ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県一関市、赤荻外山「赤荻山神社のスギ」です!!

2024-09-21 13:09:00 | 巨樹・大木
 赤荻外山地区は、一関市役所の北西約6kmのところ

 一関市役所南側道路を東南東へ、約200mで信号を左(北)へ、県道260号線です

 約4.1kmで横断歩道の手前を斜め左へ入ります、直ぐに国道4号線一関バイパスの道路橋の下を潜ります

 約400mで左からの道路に合流する様に一時停止を右(西)へ、間も無く東北自動車道の高架を潜り道成りに進みます

 約2.7kmで丁字路状の交差点を左(南西)へ、約500mの右カーブの手前を左(南東)へ

 約300mで山神社の参道が東向きで右手に出ています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 山神社の社號標です

 手水鉢からは綺麗な水があふれています

 鳥居です、鳥居下の建築碑には、東日本大震災での鳥居・本殿・石碑が大被害を受け再建として、2024年9月吉日と記ていますので出来たばかりです

 一関市指定有形文化財の「石室」が境内にあるようです

 参道を進みましょう

 東海道(あずまかいどう)跡疑定地の標柱です、昔の道は山の中を縫う様に進んでいたようです
 *一関市の地図を見ると、市街地の東側を北上川が蛇行しながら南北に流れて、広い農地を作っています。
 JR東北本線は「配志和神社」の東側の裾を南北に通って、配志和神社の西側の山間を国道4号線一関バイパスが通り、更にその西側を東北自動車道が通っています。
 東北新幹線は、一関駅を出ると東北本線から外れて北上川を渡って、水沢江刺・北上・盛岡へと向かっていきます。
 かつての東海道は更に西側の山間を通っていたようです。

 直角に曲がって南向きに山神社のニノ鳥居です

 境内の斜面に石碑が並んで、その上に大きなスギの幹が見えています

 杉の根に持ち上げられた参道石段を上がります

 大きな石碑です

 参道左脇に目的のスギです

 北側から、目通り幹囲5.8mの巨木です
 
 社殿です

 西側から

 南西側から見上げました


 社殿前右手に石室です

 説明版です
   市指定有形文化財
     石室
      所在地   一関市赤荻字外山293
      指定年月日 昭和51年6月1日
 この石室の由緒は、室部の後壁に天正2年(1574)の紀年銘と石工弥六の制作者名があるのみでです。
 安永風土記によると、当文化財が所在する「山の神社」の地主・別当について、「外山屋敷利兵衛」と記載されていますが、その人物から10代遡ると安部上総之介という天正年間の先祖にあたるため、その当時に製作されたものと推察されます。
 この石室は、安山岩製で総高90cmです。
 基礎・室・寺院形式の方形屋根をかけた屋根を組み合わせており、室の奥壁には半月状の光背が彫られているため、本来は仏を祀る石仏龕であったと思われます。
 紀年銘の残る石室は類例が乏しく、本資料は当時の姿を知ることのできる貴重な考古資料といえます。
       平成21年10月   一関市教育委員会

 では、次へ行きましょう


 
 2024・9・10・10・40
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岩手県一関市、山目舘「配志和神社(市指定有形文化財)と境内社」です!!

2024-09-21 07:18:37 | 文化財・寺社
 山目舘地区は、一関市役所の北約1kmのところ

 一関市役所南側の道路を西へ、約150mの信号を右(北)へ

 約750mで道路左手に配志和神社参道入口が南東向きに出ています

 参道脇の道路を登って行って白鳥神社手前の駐車場に入りました

 前回「配志和神社の夫婦杉」の続きです

 手水鉢です、石段を上がります

 拝殿です

 拝殿軒下の額です

 本殿です

 説明版です
   一関市指定有形文化財(建造物)
     配志和神社社殿
  所在地   一関市山目字舘
  年代    江戸時代
  指定年月日 昭和61年(1986)7月1日
 配志和神社本殿は「延喜式内神名帳」にも記載される延喜式内社で、磐井郡二座のうちの西岩井・流の総鎮守神として、崇められきました。
 はじめ磐座山に鎮座して火石輪と呼ばれ、後に始和大明神、穂志波社梅森明神、蘭梅明神(梅の宮)、刃蔵社とも呼ばれました。
 配志和神社に改めたのは延長5年(927)で中世に現在地に移されて今日に至っています。
 宝暦風土記(1763)によると、その創建は日本武尊が蝦夷征伐の際に、高皇産霊尊・瓊瓊杵尊・木花開耶姫命の三神を祀り戦勝祈願したことといわれ、その三神が祭神とされています。
 「県社配志和神社略記」によると、本殿は養和元年(1181)、拝殿は正徳元年(1711)に改築されたとされていますが、現在の社殿は拝殿と本殿を幣殿でつなぐ複合社殿であり、江戸時代の特色が見受けられます。また、拝殿二手先組、化粧屋根裏構架、本殿欄間彫刻といった構造手法も非常に優れており、当地方の信仰や社寺建築の歴史を知るうえでも貴重な建築物です。
        平成28年10月  一関市教育委員会

社殿北側に境内社が並びます、まずは愛宕神社です

 説明板です
   愛宕神社
 火神過遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る。
 誕生の時に母神が火傷のためにお隠れなさったので、仇児の神と、また火産霊神(ほむすびのかみ)とも称される。
 社殿の経緯は不明であるが、江戸時代の配志和神社々殿造立に相次いで建立と推定される。
 昭和10年の修理記録が一部残る。平成23年の大地震で損傷激化し、同25年から同27年にかけて屋根葺替、縁床浜床張替、階造替等の修繕を行い、天神社側の雨打線の競合から配志和神社側に3尺移転し基礎を鹿の子建から一部亀腹とした。

 天神社です

 説明板です
   末社 天神社
     御祭神  菅原道真公(天満大自在天神)
     御神徳  学問 詩歌 書道 合格 雪冤 降雨
 菅原道真公は学問に秀で、政治家として異例の出世をしたが、妬まれて大宰府に左遷され不遇の中に亡くなった。
 その後、都に落雷などの天災が頻発したため、管公の御霊として恐れられ、天満大自在天神として祀られるようになった。
 配志和神社には管公左遷の折に、御子敦茂公が当地に流され、父の帰洛を願って社殿を修造し観音像を祀り、蘭麝梅を植えたという伝承がある。
 蘭麝梅は全山に繁茂して、馥郁たる香りを放ち、この山を乱梅山と呼ぶようになった。

 天神社の裏側には「硯が池」です、天神様と慕われる菅原道真公大宰府に左遷され御子敦茂公が当地に流された折この池の水にて硯の墨を擦ったと伝えられる。

 御名前がわかりませんでした

 南向きに産神祠(山の神)です、中には祠と石仏が祀られています

 説明板です
   産神祠
 山神又は山の神とも言う。
 木花開耶姫を祀る。
 天孫瓊瓊杵尊の妃となり火中で出産し安産又女性の守り神とされる。
 お産の時に枕を借り、産後は焚き上げて、新枕二つを返す。

 神明社です

 説明板です
   神明社
 天照皇太神を祀る。
 配志和本社に祀る瓊瓊杵尊の祖母神。
 八百万神の中で最も尊い神とされる。

 社殿面から太い方のスギを西側から見上げました

 細い方のスギです

 境内から南へ出てみると「蘭梅山いこいの森案内図」がありました

 では、次へ行きましょう




 2024・9・10・09・50
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