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ぽかぽか春庭「現在地のまなざし展 in 写真美術館」

2025-01-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250107
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩新しい冬(1)現在地のまなざし展 in 写真美術館

 お正月の無料美術館散歩は、写真美術館へ。2024年11月第3水曜日に写真美術館観覧したおり、アレック・ソス展高峰秀子展といっしょに「現在地のまなざし展」をひとまわりしました。でも、3つの展示の最後だったので、駆け足観覧で、正月無料日にもう一度見ることができてよかったです。
 アレック・ソス展、今回は雅楽のついでに同じ2階でささっと見たのに対し、3階をゆっくりまわり、やはり前回より面白く見ることができました。

 写真美術館の口上
 「日本の新進作家」展は、写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するために、新しい創造活動の展開の場として2002年より継続して開催しています。21回目となる本展では、社会、環境、人と人との関係性を自身の立ち位置から問い直し、写真を通して世界の断片を提示する5 名の作家たちの試みを紹介します。
 私たちは、これまで当たり前と感じていた価値観が揺らぐような数々の出来事に直面し、変化のある時代に生きています。写真表現も、技術の進歩と普及、表現手法の多様化にともない、その環境は激変しています。本展の出品作家たちは自身の感性にしたがって世界と向き合い、独自の視点で思考を深めて作品として提示します。生物や日用品など身のまわりにあるささやかな存在に目を向けて、時間を留める手法として写真を扱う大田黒衣美、自身が暮らす土地の仮設的とも言える変化を止めない風景を、淡々と観察し、記録し続けるかんのさゆり、ドキュメンタリーの視点と虚実を混ぜたイメージで現実をあぶりだす千賀健史、一般的な概念にとらわれず個と個の距離と関係性を切り取る金川晋吾、かつて誰かが見た光景を通じて、見るものが持つ記憶を喚起させる原田裕規。表現する手法として写真を選びとり、しなやかなまなざしで現実をとらえる作家たちの作品は、現在を生きる私たちにいつもとはすこし異なる角度から世界を見る視点を与えてくれます。5 名の作家たちの多様な試みを通して、今日の、そしてこれからのまなざしの可能性を改めて見つめる契機となることでしょう。
出品作家
大田黒衣美|Otaguro Emi
かんのさゆり|Kanno Sayuri
千賀健史|Chiga Kenji
金川晋吾|Kanagawa Shingo
原田裕規|Harada Yuki

 前回写美ささっと観覧で一番印象に残ったのは、千賀健史の「特殊詐欺の
加害者側」の報道写真を、水溶紙にプリントするなどの加工をほどこされた顔写真。「見えない犯罪」と呼ばれる犯行に関わった詐欺犯のぼやけた顔。現代社会を写す写真に思えました。

 2025年1月2日の写美で一番印象に残ったのは、かんのさゆりの「New Standard Landscape」でした。前回見たときも、「立ち入り禁止 富岡町役場」という立て看板を見て、ああ、原発で住めなくなった町ね、という感想で通りすぎました。
 立ち入り禁止           復旧途上の寸断された道路(?)
 

 前回も「住むことを放棄された家々」を眺めていたのに、「ささっと観覧」で、一軒一軒をじっと見つめることはしなかった。宮城県仙台市名取市石巻市などの「今はだれもいない家」の姿が、ずらりと並んだ「新しい普遍の光景」。「無人の家の羅列」の恐ろしさが直接迫ってきました。放射能の危険を感じて「子育てすべき土地じゃない」と放棄されたのか、「津波など届かない安全な土地」への移転を決めたのか。
 一軒一軒に家族の営みがあり、愛しい日々の歴史があったであろうに。津波と原発は、これらの家を「放棄された家」にしました。


 かんのさゆりの「New Standard Landscape」は、東日本大震災後の三陸~福島を2016~2024風景写真です。変化した光景もあるし、変わらない光景もある。
 
 ↑の写真の中には、保護ガラス面に映る私の姿が中央に見えます。私がこれらの光景の中に身を置くことはなかったし、これからもないのだけれど、私は、これらの「放棄された家の光景」を思い続けなければならない、と写真家の主張が感じられました。変化し続ける光景ではあるけれど、2011年から変わることのできなかった光景もあると思い続けること。

 11月にはそれほど身にしみなかった光景が、1月2日にしみたのは、1月1日に能登の先端にある珠洲市のニュースを見たからでしょう。珠洲市では、倒壊した家の片付けもままならないと報じられていました。交通も復旧していない土地では、ボランティアも自衛隊も活動が制限されるためだそうです。
 何事も経済がどう回るのかが優先されるこの国では、関西の経済拠点であった神戸市が素早く復旧し、三陸鉄道や漁港などを有する太平洋側も徐々に復旧したのに比べて、珠洲市の復興はまだまだ時間がかかる、という報道でした。

 会場の外のテーブルにヴァナキュラー写真の山がおいてありました。価値のないゴミとなった写真。
 3階会場の外に原田裕規の作品「写真の山」が展示されていました。原田裕規が「ゴミとして捨てられていた写真」を集めたものです。正月などで写されたのか、晴れ着の一族集合写真、夫婦の旅行写真、結婚式の宴会写真、、、、、、。どのような経緯で捨てられたのかはわかりませんが、今は「ゴミ」です。 
 写真館などで撮影された、今となっては誰も欲しがらない結婚式の写真や幼稚園の卒業式写真などがごちゃごちゃと置かれていました。スマホひとつあれば、だれでも簡単にきれいな画像が撮れる現代。
 
 捨てられた膨大な写真の数々。だれかが誰かのために、愛をこめて撮影した一枚かもしれないけれど、今はゴミ。
 私の写真もいつかはゴミだろうけれど、私がここにいたという記憶のために出しておきます。



<つづく>
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