ニーハオ春庭「半皿餃子」
2007/03/24
ニーハオ春庭中国通信>半皿餃子
中国、東北地方にやってきて、1週間。
18日の夕方に着任して、ようやく休日になり、おちついてパソコンにむかえます。
中国は、日本の60年代から現在までの発展の過程を、この十数年で駆け足で一気に発展したと聞いていましたが、ほんとうにそうです。
13年前に半年暮らした同じ町ですが、町並みもすっかり変わり、浦島太郎気分です。
町は高層ビルが増え、車が激増しています。
私が暮らす省都の町は、300万人都市の活気にあふれています。東京の23区にあたる中心の区部の人口は300万人ですが、郊外の区部以外も含めれば、人口600万人もの大都市です。
地上3階地下1階の大型スーパーマーケットをひとめぐりすれば、たいていのものは手に入ります。
人々の服装もおしゃれになって、若い娘たちは、「時装」のチェックをおこたりません。
13年前は、政府幹部やトップビジネスマンだけが使っていた携帯電話を、町歩く人々が手にして、話をしています。
ネット事情も、日本と変わりなく通信できるのですが、私の居室の通信速度はとても遅いので、ネットサーフィン閲覧だけで、書き込みや足跡つけをする余裕はありません。
でも、手紙でも電話でも連絡がたいへんだった13年前に比べれば、快適に家族とも連絡がとれ、通信技術の発達のありがたさを実感しています。
中国通信事情で、事前にきいていたことなのですが、ウィキペディアなど、「自由に情報を書き込んだり閲覧したりするサイトは見ることができない」というのは、ほんとうでした。
「ガセネタ」まじりを承知のうえで、ちょっとした調べものに、ウィキペディアを重宝に利用していたので、「情報に制限がある」というのは、ちょっとショック。
仕事は、想像以上にハードで、休日以外に日記書き込みをするのは無理みたい。
(というと、毎日更新していた日本での生活がよほど暇だったみたいですが、ま、気持ちの余裕の問題ということで)
中華料理はもちろん美味しいですが、大盛りの皿でしか注文できないので、ひとりでふらりと食べ歩きしたい私には不便です。ひとりで行けるマクドナルドもケンタッキーもありますが、何も中国まできてハンバーガー食べなくてもいい、、、
ひとりで入店し、水餃子を注文したとき「一皿か」と小姐(シャオジェ)が聞いてきたので、ためしに「半皿」と答えました。
おおぶりの餃子が30個くらいでてきました。一皿にしなくてよかったです。
日本で焼き餃子30個を15分で完食した記録を持つ私ですが、そんなに毎日30個完食するわけではなく、、、
太りそうです。
10:59 コメント(16) 編集 ページのトップへ
2007年03月31日
ニーハオ春庭 ドアなしトイレは自由か不自由か
2007/03/31
ニーハオ春庭>ドアなしトイレは自由か不自由か
日本では桜が満開なんでしょうね。
こちらは昼は暖かくなってきて、川や池の氷が溶けてきました。しかし、日が落ちると、まだまだ冷えます。
3月24日には、春の名物、黄砂が吹き荒れ、砂埃で息が苦しかった。
25日には、春の淡雪。日本では「狐の嫁入り」という「日がさしているのに雨がふる」天気がありますが、この春の淡雪では、「日がさしているのに雪がふる」という現象をはじめてみました。「風花」とも違う雰囲気です。日が明るい中を、大きなぼた雪が降っていました。
部屋のなかは集中暖房で、半袖シャツ一枚ですごせますが、外との温度差が大きいので、外出時には、まだダウンコートをきています。
もっとも、私のような厚手ダウンコートはもう町ではみかけなくなっています。
若い人は厚ぼったいコートなど早々と脱ぎ捨てて、春めいた服装になっているのですが、若くない私は、寒さ対策第一主義です。
13年前と大きく変わった街のなかをあちこち見物したかったのですが、この1週間は、大学と専家楼(招待所=外国人専門家宿舎)をバスで往復するだけで、街歩きもできませんでした。
以前と変わったことのひとつ、街の中心地の大通りの名前が、斯大林大街(スターリン大街)から人民大街に変わっていました。(その昔ラストエンペラーがいた頃は大同大街と呼ばれていた通りです)
大通りは車がぎっしりです。
トヨタと中国第一汽車集団公司の合弁会社が設立されている市なので、町中で見かける車はトヨタ系列が多いですが、外車も多いです。
合弁会社では、プリウスとトヨタランドクルーザーを生産しているそうです。
大きい工場がつぎつぎとできて雇用が増え、近隣の人々の生活がとても豊かになっていることが、スーパーの品揃えでもわかります。
まだまだ農村全部が豊かになっているのではない中国ですが、町の人々の生活は、飛躍的に向上しています。
同時に、水や空気の環境が悪くなったことを、皆が指摘します。
ベンツやトヨタレクサスなどの高級車が我が物顔で往来する大通りのわきの路地で、ロバがひく荷車を見かけました。
さすがに町中では少なくなっているのでしょうが、農村から野菜や果物を運ぶにはまだ現役で活躍しているロバも残っているようです。無公害のロバくん、がんばって!
昔と変わっていないのが残っているんだなあと、感慨にふけったことのひとつが、ドアなしトイレ。
スーパーのトイレ。入り口にはドアがありますが、個室のドアがありませんでした。
掃除人兼用と思いますが、監視人がトイレのなかへの商品持ち込みに目をひからせています。
スーパーでも、大型書店でも、入り口に手荷物預かり所があって、大型バッグは、ここに預けなければなりません。中型バッグは、大袋をわたされて中にしまわなければなりません。袋はパッチ止めされて、レジの精算がすむまであけられないようになっています。
買い物のたびにバッグをいちいち袋にいれること、私たちには不自由にも思えますが、いつでもどこでも監視カメラにさらされている私たちのほうが、ほんとうは不自由な社会に生きているのでしょうね。
パソコンやケータイの通信記録、クレジットでの買い物記録、健康保険利用記録など、すべての記録を一括管理されるなら、私たちは、生まれてから死ぬまでの一生をすべて記録され管理されるかもしれないのですから。
私の住む招待所は、人民大街と自由大路の交差点近くです。(地図の縦方向に走るのが大街、横方向の通りは大路)
自由大路を自由に闊歩できる社会がいいです。
さて、週末の自由な街歩きに出かけくるとしましょうか。
2007/4/6
鉄鍋うどん高いか安いか
4月4日、朝から一日中、雪が降ったりやんだりでした。
あたり一面の雪景色。溶けかかった川の上に雪がかぶさり、白い帯が流れていくようでした。でも、さすがに4月、つもることはなく、翌朝には全部融けていました。
つづいて東京でも雪になったというので、やっぱり天気は西から東へ移っていくんだなあと思いました。
久しぶりの中国、変わったこと変わらないことたくさんある中、変わらないのは中華料理のおいしさです。
変わったのは、街のなかにレストランが増えたこと、外食を楽しむ人が増えたこと。おいしいものを食べて食を楽しもうとする人が多くなりました。
日本では中華料理というと、四川料理北京料理が代表的ですが、広い中国、各地の名物料理の店がいろいろあります。
招待所の近所にもレストラン街ができ、さまざまな料理店があります。このあたりにたくさん住んでいる朝鮮族の名物、狗肉料理の店、ウィグル族(回族)のイスラム料理の店。
そのほか、中国各地の料理、庶民の気軽な店あり、四つ星の喜来登大飯店(シェラトンホテル)レストランあり。(シェラトンにはまだ入ってみていませんが)
4日の夜は、雪の中を歩いて、鍋うどんを食べに行って来ました。中国の南方、チベットやベトナム・カンボジアに近い雲南地方の名物だという鉄鍋うどん。
うどんといっても、米の粉でつくるミィェンシン(米繊)という緬です。ビーフンより太くて、見た目はうどんです。
客はまず、具を選んで注文します。雲南地方独特の野菜という酸菜(サンツァイ)という菜っぱや、うずらの卵、豆腐、もやしなど、うどんとセットの具のほかに、エビ、鶏肉、牛肉、海鮮団子などからお好みの具を選べます。一人前10元(約150円)だと1種類、15元だと2種類の具が選べます。
汁は「清湯」「微辛」など、お好みの味を選びます。私は辛いのがだめだから、「清湯」で。よくだしがきいたスープです。
日本の鍋焼きうどん一人前の大きさを想像していると、でてくる鉄鍋の大きさにびっくりします。
待つことしばし。服務員(フームユェン)が、セットの具の皿と熱した鍋に熱々の汁をいれて運んできます。お好みの具は小皿に入っています。
服務員が鍋に具をチャッチャと放り込み、さいごにミィェンシンをドボンと入れて、料理はできあがり。あとは客が自分でうどんと具をかきまぜます。かき混ぜているうちに、具が煮えてきます。テーブルではまったく火をつかわないのに、鍋の熱だけで、ほどよく具に火が通ります。
ふたりで食べるなら、ひとつの鍋で、緬を二人前にすることもできます。40元(約600円)なら、緬二人前に7種類の具が入ります。友達同士、恋人同士でひとつの鍋からうどんをすくいあって食べられます。
ふたりで食べて40元、さて、このうどんの値段は、高いか安いか。
中国の物価、高いとも言えるし安いともいえます。
ものの値段、衣服、靴、電化製品などは、日本の値段とそう変わりません。日本で3000円くらいのジーンズを買おうとすれば、こちらでも200元くらいの値段です。
15万円のパソコンなら、1万元。
安いのは、人件費と農産畜産物海産物などの食材。したがって、レストランでの外食は日本よりずっと安い。
日本の社員食堂にあたるような、招待所食堂のランチ。日替わり6種類の中華おかずの中から3種類を選び、ご飯とスープ突き出し野菜がついて5元(75円)です。(大学学生食堂のランチは形式は同じで3元(45円))
食生活だけを考えるなら、一ヶ月1万円あれば、外食だけでも十分においしいものが食べていける。
人件費は、大学新卒初任月給が1000元(1万5千円)から2000元(3万円)ほど。
