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ホームレスとミリオネア

2008-12-02 09:17:00 | 日記

2009/10/12
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>ホームレスとミリオネア(1)ホームレスアーティスト

 9月のシルバーウィークは、授業と論文準備に追われて何の楽しみもなかったので、10月体育の日3連休は、少しはお楽しみも必要と思っておでかけしました。
 「近代絵画鑑賞」「おしゃべりタイム」「映画」と、盛りだくさんに楽しんだ10月10日。(リアルタイム東京オリンピック世代の私にとっては、10月10日が体育の日)

 友人のA子さんとタルトの店でお茶&おしゃべり。A子さん家ご近所にある手作りのタルトとパイの店。私はイチジクとマンゴーのパイをチョイス。おいしかったです。話題は、仕事のこと家族のこと、そしてホームレスについて。

 女性にとっての「家」という問題について。シェルターとしての家、セーフティライフラインとしての家、、、、、。ホームレスアーティストの「いちむらみさこ」さんについてA子さんから初めて聞きました。
 いちむらさんは、京都精華大学美術科に在籍していた学生時代からテントをかついで各地を放浪し、東京芸大大学院を修了したあと現代美術アーティストとして活動する中で、「公共のものはみんなのもの、公園からホームレスを排除するのはまちがい」と考え、自らがホームレスの生活を選んで都内の公園で暮らしている女性です。

 私自身は、なんとかして雨露しのぎ、子の居場所としての家が必要という弱い立場(資本主義社会&国民国家社会の呪縛から出ていけない弱さという意味の弱い立場)を放棄できないでいます。いちむらさんがホームレス生活を選べたのは、身一つをまかなえばよい立場であり、公園の中で人々が寄りあえるカフェや手仕事のワークショップを運営している企画力実行力、さらには「アーティストとして人に教える技術を持っている」を持っていることにあるからであり、その自由な感性を、うらやましくも思いました。
 
 彼女の生き方は、マイナーなところではNPO法人「女の空間」発行の会報26号(2009年7月)や、メジャーなところでは、『週間金曜日』や坂本龍一編集の雑誌『クーリエ2009年11月号(10月10日発売)』などで紹介されているし、『Dearキクチさん、ブルーテント村とチョコレート』(キョートット出版)という著作もあるので、「知る人ぞ知る」女性だったのでしょうが、私はまったく彼女のことを知りませんでした。

 近代国家・国民国家という大がかりな共同体ができてから140年ほどたち、あちこちでひび割れ、ほころび、土台が腐り、、、、と、いうこの時代に、共同体の意味を考え続けてきた私にとって、いちむらさんの活動は大きな刺激を受けるものです。
 ブログ「ブルーテント村とチョコレート」の中で、「税金払ってないのに公園を私物化するな」という「市民」からの「抗議」に、いちむらさんはきちんと答えていますが、国家共同体の中に安住し、「よき市民」として生きてきた人々には、なかなかいちむらさんの思想は通じないだろうと思います。私はいちむらさんの活動を見つめていきたいです。

 私自身は、パラサイト娘&息子を養う生活を死ぬまで続けなければなりません。いちむらさんの行動力がうらやましくても、今はまだホームレスになることができない。けれど、体がメタボ予備軍であるのと同時に、心はホームレス予備軍です。1年契約のパート勤務を長年続けてきたけれど、いつ「パート切り」されるかわからぬ身の上。来年再来年にホームレスになってもいいように、覚悟はしておかないと。

<つづく>


2009/10/13
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>ホームレスとミリオネア(2)路上のソリスト

 A子さんと「おしゃべりな午後」をすごしたタルトの店から最寄り駅へ向かう帰り道、椿山荘の中を「通り抜け」しました。正面からロビーに入ると、結婚式披露宴をフォーシーズンズホテルで終えた人々で混み合っていました。ロビーをさっさと横切り、日本庭園へ下ります。庭園の中では、純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁花婿が記念撮影していました。人生最高の良き日なのでしょうね。お幸せに。庭園内のチャペルで永遠の愛を誓ったであろうおふたりさん、「永遠」は3年で、あるいは3ヶ月で終わることもあるけどね。

 よき日を祝うよき市民たちの中を通り抜け、椿山荘冠木門をくぐり抜けると、神田川沿いの細道に出ます。細道脇の江戸川公園には、キャリーカートや大きなボストンバックを抱えて一日をすごす人々がベンチに座っています。こういう光景に出くわすと「良き市民」の方々は、「得体の知れない人たちが、公共の場所であるベンチを占拠しているので、安心して子供を遊ばせることもできない」と、役所にメールを送りつけたりして、役所は定期的に「街の美化」を実施するのでしょうね。
 「街の美化」や「清潔な公園」が存在する背景には、「そこから排除された何ものかがある」という観点を忘れずにいたいと感じながら江戸川橋を渡りました。

 江戸川橋から一駅だけ地下鉄に乗って、夫の事務所へ。夫が「会社の福利厚生」に行っていることで唯一家族に役立っている「映画パスポート券」を借りて、2本立て二番館へ。
 『路上のソリスト』『スラムドッグミリオネア』を見ました。

 『スラムドッグミリオネア』は、2009年のアカデミー賞の作品賞監督賞など、8部門で受賞したので、知られている映画でしたが、『路上のソリストThe solist』は、中国滞在中の2009年5月にロードショウ公開されたので、映画広告やレビューを見たこともなしにまったく内容を知らないまま見ました。スラムドッグミリオネアは評判通りによかったし、ソリストはまったく評判を知らなかったけどよかった。

 『ソリスト』は、ロサンゼルスタイムスのコラムニストが書いた実話本が元になっています。ニューヨークのジュリアード音楽院を統合失調症の発症で退学し、ホームレス生活を続けていたナサニエル・エアーズと新聞記者ロペスの出会い。ふたりの友情と確執と再生を描いています。ナサニエル役ジェレミー・フォックスとロペス役、ロバート・ダウニーJr.のほか、もう一人の主役はベートーベン。ベートーベンやバッハの音楽がスクリーンからあふれ、「音楽の力」が伝わります。

 最初は自分のコラムの「ネタ」としてナサニエルとつきあっていたロペスは、才能があるのに、病気のために社会から排斥されたナサニエルを深く知り、彼と音楽との関わり方を知るうち、自分のほうこそナサニエルに救われているのだと気づきます。

 ナサニエルが自分自身について「統合失調症」と書いてある書類を読んでひどく混乱するシーンがあります。アメリカでも「統合失調症」と診断されることで周囲から排撃されるということが続いてきたから、ナサニエルにとってこの病名がショックだったのでしょう。知らないから恐い。統合失調症は、まだわかっていない部分もあるけれど、脳の研究が進むにつれ、やみくもに恐れたり忌み嫌ったりする病気ではないこともわかってきました。ナサニエルを知るにつれ、ロペスは「音楽に没頭しているナサニエルの姿からは、何か崇高なものが感じられる」と言います。

 私も、娘の同級生だった発達障害のかっちゃんが恐かったことを思い出します。かっちゃんは知れば知るほど、純粋な魂を持つよい子でした。かっちゃんはときにパニックになったりすることもあったけれど、娘は辛抱強くかっちゃんの相手をしていました。今思うと、娘がかっちゃんの世話をしているように見えて、私も娘もかっちゃんから多くのことをも教えられていたのだなあとわかります。ロペスがナサニエルとの交流のなかで人生の大切なことがわかってきたように。

 必要なのは「排除による美化」ではなく、分かり合うこと、共に生きること。と言ってしまうと何かのCMか選挙キャンペーンのようになってしまい、薄っぺらく感じられるかもしれません。ことばだけでは空々しくなるというのなら、まず、行動しましょう。友達リストの中に、一人の音楽家とひとりの統合失調者とひとりのホームレスを加えること。 ナサニエルのように、音楽家で統合失調者でホームレスという「3倍お得」な友達はなかなか得がたいかもしれませんが、3人別々なら友達作りができるかも。

