と読む。
中川清秀、和田惟政が戦ったゆかりの地です。




交差点を右折して北上すると
向こうに丘が見えます


この丘がまるごと
【安威城】
安威は「あい」と読む
地名由来については諸説あります。
この地域、「藍野」と呼ばれてるので藍=安威?
あいわかりません…



我が輩は「あいーん城」と呼びながら周囲を二周しました。

この付近は内郭だったかな?
側溝は堀跡

こちらは外堀
藪のなかに土塁が残されてるようだが…



酒屋さんの所に城跡の説明看板が、あい~んス



学校横の通路、内郭と外郭の境目

この土手というか藪の中に入りたかったな…


内郭と外郭を確認するために二周したのです
マップの丸印付近に大手門があった


大手から左手の外堀水路だったかな?


↑大手門付近


藪土塁…?

ここから北へ進むと「安威砦」という山城があり、良い遺構があるそうです。
地元の豪族安威氏の詰城かもね。
行くつもりだったが、
この時点ですでに夕方の5時。

なによりも、安威砦は立入禁止という情報を得たので、悔しいが断念。


今回の街道歩き、ここでストップしました。

この先、吹田→西宮へはいつ行けるやら?

以上、西国街道歩き、
これにて一旦おしまい。
今回のルート図

高槻駅~島上郡衙



今城塚古墳


太田茶臼山古墳~安威城跡



ルートの詳細は
YAMAPのアプリ
西国街道、高槻駅から茨木まで歩いた-2020-10-25 https://yamap.com/users/1260342 #ヤマップ
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我がひこにゃん市も雪国となりました。
この冬は雪多いのかな?
馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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西国街道歩き、島上郡衙~今城塚古墳

2020-12-05 22:58:00 | 摂津国の史跡
2020年10月25日
西国街道、寄り道してます。
島上郡衙の反対側に
素盞嗚尊神社

ここに芥川廃寺という郡寺があったそうです。



鳥居の額には「神郡社」と書いてある。
郡全体が神域だった神社ということか?

「手水鉢」

寺の塔の心礎でした。




マップを見てわかるようにこの近辺は郡の中心地として役場や寺社、そして大きな古墳があります。

やっぱり摂津国の国府もこの付近にあったと考えていいのでは?

そして、

「今城塚古墳」

巨大の堀と土塁は城を彷彿させますが、実際に
城砦として戦国時代に使われたので今城塚と命名されてます。
足利義栄や織田信長の陣所となったので、古墳が改変されたに違いない。

模型

この日は太鼓の演奏イベントが開催されてました

今城塚古墳は、継体天皇陵と推定されてます。
天皇家の跡継ぎがとだえそうになったので越前・近江出身のおおど王が迎えられて即位。
継体天皇は、
現在の天皇家のルーツとも言える天皇なのに、
スマホで「けいたい」と入力しても「携帯、形態」しか変換されない。
なんでやねん!
今やこの古墳は公園化されて厳粛さは全くない。
古墳でどんちゃん騒ぎするのは不敬ではないかい?
宮内庁としては、木簡とか文献史料が出てこない限り天皇陵として認定しないとか?
いやはや…。


ま、そのおかげで天皇陵を発掘調査できたのだが。
継体天皇、河内国樟葉で即位したものの淀川、木津川沿いを遍歴し、
大和の都に入れたのは、なんと即位19年後でした。
系譜に問題ありとか、抵抗勢力が阻止したとか、摂津近辺での基盤固めに時間がかかった、などの諸説あります。

いずれにせよ歴代の天皇陵で、摂津に陵墓があるのは継体天皇だけ、です。
即位に際して越前・近江だけでなく摂津・河内・山城などの勢力の後押しがあり、三島地区は天皇の地盤となったのではないだろうか?


今城塚古墳には、何度も来てるので今回はぐるっと一周するだけにしました。

街道をさらに西へ向かうと
茨木市太田地区に入る。
「太田茶臼山古墳」
こちらは宮内庁管轄で、継体天皇三嶋藍野陵と命名されてる。

マップには、継体天皇陵と記載されてますね。
宮内庁管轄なので中に入れないので、こちらもぐるっと一周して街道に戻りました。
今城塚古墳が、戦国時代以後砦・陣跡に改変されて、天皇陵という認識が消滅し、こちらの茶臼山古墳が
江戸時代に継体天皇陵と推定されてしまったようです。

古墳から少し南へ向かうと
「太田城跡」

多田源氏の太田氏が築いた、とされる。
源義経と戦って敗れたそうです。




余談ですが、追手門学院大学の「追手門」は、大坂城の大手門の敷地に学校が造られたのにちなんでます。

大坂城大手門の場所は茨木市太田ではないでよ、念のため。

続く…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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滋賀県のお城簡易マップ

2020-12-01 21:58:57 | 滋賀県情報

『「淡海の城100」簡易マップについて|滋賀県ホームページ』 https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/bunakasports/bunkazaihogo/313019.html
あくまでも簡易マップです
お城巡りの参考にしてください
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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