ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県奥州市、江刺藤里智福「智福毘沙門堂の湯桶杉とカヤ」です!!

2024-09-29 18:41:02 | 巨樹・大木
 江刺藤里智福地区は、奥州市役所の東北東約14km、奥州市役所江刺総合支所の東約9km、奥州市役所藤里地区センターの北東約2kmのところです

 奥州市役所藤里地区センター北側の県道156号線を東へ進みます

 道成りに約1.8kmで、国道397号線に合流するように信号機ですが、国道に出ずに東の側道へ

 道路脇に毘沙門堂の案内板が有ります

 北へ約1.3km道成りに一度上がってから下って行くと

 毘沙門堂の参道入口です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   重要文化財
     兜跋毘沙門天
 堂内にある多くの棟札のうち、永禄10年(1567)のものは、江刺市最古のものであるが、現堂宇は元禄5年(1692)の再建のもので、代表的社寺再建として、平成3年岩手県指定文化財(建造物)となった。
 由緒及び宝暦風土記に、「嘉祥3年(850)慈覚大師御作の刀八(兜跋)毘沙門天像を祭り開基」とある。
 棟札に吉祥山智福寺とあることから、古来羽黒派の修験寺が別当であったが、明治維新の神仏分離、修験道廃止によって、軻遇突智神を祭神に愛宕神社として今日に至った。
 トチ材の一本造兜跋毘沙門天立像は、平安後期、11世紀の作といわれ、地天女の肩に立つ総高232cmの堂々たる像容と、顔面を除くほぼ全身に残る丸ノミの跡は、日本屈指の鉈彫像として、昭和34年重要文化財に指定された。
 昔から王城鎮護の軍神、北方の守護神、庶民には福徳の神として、今尚厚い信仰に支えられている。
 平成6年新築の収蔵庫には、ほかに県指定文化財の毘沙門天三像(毘沙門天、吉祥天、善弐師童子)と、金箔を残す十一面観音の4体、市指定文化財の木像、木器多くが保存されている。

 収蔵庫まで管理者の方の自宅の脇から毘沙門堂脇の駐車場まで行けるようですが、約200mの参道を歩いて向かう事にしました

 参道を進みます

 鳥居が見えて来ました南南東向きの参道です

 一ノ鳥居です

 更に参道を進みます

 目的のスギの樹冠が見えて来ます

 竹藪の影に鳥居が見えました

 ニノ鳥居でしょうか

 目的の湯桶杉です

 南側から

 説明版です
   スギ(愛宕神社)
 ・樹齢   1200年(伝承)
 ・樹高   27m
 ・根回り  6.90m
 境内入口「湯桶杉」は昔、太い枝で湯桶作ったことによる呼び名という。
 境内裏のものは樹齢1100年といわれている。
      胆江地方林業振興協議会
 *目通り幹囲は6.8mの巨木だそうです

 参道石段脇(東側)から

 西側から見上げました

 境内東側にはカヤの木が二本あります、東側のカヤが太い方です

 西側から

 説明版です
   カヤ(愛宕神社)
 ・樹齢   1100年(伝承)
 ・樹高   21m
 ・根回り  5.20m
 岩手県内有数の巨樹で、枝下2mほど。
 毎年、多数の果実を実のらせる。
 カヤの種子は過去には食用とされていた。
      胆江地方林業振興協議会
 *目通り幹囲は4.4mあるそうです

 東側から見ました

 水盤です

 鐘楼です

 愛宕神社(毘沙門堂)です

 境内のイチョウです

 社殿西側の赤鳥居です

  一段高い所に湯桶杉の説明版にあった樹齢1100年のスギの大木です

 では、次へ行きましょう
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岩手県奥州市、江刺伊手荒谷「秋葉神社の夫婦杉と御神木杉」です!!

2024-09-29 12:54:14 | 巨樹・大木
 江刺伊手荒谷地区は、奥州市役所の東北東約16km、奥州市役所江刺総合支所の東12km、奥州市役所藤里地区センターの東約5kmのところです

 奥州市役所藤里地区センター北側の県道156号線を東へ進みます

 道成りに約1.8kmで、国道397号線に合流するように信号機を左(東)へ

 道成りに約2.8kmで「伊手町方面・⇐・秋葉神社の杉」の案内板を斜左(東)へ

 約400mで消防屯所前の交差点です

 屯所前の大きな石碑です

 屯所の北側が秋葉神社参道入口に成っていますので車を止めさせて頂きました

 南西向きの参道石段ですが、草苅がされていません

 中段の石碑です

 もう少しですが、日向は暑いです

 石段を上り切ると左に曲がって鳥居です

 目的の夫婦杉ですが、横からなので1本に見えます

 南東側から、注連縄が巻かれています

 説明版です
   スギ(秋葉神社)
 ・樹齢   500年(推定)
 ・樹高   27m
 ・根回り  8.60m
 日本特産種として馴染み深い。
 2本のスギが初めは離れたものが時間をかけて接合したようである。
 地元では「夫婦スギ」として親しまれている。
    胆江地方林業振興協議会
 *合体木としては、目通り幹囲は5.57mと4.48mの幹で、10.05mの巨木です

 すぐ脇に「八躰佛」の石碑です

 東側一段下側から見上げました

 北東側から

 御神木の杉です

 南東側から、こちらにも注連縄の巻かれています

 北側から

 後方に夫婦杉が見えています、御神木の杉は胸高幹囲は6.76mの巨木です

 社伝へ向かいます

 拝殿前から杉を見ました

 拝殿です

 後方に回り込むと

 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2024・9・11・09・30 
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岩手県奥州市、江刺伊手小中田「戸隠神社のスギ」(市指定)です!!

2024-09-29 06:40:56 | 巨樹・大木
 江刺伊手小中田地区は、奥州市役所の東北東約16km、奥州市役所江刺総合支所の東南東約12km、奥州市役所藤里地区センターの東南東約4kmのところです

 奥州市役所藤里地区センター北側の県道156号線を東へ進みます

 道成りに約1.8kmで、国道397号線に合流するように信号機を左(東)へ

 道成りに約2kmで赤い枠の「戸隠神社⇒」の案内板を右(南東)へ

 約800mで「源龍水・戸隠神社の杉⇒」の案内板を斜め右(南)へ

 約600mで戸隠神社参道入口です

 標柱と案内板に表参道は急な385段の為裏参道に廻る様にと記されています

 参道石段を見上げると厳しそうです

 道路の先に「戸隠神社入口⇒」の看板が見えます、行ってみました

 看板から右へ急な砂利道を上ります

 住宅(宮司宅)脇に「宮司宅裏駐車場へ」とあるので、右から回り込む様にさらに砂利道を更に上り駐車場に入りました

 裏参道入口です、社殿まで50mです

 最初の石段は踏み面が水平でないので歩きにくいですが、登り切ると参道には人口芝マットが敷かれています

 境内に入ります

 境内に入ると左手一段高くに目的のスギが見えました

 南西側から

 南東側から見上げました
 
 天然記念物標柱です

 説明版です
   スギ(戸隠神社)
 ・樹齢   700年(伝承)
 ・樹高   35m
 ・根回り  7.34m
 途中から幹が二つに分かれている。
 地域のシンボル的なスギである。
 青森・岩手県はスギの天然林分布の北限地帯でもある。
     胆江地方林業振興協議会
*目通り幹囲は6.0mの巨木です 

 南東向きに拝殿です

 本殿です

 説明版です
   戸隠神社
御祭神  手力雄命(たちからおのみこと)
御由緒
 延暦年間(782年~806年)第50代桓武天皇の御宇征夷大将軍、坂上田村麻呂守護神として勧請にして、後の蝦夷平定に際し信濃から討征に参加した配下の者が創建したとも伝えられてている。
 古代この地は、江利郡四郷の一つ信濃郷と呼ばれていた。
 又第70代御冷泉天皇の時代(1045年~1067年)鎮守府将軍源頼義・義家親子前九年後三年の両役に於いて当社に立願したと伝えられている。
 古くより日本三社の一つといわれている。
 明治6年水澤県第16大区郷社に列せられたが、同8年5月伊出村村社に改められる。
 明治40年4月弊帛供進社に指定される。
 本社は長野県戸隠村の戸隠神社である。
 昭和54年岩手県神社庁より三級社に、平成6年三級上の認定を受ける。
 平成11年12月神社本庁、岩手県神社庁より第9期神社振興対策神社の指定を受ける。
御神徳
 天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、無双の力を以て天の岩戸を開いたという力技神様、五穀豊穣の神様、虫歯の神様として信仰されている。
お祭り
 例大祭  4月23日   秋祭り  9月23日   虫歯平癒祈願祭   6月4日
        戸隠神社  江刺市伊手字小中田54番地
          第9期神社振興対策神社の指定記念
        平成13年6月建立
*第70代天皇は後冷泉天皇ですので、書き間違いですね

 御札やお守り・ご朱印は宮司宅で頂けます

 石祠です

 石碑ですが読めません

 隣に説明版です
   祈念の碑について
 この碑は、明治28年日清戦争終戦を機に暮らしの安寧を願い、伊手村民子、総代有志が戸隠様へ石鳥居、石段を奉納、その内容を記録したものです。
 表題の揮毫は明治30年より江刺初代郡長を務めた、沼宮内出身の板垣政徳氏である。
 その子息の征四郎氏は陸軍大将、陸相をも務めた人で著名人一家でもある。
      明治33年9月23日建立

 表参道を覗いてみました

 やはり裏参道で正解でしたね

 戻って「源龍水」を頂きました

 では、次へ行きましょう




 2024・9・11・09・00
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