天気 雨
関東だけは梅雨明けになっていたものの、列島の西側はまだ明けていなかったらしい。
豪雨襲来で大変なことになっている、と報道されていて、富士山に守られているようにあまり雨の降らない武蔵野住まいは申し訳ないような。
数日前、待っていた季刊俳誌「いぶき」の創刊号が届いた。会員募集用にと2冊も。
今の結社の実力ある50代の会員二人を中心に神戸で新しい俳句活動を始めたのだ。結社からの独立、とか分裂、とかいうものではなく、主宰を置かない「代表2名」という構成になっている。創刊号の最初には主宰の祝福のことばが2頁を割いている。
で、私も「枯れ木も山の賑わい」になるかも、と加入させてもらった。本当は、お二人の目標は高校生など若い人を育てたい、ということらしいけれど・・
代表の中岡毅雄氏は俳人としても認められているし、評論家としても名をなしている。
今井豊氏も実力十分の方。お二人とも大きな句会をご一緒したことは何度もあって、でも、向こうは私を覚えてはいないと思う。
体力がなくなり、吟行句会へ参加する機会も減り、何か刺激がないと自分の俳句がどんどん衰えていきそう・・と思って参加してみた。句会は京都や神戸で開催なので行くことは難しいけれど・・
7句出句して、それを代表2人がそれぞれ選句する、というのが面白い。
掲載は6句が最高で、あとは4句まで。結果、私の句は、中岡氏は6句、今井氏は4句を選んでくれた。面白い。おかげで、私の出した7句は全部活字になった。
一番自信のあった句は
安吾忌や父の手擦れの広辞苑 KUMI
父の遺品で、電子辞書のある今となっては邪魔で仕方のない広辞苑の本物。
俳人のはしくれだった父が亡くなったことで、俳句は作るまいと思っていた私は作る気になったのだ。多分、人さまの句の添削などしていた父は、随分と広辞苑を使ったことだろう・・という、垢まみれ。
目指すは、父のように、亡くなる直前まで俳句を作ること。
バス待ちの人らの無言戻り梅雨 KUMI
関東だけは梅雨明けになっていたものの、列島の西側はまだ明けていなかったらしい。
豪雨襲来で大変なことになっている、と報道されていて、富士山に守られているようにあまり雨の降らない武蔵野住まいは申し訳ないような。
数日前、待っていた季刊俳誌「いぶき」の創刊号が届いた。会員募集用にと2冊も。
今の結社の実力ある50代の会員二人を中心に神戸で新しい俳句活動を始めたのだ。結社からの独立、とか分裂、とかいうものではなく、主宰を置かない「代表2名」という構成になっている。創刊号の最初には主宰の祝福のことばが2頁を割いている。
で、私も「枯れ木も山の賑わい」になるかも、と加入させてもらった。本当は、お二人の目標は高校生など若い人を育てたい、ということらしいけれど・・
代表の中岡毅雄氏は俳人としても認められているし、評論家としても名をなしている。
今井豊氏も実力十分の方。お二人とも大きな句会をご一緒したことは何度もあって、でも、向こうは私を覚えてはいないと思う。
体力がなくなり、吟行句会へ参加する機会も減り、何か刺激がないと自分の俳句がどんどん衰えていきそう・・と思って参加してみた。句会は京都や神戸で開催なので行くことは難しいけれど・・
7句出句して、それを代表2人がそれぞれ選句する、というのが面白い。
掲載は6句が最高で、あとは4句まで。結果、私の句は、中岡氏は6句、今井氏は4句を選んでくれた。面白い。おかげで、私の出した7句は全部活字になった。
一番自信のあった句は
安吾忌や父の手擦れの広辞苑 KUMI
父の遺品で、電子辞書のある今となっては邪魔で仕方のない広辞苑の本物。
俳人のはしくれだった父が亡くなったことで、俳句は作るまいと思っていた私は作る気になったのだ。多分、人さまの句の添削などしていた父は、随分と広辞苑を使ったことだろう・・という、垢まみれ。
目指すは、父のように、亡くなる直前まで俳句を作ること。
バス待ちの人らの無言戻り梅雨 KUMI
お父様、凄い方だったんですね。
KUMIさんの今のご活躍はお父様譲りだとは存じていましたが。
それにしてもKUMIさんも凄いですね。
私もがんばらなくては^^;
kumiの俳句に対する着眼点の正確さ、合点がいきます。
広辞苑、大切になさってください。
父から、文学的な話など一切聞いていなかった私としては
実に羨ましい父子関係です。
雨は降りましたが、被害も無く過ぎそうで、被災され方々には
申し訳なく思いますが、少しづつ、好天の兆しです。
子供の頃から、私は短歌と詩の方が好きで俳句は嫌いでした。
少女時代は憧れは啄木牧水と中原中也でした。
父の没後に「私にも出来そう」と思っただけです。
makoさんは伸び盛り、頑張ってくださいね。
私は、力が落ちないように頑張ります。
被害のこれ以上広がらないことを祈るしかありません。
私、父とは一切俳句のことは話していません。
なぜなら勤めの休みの日は句会のために日曜も家に居ないような父。
母が気の毒で俳句をする人は身勝手、と思っていました。
全く興味のない母がブツブツ愚痴を言うので、結果、俳句が嫌いになりました。
父の没後に遺った句集を見て「私にも出来る」と。
短歌をしていましたから、五七五にすぐ慣れたのが良かったようです。