<つづく>


2009/10/14
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>ホームレスとミリオネア(3)ホームレス志願

 ロサンゼルスを舞台にした映画は多いけれど、『路上のソリスト』のようにホームレス&スラムを描いた作品、私は見たことが無かった。ロスのスラム事情を述べている日本人ブログによれば、ロス・スラムにたむろしているのは、アル中薬中の白人か黒人で、東洋人とヒスパニックは、何をどうやっても働き続けるので、東洋人ホームレスは黒人に比べれば数が少ないのだそうです。ほんとうかどうかウラを取ったわけではないのですが、『ソリスト』の画面にも、東洋系の顔立ちは少なかったように思います。単にエキストラ比率の問題?

 ニューヨークのホームレスアーティスト、日系二世のジミー・ミリキタニ(三力谷)の場合は、第二次世界大戦中に収容所で市民権を取り上げられたまま、それを回復する手段があることを知らずに60年ものあいだ、ホームレスとしてニューヨークで暮らしたのだった。自分の意志でアメリカに渡った東洋人のなかで、ホームレスになっている人はどれほどの割合なのだろう。

 ロサンゼルスのホームレス界(?)は、映画のシーンではドラッグ中毒に見える人が多いこともあって、日本のホームレス界に比べると、見た目に空恐ろしい。
 いちむらみさこさんは、「公園でホームレスもホーム持ちもいっしょに食事し、ホーム持ちもたまには公園でお泊まりしてみよう」と呼びかけていますが、日本の公園ならまだしも、アメリカのホームレス界に身を投じるには勇気がいると思ってしまいました。これもまた偏見であり、現にアメリカのホームレス界でボランティア活動を続けている人々がいるのですから、「知らない世界は恐ろしい」ということなのであり、この「知らない」ことが偏見を生み出すのだろうと思います。

 「家を持つよき市民」でなくとも、鬱病や統合失調症を抱えていない「健康市民」でなくても、「家族と健全な生活」を営む平和な市民でなくても、生きているし、自分自身の人生を生きていくべきです。ロサンゼルスのホームレスの中に統合失調症の音楽家ナサニエルがいて、東京のホームレスの中にアーティストいちむらみさこや、硯木正一(小説『隅田川のエジソン』中の人物)がいる。
 チェロや現代美術や発明創意工夫の才がなくても、ホームレス一人一人に人生があり、皆、一人一人の一回限りの生きているのでしょう。

 農耕民族あがりの日本人は、とにかく朝から晩まで額に汗して働くことをよしとしてきた。ボストンバックにありったけを詰め込んで日がなベンチに座っている人々を「やつらは働く気があるのか」と非難する。だけど、「勤勉に朝から晩まで働く」ことに価値を見いだしてきたのは、キリスト教社会であり、日本の農耕民であり、世界には、そうでない価値観の人々も当然いるし、勤勉価値観に縛られていない人もいて当たり前。

 私は仕事のある日は、朝家を出てから帰宅するまで12時間拘束される。それでも食うや食わずの収入にしかならず、いつ首にされるかもわからない。このような労働形態がいいと思っているわけではないけれど、ほかに働かせてもらえそうな場がないので、続けています。

 あくせく働き長時間拘束が続く、縛られた働き方はやめて、空き缶や読み捨て雑誌を拾い集めても十分に暮らしていけるのだから、それでいいのだと思う人がいてもいいと思います。
 ただ、自分の身だけでなく、子供を育てていくには、飢えないだけの収入では不安定です。「子供はみんなで育てる」という共同体ができあがっていない中、まだ私には「ホームレス生活」は、「高嶺の花(?)」に思います。

 早稲田大学の投資サークルOBが株価操作で株の値を不当に上げて売り抜け、40億円の利益を上げたという報道がなされたとき、日本人学生のひとりが「あくせく働くやつらはバカってことですね」と、感想を述べていたけれど、その感じ方に「そんなこと言うな」と説教はできない。一攫千金を夢見て、私も年末にはジャンボ宝くじ買いたいもの。(たいてい買うお金がなくて買えないのだけれど)
 次回は、一攫千金ドリームの話。

