ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県矢板市、長井「観音寺のイチョウ」(県指定)です!!

2024-09-17 19:07:26 | 巨樹・大木
長井地区は、矢板市役所の北西約6kmのところ

 矢板市役所東側の旧関谷街道を北へ進みます

 約1.1kmで信号を斜め右(北)へ、県道30号線です

 約700mの「下太田」信号を左(西)へ、県道272号県民の森矢板線です

 約700mで「東北自動車道」の隧道を潜ります

 道成に約2.7kmで「寺山観音寺⇒」の案内板を斜め右上への道路へ進みます
 
 道成りに約2.7kmで「観音寺」前に出ました

 境内を右に廻った先に広い駐車場が有ります

 車を置いて、南側の観音寺参道入口へ戻って来ました

 参道を進みます

 太鼓橋を渡ると右手に弁財天です

 手水舎です

 山門の仁王門(楼門)です

 仁王門を潜ると正面に本堂です

 目的のイチョウは仁王門を潜ったすぐ右手です

 西側から

 「栃木県指定天然記念物 観音寺のイチョウ」の石柱です

 北側から

 根元には「伝説 ゆうれいの腰掛石 その2」です、白い苔状のものが見られます

 説明版です
   栃木県指定(天然記念物)観音寺のイチョウ
     平成3年2月19日指定 栃木県教育委員会
     樹高  28.5m  幹周  4.8m
     枝張 東西16.6m 南北17.7m
     イチョウ科 落葉高木 雌雄異株 推定樹齢350年
 この「イチョウ」は、この寺の中興開山として崇められている名僧、徳一僧都手植えのものといわれ、この地方第一の古木です。 
 またこの寺は、北関東屈指の真言宗の道場で、女人禁制の戒律も厳しく、境内のイチョウの木でも雄木を植えたものと言われています。
 いつの頃からか分かりませんが、このイチョウの木の下に小さな石地蔵がまつられていました。
 木が太るに従って、だんだん石地蔵が木の中へ抱え込まれ、とうとう木の中へ入ってしまったということで、子持イチョウという名で呼ばれるようになったものです。
 またこのイチョウの老木は、母親の乳房のような気根が垂れ下がっているので、「乳イチョウ」とも呼ばれています。
 
 東側から見ました

 では、次へ行きましょう


 

 2024・9・4・15・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県矢板市、長井「寺山観音寺とシユウカイドウ」です!!

2024-09-17 06:30:50 | 文化財・寺社
 長井地区は、矢板市役所の北西約6kmのところ

 矢板市役所東側の旧関谷街道を北へ進みます

 約1.1kmで信号を斜め右(北)へ、県道30号線です

 約700mの「下太田」信号を左(西)へ、県道272号県民の森矢板線です

 約700mで「東北自動車道」の隧道を潜ります

 道成に約2.7kmで「寺山観音寺⇒」の案内板を斜め右上への道路へ進みます
 
 道成りに約2.7kmで「観音寺」前に出ました、シユウカイドウ開花中です

 境内を右に廻った先に広い駐車場が有ります

 車を置いて、南側の観音寺参道入口へ戻って来ました

 説明版です
   寺山緑地環境保全地域
    1、位置    矢板市長井
    2、面積    3.12ha
    3、指定年月日 昭和51年1月31日
 この地域は、寺山観音を中心としたすばらしい緑地です。
 寺山観音寺は与楽山大悲心院観音寺といい、養老4年(720)高原鬼人退治の折、藤原房前が祈願して霊験を感じ、聖武帝の御代に建立したと伝えられている由緒あるお寺です。
 境内林はこの寺に相応しく樹齢250年を超えるみごとなスギ林で、緑の美しさ、すばらしさを私達に教えてくれます。
          栃木県

 もう一枚説明版です
   寺山観音寺
 神亀元年(724)に行基菩薩が剣ヶ峰のふもとに法楽寺を建立し、千手観音と両脇侍を安置したのが興りといわれています。
 延暦22年(803)雷火により寺は焼失しましたが、観音堂は安泰でした。
 現在地に移転したのは、大同元年(806)と伝えられ、徳一上人が七堂伽藍を建て、尊像と御堂も移したといわれています。
 その後、塩谷氏代々の祈願寺として知行地一千石を寄進、塩谷氏滅亡後は宇都宮城主代々の祈願寺となりました。
 住職は毎年正月15日に拾万石格式の駕籠に乗って祝賀に登城するのが恒例でした。
 本尊の千手観音は秘仏で、60年に一回だけ開帳されます。
   文化財
 国指定重要文化財  木造千手観音坐像
           木造毘沙門天立像
           木造不動明王立像
 県指定重要文化財  銅造大日如来坐像
           木造行縁僧都坐像
           木造二十八部衆立像
           銅造千手観音坐像
           木造風神雷神像
 矢板市指定文化財  掛盤膳
           角型四ツ足香炉
           飲食器
 県指定天然記念物  イチョウ