したがって、大学新卒者が1万元のパソコンを買おうと思ったら、数ヶ月分は給料を貯めなければなりません。
考え方にもよりますが、ふたりで食べて40元のうどんは、普段の食生活からみると、「プチ贅沢」なのかもしれません。
雪の日にちょっと奮発して、ふたりであったかいもの食べるっていうには、ちょうどいいのかな。店はけっこう混んでいました。
私も、また食べにいくつもりです。残念なのは、二人でいっしょにうどんをすすってあたたまりたい相手がいないってことですけど、ま、ひとりで熱々をすすります
08:06 コメント(8) 編集 ページのトップへ
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2007年04月08日
ニーハオ春庭「鑑真東渡」
2007/04/08
中国テレビ事情>鑑真東渡
東京都知事選、現職続投ですね。
私の1票が無駄になったせいでもないだろうけれど、私としては東京を変えてほしかった。
ネットやBSのおかげで、日本のニュースもリアルタイムで手に入ります。
仕事場のテレビにはBSが入っているのですが、宿舎のテレビにはBSがなく、中国のテレビを見ています。
ケーブルテレビと思いますが、1チャンネルから50チャンネルまであり、広い中国各地の放映を見ることができて、おもしろいです。
「歌と踊り晩会」「中国語を話す外国人による芸能大会」の気軽なものから、ニュース、スポーツ中継、クイズ番組、料理、健康相談、映画、ドラマ、、、、
チベット自治区に近い青海(チンハイ)省制作の歴史ドラマなど、字幕がなければ、他の地方の人にはことばがわからないと思います。青海地方の踊りの番組、女性たちは美しい民族衣装のスカートをはき、頭には座布団のような大きな頭巾をつけています。
重慶テレビや四川省のテレビでは、繰り返し「西遊記」を放送しています。三蔵法師はふくよかな風貌の男性。孫悟空は猿そのものの顔、猪八戒は豚顔の特殊メークをしています。
テレビ番組の発音を聞き取ることなんてまだまだ無理ですが、中国のドラマ放映や地方放送の場合、方言の差が大きいこともあり、中国語標準語の字幕が画面に出ます。中国語がわからなくても、字幕の文字を追っていけば、インタビューやドラマのせりふ内容がおおよそわかってきます。
漢字文化圏とひとくくりにすることに批判もありますが、テレビを見ている限りでは漢字が表意文字であることのありがたさを実感しています。
中国共産党中央宣伝部が、11日からの温家宝首相の日本訪問に合わせ、日本について積極的に報道するよう促す通達を国内報道機関に出した、ということで、日本関連の放映報道が多くなっています。
今夜、4月8日夜の中央電視台は、1時間にわたって、安倍首相特集を放映。
中国トップキャスターによるインタビューのほか、明治維新期からつづく山口県長州閥の歴史、安倍首相の祖父叔父、父親などの家系につながる山口県出身政治家紹介と安倍晋三生い立ちの紹介と、念入りでした。
小泉前首相の靖国神社参拝の映像も流し、中国への配慮をまったくしなかった小泉氏に比べて、安倍首相が対中国関係を重視している姿勢を見せていることに、好意的な報道内容でした。
この「日本への理解を深めるための放映」の一環なのか、中央電視台TV1は、中日友好30周年記念ドラマ「鑑真東渡」を連続放映しています。
中国で高僧としてあがめられていた鑑真が、日本からの要請を受け、あらゆる妨害や困難を乗り越えて日本の仏教発展のために一身を投げ出すようすを描いています。
今夜の第十集は、中国の大事な宝である鑑真が、遠い日本へ出国してしまわないように、唐の国策として妨害するようすの続き。日本へいくのを思いとどまらせるために、軟禁状態になっている鑑真の周辺におこる出来事のいくつか。
日本から遣唐使とともに渡唐し、在唐14年の留学僧も鑑真をとりまく人物のひとりです。唐から鑑真を連れ出そうとした罪により、迫害を受け瀕死の目にあうなど、苦難に耐えています。
このあと、何度も難破の苦難に遭い、失明の悲劇に遭いながら日本へ到着するまでが放映されるでしょう。
今のところ、出てくる人がお坊さんばかりで、派手な活劇や美人が画面にあまり出てこないので、中国では視聴率はあがらないのではないかと思いますが、鑑真を演じる俳優が慈愛深そうな風貌で、鑑真びいきの私としては、日本でも放映してほしいと思います。
大唐国から荒波を乗り越えて日本渡海を果たした鑑真。
昨今の日本と中国の間には、鑑真が渡った時以上の荒波が起こっていましたが、11日の温首相訪日が両国の間によい方向を開くことを願っています。
22:43 コメント(11) 編集 ページのトップへ
2007年04月14日
ニーハオ春庭「中国テレビ事情続き」
2007/04/14
中国テレビ事情続き
今日14日、午前中はテレビの「中日友好大型歌会・同一首歌 走迸日本」という歌番組を見てました。久しぶりに日本語の歌を聴きました。
渋谷のNHKホールで開催されたということですが、日本での放映はあったのでしょうか。 こちらでは、温首相訪日にあわせての放映と思います。
「千の風になって」を、作曲者である新井満が歌ったり、中国人歌手が中国語で「襟裳岬」や日本語で「さくらさくら」を歌ったり。日本の子供たちと中国4人組の若手共演の「そーらん節」などもありました。
トリはジュディ・オング(翁倩玉)の「エーゲ海に捧ぐ」と、中国語の詞を書いてくれたというジュディの父親紹介のあと、中国語の「竹田の子守歌」。
番組のあと、浜崎歩(あゆみを漢字で意味をとって表記している)、谷村新司、栗原小巻のコメントがありました。
谷村新司は、04年3月に上海音楽学院 教授に就任、05年9月より常任教授となって中国で音楽教育に貢献しているので、日中友好というと、何かと名前がでてきます。
「昴」は、「北国の春」と並んで、こちらのカラオケの定番で、「中国のオリジナルの歌」と思っている人も多い。日本語の歌詞があると聞いて、「中国語から日本語に翻訳されたのか」と、思っています。
「日本のアニメとは知らずに、ずっと子供のころドラえもんやドラゴンボールを見ていた」という中国からの留学生が大勢いたので、中国のアニメチャンネルも、ときどき見ています。
15チャンネルはアニメが中心の子供番組専門。
15チャンネルで放映中の「ドラゴンボール」を見てちょっとびっくり。
登場人物の名前が変えられているのは納得。ブルマとかピッコロってのも漢字で表記する。
ブルマ、亀仙人、餃子、ピッコロなど、でてくるキャラクターは「ドラゴンボール」そのものだけれど、あれれ、微妙に顔や背景の絵柄が日本のアニメと違う。
これって、日本のドラゴンボールを放映しているんじゃないなあ。中国制作の「そっくりパクリ版」なんじゃないの。
キャラ設定やストーリーを使う権利を得て中国でアニメ制作しているのか、それとも「勝手にパクリ」なのかわからないのだけれど。
鳥山明は、こういう形で「微妙にちがうドラゴンボール」が放映されていること、知っているのかなあ。
現在、アニメ制作では世界有数の制作数を誇っている日本。でも、中国アニメは人件費の安さを武器に猛追してきています。中国アニメおそるべしです。
中国アニメ制作の中心は上海だと聞いたけれど、マーケットとしても、アニメ制作産業の人材提供地としても、中国はこれから大きくなっていくことでしょう。
ドラゴンボールの孫悟空ではなくて、西遊記の孫悟空。
各地の放送局で繰り返し放映されている『西遊記』は、中国中央電視台が80年代に制作したもの。
孫悟空を演じるのは、六小齢童。孫悟空役者として有名な人なんだそう。これ以上の孫悟空役者はありえない、という評価が高く、20年前の特撮が少々古めかしく感じられるようになっても、リメイクなどはされずに「原作に忠実に映像化され、中国文化の神髄を伝える」と評判の六小齢童子の悟空が繰り返し放送されています。
日本では、1978年から80年にかけて制作された堺正章孫悟空と、昨年香取慎吾孫悟空の両方とも、三蔵法師は女優さんが演じました。これは、中国の人にとっては「原作を無視している。三蔵法師を女優が演じるなどあり得ない」と、評判が悪いのだって。
だから、特殊効果などは最新の技術を投入した香取慎吾悟空の映画版「西遊記」も、この夏に完成したとしても、中国では上映放映されることはないみたい。
テレビ番組、日本に比べて新旧東西の映画がやたらに多くて、週末のテレビ、ザッピングしていると50あるチャンネルのうち半分以上、映画の放映をしています。文革時代に作られたのかと思う「中国の独立万歳」みたいなのもあるし、派手なアクションものも恋愛ドラマ、涙を誘う「母もの」も。
比較的新しい欧米映画の放映もあります。「悪しき西欧文化」を排除した上で、いろいろな制約をクリアして放映できる欧米映画、どんな内容なら放映が許可になるのか。
輸入映画、音声は全部中国語吹き替えになって、その上に字幕が出ます。
先週は、「グリム兄弟」をやっていました。字幕がなかったのですが、日本で見た映画なので、内容はわかるかと見ていましたが、やっぱり字幕がないと、グリム兄弟が話す中国語、よくわからなくて、おもしろくありませんでした。
14日午後、「白色巨塔(白い巨塔)」を見ました。日本では評判だったのに放送時に見なかった私ですが、中国語吹き替えに字幕つきなので、ちょうど裁判をやっているシーンの回を見ました。石坂浩二演じる東貞蔵が頭を下げていました。
次回の放送がいつなのかわかりません。連続ドラマ、日本のように「毎週火曜日」「毎日」というような1週間単位でプログラムが組まれる放送の仕方と異なっています。
夜、一回55分のドラマを3話分続けて放送したり、同じドラマが各地の放送局で日にちをかえて繰り返して放映されたり。
こんなふうに、週末もでかけずにテレビをかけっぱなしにしながら授業案作りをしています。
こちらの乾燥したほこりっぽい空気にやられたのか、この1週間のどが赤くはれて痛いから、週末も外出もひかえてこもっているんです。
ものを飲み込むのに、難儀していますが、ま、痛みをこらえながらもしっかり食べていますから、やせることはないでしょう。私の辞書に「痩せる」の文字はない。
中国語でコカコーラは「可口可楽」と書きます。ダイエットコカコーラは「可口可痩(コカコーショウ)」楽しく口にして痩せるっていう意味になる。
苦しくとも痛くても口にする私。
「苦痛口不痩。
17:54 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2007年04月18日
ニーハオ春庭「未来へ」
2007/04/18
中国学芸会「未来へ」
4月13日夜、勤務校で「学生主催の歓迎会」がありました。
私が教えている人たちは「日本国文部科学省招聘留学生(日本国費留学生)」に選ばれた、中国各地の大学の若手教師たちです。
大学院修士課程を修了し、大学で教師として働いている人の中から、優秀な人を厳選して文部科学省が奨学金を出します。
留学後、日本の大学で博士号を取得することを目的としています。13億人の中から、最高頭脳の持ち主百人が選ばれて、すでに半年間の日本語学習を終えています。
私は、文部科学省派遣講師として、彼らが日本で順調に研究生活をおくるための、基礎日本語を教えます。
基礎教育終了後に、東大や東工大の先生たちが「専門日本語」を教えます。医学研究、情報処理研究、メディア研究など主として理科系を専攻する学生たちが、専門的な日本語を理解できるようになるまでを、11ヶ月(毎年10月から翌年の8月まで)で行うのです。
たいへんなハードスケジュールです。
英語を習う場合に置き換えて考えてみるとわかりやすいかも。ABCの書き方から習いはじめて、1年足らずの間に、英検2級に合格する、という集中プログラムに相当します。
私がフランス語とかロシア語など、新しいことばを習い始めると考えてみると、11ヶ月で専門的な内容がわかるまでに上達しなさいと言われたら、たちまち挫折してしまいそうです。
連日の過酷な学習を優秀な頭脳でこなしている学習者たち。書き取り、作文、会話の暗記など、宿題も毎日たっぷりでるし、毎晩遅くまで復習予習をしていると言います。
そんな過酷な学習生活のなか、一晩のお楽しみ会が開催されました。
5つのクラスがそれぞれに歌や踊りのだしものを披露しあって楽しむ歓迎学芸会、私たち日本人教師団の歓迎会をかねての、学生主催の会です。
学生といっても、地元ではそれぞれが大学の教師なのですから、1週間の準備期間ですごい集中力を発揮して、それぞれのクラスがすばらしいだしものを用意しました。
私が中国人先生とペアで担任になっている2組のだしものは、男性4人の日本語での「昴」合唱と、クラス全員18人に日中の先生を加えた20人での「花(中国では花心)」(喜納昌吉作詞作曲)の合唱。これは一番を中国語で、二番を日本語で歌いました。
2組学生は、全員「♪花は流れてどこどこいくの~」と日本語の歌詞を暗記して歌詞の紙を見ずに歌ったのに比べて、私は中国語の歌詞をカンニングペーパーにカタカナで書いて歌いました。女性は手に一輪のバラを持って歌う演出だったので、カンペはバラに隠して持つことができ、助かりました。
また、2組の有志によって、太極拳演武も披露されました。連日の練習成果をみせて、ゆるやかな中に力強い動きを見せる太極拳を上手に演じていました。
学生たちに太極拳を教えてくださった鄭先生は、教職員にも教える機会を作ってくださるとのことだったので、私もこれから太極拳の練習をはじめたいと思っています。
日本人教師団6名は、中国語の歌詞がつけられてカラオケ曲の定番になっている歌「未来へ」(女性デュオきろろのヒット曲)を歌いました。
「未来へ」は中国語では「ホウライ后来」というタイトル。后来は、未来という意味ですが、日本語の歌詞でも「ほうら」と始まるので、音と意味を両方とも表しているいい訳と思います。
私は歌詞カードに「♪ホウライ ウォツォンサンシュエ~」と、カタカナでふりがなをして、どう聞いても中国語には思われないだろうという発音でしたが、まあ、ご愛嬌。
未来へ、そして后来へ向かって、日本へ学びに行こうとしている学生たちを励ます歌声になっていたらうれしいのですが。
06:44 コメント(10) 編集 ページのトップへ
2007年04月21日
ニーハオ春庭「四つ足のものは机以外なんでも」
2007/04/21 土
「四つの足のものは机以外なんでも」
イスラム文化圏では豚肉を食べない、日本は馬は食べるのに犬は食べない、など、それぞれの文化園にさまざまな食に関する伝統があります。
私は馬刺が好きなので、日本の教室で「日本では、馬肉を生で食べる」というと「ウェー、気持ち悪い」という反応を受けたりします。
気持ち悪いと言った学生の国では、蟻や蜂の子、芋虫などの昆虫は貴重なタンパク源だったりしますが、自分の慣れた食材は「ごくふつうの食べ物」であり、食べ慣れていないものは「えっ、そんなもの食べるの?」ということになる。
そんな世界の食材事情のなかで、中国は別格。
「空飛ぶものは飛行機以外なんでも、四つの足のものは机以外なんでも食べる」というのが、中華料理です。
スーパーの食材コーナーでも、広いスペースにあらゆるものが並べられているので、圧倒されます。
地元のスーパーチェーン店「恒客隆超市」でも、繁華街にアメリカから進出してきた「沃尓王馬(ウォルマート)」でも、大勢のひとがワンサカと多様な食材を買い込んでいます。 町一番の繁華街重慶路にデンとかまえたウォルマート、13年前はありませんでしたが、にぎわっています。
中国は広いですから、果物も豊富。東北で多く産するリンゴや梨、さんざし。、南方のマンゴー、バナナ、ドリアン、パイナップル。西方で多産されるスイカ。冬でも果物コーナーには大きなスイカが山積みになります。
内陸地方の町ですが、冷凍空輸が発達した今では、エビも魚も貝もさまざまなものが売られています。
豚肉コーナーでは、豚足コーナー、豚頭コーナー、豚耳コーナー、豚鼻コーナー。丸い穴がふたつあいた鼻が並んでいるコーナー、見ていると思わずひとつ買ってみたくなりますが、まだ食べたことありません。たいていイージン(一斤=500グラム)単位での売買で、そんなに豚の鼻ばかり山盛りに買う気になれないので。
かりっと料理された鼻、おいしいという話ですが。
お総菜コーナー、ほかにも、家鴨の頭がくちばしをこちらにむけて行儀よく並べられているし、鶏の足のお総菜も並んでいます。
ウォルマートでペキンダックを買ってみました。味見程度で十分なのですが、一羽分か、半分での売買になります。アヒル一羽分だと30元。半分で18元(300円)くらい。
日本の中華屋さんで食べるときは、ぱりっとした外側の皮を薄餅に包んで食べるだけですが、半羽分のまるごと、骨も頭も入っています。
皮も肉もおいしかった。頭や骨の部分もきっとおいしく食べる方法があるのだろうけれど、私は半羽分を買ったものの、皮と肉の部分だけ食べて、骨とか頭はどうやって食べたらいいのかわかりませんでした。
そのほか、これまで食べた食材のなかで、日本では食べないものをご紹介。
1,狗肉
犬肉は食用として特別に育てたものだそうです。
でも、町を歩いている犬を見て、人々は「あいつはウマそう」って、考えたりすることないのかなあ。だって、私が水族館へ行ったとき、鰺や鰯の群が回遊している水槽前で一番に思うことは「おいしそう」ですから。
朝鮮料理の店で、「狗肉湯」犬肉スープを頼みました。からいスープのほうに気をとられて食べたせいか、肉はくせもなく、おいしくいただきました。
市場では、しっぽつき犬の下半身がまな板に横たわっていました。じっと見ていたら、包丁もったおばちゃんが「どの部分を買いたいのか」というようなことを聞いてきたのだけれど、「ブーヤオ不要」と、おことわり。さすがに自分で料理する気にはなれない。
2,鶏のトサカ
大学食堂のランチにあったので、食べてみました。柔らかく煮込んである。鶏は、トサカも足も大事な食材。一羽の鶏で、足は2本しかないし、トサカはひとつしかないのだから、肉よりも貴重。
3,蛹
スーパーの「おそうざいコーナー」に山盛りになっている天蚕のさなぎ。4~5センチくらいで、ひとつずつがたて半分に切ってある。
名前は、「ジァン(草冠の下に虫)ヨン(蛹)jian yong」という。
一度はどんなものか食べてみようと思っていたんだけど、1斤(500g)が標準の量り売りで、最小売買単位の2両(アーリャン100g)と言って買っても、食べられないと無駄になるかもと思っていたら、宴会の皿にあったので、ひとつつまんで食べてみました。
唐揚げにしてあって、カリカリして美味しかった。
それで、ゆうべ20日夜は、スーパーおそうざいコーナーで「1両(イーリャン=50グラム)でもいいか」と頼んでみました。一斤(500グラム)40元のさなぎ唐揚げ、他の豚肉や鶏肉のお総菜に比べて高級な食べ物です。
50グラムといっても、軽い唐揚げなので、どんぶりいっぱい分くらい袋につめられました。4元(60円)。
家に帰って袋をひらくと、さすがに、蛹のにおいがしました。私が子供のころ、農家だった母の実家が、まだ養蚕をしていたころに嗅いだ蚕のさなぎのにおいです。
温めて食べたら、蛹っぽい匂いもなくなり、宴会で食べたのと同じで、かりっとしていて、中身は別段、虫っぽくもなく、酒のつまみによさそうでした。
次は何を食べてみようかな。
仕事しごとのハードスケジュールの毎日で、スーパーでの買い物のほか、土日も家にこもって翌週の準備。こんなはずじゃなかった、と、ぼやきながら、楽しみは食べることくらい。
寒い日があったと思うと、春ももうすぐかと思う日差しの日もあります。街路の並木がようやくうっすらと芽吹きの薄緑を帯びてきました。
こちらでは花も緑も5月から。あと少しで、いっせいに緑と花が見られると思います。 5月半ばには、もう半袖の夏支度。冬服と夏服だけで、春服はほどんど着る時期がない、という気候です。
あまりに春が短いので、「もっと長い春を望む」という人々の気持ちから町の名前がつけられたのだとか。
では、私も冬ごもりの蛹から、蝶になれる日を楽しみに。蛹を食べて羽化のパワーをもらった思うことにします。
11:05 コメント(12) 編集 ページのトップへ
2007年04月24日
ニーハオ春庭「一元バス」
2007/04/24 火
市内交通事情>一元バス
赴日留学生に選ばれた学生たち、中国全土から集まってきています。去年の10月までは地元の大学で先生をしていた人たちですから、自分の大学や住んでいる町に強い愛着をもっていて、郷土自慢もなみなみならぬものがあります。
先週の2分間スピーチで発表したリュウさんは、中国地質大学武漢校の先生。
「我がキャンパスの桜は、中国で一番美しい」と自慢し、「我が校の有名な卒業生」として、日本訪問の成果をあげた温家宝首相をあげました。
温首相の次に将来有名になるのは、学長になった未来のリュウさんだ、と言ってクラスメートを笑わせていましたが、本当に学長になるかもね。専攻は「高等教育運営学・大学財政学」どのようにして大学の財政を切り回し、大学を効率的に運営していくのか、日本で研究するそうです。
2分間日本語で話す、という練習なのですが、パソコンであれこれ大学の写真をみせながら、10分くらい説明していました。
日本語はまだまだ十分ではない学生でも、聞き手を前に説明を始めると、そこは日頃の仕事で慣れていることなので、止まらなくなってしまうみたい。
暖かい地方から来ている学生にとって、はじめて体験した東北地方の寒さはなかなか厳しく、こたえたようですが、「ここに来て、はじめてたくさんの雪を見ました」と、北国での体験を積極的に楽しんでいるようすも語ってくれました。
そんな学生たちが、一様にこの町のいいところとして認めているのが、乗り物料金の安さ。他のどの町と比べても、大幅に安いみたい。
タクシーは初乗り5元(75円)。
郊外にある勤務地と招待所の往復は、招待所専用の送迎ワゴンバスを利用しますが、仕事で遅くなったりして乗り遅れたときは、タクシーで30分、25元(375円)。
30分も乗って400円足らずですむのだったら、毎日タクシーでもよさそう、なんて、最初は思いましたが、一食10元~20元あれば食べていける生活に慣れてきたら、タクシー25元はもったいないと感じるようになりました。送迎バスに乗り遅れないようにしています。
市内公共バスの料金は、一律で一元(15円)。郊外まで行くバスは二元(30円)です。
市内路線バス、370路線があり、乗り換えをすれば、市内どこでもバスで行けます。
日本のこぎれいな真新しいバスに比べると、「これで目的地まで壊れずに動くのか」と思うくらい古いものもありますが、座席シートの汚れとかに目をつむるなら、1元で移動できることはありがたい。
市内での買い物に、バスを利用して感心したことがあります。それは、車内にすわっている若者が、自分より年上の人や小さな子供連れの人が乗ってきたとき、さっと席を立って譲ってくれること。
日本では、シルバーシートにさえ若者が足を投げ出して座り、席を譲る気などさらさらなさそうなのを見てきたので、ああ、こういうのも、社会習慣と教育によるんだなあと思います。
昨今の中国では「悪しき拝金主義が横行してきた」と、よく聞かされてきたことですが、年上の人を敬い大事にするという習慣は、まだまだしっかり根付いているように思いました。
そのほか、旧市街を一周する「軽軌電車」があります。
スキーやスケート競技で盛り上がった今年2月の第6回アジア冬季競技大会の開催に備えて、昨年の12月に完成したばかりという新らしい鉄道。市内の競技場をつなぐ路線として開通しました。
高架線路の上を、かわいらしいデザインの2両連結の電車が走っています。勤務しているキャンパスのすぐ近くにも、駅があります。
今年8月までは、「開業記念、一律2元」の料金ですが、8月以後は距離に応じた料金体系になるそうです。2元のうちに乗ってみることにしましょう。
07:07 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2007年04月30日
ニーハオ春庭「一元旅行」
2007/04/30
ミステリーツアー・1元旅行
宿舎のインターネットがまたまた不通になって1週間。
毎日毎日「あした(明天ミンティェン)は直る」と言われ続けたのですが、ついに直らず、今日は職場のパソコンからの更新です。
4月下旬、ようやく市内の花木が咲き出しました。ピンクや白の「花桃」。実はならず花を観賞する種類の桃だそうです。
ああ、やっと春らしくなってきた、と思う間にも寒い日もあったりしながら、4月末日になると、昨日までは寒々とした裸木だった街路樹、ポプラや柳が、いっせいに萌え出しました。
今朝の通勤ワゴンバスから見る街路樹は、初々しい若葉が枝を飾っています。
北国もようやく春です。
日本はゴールデンウィーク真っ最中、皆さん、おでかけを楽しんでいるところでしょうね。
週末に遠出もできない「かごの鳥」状態で仕事をつづけてきましたが、買い物に出るついでに、バス停から「とにかく最初に来たバスにのって、終点までいってみる」という「プチおでかけ」をしています。
新しい町で、どこに行くのかも知らないでバスに乗るのはけっこうドキドキで、ちょっとした「ミステリーツアー」の気分です。
買い物に出たあと、いつもと違う道筋のバス停から、「どこへ行くのか知らないいバス」に乗り込みました。
左側通行の中国、運転手席は左側、バス乗車口は車体の右側です。乗車ドアの前に料金投入箱があり、一元を入れます。バスカードを持っている人は、カードリーダーにタッチします。
若者に譲ってもらった座席の窓から外を眺めながら、ドキドキしながらミステリーツアーの開始。
紅旗街というこの町第二の繁華街を通りました。買い物帰りの大袋を下げた人々が乗ってきて、バスは満杯になりました。
「紅旗」というのは、中国の要人が専用車にしていた「高級国産車」の名前です。かっては毛沢東や周恩来が、車の前部に五星紅旗をはためかせて「紅旗」に乗車していたものでした。
紅旗を生産していたのは、「中国第一汽車製造廠」。
最大規模の国営企業でしたが、解放改革後はかっての勢いをなくし、一時期は「旧弊な老朽会社」の代名詞のようになっていました。
ところが、「国営企業」から脱却して、各国との合弁会社を設立すると、見事に息を吹き返しました。フォルクスワーゲンとの合弁会社、トヨタとの合弁会社などに分かれ、昔を上回る大企業に成長しています。略称「イーチー(一汽)」
中国語では、「汽車」は自動車という意味。「火車」が日本語の「汽車」にあたります。
私だけのミステリーツアーバスは、この地方の医療拠点のひとつ「省人民医院」前を通過。
大病院だけでなく、町のあちこちにやたらに病院が多い都市です。
「電影城」前を通過。
電影城は、映画の撮影所。13年前に一度見物したことがあります。
戦前には、李香蘭たちが映画を撮影したところです。
内部は、戦前とはもちろん、13年前とも変わってしまって、昔の面影はないでしょうが、もう一度見物してみようと思っています。
外国語学院前を通過すると、あとは10階建てくらいのアパートが続く住宅街になりました。停留所ごとに、乗客はぼつぼつと降りますが、ほとんどの客は下車しません。
どこへ行くのかわからないけれど、こうして人が大勢いるってことは、それほど郊外まで遠出するバスでもないのでしょう。まあ、とにかく、皆が降りるところまでいってみましょう。
寛平大路から東風大路へ進むと、あたりのようすが変わりました。このあたりは、第一汽車集団公司の拠点地、経済開発区のひとつです。
大路の両側は、「第一汽車」設立の小中学校や医院、文化宮(文化センター)。
会社がひとつの町を形成し、「企業城下町」になっている地帯です。
愛知県の豊田市が「トヨタ企業城下町」となっているみたいな感じ。
本社にあたるのか、立派な建物の門前には、毛沢東の筆で「ここに、第一汽車製造工場を設立する。毛沢東」と記された由来記念の石碑がありました。
終点地は、この第一汽車集団公司の社宅地の中でした。
毎月の月給で安定した現金収入がある社員たちは、週末になるとバスで繁華街まで出かけていって、デパートや大型スーパーでの買い物、映画やレストランでの外食を楽しんで帰るのでしょう。
そのおかげで、町のレストランも繁盛し、レストランでの雇用も生まれます。
先日、出かけたちょっと高級な海鮮レストランに「従業員募集」の掲示がでていました。「服務員、一ヶ月800元(1万2千円)」とあります。レストランの服務員で800元の月給は、高いほうです。そういった雇用も、大会社が地元にあることから生じてくるのでしょうね。
朝陽区、南関区などの区部(東京の23区にあたる区域)で300万人、郊外の市域(東京の市部にあたる)を含めると700万人にもなるという大都市に発展したこの町の、経済原動力のひとつが、この「第一汽車」合弁会社。
私の勤務校では、トヨタとの合弁会社で働く「優秀社員」の日本語教育も請け負っています。
第一汽車の勤務が終わったあと、火・金の夜と土日に日本語の授業を受けている優秀社員に選ばれた人たち。将来会社を背負っていく社員として期待されての選抜なのでしょう。
来年のオリンピックが中国発展のひとつの目安となっているように、第6回アジア冬季競技大会の開催を成功裏に終わらせた自信が、この町をさらに活気づけていくようです。
経済発展がよい方向に向くだけではなく、環境問題、農村との格差問題など、さまざまな問題をはらんでいることは確かですが、経済発展と同時に公害問題などに苦しんだ日本ほかの先例を知り、解決策をさぐりながら最大多数の最大幸福をめざしてほしいです。
ドキドキのミステリーバスツアー、次の路線では、どこへ向かうでしょうか。
2007/03/24
ニーハオ春庭中国通信>半皿餃子
中国、東北地方にやってきて、1週間。
18日の夕方に着任して、ようやく休日になり、おちついてパソコンにむかえます。
中国は、日本の60年代から現在までの発展の過程を、この十数年で駆け足で一気に発展したと聞いていましたが、ほんとうにそうです。
13年前に半年暮らした同じ町ですが、町並みもすっかり変わり、浦島太郎気分です。
町は高層ビルが増え、車が激増しています。
私が暮らす省都の町は、300万人都市の活気にあふれています。東京の23区にあたる中心の区部の人口は300万人ですが、郊外の区部以外も含めれば、人口600万人もの大都市です。
地上3階地下1階の大型スーパーマーケットをひとめぐりすれば、たいていのものは手に入ります。
人々の服装もおしゃれになって、若い娘たちは、「時装」のチェックをおこたりません。
13年前は、政府幹部やトップビジネスマンだけが使っていた携帯電話を、町歩く人々が手にして、話をしています。
ネット事情も、日本と変わりなく通信できるのですが、私の居室の通信速度はとても遅いので、ネットサーフィン閲覧だけで、書き込みや足跡つけをする余裕はありません。
でも、手紙でも電話でも連絡がたいへんだった13年前に比べれば、快適に家族とも連絡がとれ、通信技術の発達のありがたさを実感しています。
中国通信事情で、事前にきいていたことなのですが、ウィキペディアなど、「自由に情報を書き込んだり閲覧したりするサイトは見ることができない」というのは、ほんとうでした。
「ガセネタ」まじりを承知のうえで、ちょっとした調べものに、ウィキペディアを重宝に利用していたので、「情報に制限がある」というのは、ちょっとショック。
仕事は、想像以上にハードで、休日以外に日記書き込みをするのは無理みたい。
(というと、毎日更新していた日本での生活がよほど暇だったみたいですが、ま、気持ちの余裕の問題ということで)
中華料理はもちろん美味しいですが、大盛りの皿でしか注文できないので、ひとりでふらりと食べ歩きしたい私には不便です。ひとりで行けるマクドナルドもケンタッキーもありますが、何も中国まできてハンバーガー食べなくてもいい、、、
ひとりで入店し、水餃子を注文したとき「一皿か」と小姐(シャオジェ)が聞いてきたので、ためしに「半皿」と答えました。
おおぶりの餃子が30個くらいでてきました。一皿にしなくてよかったです。
日本で焼き餃子30個を15分で完食した記録を持つ私ですが、そんなに毎日30個完食するわけではなく、、、
太りそうです。
10:59 コメント(16) 編集 ページのトップへ
2007年03月31日
ニーハオ春庭 ドアなしトイレは自由か不自由か
2007/03/31
ニーハオ春庭>ドアなしトイレは自由か不自由か
日本では桜が満開なんでしょうね。
こちらは昼は暖かくなってきて、川や池の氷が溶けてきました。しかし、日が落ちると、まだまだ冷えます。
3月24日には、春の名物、黄砂が吹き荒れ、砂埃で息が苦しかった。
25日には、春の淡雪。日本では「狐の嫁入り」という「日がさしているのに雨がふる」天気がありますが、この春の淡雪では、「日がさしているのに雪がふる」という現象をはじめてみました。「風花」とも違う雰囲気です。日が明るい中を、大きなぼた雪が降っていました。
部屋のなかは集中暖房で、半袖シャツ一枚ですごせますが、外との温度差が大きいので、外出時には、まだダウンコートをきています。
もっとも、私のような厚手ダウンコートはもう町ではみかけなくなっています。
若い人は厚ぼったいコートなど早々と脱ぎ捨てて、春めいた服装になっているのですが、若くない私は、寒さ対策第一主義です。
13年前と大きく変わった街のなかをあちこち見物したかったのですが、この1週間は、大学と専家楼(招待所=外国人専門家宿舎)をバスで往復するだけで、街歩きもできませんでした。
以前と変わったことのひとつ、街の中心地の大通りの名前が、斯大林大街(スターリン大街)から人民大街に変わっていました。(その昔ラストエンペラーがいた頃は大同大街と呼ばれていた通りです)
大通りは車がぎっしりです。
トヨタと中国第一汽車集団公司の合弁会社が設立されている市なので、町中で見かける車はトヨタ系列が多いですが、外車も多いです。
合弁会社では、プリウスとトヨタランドクルーザーを生産しているそうです。
大きい工場がつぎつぎとできて雇用が増え、近隣の人々の生活がとても豊かになっていることが、スーパーの品揃えでもわかります。
まだまだ農村全部が豊かになっているのではない中国ですが、町の人々の生活は、飛躍的に向上しています。
同時に、水や空気の環境が悪くなったことを、皆が指摘します。
ベンツやトヨタレクサスなどの高級車が我が物顔で往来する大通りのわきの路地で、ロバがひく荷車を見かけました。
さすがに町中では少なくなっているのでしょうが、農村から野菜や果物を運ぶにはまだ現役で活躍しているロバも残っているようです。無公害のロバくん、がんばって!
昔と変わっていないのが残っているんだなあと、感慨にふけったことのひとつが、ドアなしトイレ。
スーパーのトイレ。入り口にはドアがありますが、個室のドアがありませんでした。
掃除人兼用と思いますが、監視人がトイレのなかへの商品持ち込みに目をひからせています。
スーパーでも、大型書店でも、入り口に手荷物預かり所があって、大型バッグは、ここに預けなければなりません。中型バッグは、大袋をわたされて中にしまわなければなりません。袋はパッチ止めされて、レジの精算がすむまであけられないようになっています。
買い物のたびにバッグをいちいち袋にいれること、私たちには不自由にも思えますが、いつでもどこでも監視カメラにさらされている私たちのほうが、ほんとうは不自由な社会に生きているのでしょうね。
パソコンやケータイの通信記録、クレジットでの買い物記録、健康保険利用記録など、すべての記録を一括管理されるなら、私たちは、生まれてから死ぬまでの一生をすべて記録され管理されるかもしれないのですから。
私の住む招待所は、人民大街と自由大路の交差点近くです。(地図の縦方向に走るのが大街、横方向の通りは大路)
自由大路を自由に闊歩できる社会がいいです。
さて、週末の自由な街歩きに出かけくるとしましょうか。
2007/4/6
鉄鍋うどん高いか安いか
4月4日、朝から一日中、雪が降ったりやんだりでした。
あたり一面の雪景色。溶けかかった川の上に雪がかぶさり、白い帯が流れていくようでした。でも、さすがに4月、つもることはなく、翌朝には全部融けていました。
つづいて東京でも雪になったというので、やっぱり天気は西から東へ移っていくんだなあと思いました。
久しぶりの中国、変わったこと変わらないことたくさんある中、変わらないのは中華料理のおいしさです。
変わったのは、街のなかにレストランが増えたこと、外食を楽しむ人が増えたこと。おいしいものを食べて食を楽しもうとする人が多くなりました。
日本では中華料理というと、四川料理北京料理が代表的ですが、広い中国、各地の名物料理の店がいろいろあります。
招待所の近所にもレストラン街ができ、さまざまな料理店があります。このあたりにたくさん住んでいる朝鮮族の名物、狗肉料理の店、ウィグル族(回族)のイスラム料理の店。
そのほか、中国各地の料理、庶民の気軽な店あり、四つ星の喜来登大飯店(シェラトンホテル)レストランあり。(シェラトンにはまだ入ってみていませんが)
4日の夜は、雪の中を歩いて、鍋うどんを食べに行って来ました。中国の南方、チベットやベトナム・カンボジアに近い雲南地方の名物だという鉄鍋うどん。
うどんといっても、米の粉でつくるミィェンシン(米繊)という緬です。ビーフンより太くて、見た目はうどんです。
客はまず、具を選んで注文します。雲南地方独特の野菜という酸菜(サンツァイ)という菜っぱや、うずらの卵、豆腐、もやしなど、うどんとセットの具のほかに、エビ、鶏肉、牛肉、海鮮団子などからお好みの具を選べます。一人前10元(約150円)だと1種類、15元だと2種類の具が選べます。
汁は「清湯」「微辛」など、お好みの味を選びます。私は辛いのがだめだから、「清湯」で。よくだしがきいたスープです。
日本の鍋焼きうどん一人前の大きさを想像していると、でてくる鉄鍋の大きさにびっくりします。
待つことしばし。服務員(フームユェン)が、セットの具の皿と熱した鍋に熱々の汁をいれて運んできます。お好みの具は小皿に入っています。
服務員が鍋に具をチャッチャと放り込み、さいごにミィェンシンをドボンと入れて、料理はできあがり。あとは客が自分でうどんと具をかきまぜます。かき混ぜているうちに、具が煮えてきます。テーブルではまったく火をつかわないのに、鍋の熱だけで、ほどよく具に火が通ります。
ふたりで食べるなら、ひとつの鍋で、緬を二人前にすることもできます。40元(約600円)なら、緬二人前に7種類の具が入ります。友達同士、恋人同士でひとつの鍋からうどんをすくいあって食べられます。
ふたりで食べて40元、さて、このうどんの値段は、高いか安いか。
中国の物価、高いとも言えるし安いともいえます。
ものの値段、衣服、靴、電化製品などは、日本の値段とそう変わりません。日本で3000円くらいのジーンズを買おうとすれば、こちらでも200元くらいの値段です。
15万円のパソコンなら、1万元。
安いのは、人件費と農産畜産物海産物などの食材。したがって、レストランでの外食は日本よりずっと安い。
日本の社員食堂にあたるような、招待所食堂のランチ。日替わり6種類の中華おかずの中から3種類を選び、ご飯とスープ突き出し野菜がついて5元(75円)です。(大学学生食堂のランチは形式は同じで3元(45円))
食生活だけを考えるなら、一ヶ月1万円あれば、外食だけでも十分においしいものが食べていける。
人件費は、大学新卒初任月給が1000元(1万5千円)から2000元(3万円)ほど。
したがって、大学新卒者が1万元のパソコンを買おうと思ったら、数ヶ月分は給料を貯めなければなりません。
考え方にもよりますが、ふたりで食べて40元のうどんは、普段の食生活からみると、「プチ贅沢」なのかもしれません。
雪の日にちょっと奮発して、ふたりであったかいもの食べるっていうには、ちょうどいいのかな。店はけっこう混んでいました。
私も、また食べにいくつもりです。残念なのは、二人でいっしょにうどんをすすってあたたまりたい相手がいないってことですけど、ま、ひとりで熱々をすすります
08:06 コメント(8) 編集 ページのトップへ
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2007年04月08日
ニーハオ春庭「鑑真東渡」
2007/04/08
中国テレビ事情>鑑真東渡
東京都知事選、現職続投ですね。
私の1票が無駄になったせいでもないだろうけれど、私としては東京を変えてほしかった。
ネットやBSのおかげで、日本のニュースもリアルタイムで手に入ります。
仕事場のテレビにはBSが入っているのですが、宿舎のテレビにはBSがなく、中国のテレビを見ています。
ケーブルテレビと思いますが、1チャンネルから50チャンネルまであり、広い中国各地の放映を見ることができて、おもしろいです。
「歌と踊り晩会」「中国語を話す外国人による芸能大会」の気軽なものから、ニュース、スポーツ中継、クイズ番組、料理、健康相談、映画、ドラマ、、、、
チベット自治区に近い青海(チンハイ)省制作の歴史ドラマなど、字幕がなければ、他の地方の人にはことばがわからないと思います。青海地方の踊りの番組、女性たちは美しい民族衣装のスカートをはき、頭には座布団のような大きな頭巾をつけています。
重慶テレビや四川省のテレビでは、繰り返し「西遊記」を放送しています。三蔵法師はふくよかな風貌の男性。孫悟空は猿そのものの顔、猪八戒は豚顔の特殊メークをしています。
テレビ番組の発音を聞き取ることなんてまだまだ無理ですが、中国のドラマ放映や地方放送の場合、方言の差が大きいこともあり、中国語標準語の字幕が画面に出ます。中国語がわからなくても、字幕の文字を追っていけば、インタビューやドラマのせりふ内容がおおよそわかってきます。
漢字文化圏とひとくくりにすることに批判もありますが、テレビを見ている限りでは漢字が表意文字であることのありがたさを実感しています。
中国共産党中央宣伝部が、11日からの温家宝首相の日本訪問に合わせ、日本について積極的に報道するよう促す通達を国内報道機関に出した、ということで、日本関連の放映報道が多くなっています。
今夜、4月8日夜の中央電視台は、1時間にわたって、安倍首相特集を放映。
中国トップキャスターによるインタビューのほか、明治維新期からつづく山口県長州閥の歴史、安倍首相の祖父叔父、父親などの家系につながる山口県出身政治家紹介と安倍晋三生い立ちの紹介と、念入りでした。
小泉前首相の靖国神社参拝の映像も流し、中国への配慮をまったくしなかった小泉氏に比べて、安倍首相が対中国関係を重視している姿勢を見せていることに、好意的な報道内容でした。
この「日本への理解を深めるための放映」の一環なのか、中央電視台TV1は、中日友好30周年記念ドラマ「鑑真東渡」を連続放映しています。
中国で高僧としてあがめられていた鑑真が、日本からの要請を受け、あらゆる妨害や困難を乗り越えて日本の仏教発展のために一身を投げ出すようすを描いています。
今夜の第十集は、中国の大事な宝である鑑真が、遠い日本へ出国してしまわないように、唐の国策として妨害するようすの続き。日本へいくのを思いとどまらせるために、軟禁状態になっている鑑真の周辺におこる出来事のいくつか。
日本から遣唐使とともに渡唐し、在唐14年の留学僧も鑑真をとりまく人物のひとりです。唐から鑑真を連れ出そうとした罪により、迫害を受け瀕死の目にあうなど、苦難に耐えています。
このあと、何度も難破の苦難に遭い、失明の悲劇に遭いながら日本へ到着するまでが放映されるでしょう。
今のところ、出てくる人がお坊さんばかりで、派手な活劇や美人が画面にあまり出てこないので、中国では視聴率はあがらないのではないかと思いますが、鑑真を演じる俳優が慈愛深そうな風貌で、鑑真びいきの私としては、日本でも放映してほしいと思います。
大唐国から荒波を乗り越えて日本渡海を果たした鑑真。
昨今の日本と中国の間には、鑑真が渡った時以上の荒波が起こっていましたが、11日の温首相訪日が両国の間によい方向を開くことを願っています。
22:43 コメント(11) 編集 ページのトップへ
2007年04月14日
ニーハオ春庭「中国テレビ事情続き」
2007/04/14
中国テレビ事情続き
今日14日、午前中はテレビの「中日友好大型歌会・同一首歌 走迸日本」という歌番組を見てました。久しぶりに日本語の歌を聴きました。
渋谷のNHKホールで開催されたということですが、日本での放映はあったのでしょうか。 こちらでは、温首相訪日にあわせての放映と思います。
「千の風になって」を、作曲者である新井満が歌ったり、中国人歌手が中国語で「襟裳岬」や日本語で「さくらさくら」を歌ったり。日本の子供たちと中国4人組の若手共演の「そーらん節」などもありました。
トリはジュディ・オング(翁倩玉)の「エーゲ海に捧ぐ」と、中国語の詞を書いてくれたというジュディの父親紹介のあと、中国語の「竹田の子守歌」。
番組のあと、浜崎歩(あゆみを漢字で意味をとって表記している)、谷村新司、栗原小巻のコメントがありました。
谷村新司は、04年3月に上海音楽学院 教授に就任、05年9月より常任教授となって中国で音楽教育に貢献しているので、日中友好というと、何かと名前がでてきます。
「昴」は、「北国の春」と並んで、こちらのカラオケの定番で、「中国のオリジナルの歌」と思っている人も多い。日本語の歌詞があると聞いて、「中国語から日本語に翻訳されたのか」と、思っています。
「日本のアニメとは知らずに、ずっと子供のころドラえもんやドラゴンボールを見ていた」という中国からの留学生が大勢いたので、中国のアニメチャンネルも、ときどき見ています。
15チャンネルはアニメが中心の子供番組専門。
15チャンネルで放映中の「ドラゴンボール」を見てちょっとびっくり。
登場人物の名前が変えられているのは納得。ブルマとかピッコロってのも漢字で表記する。
ブルマ、亀仙人、餃子、ピッコロなど、でてくるキャラクターは「ドラゴンボール」そのものだけれど、あれれ、微妙に顔や背景の絵柄が日本のアニメと違う。
これって、日本のドラゴンボールを放映しているんじゃないなあ。中国制作の「そっくりパクリ版」なんじゃないの。
キャラ設定やストーリーを使う権利を得て中国でアニメ制作しているのか、それとも「勝手にパクリ」なのかわからないのだけれど。
鳥山明は、こういう形で「微妙にちがうドラゴンボール」が放映されていること、知っているのかなあ。
現在、アニメ制作では世界有数の制作数を誇っている日本。でも、中国アニメは人件費の安さを武器に猛追してきています。中国アニメおそるべしです。
中国アニメ制作の中心は上海だと聞いたけれど、マーケットとしても、アニメ制作産業の人材提供地としても、中国はこれから大きくなっていくことでしょう。
ドラゴンボールの孫悟空ではなくて、西遊記の孫悟空。
各地の放送局で繰り返し放映されている『西遊記』は、中国中央電視台が80年代に制作したもの。
孫悟空を演じるのは、六小齢童。孫悟空役者として有名な人なんだそう。これ以上の孫悟空役者はありえない、という評価が高く、20年前の特撮が少々古めかしく感じられるようになっても、リメイクなどはされずに「原作に忠実に映像化され、中国文化の神髄を伝える」と評判の六小齢童子の悟空が繰り返し放送されています。
日本では、1978年から80年にかけて制作された堺正章孫悟空と、昨年香取慎吾孫悟空の両方とも、三蔵法師は女優さんが演じました。これは、中国の人にとっては「原作を無視している。三蔵法師を女優が演じるなどあり得ない」と、評判が悪いのだって。
だから、特殊効果などは最新の技術を投入した香取慎吾悟空の映画版「西遊記」も、この夏に完成したとしても、中国では上映放映されることはないみたい。
テレビ番組、日本に比べて新旧東西の映画がやたらに多くて、週末のテレビ、ザッピングしていると50あるチャンネルのうち半分以上、映画の放映をしています。文革時代に作られたのかと思う「中国の独立万歳」みたいなのもあるし、派手なアクションものも恋愛ドラマ、涙を誘う「母もの」も。
比較的新しい欧米映画の放映もあります。「悪しき西欧文化」を排除した上で、いろいろな制約をクリアして放映できる欧米映画、どんな内容なら放映が許可になるのか。
輸入映画、音声は全部中国語吹き替えになって、その上に字幕が出ます。
先週は、「グリム兄弟」をやっていました。字幕がなかったのですが、日本で見た映画なので、内容はわかるかと見ていましたが、やっぱり字幕がないと、グリム兄弟が話す中国語、よくわからなくて、おもしろくありませんでした。
14日午後、「白色巨塔(白い巨塔)」を見ました。日本では評判だったのに放送時に見なかった私ですが、中国語吹き替えに字幕つきなので、ちょうど裁判をやっているシーンの回を見ました。石坂浩二演じる東貞蔵が頭を下げていました。
次回の放送がいつなのかわかりません。連続ドラマ、日本のように「毎週火曜日」「毎日」というような1週間単位でプログラムが組まれる放送の仕方と異なっています。
夜、一回55分のドラマを3話分続けて放送したり、同じドラマが各地の放送局で日にちをかえて繰り返して放映されたり。
こんなふうに、週末もでかけずにテレビをかけっぱなしにしながら授業案作りをしています。
こちらの乾燥したほこりっぽい空気にやられたのか、この1週間のどが赤くはれて痛いから、週末も外出もひかえてこもっているんです。