<つづく>
 

2009/10/13
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>ホームレスとミリオネア(3)スラムドッグミリオネア

 一攫千金のクイズ番組、『フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネアWho Wants to Be a Millionaire?だれが百万長者になりたいのか(日本ではクイズ・ミリオネア)」
 ムンバイ(ボンベイ)のスラムで育った孤児が2000万ルピー(約4000万円)がかかったクイズに挑戦するというストーリーが『スラムドッグミリオネア』

 ジャマールは学校にも行けなかった「お茶くみ係り」にすぎないけれど、幼いときから逆境の中をたくましく生き抜き、生活の中で英語も身につけて働いてきた。生活のなかで学び覚えたことが15回連続でクイズに出題されるというのは、私が宝くじに当たるのと同じくらい確率の低いことかもしれないけれど、そこは映画だからおおめに見ましょう。

 スラムの孤児、ジャマールは、宗教紛争のために母親を殺されました。子供狩りをして乞食として働かせる組織に捕らわれ、より実入りのよい乞食に仕立てるため盲目にされそうになったところを逃げ出します。いっしょに逃げようとして果たせなかった少女ラティカに再会する日を夢見て、ジャマールは生き抜くためにこそどろやインチキ観光ガイドなど続けて、さまざまな知識を身に付けていきます。

 この『スラムドッグミリオネア』がアメリカで受けてアカデミー賞受賞に至るのも、ジャマールのキャラクター「純粋さ・誠実さ」と、がむしゃらに働く生き方が受け入れられたという面があるだろうと思います。

 ムンバイは再開発によって大変化をとげ、映画の中でも、ジャマールが育ったスラムも跡形もなく消えて高層ビルになっていきます。その現実版が子役の身の上に起こったのです。
 ヒロイン「ラティカ(Latika)」の子ども時代を演じたルビーナ・アリ(Rubina Ali)(9)と主人公「ジャマール(Jamal)」の兄の子ども時代を演じたアズルディン・モハメド・イスマイルは、ムンバイのスラムに住んでいたとき子役に大抜擢されました。二人がアメリカで映画キャンペーンやアカデミー賞授賞式を終えてインドに帰国したら、ムンバイ再開発によって、住んでいた家が取り壊されていたそうです。(映画関係者によって、住む家や二人の学費奨学金が拠出されたそうですが)

 ムンバイのスラムが高層ビルに変わっても、スラムの住人達はまた別のスラムを作っていくのでしょう。ムンバイの中心地にあるダラヴィというスラムには、2.5平方メートルの地域に100万人の細民が住み、ゴミ処理などの仕事をつづけているといいます。タラヴィはムンバイの中心地にあるので、いずれ「美化」されてしまうのかもしれません。

 2010年は、人類の歴史始まって以来はじめて、世界の人口の半分以上が都市に住む、という居住地調査が出ています。「土から切り離された都市」に大半が住み、そのうちの何割かはスラム住まいです。子供達が貧困の中に放置されず、健康な身体と教育を保証される世界にしていく責任が、大人にあります。

 日本では「こども手当」の所得制限をするとかしないとか右往左往し、結局こどものいる全世帯に出ることになったみたい。
 今も「貧しいワーキングマザー家庭」の我が家。明日子供に持たせる給食費が捻出できなかったころころから見れば、今は「とりあえず明日食べる分はある」という生活になりましたが、来月どうなるかはわからない、という点ではスラムの住人達と同じ。明日は立ち退きを宣告されて追い出されるかもしれません。

<つづく>
 

2009/10/14
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>ホームレスとミリオネア(4)スラムの天使とミリオネアと近代絵画

 東京は明治時代には存在したスラムが、現在では跡形もなくなっています。横山源之助が『日本乃下層社会』に描いたスラム、東京タワーが建つころまでは残っていました。私が初めて東京に住むようになった1970年ころも、表通りから一歩中に入ると、ごみごみした路地がそこらじゅうにありました。

