KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

あれから28年

2023年01月17日 | 俳句
天気 曇のち晴

昨夜、化学療法の副作用らしきお腹のトラブルで眠れなかったので、一日頭がはっきりしないまま、部屋で過ごした。
ぼんやりしていたら、阪神淡路大震災記念日、と。もう28年を経ていることにびっくりする。
関西には大地震が起きない、と、なんとなく定説になってしまったことが覆された訳で。神戸の、行ったことのある街並がひしゃげてしまった映像に驚愕した。テレビ時代になってから初めての都市大災害だったかもしれない。私は体調を理由の早めのリタイヤ生活に入っていたので、昼間はずっとラジオを聴いていた。映像が怖かったのだ。その時のラジオの現地リポーターの話を、なぜか今も覚えている。
被災当日、自宅のマンションの管轄の海の方角らしき避難所へ取材に行ったときの話。
市の施設らしい避難所は開いていたが、職員はあまり居なくて、何も用意が出来ていない。自宅の水がなくなるのでもらえるかと思ったが、用意がなかった・・食事なぞ今日は無理かもしれない。

といった内容で、市役所の準備の遅さを多少非難するような内容に聞こえた。
私は呆れた。何言ってんの、職員だって被災者、市役所も被災地のど真ん中、ましてや電車だかバスだかは動ける状況にないでしょ、大災害のあとは、少なくとも2.3日生き延びるための準備、自分でしておくのがジョウシキでしょ、マンション住まいなら寝るところが壊れる訳でもなし、非常用の水くらいはボトルを用意してないの!!
というようなことを、ラジオに向かって怒鳴った覚えがある。自治体は365日避難所を開設していて、住民は何時でも助けてもらえる、と思っていたようなリポートだった。

今はそんな無知な記者も居ないと思うが、阪神淡路大震災の前、震災に関しての備えは東京周辺の方がずっと進歩していたと思う。当時から「3日分は自力で」と言われていた。母が関東大震災を浅草で体験しているので、その心構えみたいなものは随分と聞かされた。
寝る前には薬缶や鍋に水を張ること。揺れたら頭に座布団、外へ逃げる時も頭を守る・・これは、私が今も守っていることだ。もっとも、水はボトルという便利なものが登場したので、あまり拘らない。母の教えのおかげで、ちょっと揺れが大きいと、家なら近くにある座布団かクッションを頭にのせるクセがついている。

あれから東日本大震災があり、その他、地方でもあちこちで震災が起き、台風や雪害など自然災害が増えてきた。
今週末には大寒波がやってくるので、その備えを・・とテレビで放送していた。最近は雪害も怖い。雪害の大停電は何処でも起こり得ること。南関東の湿った雪は着雪注意報が出ることもある。


待春のテニスボールが草むらに  KUMI
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒の雨の日 | トップ | 増え続ける感染者 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
キャサリンさん、災害時は助け合い (KUMI)
2023-01-18 15:44:35
結局、災害時に頼れるのは同じ地域の人ですね。
知っている土地で同じ空気を吸ってくらしているご近所さん・・
いちばん、その地のことが解っているのですから。
30年くらい前は、何かあったら政府や自治体の責任、みたいな時代がありました。
あれから何度も色々な災害があって、日本人も変わった気がします。
というか、元の日本人の精神を取り戻したみたいな・・
返信する
ふきのとうさん、本当に早いもの (KUMI)
2023-01-18 15:31:15
東日本の数年前が阪神淡路、のような感覚でしたけれど。生きている間に経験したくはありませんが、南海地震も富士山の噴火も、だんだん現実味が出てきました。ふきのとうさんのお宅のあたりは、原発も津波も・・ですから、覚悟は必要ですね。
井戸水、生活用水にでも使えれば大助かりですね。わが市も多摩川の水源地で地下水が豊富、市の公園には普段から使える井戸があります。名水百選の湧水もありますので、水には困らないでしょう。
返信する
3日分の備え (KUMI)
2023-01-18 15:18:23
阪神淡路の頃はあまり備えもきちんとしていませんでした。
でも、その後、3日分、を意識してきました。
住んでいたマンションはかなり揺れる構造でしたが一応耐震は合格。
なので、避難所へ行くよりも自宅で立てこもりの方が楽ですので。
今は、施設にお任せですが(3日分はあるそうで)トイレットペーパーだけは買い込んでいます(笑)

伝えていくこと、が大事ですね。
テレビで身内を亡くしているという20代の女性が
「母からあの日のことを聞いてどんなに辛かったか・・」と涙していました。
経験していない人へ、顔を知らない身内の死を伝え続けることも必要ですね。
戦争と同じ、です。

お孫さんたちも、今から避難訓練していればきっと自然と体が動くようになりますね。
今地震がきたら、私、背中のクッションを頭に乗せてうずくまります。
部屋でいちばん危険なのは、タンスの上の小さな仏壇ですね、
夫の写真と位牌からにげなくては・・
返信する
Unknown (キャサリン)
2023-01-18 10:02:32
「私は呆れた。何言ってんの、職員だって被災者」
のお言葉 まったく同感です(~_~メ)
野党と同じ そういう輩が多い
その道のプロとしての思考と行動は必須・・でも
その前に人間ですからね
プロにもなり切れず かといって他人を思いやる
気持ちもわからない 中途半端な人に
言われたかぁーない! 
・・・とまぁ~同類の私が言うのも おこがましい
のですけどね(;^ω^)
返信する
過剰なまでの (ふきのとう)
2023-01-18 09:43:53
早いものですね、震災を知らない世代が、子の親となり、震災を知らない世代も多くなったに違いありません。伝えて置かないと、戦争と同じように、危機感の無い生活になってしまうのでしょう。比較的海に近い住まいですし、県としても防災の意識を高く持つよう伝達も微細ですから、私も過剰なまでの用意をしています。我が家の井戸水は、いつでも手押しポンプを備え付けるよう町から依頼されています。自然災害は人力では未然に防ぐことは不可能なのですから、個人の防備も必要と思います。
返信する
Unknown (小父さんK)
2023-01-17 20:46:07
>阪神淡路大震災記念日、と。もう28年を経ていることにびっくりする。

やはりテレビを観るだけでなく、こうしてブログで振り返ると、大切なことがたくさん蘇りますね。

>その時のラジオの現地リポーターの話を・・・自宅の水がなくなるのでもらえるかと思ったが、用意がなかった・・食事なぞ今日は無理かもしれない。

同じ職場に居た同僚が、マンションから子供3人と奥さんと5人で避難所に居た時、もう全く食べ物がなかったが、2~3日しておにぎりが数個届いたそうです。
やっと3人の子供たちは一つづつ、おにぎりにありつけて食べていましたが、夫婦の分は無し。だけど自分は子供たちが食べている姿を見てとても満ち足りた気持ちになり、お腹まで満たされた気持ちになったと話していたことを思い出しました。

ふと隣の部屋を開けると一瞬、たくさんの人が寝ているのかと思ったら、すべて被災した遺体がたくさん並んでいたのに驚いたとも。

>・・・というようなことを、ラジオに向かって怒鳴った覚えがある。

今の私だったら、同じ気持ちになるかもしれませんね。
阪神淡路大震災以降は、我が家にも非常食にペットボトルの水が入ったダンボールを積み上げています。

>母が関東大震災を浅草で体験しているので、その心構えみたいなものは随分と聞かされた。

浅草だったら、まっただ中だったんでしょうね。
私は祖母が三島で関東大震災の揺れを体験したようで、その時の恐怖は何回となく聞かされていました。

>揺れたら頭に座布団、外へ逃げる時も頭を守る・・これは、私が今も守っていることだ。

今、孫の幼稚園では防空頭巾みたいなものを入園児に持参させられますね。
息子の嫁が不器用なので家内が二つ縫ってあげていました。
2才の孫も居るけど、その頃は目が見えなくなると嘆いています。

最近は雪害も怖いし、土砂崩れも多発していますね。
都市への人口集中に森林の伐採、宅地の乱開発などなど、どれもこれも災害を誘発しているようです。

ああ、神戸、芦屋、西宮等の大震災時のマンションは倒壊や押しつぶされ状態もたくさん見られましたよ。凝ったデザインのマンション程、構造力学的にも弱かったようでした。

KUMIさんのお陰で、私のブログ共々、眠っていた私の不注意を呼び覚まさせていただきました。

有難うございました。
返信する

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事