ものを飲み込むのに、難儀していますが、ま、痛みをこらえながらもしっかり食べていますから、やせることはないでしょう。私の辞書に「痩せる」の文字はない。
中国語でコカコーラは「可口可楽」と書きます。ダイエットコカコーラは「可口可痩(コカコーショウ)」楽しく口にして痩せるっていう意味になる。
苦しくとも痛くても口にする私。
「苦痛口不痩。
17:54 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2007年04月18日
ニーハオ春庭「未来へ」
2007/04/18
中国学芸会「未来へ」
4月13日夜、勤務校で「学生主催の歓迎会」がありました。
私が教えている人たちは「日本国文部科学省招聘留学生(日本国費留学生)」に選ばれた、中国各地の大学の若手教師たちです。
大学院修士課程を修了し、大学で教師として働いている人の中から、優秀な人を厳選して文部科学省が奨学金を出します。
留学後、日本の大学で博士号を取得することを目的としています。13億人の中から、最高頭脳の持ち主百人が選ばれて、すでに半年間の日本語学習を終えています。
私は、文部科学省派遣講師として、彼らが日本で順調に研究生活をおくるための、基礎日本語を教えます。
基礎教育終了後に、東大や東工大の先生たちが「専門日本語」を教えます。医学研究、情報処理研究、メディア研究など主として理科系を専攻する学生たちが、専門的な日本語を理解できるようになるまでを、11ヶ月(毎年10月から翌年の8月まで)で行うのです。
たいへんなハードスケジュールです。
英語を習う場合に置き換えて考えてみるとわかりやすいかも。ABCの書き方から習いはじめて、1年足らずの間に、英検2級に合格する、という集中プログラムに相当します。
私がフランス語とかロシア語など、新しいことばを習い始めると考えてみると、11ヶ月で専門的な内容がわかるまでに上達しなさいと言われたら、たちまち挫折してしまいそうです。
連日の過酷な学習を優秀な頭脳でこなしている学習者たち。書き取り、作文、会話の暗記など、宿題も毎日たっぷりでるし、毎晩遅くまで復習予習をしていると言います。
そんな過酷な学習生活のなか、一晩のお楽しみ会が開催されました。
5つのクラスがそれぞれに歌や踊りのだしものを披露しあって楽しむ歓迎学芸会、私たち日本人教師団の歓迎会をかねての、学生主催の会です。
学生といっても、地元ではそれぞれが大学の教師なのですから、1週間の準備期間ですごい集中力を発揮して、それぞれのクラスがすばらしいだしものを用意しました。
私が中国人先生とペアで担任になっている2組のだしものは、男性4人の日本語での「昴」合唱と、クラス全員18人に日中の先生を加えた20人での「花(中国では花心)」(喜納昌吉作詞作曲)の合唱。これは一番を中国語で、二番を日本語で歌いました。
2組学生は、全員「♪花は流れてどこどこいくの~」と日本語の歌詞を暗記して歌詞の紙を見ずに歌ったのに比べて、私は中国語の歌詞をカンニングペーパーにカタカナで書いて歌いました。女性は手に一輪のバラを持って歌う演出だったので、カンペはバラに隠して持つことができ、助かりました。
また、2組の有志によって、太極拳演武も披露されました。連日の練習成果をみせて、ゆるやかな中に力強い動きを見せる太極拳を上手に演じていました。
学生たちに太極拳を教えてくださった鄭先生は、教職員にも教える機会を作ってくださるとのことだったので、私もこれから太極拳の練習をはじめたいと思っています。
日本人教師団6名は、中国語の歌詞がつけられてカラオケ曲の定番になっている歌「未来へ」(女性デュオきろろのヒット曲)を歌いました。
「未来へ」は中国語では「ホウライ后来」というタイトル。后来は、未来という意味ですが、日本語の歌詞でも「ほうら」と始まるので、音と意味を両方とも表しているいい訳と思います。
私は歌詞カードに「♪ホウライ ウォツォンサンシュエ~」と、カタカナでふりがなをして、どう聞いても中国語には思われないだろうという発音でしたが、まあ、ご愛嬌。
未来へ、そして后来へ向かって、日本へ学びに行こうとしている学生たちを励ます歌声になっていたらうれしいのですが。
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2007年04月21日
ニーハオ春庭「四つ足のものは机以外なんでも」
2007/04/21 土
「四つの足のものは机以外なんでも」
イスラム文化圏では豚肉を食べない、日本は馬は食べるのに犬は食べない、など、それぞれの文化園にさまざまな食に関する伝統があります。
私は馬刺が好きなので、日本の教室で「日本では、馬肉を生で食べる」というと「ウェー、気持ち悪い」という反応を受けたりします。
気持ち悪いと言った学生の国では、蟻や蜂の子、芋虫などの昆虫は貴重なタンパク源だったりしますが、自分の慣れた食材は「ごくふつうの食べ物」であり、食べ慣れていないものは「えっ、そんなもの食べるの?」ということになる。
そんな世界の食材事情のなかで、中国は別格。
「空飛ぶものは飛行機以外なんでも、四つの足のものは机以外なんでも食べる」というのが、中華料理です。
スーパーの食材コーナーでも、広いスペースにあらゆるものが並べられているので、圧倒されます。
地元のスーパーチェーン店「恒客隆超市」でも、繁華街にアメリカから進出してきた「沃尓王馬(ウォルマート)」でも、大勢のひとがワンサカと多様な食材を買い込んでいます。 町一番の繁華街重慶路にデンとかまえたウォルマート、13年前はありませんでしたが、にぎわっています。
中国は広いですから、果物も豊富。東北で多く産するリンゴや梨、さんざし。、南方のマンゴー、バナナ、ドリアン、パイナップル。西方で多産されるスイカ。冬でも果物コーナーには大きなスイカが山積みになります。
内陸地方の町ですが、冷凍空輸が発達した今では、エビも魚も貝もさまざまなものが売られています。
豚肉コーナーでは、豚足コーナー、豚頭コーナー、豚耳コーナー、豚鼻コーナー。丸い穴がふたつあいた鼻が並んでいるコーナー、見ていると思わずひとつ買ってみたくなりますが、まだ食べたことありません。たいていイージン(一斤=500グラム)単位での売買で、そんなに豚の鼻ばかり山盛りに買う気になれないので。
かりっと料理された鼻、おいしいという話ですが。
お総菜コーナー、ほかにも、家鴨の頭がくちばしをこちらにむけて行儀よく並べられているし、鶏の足のお総菜も並んでいます。
ウォルマートでペキンダックを買ってみました。味見程度で十分なのですが、一羽分か、半分での売買になります。アヒル一羽分だと30元。半分で18元(300円)くらい。
日本の中華屋さんで食べるときは、ぱりっとした外側の皮を薄餅に包んで食べるだけですが、半羽分のまるごと、骨も頭も入っています。
皮も肉もおいしかった。頭や骨の部分もきっとおいしく食べる方法があるのだろうけれど、私は半羽分を買ったものの、皮と肉の部分だけ食べて、骨とか頭はどうやって食べたらいいのかわかりませんでした。
そのほか、これまで食べた食材のなかで、日本では食べないものをご紹介。
1,狗肉
犬肉は食用として特別に育てたものだそうです。
でも、町を歩いている犬を見て、人々は「あいつはウマそう」って、考えたりすることないのかなあ。だって、私が水族館へ行ったとき、鰺や鰯の群が回遊している水槽前で一番に思うことは「おいしそう」ですから。
朝鮮料理の店で、「狗肉湯」犬肉スープを頼みました。からいスープのほうに気をとられて食べたせいか、肉はくせもなく、おいしくいただきました。
市場では、しっぽつき犬の下半身がまな板に横たわっていました。じっと見ていたら、包丁もったおばちゃんが「どの部分を買いたいのか」というようなことを聞いてきたのだけれど、「ブーヤオ不要」と、おことわり。さすがに自分で料理する気にはなれない。
2,鶏のトサカ
大学食堂のランチにあったので、食べてみました。柔らかく煮込んである。鶏は、トサカも足も大事な食材。一羽の鶏で、足は2本しかないし、トサカはひとつしかないのだから、肉よりも貴重。
3,蛹
スーパーの「おそうざいコーナー」に山盛りになっている天蚕のさなぎ。4~5センチくらいで、ひとつずつがたて半分に切ってある。
名前は、「ジァン(草冠の下に虫)ヨン(蛹)jian yong」という。
一度はどんなものか食べてみようと思っていたんだけど、1斤(500g)が標準の量り売りで、最小売買単位の2両(アーリャン100g)と言って買っても、食べられないと無駄になるかもと思っていたら、宴会の皿にあったので、ひとつつまんで食べてみました。
唐揚げにしてあって、カリカリして美味しかった。
それで、ゆうべ20日夜は、スーパーおそうざいコーナーで「1両(イーリャン=50グラム)でもいいか」と頼んでみました。一斤(500グラム)40元のさなぎ唐揚げ、他の豚肉や鶏肉のお総菜に比べて高級な食べ物です。
50グラムといっても、軽い唐揚げなので、どんぶりいっぱい分くらい袋につめられました。4元(60円)。
家に帰って袋をひらくと、さすがに、蛹のにおいがしました。私が子供のころ、農家だった母の実家が、まだ養蚕をしていたころに嗅いだ蚕のさなぎのにおいです。
温めて食べたら、蛹っぽい匂いもなくなり、宴会で食べたのと同じで、かりっとしていて、中身は別段、虫っぽくもなく、酒のつまみによさそうでした。
次は何を食べてみようかな。
仕事しごとのハードスケジュールの毎日で、スーパーでの買い物のほか、土日も家にこもって翌週の準備。こんなはずじゃなかった、と、ぼやきながら、楽しみは食べることくらい。
寒い日があったと思うと、春ももうすぐかと思う日差しの日もあります。街路の並木がようやくうっすらと芽吹きの薄緑を帯びてきました。
こちらでは花も緑も5月から。あと少しで、いっせいに緑と花が見られると思います。 5月半ばには、もう半袖の夏支度。冬服と夏服だけで、春服はほどんど着る時期がない、という気候です。
あまりに春が短いので、「もっと長い春を望む」という人々の気持ちから町の名前がつけられたのだとか。
では、私も冬ごもりの蛹から、蝶になれる日を楽しみに。蛹を食べて羽化のパワーをもらった思うことにします。
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2007年04月24日
ニーハオ春庭「一元バス」
2007/04/24 火
市内交通事情>一元バス
赴日留学生に選ばれた学生たち、中国全土から集まってきています。去年の10月までは地元の大学で先生をしていた人たちですから、自分の大学や住んでいる町に強い愛着をもっていて、郷土自慢もなみなみならぬものがあります。
先週の2分間スピーチで発表したリュウさんは、中国地質大学武漢校の先生。
「我がキャンパスの桜は、中国で一番美しい」と自慢し、「我が校の有名な卒業生」として、日本訪問の成果をあげた温家宝首相をあげました。
温首相の次に将来有名になるのは、学長になった未来のリュウさんだ、と言ってクラスメートを笑わせていましたが、本当に学長になるかもね。専攻は「高等教育運営学・大学財政学」どのようにして大学の財政を切り回し、大学を効率的に運営していくのか、日本で研究するそうです。
2分間日本語で話す、という練習なのですが、パソコンであれこれ大学の写真をみせながら、10分くらい説明していました。
日本語はまだまだ十分ではない学生でも、聞き手を前に説明を始めると、そこは日頃の仕事で慣れていることなので、止まらなくなってしまうみたい。
暖かい地方から来ている学生にとって、はじめて体験した東北地方の寒さはなかなか厳しく、こたえたようですが、「ここに来て、はじめてたくさんの雪を見ました」と、北国での体験を積極的に楽しんでいるようすも語ってくれました。
そんな学生たちが、一様にこの町のいいところとして認めているのが、乗り物料金の安さ。他のどの町と比べても、大幅に安いみたい。
タクシーは初乗り5元(75円)。
郊外にある勤務地と招待所の往復は、招待所専用の送迎ワゴンバスを利用しますが、仕事で遅くなったりして乗り遅れたときは、タクシーで30分、25元(375円)。
30分も乗って400円足らずですむのだったら、毎日タクシーでもよさそう、なんて、最初は思いましたが、一食10元~20元あれば食べていける生活に慣れてきたら、タクシー25元はもったいないと感じるようになりました。送迎バスに乗り遅れないようにしています。
市内公共バスの料金は、一律で一元(15円)。郊外まで行くバスは二元(30円)です。
市内路線バス、370路線があり、乗り換えをすれば、市内どこでもバスで行けます。
日本のこぎれいな真新しいバスに比べると、「これで目的地まで壊れずに動くのか」と思うくらい古いものもありますが、座席シートの汚れとかに目をつむるなら、1元で移動できることはありがたい。
市内での買い物に、バスを利用して感心したことがあります。それは、車内にすわっている若者が、自分より年上の人や小さな子供連れの人が乗ってきたとき、さっと席を立って譲ってくれること。
日本では、シルバーシートにさえ若者が足を投げ出して座り、席を譲る気などさらさらなさそうなのを見てきたので、ああ、こういうのも、社会習慣と教育によるんだなあと思います。
昨今の中国では「悪しき拝金主義が横行してきた」と、よく聞かされてきたことですが、年上の人を敬い大事にするという習慣は、まだまだしっかり根付いているように思いました。
そのほか、旧市街を一周する「軽軌電車」があります。
スキーやスケート競技で盛り上がった今年2月の第6回アジア冬季競技大会の開催に備えて、昨年の12月に完成したばかりという新らしい鉄道。市内の競技場をつなぐ路線として開通しました。
高架線路の上を、かわいらしいデザインの2両連結の電車が走っています。勤務しているキャンパスのすぐ近くにも、駅があります。
今年8月までは、「開業記念、一律2元」の料金ですが、8月以後は距離に応じた料金体系になるそうです。2元のうちに乗ってみることにしましょう。
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2007年04月30日
ニーハオ春庭「一元旅行」
2007/04/30
ミステリーツアー・1元旅行
宿舎のインターネットがまたまた不通になって1週間。
毎日毎日「あした(明天ミンティェン)は直る」と言われ続けたのですが、ついに直らず、今日は職場のパソコンからの更新です。
4月下旬、ようやく市内の花木が咲き出しました。ピンクや白の「花桃」。実はならず花を観賞する種類の桃だそうです。
ああ、やっと春らしくなってきた、と思う間にも寒い日もあったりしながら、4月末日になると、昨日までは寒々とした裸木だった街路樹、ポプラや柳が、いっせいに萌え出しました。
今朝の通勤ワゴンバスから見る街路樹は、初々しい若葉が枝を飾っています。
北国もようやく春です。
日本はゴールデンウィーク真っ最中、皆さん、おでかけを楽しんでいるところでしょうね。
週末に遠出もできない「かごの鳥」状態で仕事をつづけてきましたが、買い物に出るついでに、バス停から「とにかく最初に来たバスにのって、終点までいってみる」という「プチおでかけ」をしています。
新しい町で、どこに行くのかも知らないでバスに乗るのはけっこうドキドキで、ちょっとした「ミステリーツアー」の気分です。
買い物に出たあと、いつもと違う道筋のバス停から、「どこへ行くのか知らないいバス」に乗り込みました。
左側通行の中国、運転手席は左側、バス乗車口は車体の右側です。乗車ドアの前に料金投入箱があり、一元を入れます。バスカードを持っている人は、カードリーダーにタッチします。
若者に譲ってもらった座席の窓から外を眺めながら、ドキドキしながらミステリーツアーの開始。
紅旗街というこの町第二の繁華街を通りました。買い物帰りの大袋を下げた人々が乗ってきて、バスは満杯になりました。
「紅旗」というのは、中国の要人が専用車にしていた「高級国産車」の名前です。かっては毛沢東や周恩来が、車の前部に五星紅旗をはためかせて「紅旗」に乗車していたものでした。
紅旗を生産していたのは、「中国第一汽車製造廠」。
最大規模の国営企業でしたが、解放改革後はかっての勢いをなくし、一時期は「旧弊な老朽会社」の代名詞のようになっていました。
ところが、「国営企業」から脱却して、各国との合弁会社を設立すると、見事に息を吹き返しました。フォルクスワーゲンとの合弁会社、トヨタとの合弁会社などに分かれ、昔を上回る大企業に成長しています。略称「イーチー(一汽)」
中国語では、「汽車」は自動車という意味。「火車」が日本語の「汽車」にあたります。
私だけのミステリーツアーバスは、この地方の医療拠点のひとつ「省人民医院」前を通過。
大病院だけでなく、町のあちこちにやたらに病院が多い都市です。
「電影城」前を通過。
電影城は、映画の撮影所。13年前に一度見物したことがあります。
戦前には、李香蘭たちが映画を撮影したところです。
内部は、戦前とはもちろん、13年前とも変わってしまって、昔の面影はないでしょうが、もう一度見物してみようと思っています。
外国語学院前を通過すると、あとは10階建てくらいのアパートが続く住宅街になりました。停留所ごとに、乗客はぼつぼつと降りますが、ほとんどの客は下車しません。
どこへ行くのかわからないけれど、こうして人が大勢いるってことは、それほど郊外まで遠出するバスでもないのでしょう。まあ、とにかく、皆が降りるところまでいってみましょう。
寛平大路から東風大路へ進むと、あたりのようすが変わりました。このあたりは、第一汽車集団公司の拠点地、経済開発区のひとつです。
大路の両側は、「第一汽車」設立の小中学校や医院、文化宮(文化センター)。
会社がひとつの町を形成し、「企業城下町」になっている地帯です。
愛知県の豊田市が「トヨタ企業城下町」となっているみたいな感じ。
本社にあたるのか、立派な建物の門前には、毛沢東の筆で「ここに、第一汽車製造工場を設立する。毛沢東」と記された由来記念の石碑がありました。
終点地は、この第一汽車集団公司の社宅地の中でした。
毎月の月給で安定した現金収入がある社員たちは、週末になるとバスで繁華街まで出かけていって、デパートや大型スーパーでの買い物、映画やレストランでの外食を楽しんで帰るのでしょう。
そのおかげで、町のレストランも繁盛し、レストランでの雇用も生まれます。
先日、出かけたちょっと高級な海鮮レストランに「従業員募集」の掲示がでていました。「服務員、一ヶ月800元(1万2千円)」とあります。レストランの服務員で800元の月給は、高いほうです。そういった雇用も、大会社が地元にあることから生じてくるのでしょうね。
朝陽区、南関区などの区部(東京の23区にあたる区域)で300万人、郊外の市域(東京の市部にあたる)を含めると700万人にもなるという大都市に発展したこの町の、経済原動力のひとつが、この「第一汽車」合弁会社。
私の勤務校では、トヨタとの合弁会社で働く「優秀社員」の日本語教育も請け負っています。
第一汽車の勤務が終わったあと、火・金の夜と土日に日本語の授業を受けている優秀社員に選ばれた人たち。将来会社を背負っていく社員として期待されての選抜なのでしょう。
来年のオリンピックが中国発展のひとつの目安となっているように、第6回アジア冬季競技大会の開催を成功裏に終わらせた自信が、この町をさらに活気づけていくようです。
経済発展がよい方向に向くだけではなく、環境問題、農村との格差問題など、さまざまな問題をはらんでいることは確かですが、経済発展と同時に公害問題などに苦しんだ日本ほかの先例を知り、解決策をさぐりながら最大多数の最大幸福をめざしてほしいです。
ドキドキのミステリーバスツアー、次の路線では、どこへ向かうでしょうか。