 たとえば、デビ・スカルノが根本七保子として育った麻布霞町の一部は、高台の高級住宅地を見上げる窪地にあり、貧民細民が住んでいたと『デビ・スカルノ自伝』に書いてありました。(1978年ころの立ち読み)
 東京タワーが建設され、東京オリンピックの突貫工事が続き、街がどんどん変化していきました。1980年代のバブル景気で地上げが続き、東京のスラム街は完全に消えました。今や、麻布霞町は西麻布と地名も変えて、貧乏人にはとても住めない町になっています。

 タイのスラムで貧しい子供たちの学校を運営していた「スラムの天使」プラティープ・ウンソンタムさんは、秦辰也さんと結婚後は財団を設立し、タイと日本を行き来しています。ケニアの首都ナイロビでストリートチルドレンの職業訓練のために働くボランティアもいます。西麻布と名前を変えた街で、高級車を乗り回しブランド物を買いあさる人もいます。

 どの人生も、個人の選択でありどういう幸福を追い求めるかは各人の自由ですが、さて、私は、2009年の10月10日、ささやかな幸福を得るために、もらった招待券で「近代絵画」展を見て、750円のいちじくマンゴーパイとコーヒーセットで友達とおしゃべりをして、映画パスポート券を使って無料で2本の映画を見て、古本屋で百円本を4冊かって、ラーメン食べて帰りました。映画館そばのラーメン屋のラーメンがあまりうまくなかったのをのぞけば、一日の出費3000円ほどで、十分充実した一日をすごしたのでした。

 ミリオネア大富豪だったら、一日3000円ですごして私ほどの充実感を得て夜眠りにつけるのでしょうか。株価が1円下がったことでものすごく落胆して寝たかもしれません。
 世間様のようなお金持ちの楽しいひとときは持てませんでした。10月、体育の日、私は十分に楽しゅうございました。

 江戸川橋駅を降りて、講談社野間記念館へ向かう間、何人かの人から「鳩山会館はこの道でしょうかね」と尋ねられました。皆が向かうのは、今東京で一番ホットなスポット。鳩山邸、近代建築のうち「昭和の洋風邸宅」として、見にいこうかとは思ってきたけれど、旧古川邸、旧岩崎邸などのジョサイア・コンドルや旧朝香宮邸(庭園美術館)などに比べると特に魅力を感じなかった。それに、入館料が500円かかるし。

 鳩山由起夫首相は、政界随一の富豪です。資産は少なく見積もっても90億円。一説に100億円は超えているとか。政治資金問題が取りざたされていますが、千円1万円で右往左往する私などとは金銭感覚がちがうのでしょうね。500円払うのがもったいないから、招待券で見ることのできる野間記念館へ向かいました。

 野間記念館は、講談社ゆかりの画家の作品を中心に、近代絵画コレクションが充実しています。これまで近所の永青文庫に来るたびについでに寄ってみようとして、そのたび、なぜか、「展示替えのため休館中」のことが多くて、一度も入ったことがなかった。
 展示点数は多くなかったですが、キングの表紙のために描かれた作品など、講談社ならではの絵もあり、よい絵を見ることができました。

 藤島武次の「日の出」、向井潤吉のかやぶき屋根、藁屋根の農家の絵、「杏花村」「田家早春」、中村彝(なかむらつね)の自画像など、印象深い作品に出会うことができました。ナサニエル・エアーズが見たら大喜びしそうな、田辺至のベートーベン像。黒田清輝の「躑躅」、林剛の「長寿花」などの、花の絵のいろいろ。

 「近代絵画展」を見て、友人とおしゃべりという秋のゆったり時間、ミリオネアにはなれなくても、お金では買えない時間が私にはあります。
 とはいうものの、お金で買いたいものもあるので、ミリオネアの皆さん、春庭に愛の手を。いつもの通り、寄付は四六時中受け付け中。

<おわり>
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