 参道を進みます

 太鼓橋を渡ると右手に弁財天です

 さらに参道を進みます、シユウカイドウが満開状態で綺麗ですね

 手水舎です

 山門が見えて来ます、参道はシユウカイドウで一杯です

 山門の仁王門(楼門)です

 仁王門を潜ると正面に本堂です

 「やいたの建物十」(歴史的・伝統的)
   寺山観音寺(観音堂・楼門)
     平成9年11月1日指定 矢板市市民の日時実行委員会の標柱です

 説明版です
   観音寺境内の文化財について
国指定重要文化財 木造千手観音坐像及び両脇侍像  3軀
 本尊千手観音坐像は、カヤの一木造で、像高93.6cm。
 千手は観音の救いの手の及ぶ範囲の広大であることを象徴したもので、普通には左右に各19臂で、正面中央に4臂、合わせて42臂で、本像の場合もこれである。
 本像は、初めから漆箔も施されず、彩色も加えられていない希に見る素木の像である。
 高く秀でた眉、こころもち伏せた切れ長の抑揚ある瞼、やや尖った鼻梁、切れの深い口元、その表情は後世に見る観音の温和、優美な慈悲相とは大いに異なり、極めて知的で意志的であり、迫ってくる威力は恐ろしさを感じさせる程神秘的でさえある。
 本像の制作年代は、台座、光背の形制からすると鎌倉時代に足を踏み入れているようである。
 脇侍は、不動明王と毘沙門天で鉈彫像で、制作年代は藤原末期から鎌倉初期のものである。
     (昭和25年8月29日 指定)
栃木県指定有形文化財(彫刻) 木造二十八部衆像  28軀
 本像は、観音堂の中に安置され、本尊の木造千手観音の眷属として祀られているものである。
 構造は、寄木・彫眼・首さしこみ、両腕は肩と肘と手首の3ヶ所で矧いでいる。
 神母女の背面の龕の中に銘板があり、永享13年(1441年)3月24日との銘があることから、室町時代初期の制作であることが知られる。
 この時代のものとしては作も優れており、像高も平均80cmと比較的大きく、また県内でも28軀全部が揃っているのも珍しい。
     (昭和50年10月24日 指定)
栃木県指定有形文化財(彫刻) 木造行縁僧都坐像   1軀
 本像は、像高84cm、袈裟を纏い両眼を円らに開き正面を凝視し、如意を持っていたものらしく、右手を胸元にあげ拳をつくり、左手をその下に添うようにあげて端座ずる、寺山観音寺の別当にして、法相の僧、行縁像である。
 鼻梁太く、眼窩少し落ち、眉迫り。口を固く結んだ丸顔の相貌には、個性がうかがわれ、その表情には、性格の謹厳さと、意志の強靭さとが感じられる。
 胎内の背面には、墨書銘があり、それによると制作年代は、正治2年(1200年)とされ、鎌倉時代初期のものである。
     (昭和50年10月24日 指定)
栃木県指定有形文化財(彫刻) 銅造大日如来坐像   1軀
 本像は、像高110cm、台座88cmで、観音堂の東側に露仏として安置されている。
 銘文に記されているように、本件佐野市天明において鋳造されたものであり、鼻梁の過大、胸の張りの乏しさ等があるものの、全体的にはまとまっている。
 制作年代は、江戸時代後期であり、当時の大日如来像としては数少なく、また天明鋳物の仏像としても貴重である。
     (昭和50年10月24日指定)
     栃木県教育委員会・矢板市教育委員会

 観音堂前西側の水子地蔵尊です、周りにもシユウカイドウが満開です   

 虚空蔵尊堂です

 説明版にあった、栃木県指定文化財の銅造大日如来坐像です

 五輪塔と宝篋印塔です

 稲荷神社です


 本堂北東側の林の中から駐車場廻もシユウカイドウが満開です

 では、「観音寺のイチョウ」を見ましょう


 

 2024・9・4・15・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする