KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

生きている

2016年10月19日 | 俳句
天気 曇

写真は、郵便を出しに家を出た家の前の野老(ところ)の黄葉。気温が高くても秋がどんどん進んでいるようだ。

今日も「事務処理」。若いころならてきぱきと半日で終えることが、なかなか進まない。
考えを変えて、今日はこれを一つ処理出来た、と思えば良いことにした。生きているから逝った人間の後始末を出来る訳で。

何しろ読書量の激減していた10ヶ月間、なぜか昨夜遅く、今月号の「月刊俳句」を殆ど読んでいなかったことに気付いた。もう、来月号が出てしまう。
読み始めたら引きこまれて、夜半まで読み続けてしまった。
「病床に生まれた名吟」「夭折俳人たちの、いのちの一句」
つくづく、生きている自分・・しかも昔の人に較べたら長命とも言える年齢まで生きている自分に気付かされた。そして、自分もまた病気と闘っていた10年だった、とも。

新宿ははるかなる墓碑鳥渡る  福永耕二

昔から好きだった句、作者はもう居ない人、とは知っていたが、42歳で夭折していたとは知らなかった。
正木浩一、49歳。田中裕朗、45歳。などなど。彼らが私の年齢まで生きていたら、どんな老年の句を残したろうか、と思わずにはいられない。
私は残す句などないけれど、壊れた心臓を器械で動かしながらでも生き永らえていることだけは幸せ、と真夜中に思って少し救われた。

10年前の、闘病の始まった頃の私の句を思い出した。

青嵐生きて病歴ふやしけり  KUMI

この時は二つめだった手術痕が、去年でまた一つ増えてしまった。それでも生きている。

訝しきものに種なし葡萄かな  KUMI
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする