KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

通院のために生きる?

2024年07月02日 | 俳句
天気 曇

今頃、あちこちの公園の池では睡蓮や蓮が咲き始めただろう。見に行けないのを寂しいと思うけれど、今の体力で見に行っても楽しめないと思うから諦められる。ホント、体力ありません。

という日々、先月半ばの狭心症騒ぎから、通院=検査ばかりが続いている。病院は歩いても(健康なら)15分くらい、バスが1時間に20本くらい出ていて、駅前のバス停までは数分かかるけれど、乗れば病院の玄関に横づけ。ほんと、元気ならばどうということのない通院なのに・・今は一人での通院がおぼつかない。傘とか水とか持つとどうしてもバッグと手提げと二つになってしまう。
荷物を一つにしてデイバックに詰め込んで背負えば・・と言ってくれる人も居るけれど、ペースメーカーという邪魔なものが肩甲骨の真下にあって、背負い紐が器械に当たるのでこれは器械によくない。男性は、機械の装着場所が違うのでデイバックは背負えるらしい。

検査の詳細を書くのも面倒なので省略。昨日は、皮膚科は診察だけ。あとは循環器での心電図。検査よりも辛いのは、病院の冷房だ。防寒のための膝掛は持参しているし、夏なのに上下とも重ね着はしているのに、じっとしている待ち時間には冷えてくる。同行してくれた友人は、すてきな半袖の極薄ブラウスで・・健康な証拠。羨ましいこと。

2日後にも別の検査があり、今月はペースメーカーの定期点検とか、いつもの呼吸器科の検査と化学療法とか・・これは、今月も休もうと思う・・8月まで、通院日が続く。


写真に意味はありません、写真ファイルの睡蓮の前の写真だったので。

生きるために通院治療をしているのだが、何だか、通院治療するために生きているような感覚になることがある。一人ではおぼつかないので、誰かに付き添いを頼まねばならない。ドクターの大事な話の時は家族の同行も必要、でもただの検査なら誰でも良い訳で。本来なら、この施設の介護士・看護師が「付き添い費用〇分○○円」で依頼できる筈なのだけれど・・今はそんな余剰人員はないのだそうだ。医療・福祉の人員不足はだんだん深刻になっていく。もっとも、どの業界も人員不足のようで・・何の役にも立てなくて生きているのが申し訳ない。
先日、救急外来で看護師が付き添ってくれたのは、たまたま、仕事に余裕があったからのようだ。
それでも、私のために自分の時間を割いてくれる友人知人たちを思えば、何とか、「生きるための通院」にしなくては。通院のために生きているのでは寂しい。

梅雨湿りとて重たしよカフェのドア  KUMI
コメント (4)
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