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チャリティコンサート2011年7月

2010-05-14 22:55:00 | 日記
2011/07/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年6月>チャリティコンサート(1)夏至のキャンドルナイト

 6月22日水曜日、「明治の輸出工芸品展」を見るため渋谷へ行き、帰りはNHK前を通って代々木公園へ行きました。
 代々木公園野外ステージでなにやらやっていました。毎年夏至の日にあつまって、キャンドルを灯し、自然保護とか環境とかを考えるイベントらしいです。
 そうだ!今日は夏至なのだった。夏至の日の東京の日の出は4:24、日の入り19:01。一年で一番昼間が長い日。

 日本各地で「100万人のキャンドルナイト。電気を消してキャンドルを灯し、エネルギー問題を考える」という催しなのだそうです。8時のキャンドル点灯の前、6時には人々が集まりだしていたのです。
 全国の300カ所近くで、電気を消してキャンドルの灯りのもとで夜を過ごすムーブメント「100万人のキャンドルナイト」、反原発の活動としてこれまでずっと行われてきたそうです。(昨年は中止されたのだということですが)
 今年は「反原発」意識が一般の人にも行き渡ったので、このキャンドルナイトもツイッターなどで知る人も増え、これまで以上に参加者の増加があると見込まれているとのこと。
 しかし、私は、キャンドルナイトがあるということなど知らず、代々木公園にやってきたのも偶然のことでした。

 バンド演奏が始まっていました。私が通りかかった6時ころは、hununhum、toto、SUIKA with降神というグループの演奏でした。ラップのような「朗読+演奏」のようなことをしていました。1曲15分かかる『タマキハル』という曲で、創世神話のような、絵巻物のような物語を語っていく、という曲だということですが、遠くでぼんやり聞いていた私には、物語の内容は理解できませんでした。

 歌と直接関係ないのだけれど、「魂きはる」とは枕詞のひとつで「命」にかかることばです。来年の大河ドラマの登場人物のひとり、平滋子(落飾後は建春門院)。滋子は平清盛の妻時子(二位尼)の妹で、後白河院の妃。高倉天皇の生母となりました。滋子につかえた女性に女房名中納言がいます。藤原俊成の娘で、定家の姉にあたる。たいへんな才媛で、弟の定家の日記『明月記』にもしばしば言及されている人です。彼女の作品『建壽御前日記』は『たまきはる』という名で伝わってきました。冒頭の和歌「たまきはる命をあだに聞きしかど君恋ひわぶる年は経にけり」から筆が書き起こされているためです。
 「たまきはる」という言葉一つで、いろいろ思い巡らすことができる。言葉が伝わっているっていいなあと思います。

 集まっている若い人々。自然や環境、エネルギー問題を考えよう、という主旨に賛同している人々で、エコライフやロハスライフを実践していたり共感しているとおぼしき人々。アフリカや南アメリカの民族衣装っぽい服装の人もいて、ちょっと渋谷センター街あたりの若い人とは雰囲気がちがう。また、花見めぐりの中高年たちとも違って、ある種の意識が感じられる若者たちでした。
 テントの中のテーブルには、カンパ箱とキャンドルがおいてあります。好きなキャンドルを選んで、カンパ箱に志を入れる方式。カンパだけ参加しました。

<つづく>
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2011年07月02日


ぽかぽか春庭「ゲシフェスGeshiFes2011」
2011/07/02
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年6月>チャリティコンサート(2)ゲシフェスGeshiFes2011

 ゲシフェス(GeshiFes2011)の代々木公園野外ステージでは、エネルギーシフトフォーラムというイベントが行われる予定で、出演者は、南兵衛@鈴木幸一(アースガーデン代表)、辻信一(文化人類学者ナマケモノ倶楽部世話人、明治学院大学教授)、マエキタ ミヤコ(「サステナ」代表)、藤田和芳(大地を守る会代表)、枝廣淳子(環境ジャーナリスト「イーズ」代表)といった人々が話したそうです。う~ん、なにやらロハスっぽい面々。

 枝廣淳子さんは「電気はどこでどういうふうに作られていたかが今回明らかになった。その時にこれまでと同じように電気を使っていいのだろうか。計画停電でろうそくの明かりの中、これぐらいの薄暗さでもいい、という新しい発見もたくさんあったはず。GDPなどの目に見えるものではなく、目に見えないものをどう大事にしていこうかということを考えたい」と述べたそうです。
 辻信一さんは「原発事故が起こり、絶望感を共有し、そこから何ができるかを考えていきたい。私たちは、政府や電力会社に頼らなくても電気を消すことを選ぶことができる」と話したそうです。

 私は、ヤジ馬精神で8時のキャンドル点灯まで待っていようかとも思ったのですが、毎朝5時に起きて6時57分発の地下鉄に間に合うよう出かける生活が続くので、7時には公園を出ました。100万人規模という大きなイベントなら、新聞等で何らかの報道があるだろうから、あとで新聞でも見ようと思ったのです。しかし。
 朝日新聞の例でいうと、6月22日夕刊素粒子欄に「今夜はキャンドルナイト」という紹介が4行のっていましたが、「地震津波被害者追悼」という主旨のみ載せ、「反原発」という本来の主旨は報道なし。キャンドルを灯したようすの写真は、翌日の朝刊にも夕刊にもいっさいの報道なし。

 このような集まりに、テレビで見かけるような顔のタレントは、誰も参加していませんでした。「反原発」のデモに参加した山本太郎は、たちまち芸能界追放となってしまいました。原発の製造元である東芝が提供しているドラマの出演から降板させられ、所属の芸能事務所シス・カンパニーを「自分の意志でやめる」と、辞めさせられ、芸能活動停止。この一件だけでも、芸能人が自分の意志を発信することは「芸能人生」をかけてやることで、多くのタレントは「被災者にお見舞い申し上げます」とは言えても「原発はいらない」と言えないのだとよ~くわかる。原発を製造している電気会社や電気を作っている会社、新聞にとってもテレビにとっても、莫大な広告費を落とすお得意さんであり、お得意の不利になることにはいっさい口をつぐむのが新聞テレビなどの報道会社。
 
 代々木公園の芝生広場では、夏至の日に家族や仲間とバドミントンをしたり、太鼓を鳴らずアフリカ系のグループがいたり、思い思いに最も長い昼のあとのたそがれを楽しんでいました。
 代々木公園の「花の小径」バラ園は、もう盛りを過ぎていましたが、きれいな花を楽しむことができたし、キャンドル点灯は見なかったけれど、よい夏至の夕暮れだったと思います。

 このような「野外で楽しむ夏至の夕暮れ」を、いつまで保っていられるのか。「原発冷却した放射能汚染水が溜まって、漏れ出している」という現状で、このまま放射能流出が止まらないのでは、来年の夏はフクシマから300km以内の地域では室外へ出ると危険」な夏至になっていないとは、誰にも言えない。事故処理の詳細は報道が遠のいていますが、事故の後始末、収束までほど遠いことだけは報道されています。同じレベル7規模の事故だったチェルノブイリでは、100km圏まで避難対象地域になりました。現在60km圏の福島市の放射線数値が高いことを、親たちは心配しています。

 「電気を消してキャンドルナイト」を新聞もテレビも報道しなかったし、放射線量の発表報道も、どれが真実なのか、私には判断がむずかしい。発表機関ごとにマチマチなので。おまけに「低線量被爆」とやらもあるそうで、科学に弱い人間には何を信じるべきなのか、さっぱりわかりません。

 夏至の日の代々木公園に降り注いだ日の光にも、シーベルトやらベクレルやセシウムやらが含まれていたのだろうと思いますが、これからどう生きてどう暮らしていくのか考える契機のキャンドルナイト、夏至の一夜になりました。

<つづく>
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2011年07月03日


ぽかぽか春庭「小さな祈りの灯コンサート」
2011/07/03
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年6月>チャリティコンサート(3)小さな祈りの灯コンサート

 「お金持ちの花」のイメージがあった薔薇に対して、「わたしには野辺に咲く野草の花のほうが似合う」と、斜に構えた態度でいたのですが、この春は素直に薔薇の美しさを鑑賞できました。年の功です。
 「チャリティ・コンサート」に対しても、「お金持ちさん、余裕があったら慈善にいそしんで、貧乏人から搾取している罪滅ぼしをしたらいいさ」と、思ってきました。実際、結婚以来「働けど働けど貧乏生活」が続いてきたのですから、チャリティということばに「なんとはなしのうさんくささ」「金持ちの自己満足」というイメージを持ってきたのです。

 この春、各地で「チャリティコンサート」が活発に行われました。有名な歌手やタレントが関わると、大きく報道もされ「震災復興支援」は「錦の御旗」のように感じられて、またまたちょっと斜に構えてしまいました。自分なりのささやかな寄付も続けてきたから、ことさらチャリティとぶち上げなくても、聞きたい音楽があれば聞きに行くし、寄付したければ、どこの募金箱に寄せてもいい、と思っていたのです。

 私が参加しているジャズダンスサークルの仲間のひとり、ユミさんが、「6月にチャリティコンサートをするから、チケット買ってね」とチラシをくれたのは、4月のことでした。
 ユミさんは、プロのシャンソン歌手で、NHKのシャンソンの祭典「パリ祭」にも20年来出演している方です。

 私は1984年に、ジャズダンスサークルの忘年会でユミさんの歌をはじめて聞いたときに、「なんてまあ、歌がじょうずな人なんだろう、素人とは思えない」と感じたものでした。そしたら、数年後には「専業主婦からプロ歌手へ」という転身を果たし、現在までシャンソン歌手として演奏活動やシャンソン教室主宰者として活躍を続けています。私たちにとって、ダンスの練習中は昔も今も、「仲間のひとりのユミさん」で、歌手として見るときは芸名の「水織ゆみ」さんです。

 チケットは2000円で、そのほか、募金箱に寸志を入れる、という形式で、6月1日にコンサートが行われました。ゆみさんが東北地方へ慰問に行ってきたときのスライドレポート上映も含めて、2時間のコンサートでした。
 スライド上映では、瓦礫の山になっている現地の状況や、ゆみさん差し入れのどら焼きとスイートポテトを、笑顔で受け取る人々の様子が映されていました。

 衣類ほかの生活用品は支援物資として全国から送られて、炊き出し支援も続きました。しかし、直接すぐさま必要でない生活のうるおいは、忘れられがちです。ゆみさんはボランティアとともに炊き出し支援をし、そのほか、生活の喜びのひとつである「甘い物」を直接届けました。被災者への甘い物のさしいれ、とても喜ばれたそうです。

 ゆみさんは、ご家族が仙台に住んでいるということで、震災後家族の無事を確認するまではとても不安だったと、ジャズダンスサークルで練習のあいまに話していました。家族の無事が確認できたあと、自分でできることとして、復興支援コンサートを思い立ったということです。行動力があり、各方面への人脈を持っている方ですから、すぐに地元の議員さんや教育委員会へ働きかけて支援をとりつけ、ホールを借りたり出演協力の歌手や演奏家を探し、チケットを売り、コンサート実現となりました。すごい行動力です。

 コンサートでの歌は、これまで聞いてきたゆみさんの歌声の中でもとりわけ命の重さや生きて行くことのすばらしさを感じさせる力強くも情感溢れるもので、ゆみさんはときに涙ぐみながらも、たっぷりとシャンソン、カンツォーネ、自作の歌などを聞かせてくれました。ゆみさんが作詞した「小さな祈りの灯」という歌がコンサートのタイトルにもなっていました。

 カフェ日記で本の紹介などを書いているhawkさんが被災地の復興ボランティアに参加した、という記録を読ませていただきました。休暇を利用し、岩手県被災地の瓦礫片付けボランティアに参加したということです。「あれこれ言う前に、まず体を動かしてできることからやってみる」という姿勢で、若者が現地に飛び込み、寝袋持参の雑魚寝をしながら活動。瓦礫で埋まってしまった用水路を片付け、水が流れるようになったのを見て、思わず心の中でガッツポーズをとってしまった、と書いているホークさんのようす、頼もしくさわやかなボランティア活動記でした。

 それぞれの人が、自分にできる範囲での支援をしていく、政治の混迷をよそに、庶民は自分なりの支援を細くとも長く続けて行ければいいなあと思います。
 ゆみさんの「小さな祈りの灯コンサート」会場の募金箱に、ささやかな気持ちばかりですが寄付させてもらいました。チャリティもボランティアも、あれこれ言うまえに参加してみること。
 薔薇の豪華さへもチャリティへも、だいぶ素直に向き合えるようになりました。

 ゆみさん、今年のNHKパリ祭7月2日(土)3日(日)にも出演しています。youtubeにUPされているのは、パリ祭に参加し始めた頃の歌だそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=YKQ-uF-omSM

<つづく> 
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2011年07月05日


ぽかぽか春庭「トウキュウミュージックライブ」
2011/07/05
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年6月>チャリティコンサート(4)トウキュウミュージックライブ

 今期、土曜日も仕事があり、金曜日は10時半から午後7時半まで90分授業が続くという変則勤務ですが、水曜日は午前中1コマだけ。水曜日の午後は美術館へ行ったり公園散歩をしたり、「1週間のうちのホッとできる一日」です。

 6月15日にトーキューミュージックライブという無料コンサートがあり、娘が「出演者のひとりの、松たか子が好き」と言うので、ネットで応募しました。正式名は「東北関東大震災被災地支援コンサートTOKYU MUSIC LIVE」。
 火曜日2000人水曜日2000人の招待という、トウキュウのメセナ活動で、合計4000人もの招待なので、ほとんど当選なのかと思っていたら、当選はがきと座席券の引き替えの列に並んでいると、「あのぅ、一人でいらっしたのなら、いっしょに入場させていただけませんか」と、何人かに声をかけられました。あとでネットを見ると「トウキュウミュージッククライブの当選券をお譲り下さい」という掲示板もあったので、全員が当選するわけではないらしい。
http://www.tokyu.co.jp/group/tml-2011/profil.html

 6月15日、渋谷文化村のオーチャードホール。ピアニスト塩谷哲のプロデュースのコンサート。塩谷のピアノ演奏、上妻宏光の津軽三味線演奏も、松たか子、宮沢和史の歌もとてもよかったです。
 松たか子はとてもきれいで、歌もよかったです。娘は図書館で借りたCDアルバムをプレステ3の中に録音しておいたのに、プレステ3が壊れてしまい、「これまでに4年間せっせと借りては好きな曲を録音しておいたのが全部だめになってしまった」と、がっかりしていたところだったので、「こんなに前の席でよく見えてよかった」と大喜びでした。
 
 当選葉書と入場券の交換は、午後4時から。私は、水曜日午前中の仕事を終えて、お昼ご飯を食べてから入場券交換の列に並ぼうと思いました。念のため、チケット交換の場所を確かめてからご飯を食べようと、文化村へ行ったところ、すでに長い列ができていました。みんな早く並べば並ぶほど前方の席がとれると思って、早々に並んでいるのです。こりゃあ、私も並ばなければ、と、あわてて近くのコンビニでおにぎりとコロッケを買って、並びました。2時半ですでに100人くらい並んでいました。

 用意のいい人は携帯の椅子を持っているのですが、私はこんなに早くから並ぶとは思っていなかったので、列にカバンを置き、わきの階段に座って、おにぎりを食べました。2000人入る大ホールなのですが、早くに並んだおかげで、前から6列目の席を手に入れました。
 席が確保できたことを電話連絡し、娘が渋谷へ到着するのを待ちました。息子は15日水曜日の夜は、大学院学生たちの新入生歓迎コンパがあるというので、娘とふたり、早めの夕ご飯を食べてからコンサートをゆっくり見よう、という計画です。

 娘は5時に渋谷に着き、東急本店8階の洋食屋で夕食。娘は「感じのいい店だったけれど、味はフツー。特においしくもなし」という評価でした。娘は「前に食べた池袋の2100円のランチコースのほうが、おいしかった」と言います。ひとり3000円のコース、二人分で6000円。おひるはコンビニおにぎりで済ませた私にしてみたら大奮発だったですけれど、味は「デパート利用の客相手」の気がしたのは確か。常連客など望まないデパートレストランではこんなものでしょう。

 最後にわかったことは、私が「こんなに早くから並んでいるのか」と思った人々は、ほとんど宮沢和史のファンクラブの人たちで、集団で最前列を陣取り、「島唄」などの宮沢の歌のときは大熱狂ぶりでした。娘は、「コンサートに来て、椅子席なのに立ったまま演奏を聴くのは大嫌い」という人です。しかし、前列の宮沢ファンが皆立ち上がったので、フィナーレの「風になりたい」のころは、「松たか子が見えない」と、立つことになりました。

 バックバンドはこの日のために編成されたキャラメルバンド。その中の最年長のパーカッション奏者カルロス菅野さんの、コンサート報告ブログによると、義援金は2日間で200万円集まったそうです。
http://nettaijazz.exblog.jp/

 菅野さんのブログにもあるように、出演者それぞれが、とても気持ちよくコンサートに参加していたことがよくわかる演奏でした。来年のトウキュウミュージックライブはだれのプロデュースでどんな出演者になるのかまだわかりませんが、また応募してみたいです。
 6月15日の演奏曲目。
オープニング 塩谷哲ピアノ「Morning Bliss」、2塩谷哲「ラプソディ」3上妻宏光「田原坂」、4ピアノと三味線コラボ 5Home、 6松たか子「真昼の月」、7松たか子「黄昏のビギン」、8松たか子「みんなひとり」、9「 」、10宮沢和史「からたち野道」、11宮沢和史「みだれ髪」、12宮沢和史「イパネマの娘」、13宮沢和史「島唄」宮沢の三線+上妻の三味線演奏、14全員で「風になりたい」、15フィナーレ

 チャリティコンサート、毛嫌いせずに、これからも機会があったら、参加してみます。

<おわり>
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